取材報告:MBS報道情報局 福本晋悟記者
西村)「関西に大きな地震は来ない」30年前に神戸の街を震度7の揺れが襲うまでは多くの人がそう信じていました。「ネットワーク1・17」は、阪神・淡路大震災の反省から始まった番組です。当時、行政もメディアも本当に地震の危険性を考えていなかったのでしょうか。
きょうは、MBS報道情報局 福本晋吾記者の取材報告です。
福本)よろしくお願いします。
西村)当時、「関西に大きな地震は来ない」と行政やメディアも思っていたのでしょうか。
福本)1970年代、阪神・淡路大震災が起きる20年前に生活していた人々は地震に対してどのように思っていたのか。当時は、「東京では地震は多いけど、関西や神戸ではあまり地震がない」というのが一般的な感覚だったそうです。震災が起こる前の20年間に、東京と神戸でどれくらい地震があったのか調べてみました。震度1の地震は、20年間で東京23区で400回以上。しかし神戸市では50回ほどしかありませんでした。
西村)少ないですね。震度1はあまり体感がない地震ですよね。
福本)東京の方が神戸より8倍地震が多かった。震度4の地震は、20年間で東京23区で27回、神戸市では1回もなかったんです。「関西はめったに地震はない」という感覚が一般的だったと思います。ただし、1970年代当時の地震学者は、「活断層が関西にもある」「活断層は繰り返し地震を発生させる恐れがある」「六甲山断層(阪神・淡路大震災を引き起こした断層の一部)が兵庫県の南東部にある」ことが既にわかっていたのです。地震学者は、関西の地震の危険性についてわかっていたけど、一般の人にとってはなじみのないものだったのです。
西村)だから「関西に大きな地震は来ない」という話が広がっていたんですね。当時の行政はどう考えていたのですか。
福本)1970年代に入ると、行政も地震への備えを始めました。その一つが、神戸市が1974年(昭和49年)に発行した「神戸と地震」という調査報告書。これは神戸市が当時の大阪市立大学の研究会に委託をし、地震学者が調査をした60ページの報告書です。この報告書には、極めて断定的で明瞭に結論が書かれています。
西村)なんと書かれていたのですか。
福本)地盤調査を行った結果を踏まえて、「活断層が数多くある神戸市周辺において、今後、大地震が発生する可能性が十分ある」「将来、都市直下型の大地震が発生する可能性あり。そのときには断層付近で亀裂変異が起こり、壊滅的な被害を受けることは間違いない」と書いてあったのです。
西村)そうだったんですか!それはメディアで伝えられたのですか。
福本)この結果について当時、新聞の夕刊に書かれていたそうですが、それほど大きな扱いではありませんでした。
西村)なぜ大きく扱われなかったのでしょうか。
福本)この研究に関わった当時34歳の地震学者、京都大学 名誉教授の尾池和夫先生に聞きました。研究結果を行政が公にはしなかった点について、尾池さんは、「神戸と地震」研究の代表者から、「"神戸市からの報告書はなかったことになった"と聞いた」と振り返っていました。現代では、税金で調査をして報告書を作った場合、それを市民に広めて災害への備えをしてもらうのが一般的ですが、当時は、研究のひとつとして終わったということです。
西村)その報告書を受けて、防災対策はされたのでしょうか。
福本)もう50年も前のことなので、防災対策がされたのかは、はっきりとわかりません。先日、神戸市に取材をしたのですが、神戸市の危機管理室には「神戸と地震」という報告書の冊子がないとのこと。なので、1970年代以降、この報告書を受けた政策や計画が行われたのかは、わからないということです。しかし、神戸市立図書館や県立図書館には保管されているので、冊子があったことは事実。報告書の結果がどのように反映されたのかはわかっていないことも多いですが、この冊子ができた21年後の1995年に阪神・淡路大震災が起きたということは、紛れもない事実です。
西村)神戸市はその後、地震調査をしたのでしょうか。
福本)1970年代に地震について、行政の調査が進んでいきました。80年代になると、調査が進みました。その背景には、1978年の宮城県沖地震があります。大きな都市でもっと地震への対策をしていかなければならないと。神戸市では1983年に建物倒壊や延焼の危険度に関する調査を行い、報告書がまとめられました。これを担ったのが、神戸大学 名誉教授の室﨑益輝さんです。室﨑さんが当時、神戸市の被害想定をするに当たってしたことがあります。そもそも神戸でどんな地震が起こるかを設定しなければ、被害想定は作れない。どんな地震が起こり得るのか。神戸市の最大震度の想定について、過去に兵庫県内で発生した地震に基づいて議論が行われました。岡山から兵庫県に伸びる山崎断層を想定するのか。大阪の枚方断層を想定するのか。または六甲山断層を想定するのか。山崎断層や枚方断層による地震が起きた場合、兵庫県では最大震度5強の想定になり、六甲山断層による地震が起きた場合、震度6の想定になります。どちらの断層を選んで被害想定をするでしょうか。
西村)震度6の六甲山断層かなと思います。
福本)そう思いますよね。これは、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験したわたしたちが、想定外をなくそうという常識を持っているからこそ思えること。1980年代はそういう発想にはならなかったのです。六甲山断層の震度6を想定すると、行政としては防災対策に費用がかかりすぎる。なので、まずは震度5強の対策をするという結論になったのです。
西村)お金の話ですか...。
福本)今となれば行政が防災のことにお金を使うことは、批判されることではなく、むしろ良いことだと思われます。1970~80年代の高度経済成長期は、経済最優先で防災については、黎明期だったとも言えるかもしれません。「なぜ高い震度の想定しなかったのか」ということについて、室崎先生はこう振り返っています。「まずは神戸の町を震度5クラスに耐えられるような町にして、数年後計画を見直して、震度6~7に耐えられる町にするという発想だった」と。当時は、第一段階として震度5クラス、その後震度6~7クラスに対応できる町にしていくことが考えられたのです。
西村)そのことについて、室崎さんはどのように話していましたか。
福本)室﨑さんは、「震度5強レベルの対策でさえも行政や市民に取り組んでもらえるのか不安だった」と当時を振り返っていました。これについては、地震対策や防災の思想が不十分だった時代背景があると思います。「阪神・淡路大震災が起きて30年たった今、1980年代を振り返ってみてどう思いますか」と質問したところ、「明日にでも大地震が起きる想定で考えるべきだった」「最大想定ができていなかった」という反省点を述べられました。仮に震度6の六甲山断層を想定していたとしても、これはあくまで兵庫県が歴史上経験した最大の震度にすぎません。震度7が今後起きないという保証ではなかった。従って、「震度6ではなく震度7に想定した方が良かった」としていました。
西村)すごく大切なことですね。わたしたちも「家具の転倒防止の器具をつけようと思っているけど、今忙しいからまた今度にしよう...」となることもあります。
福本)「南海トラフ大地震が明日、明後日起こるかも」と対策しているかというと、そうは言えないと思います。ハザードマップを見て、自分の住んでいる家の想定が震度6弱ぐらいになっていたら、「震度7ではなくて良かった」と思ってしまうこともあると思います。でも震度7の地震が起きない保証があるわけではない。防災対策はやはり最大の震度7に想定すべき。最大想定を考えることが大事だと思います。
西村)これから起こるとされている南海トラフ巨大地震に阪神・淡路大震災の教訓をどのように活かしたら良いでしょうか。
福本)地震学者の尾池先生、防災学者の室﨑先生に、阪神・淡路大震災30年を迎えるにあたっていろいろ話を聞きました。共通点は、「最大想定を考える」ということ。当時は、防災学者や地震学者が考えを広く市民に知ってもらうということができていなかった。今は、阪神・淡路大震災や東日本大震災の経験から、最大想定で物事を考えることは広く社会に知られていると思います。しかし当時は、今後どれくらいの確率で大地震が起こるかという「地震発生確率」もわかっていませんでした。今、わたしたちは「南海トラフ地震が今後30年以内に80%程度で起こる」ということを知らされています。これを知っていたとしても、本当に防災対策をやろうとしているのか。科学者、防災学者が調べた結果を、本気で受け止めているのか。これから南海トラフ地震が起こるまでの間、わたしたちが阪神・淡路大震災の経験を踏まえて、防災対策をしていくことが重要になると思います。
西村)だからこそこの番組があること。みなさんに伝えていかなければならないと改めて思います。
福本)阪神・淡路大震災以前の20年間は、わたしたちは地震について知る機会がなかったから、防災対策が不十分だったのかもしれません。これから南海トラフ地震が起こるまでの間は地震について知らされていることをしっかりと受け止めて対策をしていくことが、阪神・淡路大震災の大きな教訓だと感じています。
西村)福本さんありがとうございました。
きょうは、MBS報道情報局 福本晋吾記者の取材報告でした。