第1240回「令和2年7月豪雨~支援に奔走するラフティング会社」
電話:熊本県球磨村のラフティング会社「ランドアース」社長 迫田重光さん

千葉)九州を襲った豪雨から4週間が経ちましたね。
今回の豪雨で氾濫した熊本県の球磨川は、熊本県内を流れる川で、氾濫したところはその中流にあたります。
ラフティングの拠点としても知られています。
 
新川ディレクター)ラフティングというのは、大型のゴムボートに数人が乗ってパドルを使って急流を下っていくアウトドアスポーツなんですね。
球磨川の流域にはおよそ20社のラフティング会社が拠点を置いていて、今回の豪雨で多くの会社が被害を受けています。
 
千葉)きょうは、ご自分の会社が被害を受けながらも、地域の復興のために活動している方にお話を聞きます。
熊本県球磨村のラフティング会社「ランドアース」社長の迫田重光さんです。
迫田さんよろしくお願いします。
 
迫田)こちらこそ、よろしくお願いします。
 
千葉)7月4日未明の豪雨の時、迫田さんは、どこでどんな状況だったんですか。
 
迫田)とにかく4日の夜中ですね、あと3日の夜もですね、雨量が半端な状態じゃなくて、かなり強烈な雨量だったんですよ。
その中で、自宅で寝ていたんですけれども、どうも雨脚が強すぎるから、これはちょっと問題かなと思って会社の方に行ってみたところですね、会社の目の前の田んぼとか畑があるんですが、そこが湖になっていて。
うちの会社は球磨川のすぐそばなんですけど、球磨川を見に行ったら、あと1.5メートルぐらいで堤防から水が越えそうな勢いだったんですよ。それがだいたい夜中の3時ぐらいで。
それからですね、会社の車両が8台ぐらいあったもんで、これを大至急、高台の方に避難しないと全てパーになるなと思ってですね。うちのスタッフに電話して、夜中に「ちょっと出てきてくれって」という風な形で連絡をして、どうにか2人来てくれたので、合計僕と3人で車をピストンして高台の方に避難して。そうですね、大体4時、5時...5時半ぐらいですかね。どうにか車両の方は上げることができて。
それから川の水がどんどん増えてきて、もう恐ろしいくらい水が増えてきたんで、僕たちも会社から避難しないともうヤバいような状況になって、もう水が浸水してきて。
それで慌ててちょっと近くの高台の方まで移動したのが、6時ぐらいですかね。

 
新川)高台に避難をされて、その後、球磨川が氾濫してしまうわけですけれども、そのようすは高台からご覧になっていたんですか。
 
迫田)そうですね。目の前で沈んでいくうちの会社を見てですね、もう終わったと思いました。
 
千葉)会社はもう建物全体が飲み込まれてしまうというような状態だったんですか。
 
迫田)そうですね。うちの会社は2階建てなんですよ。
で、一番上まで6メートルぐらいあるかなぁ。
もう、みるみる内に1階が浸かってですね。
そして、目の前に国道があるんですけども、国道の方はもう川になっていってですね。
全く行けないような状況になって、もう辺りがどんどんどんどん水の中に沈んでいって、1階ぐらいでおさまるのかなとは思っていたんですけども、全然甘くて、2階の屋根のすぐ下ぐらいまで来ているような状況でした。

 
千葉)ラフティング会社ということは、商売道具のボートがありますよね。ボートは大丈夫だったんですか。 
 
迫田)倉庫の中にボートを入れていたんですけど、倉庫の入り口のドアが洪水で壊れてしまって、そこからボートがどんどん出ていくんですよ。
あ、また1台出た、また1台流れていったっていう感じですね、次から次にボートが出て行くような光景を見ながら絶望を感じていました。

 
千葉)すさまじい状況なんですが、その中で、14人が亡くなった特別養護老人ホームの「千寿園」に救助に向かわれたと聞いたんですが...。
 
迫田)そうですね。
千寿園の方に救助に行くんですけれども、その前が、実はすごく大変でした。
急激に川の水が上昇したのもあって、逃げ遅れた人たちが、うちの会社からすぐ近くの方に、15人、屋根の上に取り残されている人たちがいたんですね。
一か所に15人じゃなくて、1軒は2人とか1軒は1人とか1軒は3人とか4人とかっていう感じで、取り残されている人たちがいて、まずその人たちを救助しないといけないなと思ってですね。
僕たちは会社を高台の方から見ていたんですけれども、近くの人たちが来て、屋根の上に取り残されている人たちがいるから僕たちのところに来て「助けてもらえないだろうか」っていう話が来てですね、その人に連れられてちょっと高いところ、山道を行って、取り残されている人の方まで歩いて行ったんです。
歩いて行ったら、うちから流れてきたボートがですね、実はそこにあったんです。

 
新川)残っていたんですね。
 
迫田)はい。
それで、近所の方がですね、ボートを流れていかないようにつかまえてくれていたんですよ。
たまたまそこにボートがあったもんで、それで救助に向かったっていう感じですね。

 
新川)その流れ着いたボートで、冠水した街の中に点々と取り残されている人たちのところまで、ボートで漕いで行ったんですね。
 
迫田)そうですね。
ボートはあったんですけども、実はボートを漕ぐためのパドルが無くて。
で、何かパドルの代用にできるものないかと思って探してですね。
探していたら竹があって、その竹と、あと近所の人に聞いたら、ほうきがあるって言うから、ほうきを借りて。そして、スコップはあるということだったからスコップを借りて、3人で漕いで行ったっていう感じですね。

 
新川)スタッフの方と一緒に。
 
迫田)そうですね、はい。
 
千葉)ボート自体もゴムボートですよね。
十分、使える状態だったんですか。
 
迫田)いや、これまた強烈で。壊れている、修理の途中のボートだったんですよ。
床の部分が空気が入ってなくてベコベコで、全体的に空気もあんまり入ってないボートだったんですよ。
仕方ないからそのまんまですね、3人で漕いで行って、屋根の上の人たちを救助したという感じになります。

 
新川)じゃあ、少しずつ3人でほうきとかスコップで漕いで、時間もだいぶかかりましたよね。
 
迫田)かかりますよね。
で、やっぱり流れがちょっとあるから、流されてしまったら大惨事になってしまうからですね。
電柱がいたるところにあったもんですから、その電柱に、近所の人たちからロープを借りて、ロープを回して流れていかないようにしていたたという感じですね。

 
新川)ロープをつかんで、それを頼りに...?
 
迫田)はい、そうですね。 

千葉)じゃあ、川の流れに逆らって、ロープを手繰りながら進んで行ったという感じですか。
 
迫田)そうですね。竹とほうきとスコップで漕ぎながらですね。
 
新川)老人ホームの「千寿園」にも行かれたということですけど、あちらでは14人の方が亡くなられています。中に入るのも大変だったんじゃないですか。
 
迫田)そうですね。
まず、ドアが閉まっていたからですね、自動ドアをこじ開けて入って、もう入っていくとですね、中に溜まっている水がゴミと一緒にドワーッと流れてきて、結構大変な状況でした。

 
新川)屋根の上ではなく、中に人がいるというのは分かっていたんですか。
 
迫田)地域の人たちから、千寿園の中に60人ぐらいいるからって連絡もらってですね。
ただ、僕らもですね、屋根に残っている人たちが15人いらっしゃいましたし、それを救助して、そして、対岸の方でも屋根の上に2人残されていたんですよね。
ですから、その人たちを助けてからじゃないといけないっていう形で連絡をして、それで17人を助けた後、最後に向かったという感じですね。

 
新川)千寿園では何人の方を救助されたんですか。
 
迫田)千寿園ではですね、ちょうど行った時に1階がですね、約2メートルぐらい水が来ていて、屋根まであと1メートルちょいぐらいの感じだったんですよ。
たまたまそこに、パーテーションってありますよね、仕切り。
あれが浮いていたみたいで、その上に入所しているおばあちゃんと、付き添いの方がたまたまそのパーテーションの上に乗ってらっしゃって、その2人は救助できたっていう感じですね。

 
新川)たまたま浮いていたパーテーションを船のようにして、なんとか...
 
迫田)はい、そうですね。引きずり出してですね。

千葉)助け出した後は、安全な場所っていうのはすぐ近くにあったんですか?
 
迫田)そうですね。助け出した後は、ちょっと高台の方に道があったからですね、まあ、小さな村道ですけれども。
その道の方に近所の方がたくさんいらっしゃったから、その人たちに引き渡したっていう感じですね。

 
新川)ちょっと聞きづらいことではあるんですけれども、助けられなかった方もいらっしゃったんですか。
 
迫田)そうですね。
もうすでに...何と言うか、2人だけは、そのパーテーションの上に乗っていらっしゃったんですけども。
それで、千寿園のスタッフの方も、多分、水がどんどん浸水してきて、1階にいたおじいちゃん、おばあちゃんをですね、大半は歩けない人が多いと思うので、おじいちゃん、おばあちゃんたちを多分、何回も往復して、2階に連れて行かれたと思うんですよ。
それもすごく大変だったろうと思うんですけども、あまりにもやっぱり、水が増えるのが急激だったこともあってですね、間に合わなかったっていう風な感じで聞きましたね。

 
新川)迫田さんも、助け出せたのはなんとかお2人だけだったんですもんね。
 
迫田)そうですね、もう2人しか1階には残ってなかったですからね。
あとはもう、14人はその場所の下の方に沈んでいらっしゃったんじゃないかなと思います。

 
千葉)助け出された方々は、何か迫田さんにおっしゃっておられましたか。
 
迫田)もう、話せるような状態じゃなかったですね。
だから助けてそのままですね、近所の方に渡して、そしてまた次、その中に入っていったりしたんですけど、もう水が多くて、入って行ける状況ではなかったですね。

 
千葉)さっき、28年とおっしゃっていましたけど、長年、球磨川でラフティングをされている迫田さんは川のことをよくご存知だったと思うんですが、こんな水害は想像されていましたか。
 
迫田)全然想像していないですよね。
かなり強烈な洪水でした。
うちの会社がある球磨村は、人吉の隣にある村で、そこの渡地区って言うんですけども、今まで多少は増水したことはありますけども、まずもってこんなことはなかったですね。


千葉)豪雨から4週間になりますが、いま、球磨村はどんなようすですか。

迫田)うちのスタッフと、あと、うちのラフティングに来ていただくお客さんとかですね、皆さんが心配されてすごくボランティアたくさん来てもらっているんですよ。
うちの会社もほとんど全滅して壊滅状態なんですけれども、とりあえず地域も壊滅状態ですから、できるだけ地域にボランティアで行って、綺麗にしてですね。
そういうボランティア活動をやっています。

 
新川)ご自身の会社のこともありながら、地域の方の片付けを手伝われているんですか。
 
迫田)はい。今日もボランティアでうちの会社の方から7~8人ぐらい行っていますね。
 
新川)なぜ、そちらの方を手伝われているのでしょうか。
 
迫田)やっぱり地域が復興しないと、うちの会社の方もスタートできないなって思っているんですね。
 
新川)今は、どんな作業を日々されているんでしょうか。
 
迫田)今も、例えば家の中に入った土砂とか、泥出しとかですね。
あと、ガレキ関係の撤去、そして掃除をしたり、いろいろお手伝いしています。

 
新川)まだ、やっぱりその作業は残っているんですね。
 
迫田)そうですね。多分、気が遠くなるぐらいかかるんじゃないかなと思っているんですけども。
 
千葉)ボランティアも、県内限定の状態ですよね。
人数的にはやっぱり...
 
迫田)いや、全然足りていないです。
コロナだから行ってはダメだとか、そういう風な形で言われていますけども、もうただでさえ人口が少ないところで、どっちかと言ったら、おじいちゃんおばあちゃんの方が多いような場所ですから、そこでボランティアで若い力を入れることができなければ、本当に復興自体がきびしい状態になるんじゃないかなと思っています。

 
千葉)被災されたみなさんは、一応、家で生活はできる状態にはなってきているんですか。
 
迫田)いや、全然できてないです。
もう自宅は使える状態じゃないですね。
全部、2階まで浸かってしまっているとかそういう状況だから、かなりきびしいですね。
一応、学校の体育館等2か所、球磨村の方では借りて。
100人と、もう一か所が200人ぐらい避難されています。

 
千葉)コロナが蔓延している状態だから、避難所も大変ですよね。
 
迫田)そうですね。怖いのは怖いですよね。
だから、僕たちも、炊き出しとかですね、そういうのもしてあげたいなと思っているんですけど、県外から炊き出しとか言われたら断られるような状況ですね。
非常にもどかしい部分もあるんですけども、そういう状況ですね。

 
千葉)正直、4週間経っているから少し進んでいるのかなっていう風に思っていたんですけども、まだまだですね。
 
迫田)はい、そうですね。
本当にボランティアが少ないですね。

 
千葉)迫田さん、ラフティングについてお聞きしたいんですが、このラフティングって迫田さんが28年前に始めて、今では村の大きな観光産業に成長されたそうですが、再開できる見通しというのは見えますか?

迫田)実は、いまだに再開ができていない状況なんですよね。
ひとつはですね、今回の球磨川の洪水で、この人吉球磨というエリアだけで、65人亡くなっていらっしゃるんですよ。
ですから、まず、ラフティングの協会とかあるんですけども、そちらの方ではせめて四十九日まではみんな自粛しようねという形です。
ただ、四十九日過ぎたらすぐスタートできるのかって言ったら、できるような状況ではありません。
川に橋が何本も沈んでいるとか、そういう状況だからですね。

 
新川)設備なども、迫田さんの会社の「ランドアース」だけでも、ものすごい被害額なんじゃないでしょうか。
 
迫田)はい。うちの会社でも全て被害を受けているし、その他の会社も、そうですね...13社は、ほぼ壊滅的な状況です。
もう会社自体が流されてしまっているところもあるし、機材関係もすべて流されているとかですね。
非常にむずかしい状況ではあります。
あと、橋とか沈んでいるし、車関係とかも沈んでいることだろうし、元々すごくきれいな球磨川なんですけれども、今回の洪水で山が崩れたり、いろんなことがあってですね...
通常なら球磨川が増水して水が出た時でも、1週間か10日ぐらいするときれいになるんですけども、今回はもうすぐ1か月ですけど、いまだにカフェオレみたいな色になっています。

 
新川)茶色い泥が残っている状態なんですね。
 
迫田)そうですね、はい。

千葉)村の大きな観光産業で、たくさんの人の生活も支えているわけですもんね。
 
迫田)そうですね。
 
新川)再建に向けては動かれるんでしょうか。
 
迫田)もちろん動いていますし、まず川の濁りが取れないと川の方の調査ができない。ぶっちゃけ何が沈んでいるかわからないからですね。
もう橋も流れて沈んでいますし、あと車両関係とかもたくさん沈んでいると思うんですよね。
まあこういう状況ですから、ある程度、川の水の透明度が上がったら、川の中のいろんなものを拾って清掃もやっていかないと、まず、厳しいんではないかなと思っています。

 
千葉)何か、関西に住む私たちにできる支援ってありますか。

迫田)いま、だいぶ、支援物資関係とかも、関西の方、日本全国のたくさんの方からいただいて、本当にありがたいと思っているんです。もうある程度、物資関係は揃ってきております。
これから一番大切なのは、人手です。
そして、あとはもう義援金等という形になってきますので。
いろいろと障害がありますけれども、できればボランティアで来ていただきたいなと思っていますね。