取材報告:亘 佐和子プロデューサー
西村)きょうのネットワーク1.17は東日本大震災11年のシリーズ6回目です。防災に取り組む若者たちのオンラインでの交流の模様をお伝えします。亘佐和子記者のリポートです。どうぞよろしくお願いします
亘)よろしくお願いします。東日本大震災シリーズの初回2月27日の放送で、宮城県の河北新報社と全国の地方メディアが連携して開催したワークショップ「むすび塾」についてお伝えしました。
西村)宮城県東松島市で小学生のときに東日本大震災の津波を経験した現在大学生の雁部那由多さんのお話でしたね。震災前は見えていなかった家庭環境や経済状況があらわになって「震災は僕らに格差を見せた」という言葉が心に残りました。語り部が語っていくことは大変なことで、地元の人や友だちと震災のことを語り合うことの難しさも初めて知りました。
亘)雁部さんのお話は、オンラインで行われた「むすび塾」の前半部分。後半は全国から参加した10~20代の人たちのトークセッションでした。北海道から宮崎県まで11人の若い人たちが参加して、自分たちがどのような活動をしているのか、どのような課題や悩みを抱えているのかを話し合いました。それぞれの地元で起こった災害について発表するところからスタート。
まずは、京都で防災に取り組む学生団体、「龍谷FAST」代表 川端麻友さんの発表を聞いてください。
音声・川端さん)大阪北部地震について話します。この災害は2018年の6月18日に、大阪北部でマグニチュード6.1の地震が発生し、高槻市や茨木市で震度6弱を観測するなど、近畿圏各地に大きな被害をもたらしました。地震による死者は6人、うち2人がブロック塀の崩落に巻き込まれて死亡しました。当時、私は茨木市に住んでおり、震源地から近い高槻市の高校に通っていました。自分の家も被害を受け、壁にひびが入ったり、食器棚の食器がたくさん落ちて割れたり、電気が落ちてきたりしました。通学路では、屋根がビニールシートで覆われている家屋や、学校のブロック塀が取り壊されていく光景を目の当たりにして、阪神・淡路大震災の映像で見た被害が自分の身に起きるという恐怖を味わいました。
当時、小学生の弟を小学校のグランドまで迎えに行ったのですが、担任の先生に「姉です」と伝えても、姉という証明ができずに一緒に帰れませんでした。運動場にみんな集まっていたので弟の近くにいることはできたのですが、保護者扱いにはしてもらえなくて。年は8つ離れているので、保護できると思っていたんですけど。「一緒に帰りたい」とどれだけ伝えても「親が来るまで待って」と言われて。家に帰らせてもらえないという状況でした。
西村)お姉ちゃんが迎えに行っても一緒に帰ることはできないのですね。両親が仕事に行っていて、遠方だったら、電車が止まっていたら...なかなか帰ってこられないですよね。娘が通う保育園では、緊急時にお迎えに行ったときは、保護者を証明するカードが必要なんです。家族はみんな本人との関係性がわかるカードを持っています。保育園によっても違うかもしれませんが。
亘)保育園は親が迎えに行く場合がよくあると思いますが、学校では、子どもたちは自分で行って帰るのが基本ですよね。迎えに行く事態が発生したときにどう対応するのかはあんまり考えられていない。何か災害が起こったときに、どのように子どもを引き渡すのか。事前に考えておいたほうが良いと感じました。
西村)保護者から学校や保育園、幼稚園に問い合わせることも大事ですよね。
亘)もうひとつ報告を聞いてください。2004年の福井豪雨について、29歳の看護師の前川理沙さんの話です。
音声・前川さん)今から18年前の2004年にあった福井豪雨について発表します。私自身も被災しましたが、当時は、小学校6年生だったため、家族から当時の話を聞いたり、過去の資料を見返したりして、私なりにまとめた話をさせていただきます。福井市の中心部を流れる浅尾川という大きな川が決壊し、4人が亡くなり、1人が行方不明、19人が重軽傷を負いました。私の実家は福井市内にあり、決壊した川から直線距離で1.6キロほど離れていました。当時、昼には雨が止んで「なんともなくてよかったね」と家族で話していたのですが、午後1時45分頃に浅尾川が決壊して一気に水が街を飲み込みました。
避難指示が出て、私たち家族は町内の集会所にいたのですが、そこも危険だと判断されて、高台の避難所に避難し直しました。外は100センチを超える水がたまって、茶色く濁った水がゆっくり流れていて、長靴やバケツ、自転車などが流されていました。私は全身泥まみれになって、避難先では着替える場所もなく、とにかく早くお風呂に入りたかった、ということを覚えています。
翌日には水が引いて、自宅に戻ると家の中は水だらけ。冷蔵庫が台所からリビングに移動していたり、家の中のものがぐちゃぐちゃになっていたりしました。いくら消毒剤をまいても、泥の臭いがリビングにずっと残っていました。床下の泥出しや使えなくなった家具の運び出しには2週間ほどかかって、一階が普段通りに使えるようになるまでには、1ヶ月以上の時間がかかりました。
当時は、水害に関する知識もなく、家に避難用バックはありませんでした。床上浸水が始まってから避難しましたが、外に水がたまった段階ですぐ避難するなど、早め早めの行動が大切だと感じました。
西村)雨がやんで「なんともなくてよかったね」と言っていたら川が決壊したのですね。早めの避難が大切というお話。
亘)ほかにも北海道胆振東部地震や西日本豪雨、大型台風の経験などが発表されました。改めて日本は災害列島だということを実感しました。
西村)だからこそ、備えないといけませんね。
亘)みなさんが地元で防災の活動をする中で、どんな悩みや課題があるかを共有したので聞いてください。まずは名古屋大学の防災サークル「轍」のメンバー、坂上野々香さんの話です。
音声・坂上さん)コロナ禍で被災地に向かうのが難しいです。私が所属しているサークルは、先輩が実際に西日本豪雨で被災したことをきっかけにできたサークル。先輩たちはよく現地に行って、実際にその光景を見たり、博物館に行ったりして勉強しているんです。でも自分の代以降の人たちは現地に行ったことがなくて。行きたいと思っているのですが、長期休暇になると毎回、緊急事態宣言が出てしまって。塾でバイトをしているので、外に出て感染するのも怖いですし。被災地に行くことができないということが、自分の中で課題になっています。
西村)コロナの影響は大きいですね。現地に行って話を聞きたくてサークルに入たのに。つらいですね。
亘)コロナ禍で思うように活動できないというのは、みんなに共通する悩み。それ以外にも共通する課題を抱えています。それは子どもたちにどのように防災を伝えていくのか、興味をもってもらうかということ。
宮崎県わけもん防災ネットワークのメンバー 盛満優雅さんが投げかけた疑問に対して、さまざまな意見が出ましたので、それを聞いてください。
音声・盛満さん)クイズなどを用いて楽しく防災を伝えようと考えているのですが、子どもたちが見入ってくれるような内容にするにはどのようなものがいいのかが気になっています。
音声・橋本さん)過去に同じ悩みを持っていました。うちの団体では、小学生数10人、幼稚園児数10人が相手に子ども向けの防災講習をしています。わちゃわちゃして収拾がつかなくなる。自分がもし防災講習を受けるとしたら、どのようなものだったら受けても良いと思うかなと考えた時、楽しみたい、遊びたいと思ったんです。楽しみながら体験したことはすごく体に入るのではと感じていて。防災運動会や防災キャンプとか。障害物リレーでバケツリレーをしたり、消火器を使って的を倒すゲームをしたり。楽しみながら防災を取り入れられるようにやっています。
音声・坂上さん)過去に子どもたちと一緒にやって、楽しんでもらえたものがありました。「防災ビンゴ」といって、本来は数字でやるビンゴを数字ではなく、非常用持ち出し袋の中身でやりました。まず軍手や簡易トイレなどの候補を紙に書いて、その中から好きなものを選んで、3×3に貼ってもらいます。そこからくじで軍手が出てきたら、丸をつけて...というふうに。ビンゴが出たら景品としてお菓子を渡しました。「僕は軍手を貼る!」というふうに言ってくれるだけでも「軍手がいるんだな」と覚えてもらえると思いますし、楽しんでもらうことで、イベントに参加した記憶が残るだけでもいいと思って。「防災ビンゴ」はやってよかったなと思っています。
西村)自分たちで考えて楽しむということですね。子どもたちだけではなく、大人も一緒に楽しむことができそう、と聞いていて思いました。ワクワクしました!
亘)私も消火器で的を倒すゲームをやったことがあるんけど、かなり楽しいです。使い方も覚えられますし。体を動かすと自然に覚えられますよね。
西村)私も運動会でバケツリレーと防災ビンゴをやりました。楽しかったですし、思い出に残っていますね。
亘)「楽しい」がキーワードだなと思います。高齢者のみなさんに防災に関心を持ってもらうにはどうすれば良いかという疑問も出ました。例えば「芋煮会」や体力作りのイベントに防災の要素を盛り込むとか。「防災を前面に出さないけれど防災につながる」内容が良いという意見が出ていました。
西村)顔見知りになることが防災につながりますよね。
亘)一方で、同じ若者世代にどのように防災を伝えていくのかも共通の課題。
阪神・淡路大震災を伝える若者グループ「1・17希望の架け橋」副代表の長谷川侑翔さんの問題提起に、さまざまな意見が出ましたのでそれを聞いてください。
音声・長谷川さん)メンバーは、15~24歳の47人なのですが、この世代はインスタ世代。阪神・淡路大震災が起こった1月17日に向けて、本気の動画を作りました。メディア関係を目指している人に動画編集をしてもらったり、放送部で県の上位に入賞するような人のアナウンス音声を入れたり。SNSは、最初のファーストインプレッションでつかむことが大事。TikTokでは、最初の3秒が面白くなかったら続きを見てもらえないので、つかみを大事にしようと編集したんです。でもインスタ再生数は6000ぐらい。フォロワーは1日で400人ぐらい増えたのですが、それでもまだまだ足りないなと思っていて。若い世代に興味を持ってもらうためには何が必要なのか。みなさんがSNSで興味がひくものはどんなものなのか。何を伝えていったら良いのかといことが疑問点です。
音声・雁部さん)伝えることを考えたときに、僕が意識をしているのはメディアを限定しないということです。Twitter、Instagramは会員登録制の交流サイトなので、使っている人と使っていない人に別れてしまうと思うんです。多くの人の目に触れるにはいろいろなメディアを使うこと。例えば新聞に投書してみたり、テレビにも働きかけをしてみたり。もちろんSNSも活用しましたが、とにかく情報を受ける人たちが偏らないように発信することを常々心がけていました。
音声・長谷川さん)アドバイスしてくださったことは既にやっていて。全国放送や生放送、さまざまな新聞社にも取り上げていただいているのですが、団体が広まることが目的ではなく、震災自体を若い世代に伝えるという方向性でいきたいです。SNSやメディアで発信すること以外で何かありますか。
音声・川端さん)UberEatsが流行っているので、例えば防災グッズや非常食を目立つリュックを背負って、動画を撮りながら届けるとか。配る相手を大学生や一人暮らしに向けて絞ってもいいと思います。「防災イーツ」みたいな。そんなふうに興味をひく企画をしたらおもしろと思っていて、ずっとやってみたいのですが団体が小さくて難しい。
音声・橋本さん)うちの団体で気をつけているのは、動画を作るときに、出演者に必ず団体以外の人を入れることです。地域の人や企業の人を入れて。ゲストの人には身近な人がいるので、いろいろな視点で広がっていくと思うんです。多方面に枝を伸ばすような動画を作ることを心がけています。
西村)さまざまなアイディアに驚きました。若い世代だからこその意見もありますよね。
亘)最初の3秒のつかみが大事というのは知らなかったです。
西村)「防災イーツ」はぜひ実現してほしいし、我が家にも届けていただきたいです!
亘)楽しそうだし、アピールになりそうですよね。
西村)出演者に必ず自分たちの団体以外の人を入れる、さまざまな世代の人たちを巻き込んでつくることによって輪が広がる、という話になるほど!と思いました。
亘)知り合いが出ていたら、見よう!となりますよね。他にもいろいろな意見が出ていました。例えば防災動画にスポーツ選手に出てもらうとか。そうするとそのスポーツが好きな人にまた広がっていく。防災に興味がある人以外に広めていくことが大切だと思いました。
西村)私たちの番組もそうですよね。
亘)「むすび塾」は「人と人を結ぶ」というところから名付けられました。コロナで、人と人がつながることが難しい時期ですが、こうしてオンラインで新たなつながりをつくることができるのだなと改めて思いました。今回は全国の若者を結ぶ試みでしたが、私もこの防災番組の制作者として、防災をどのように伝えていくのか、たくさんヒントをもらいました。
西村)コロナで失ったものもたくさんあったけど、得られたこともあったと気づかされました。亘和子記者のリポートでした。