ゲスト:京都大学防災研究所教授 釜井俊孝さん
西宮市宅地防災専門役 吹田浩一さん
取材報告:新川和賀子ディレクター
西村)去年7月、静岡県熱海市で発生した大規模な土石流では、26人が死亡、1人が行方不明のままとなっています。この土石流は、建設残土による「盛り土」が崩れたことが原因と見られています。つまり、「人災」の側面が大きかったということなんですね。
ここ数年、極端な気候や大地震による災害が相次いでいますが、人間の開発行為によって、災害の被害が拡大してしまっているのではないか。そんなことを感じて、「ネットワーク1・17」では、熱海の土石流災害が起きる前から、「盛り土」に注目して取材を進めていました。
今回の番組では、全国各地の盛り土による災害の実例と、防災対策について、専門家とともにお伝えします。京都大学防災研究所斜面災害研究センター長の釜井俊孝さんです。釜井さんは、地すべりの専門家で、都市開発と災害の関係に以前から注目されて、現場にも足を運んで研究をつづけていらっしゃいます。
去年7月の熱海の土石流災害が発生した時には、専門家としてどんな風に感じられましたか?
釜井)ついに、来るべきものが来てしまったという感じです。実は、残土による盛土が崩壊した事例は珍しくありません。亡くなった方もいました。したがって、今後も災害は起きるだろうとは思っていました。ただ、その中でも最悪の側に振れてしまったと感じました。
西村)盛土の崩壊でこんなにも多くの人の命が奪われることがあるんだと私も感じました。
さて、「盛土崩壊」、まずは、1月17日(月)に発生から27年を迎えた阪神・淡路大震災の例からお伝えします。取材した、新川和賀子ディレクターです。
新川)よろしくお願いします。阪神・淡路大震災は6434人が死亡、3人が行方不明となる大きな災害でした。実は、あの大地震の時にも盛り土が関係した被害が起きていました。発生から27年を迎えた今年の1月17日の朝、私は兵庫県西宮市の仁川百合野町にいました。仁川百合野町は、阪急電車仁川駅から西に徒歩20分ほど。六甲山系の山裾に広がる閑静な住宅街です。27年前の大地震の時、大規模な地滑りが発生して、住宅13棟が押しつぶされて、34人が亡くなりました。
1月17日、地震発生時刻の朝5:46に合わせて、住民が主催する追悼式が行われました。
地区の中に建てられた慰霊碑には「やすらかに」という文字が刻まれ、住民の皆さんが作った竹灯籠や紙灯篭が灯され、80人ほどが集まりました。追悼のようすと、参加した住民の声をお聞きください。
音声・住民男性)今日でもう27年経つんですけど、これからも続けていきたいなと。46分になりましたんで、黙とうしたいと思います。黙とう。
音声・女の子)やっぱりこの辺は地すべりが大きかったので、亡くなられた方に思いを寄せられたらと思いました。
音声・男性)もう27年も経ったのかと思うけどね。当時のことを思い出すと、こんなことがあるのかと思って...。
音声・女性)当時はこの道隔ててこっちの風景が一変。全部土砂に埋まっちゃって、その時の風景が一瞬で戻ってきます。
西村)最初の声はお子さんですか?いろんな世代の方が来られていたんですね。
新川)地震を経験されていない方も大勢の方がいらっしゃっていました。
仁川百合野町を襲った地すべりの土砂は、およそ10万㎥、甲子園球場のグラウンド26杯分に匹敵する量でした。崩れた土砂は住宅地を流れる仁川の対岸の住宅にまで埋めるほどの規模。亡くなった34人の内8人は、川の対岸の住民でした。
この地域は、地震の揺れによる家屋の倒壊はほとんどなかったんです。地すべりの被害を免れた近所の住民たちが、土砂に埋まった人の救助に向かいましたが、土砂の中から火の手も上がって、なすすべもなかったといいます。
当時の様子を、追悼式を主催した住民グループ「ゆりの会」の大野七郎さんと、岩城峯子さんが話してくれました。
音声・大野さん)土砂崩れの下に家が埋まって小さい穴から煙と火が出てたんです。そこに水かけてね。住民が一体化して水を運んだり、「すいません、バケツ一緒に運んでください」って女の人に言われてそれで一緒に走ったんですけど。最初は「助けて」ほしいという声があったらしいんですが、もう聞こえなくなって煙の方が多くなって。川向いも家がつぶれましてね。土掘ったけど、スコップが入らんぐらい固かった。
音声・岩城さん)仁川も埋まって、川向うまで土砂がいっていて本当にびっくりしました。山が滑り落ちて木も立っていたような状態で。家なんて一軒も見えません、全部砂の下。私も消火器持っていったけど、お手伝いできるような状況じゃなかった。たまに中の人を助けようと穴をあけると、火がわっと。(知り合いの家もありましたか?)長女と次女の同級生が亡くなりました。(助けられた命はあったんですか?)一人、男性が助けられたんじゃないかな。
西村)土砂崩れだけじゃなく、火事になるなんて、地すべりの被害は想像以上に恐ろしいなと思いました。
この仁川百合野町の地すべりは、盛り土とどんな関係があるのでしょうか?
新川)地すべりが起きた場所は、1950年代に浄水場の建設のために、大規模に谷を埋めた土地でした。盛り土で谷を埋めて平らにしたところに浄水場が建っていて、そこが地震をキッカケに一気に地すべりを起こして、家が埋まってしまったのです。
熱海の土石流は、山の上の方に置かれていた建設残土の盛り土が大雨で崩れてくるという形でしたが、仁川百合野町の盛り土は、建物や住宅を建てるための土地を造成する、土木工事としての盛り土。つまり建物の地盤部分の盛土が地震で崩れて、地すべりが起きました。
西村)釜井さん、仁川百合野町の地すべりは、どのようなメカニズムで起きたと考えられるのですか?
釜井)仁川百合野町は、厚さ20メートルもの「谷埋め盛り土」でした。この「谷」というところがポイントで、谷筋はもともと地下水が集まる場所です。水が流れて谷ができます。ですから、そこを埋めて何もしないと盛土の中に地下水が溜まって、貯水タンクのようになるわけです。普通はそうならないように、盛土の造成地には排水管が設置されていますが、人間の血管と同じように年数が経つと詰まりやすくなってきます。盛土の内部に水が溜まっている状態で地震が起きると、地下水の圧力が急激に上がります。圧力が上がると土の強度が急に下がって、盛土が崩れます。
当時、こうした谷埋め盛り土が地すべりを起こすということは、専門家の間でも衝撃的なできごとでした。
西村)谷埋め盛土が地すべりを起こすのは意外だった?
釜井)実は1978年の宮城県沖地震の時にも仙台で同じような現象がありましたが、あくまでも仙台の特殊な地質と古い時代の盛土という二つの要素があったからということになっていました。それが、西日本の全然関係のない阪神地域でも起きたということは、普遍的に起きるということですよね。
西村)釜井さんは、阪神・淡路大震災の当時、被災地の地すべりや崩壊現場を調査して回られたそうですが、仁川百合野町の現場もいかれたのですか?どんなようすでしたか?
釜井)当時は交通がまだ回復していませんから西宮北口駅から歩いて行きました。歩くうちにさまざまな場所で地すべりが起きていましたが、それが市街地なわけです。ふつう、我々が見ているような山ではなく市街地が滑っているというのはかなり衝撃的で、自分の生活圏でそういう災害が起きたんだという印象を受けました。それが、自分たちに突き付けられた現実であると感じました。地すべりや斜面災害の専門家の研究対象は、基本的には自然斜面でした。その方が研究しやすいし、いろいろな理由でそうなっています。しかし、阪神・淡路大震災で、そうではないものがある、市街地で我々の生活圏が脅かされることがあるということがわかって、私も専門家としての方針転換を迫られました。それから、宅地の斜面災害を研究テーマにするようになりました。私自身もそうですし、それ以後の日本の宅地の規制にも大きな影響を及ぼしたと思います。
西村)当時、調査してどんなことがわかったのでしょうか。
釜井)武庫川から明石までの阪神地域を調べましたが、約200か所で同じような宅地の崩壊が起きていました。その内の半数以上は、仁川と同じように谷埋め盛り土であることがわかりました。
西村)谷埋め盛土は人が開発した場所ですよね。それだけ多くの被害があった...
釜井)阪神間の住宅地は、戦前は重機もなくて平坦なところを埋めて作られていたので大きな谷埋め盛土はありませんでしたが、戦後は、谷の中など条件が悪い場所が盛り土で埋め立てられて開発されていったという経緯があります。
西村)こういった開発には、当時、ルールや規制はなかったのでしょうか?
釜井)規制をする代表的な法律は「宅地造成等規制法」です。この法律が制定されたのが1962年。したがって、仁川百合野町の盛り土はそれより前の開発ということになります。
西村)宅地造成等規制法が制定される前は、どんな規制があったのでしょうか?
釜井)この法律は、そもそも当時、頻発していた乱開発による災害に対処する目的でつくられました。逆に言えば、それ以前の開発規制は緩くて、事実上、開発者のモラルに任されていたという実態でした。
西村)宅地造成等規制法の技術的ルールはどんなものなのでしょうか?
釜井)法律自体には技術的なことはあまり書いていないのですが、法律に基づいた技術基準があります。法律制定後、10年ぐらいでさまざまな技術基準が整備されていきました。盛土にとって大事な、締固めの手順や地下水の処理もルール化されています。ただし、問題は、それらが計画通りの性能を維持できているか、現状も含めて造成後の状況をチェックする仕組みが無いことです。これは、宅地が売却されて私有地となることを前提としているためです。私有地はその所有者が責任を持つことになりますから、全体としてチェックが難しくなります。公共の利益というものがあるはずですが、それに比べて私権が強いのが我が国の特徴だからです。
西村)法律はその後、改正などはあったのでしょうか?
釜井)2006年に改正されました。それまで一度もルール変更はなかったのですが、阪神・淡路大震災以降、宅地の盛り土の地すべりが何度も起きて、大きく変わりました。
西村)ルールは厳しくなったのですか?
釜井)いろんなことが付け加えられました。盛土の崩壊に対する技術基準が作られたこと、さらに、都道府県知事が滑動崩落(地すべり)防止の危険のある既存の住宅地を指定して、災害防止のための措置の勧告や命令ができるようになりました。
西村)新川さん、阪神・淡路大震災の時に地すべりが発生した西宮市の仁川百合野町では、その後、何か対策は行われたのでしょうか?
新川)阪神・淡路大震災の後、再び地すべりが起きないように兵庫県が大規模な対策工事を行いました。盛り土の下にある硬い地盤の中にまで到達する鉄の杭を何本も打って、土が動かないようにする工事や、地下水を下げるための深い井戸と排水パイプを斜面全体に設置、そして、表面を法枠で覆う工事、さらに水位計を設置して地下水を計測するなど、盛り土の内部と外部にさまざまな対策を施しました。
斜面の周辺では、住民の皆さんが庭園を整備して、今では花の名所としても知られるようになっています。斜面のそばには、地すべり資料館が建てられ、地すべりの被害やメカニズムが学べる場となっています。
住宅地の開発で行われる盛土の造成は、決して珍しい場所ではありません。全国999市区町村に、およそ5万1千か所の「大規模盛土造成地」が存在しています。阪神・淡路大震災の後にも、各地で盛り土の崩壊が発生しています。
西村)この後は、東日本大震災で盛土の地すべり被害を受けた当事者の声をお伝えします。
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西村)先ほどは阪神・淡路大震災で起きた、盛り土の地すべりについてお伝えしましたが、
その後も全国で大きな地震はたびたび起きていますよね。
阪神・淡路以降には、どんな地震で盛り土の崩壊が起きているのでしょうか?
釜井)新潟県中越地震で長岡市周辺、中越沖地震でも柏崎市あたり、東日本大震災では仙台から茨城くらいまでの太平洋側の各都市、熊本地震では熊本市や益城町、そして4年前の北海道胆振東部地震でも札幌市や北広島市周辺で盛土の崩壊が発生して、住宅地に大きな被害をもたらしています。
2004年の新潟県中越地震で谷埋め盛り土の地すべりが起きたことがきっかけで、2006年に宅地造成等規制法が改正されました。
西村)今、挙げていただいた大地震は、どの被災地でも甚大な被害が出ていますが、盛り土の崩壊が起きていたとは知りませんでした。
ここから、東日本大震災でご実家のある場所が盛土の崩壊に見舞われた、男性の声をお伝えします。その男性とは、「ネットワーク1・17」前キャスターの千葉猛さんです。宮城県仙台市にあるご実家の被災について話してくださいましたので、お聞きください。
音声・千葉猛さん)実家は全壊判定になりました。全壊といっても家としてはちゃんと建っているんです。でも、家の中に入ると床が完全に傾いていて、ビー玉落とすと転がる。明らかに傾いていて目まいがするレベルになっています。つまり、地盤が地震によって崩壊したということだと思います。私の実家のあるニュータウンは1970年代に開発始まっています。地形としてはニュータウンに多い、なだらかな坂に沿って家が整然と並んでいる、そういう場所。うちの実家だけではなくて近所にも同じように全壊判定になっている家がいくつかあります。西隣は全く被害がない。東隣の家はうちと同じく全壊判定。まわり全体がおなじような被害ではなく、健全な家とそうでない家があるラインに沿って混在している感じなんです。(古い家だから壊れたのでは?)うちの建っているあたりは建売で一括分譲されたので建てられたのは同じ時期。同じ建設会社が分譲しているから、同じように建てられているんです。なのに、壊れている家と壊れていない家がある。これはどうしてかなと。
西村)千葉さんが調べてみると、ニュータウンを開発する時の土地の成り立ち、つまり地盤が関係していることがわかったといいます。
音声・千葉猛さん)どうもニュータウンを開発した時に盛土をした部分と切土をした部分がある。仙台市が「宅地造成履歴等情報マップ」を公開していて、このニュータウンのここは「切土何メートル」ここは「盛土何メートル」ということが地図でわかるようになっているんです。これを見てみると、うちの建っている場所は、盛り土と切り土の境目にごく近い場所に建っていると。うちの実家のまわりを歩いてみると、うちと同じように切土と盛土の境目に近い場所の家がわりと被害を受けているという感じを受けました。考えてみたら、1978年の宮城県沖地震の時にうちの東隣の家の隣の空き地に大きな地割れができたんです。その時に地盤の弱さが出ていたのかもしれません。
西村)お父様が一生懸命働いて建てた夢のマイホームが...と思うと、本当に辛いなと思います。
調べてみると、被害を受けたのは、「盛土と切土の境目」に近い場所に建っている家だったということです。「盛土」は、これまでお伝えしている通り、谷や斜面に土を盛って平らにすることです。「切土」をいうのは、丘や斜面を切って、平らにした場所のことです。その切土と盛土の境目のところに千葉さんのご実家があって、東日本大震災で傾いたと。釜井さん、これはどういうことなのでしょうか?
釜井)千葉さんのご実家のケースは、宅地の地盤の影響が災害に影響を及ぼした典型的な例だと思います。
切土と盛土の境目に住宅が建っている場合、住宅は盛土の動きによって引き裂かれるようになるので、被害は最も大きくなります。次いで、住宅全体が盛土側に入っている場合でも、盛土が均質に動くことは稀なので、やはり、被害が出やすいと言えます。逆に、全体が切土側に立っている場合は、被害を免れる可能性が高くなります。もちろん家が非常に古くて振動で壊れることもありますが、地盤による被害はほぼ免れます。
西村)でもそれ、パッと見てもわからないですね。
釜井)そうですね。なかなか素人目には分かりにくい、微妙な立地の違いが、被害の有無に大きな影響があるということが、この種の災害の特徴です。
東日本大震災は、津波で大きな被害が出ましたが、実は、仙台市を中心に多数の谷埋め盛土の地すべりが起きていました。中には、1978年の宮城県沖地震で地すべりが起きた同じ場所の盛土が被害を受けたケースも多かったんです。
西村)千葉さんが最後に言っていた、宮城県沖地震の時にお隣の空き地に大きな地割れができていたというのは大きなヒントだったんですね。
釜井)そうです。よく調べてみると、1978年と2011年でほぼ同じ場所に地割れができたケースも多かったんです。東日本大震災の方が揺れは大きく、宮城県沖地震では被害を受けなかった住宅地でも被害が見られました。
行政のボーリング調査で、被害が発生した場所の多くで、盛土に地下水が溜まっていたことがわかりました。地下水があったことが事前に知っていれば対策できたかもしれないと思います。
西村)1978年の宮城県沖地震で一度、盛土の地すべり被害が出たのに、何か対策はされなかったのでしょうか?
釜井)それは私も最大の疑問なんですが、たとえばある地域では道路だけが補修されて、住宅地はそのまま放置されたというケースもありました。ただし、仙台市の中でも、数少ないですが対策が行われた場所もあります。仙台市太白区では、宮城県沖地震で谷埋め盛土の崩壊が多く発生しましたが、一部では非常に念入りな地すべり対策工事が行われました。その結果、そういった場所では東日本大震災の時には、1978年に起きたような盛土全体が滑り落ちるというようなことはありませんでした。一部壊れたところはありましたが、被害がだいぶ軽減されました。
西村)対策工事のおかげで、命が危険となるような大規模な地すべりは防ぐことができたんですね。やはり、対策をしておくことは重要と感じます。
では、全国に数多く存在する盛り土の造成地では、防災対策は進められているのでしょうか。このあと、お伝えします。