第1318回「ネットワーク1・17スペシャル~盛土崩壊」前編
ゲスト:京都大学防災研究所教授 釜井俊孝さん
    西宮市宅地防災専門役 吹田浩一さん
取材報告:新川和賀子ディレクター

西村)去年7月、静岡県熱海市で発生した大規模な土石流では、26人が死亡、1人が行方不明のままとなっています。この土石流は、建設残土による「盛り土」が崩れたことが原因と見られています。つまり、「人災」の側面が大きかったということなんですね。
ここ数年、極端な気候や大地震による災害が相次いでいますが、人間の開発行為によって、災害の被害が拡大してしまっているのではないか。そんなことを感じて、「ネットワーク1・17」では、熱海の土石流災害が起きる前から、「盛り土」に注目して取材を進めていました。
今回の番組では、全国各地の盛り土による災害の実例と、防災対策について、専門家とともにお伝えします。京都大学防災研究所斜面災害研究センター長の釜井俊孝さんです。釜井さんは、地すべりの専門家で、都市開発と災害の関係に以前から注目されて、現場にも足を運んで研究をつづけていらっしゃいます。
去年7月の熱海の土石流災害が発生した時には、専門家としてどんな風に感じられましたか?
  
釜井)ついに、来るべきものが来てしまったという感じです。実は、残土による盛土が崩壊した事例は珍しくありません。亡くなった方もいました。したがって、今後も災害は起きるだろうとは思っていました。ただ、その中でも最悪の側に振れてしまったと感じました。

 
西村)盛土の崩壊でこんなにも多くの人の命が奪われることがあるんだと私も感じました。
さて、「盛土崩壊」、まずは、1月17日(月)に発生から27年を迎えた阪神・淡路大震災の例からお伝えします。取材した、新川和賀子ディレクターです。
  
新川)よろしくお願いします。阪神・淡路大震災は6434人が死亡、3人が行方不明となる大きな災害でした。実は、あの大地震の時にも盛り土が関係した被害が起きていました。発生から27年を迎えた今年の1月17日の朝、私は兵庫県西宮市の仁川百合野町にいました。仁川百合野町は、阪急電車仁川駅から西に徒歩20分ほど。六甲山系の山裾に広がる閑静な住宅街です。27年前の大地震の時、大規模な地滑りが発生して、住宅13棟が押しつぶされて、34人が亡くなりました。
1月17日、地震発生時刻の朝5:46に合わせて、住民が主催する追悼式が行われました。
地区の中に建てられた慰霊碑には「やすらかに」という文字が刻まれ、住民の皆さんが作った竹灯籠や紙灯篭が灯され、80人ほどが集まりました。追悼のようすと、参加した住民の声をお聞きください。

  
音声・住民男性)今日でもう27年経つんですけど、これからも続けていきたいなと。46分になりましたんで、黙とうしたいと思います。黙とう。
 
音声・女の子)やっぱりこの辺は地すべりが大きかったので、亡くなられた方に思いを寄せられたらと思いました。
 
音声・男性)もう27年も経ったのかと思うけどね。当時のことを思い出すと、こんなことがあるのかと思って...。
 
音声・女性)当時はこの道隔ててこっちの風景が一変。全部土砂に埋まっちゃって、その時の風景が一瞬で戻ってきます。

  
西村)最初の声はお子さんですか?いろんな世代の方が来られていたんですね。
  
新川)地震を経験されていない方も大勢の方がいらっしゃっていました。
仁川百合野町を襲った地すべりの土砂は、およそ10万㎥、甲子園球場のグラウンド26杯分に匹敵する量でした。崩れた土砂は住宅地を流れる仁川の対岸の住宅にまで埋めるほどの規模。亡くなった34人の内8人は、川の対岸の住民でした。
この地域は、地震の揺れによる家屋の倒壊はほとんどなかったんです。地すべりの被害を免れた近所の住民たちが、土砂に埋まった人の救助に向かいましたが、土砂の中から火の手も上がって、なすすべもなかったといいます。
当時の様子を、追悼式を主催した住民グループ「ゆりの会」の大野七郎さんと、岩城峯子さんが話してくれました。
  
音声・大野さん)土砂崩れの下に家が埋まって小さい穴から煙と火が出てたんです。そこに水かけてね。住民が一体化して水を運んだり、「すいません、バケツ一緒に運んでください」って女の人に言われてそれで一緒に走ったんですけど。最初は「助けて」ほしいという声があったらしいんですが、もう聞こえなくなって煙の方が多くなって。川向いも家がつぶれましてね。土掘ったけど、スコップが入らんぐらい固かった。
 
音声・岩城さん)仁川も埋まって、川向うまで土砂がいっていて本当にびっくりしました。山が滑り落ちて木も立っていたような状態で。家なんて一軒も見えません、全部砂の下。私も消火器持っていったけど、お手伝いできるような状況じゃなかった。たまに中の人を助けようと穴をあけると、火がわっと。(知り合いの家もありましたか?)長女と次女の同級生が亡くなりました。(助けられた命はあったんですか?)一人、男性が助けられたんじゃないかな。

 
西村)土砂崩れだけじゃなく、火事になるなんて、地すべりの被害は想像以上に恐ろしいなと思いました。
この仁川百合野町の地すべりは、盛り土とどんな関係があるのでしょうか?
  
新川)地すべりが起きた場所は、1950年代に浄水場の建設のために、大規模に谷を埋めた土地でした。盛り土で谷を埋めて平らにしたところに浄水場が建っていて、そこが地震をキッカケに一気に地すべりを起こして、家が埋まってしまったのです。
熱海の土石流は、山の上の方に置かれていた建設残土の盛り土が大雨で崩れてくるという形でしたが、仁川百合野町の盛り土は、建物や住宅を建てるための土地を造成する、土木工事としての盛り土。つまり建物の地盤部分の盛土が地震で崩れて、地すべりが起きました。

  
西村)釜井さん、仁川百合野町の地すべりは、どのようなメカニズムで起きたと考えられるのですか?
  
釜井)仁川百合野町は、厚さ20メートルもの「谷埋め盛り土」でした。この「谷」というところがポイントで、谷筋はもともと地下水が集まる場所です。水が流れて谷ができます。ですから、そこを埋めて何もしないと盛土の中に地下水が溜まって、貯水タンクのようになるわけです。普通はそうならないように、盛土の造成地には排水管が設置されていますが、人間の血管と同じように年数が経つと詰まりやすくなってきます。盛土の内部に水が溜まっている状態で地震が起きると、地下水の圧力が急激に上がります。圧力が上がると土の強度が急に下がって、盛土が崩れます。
当時、こうした谷埋め盛り土が地すべりを起こすということは、専門家の間でも衝撃的なできごとでした。

  
西村)谷埋め盛土が地すべりを起こすのは意外だった?
  
釜井)実は1978年の宮城県沖地震の時にも仙台で同じような現象がありましたが、あくまでも仙台の特殊な地質と古い時代の盛土という二つの要素があったからということになっていました。それが、西日本の全然関係のない阪神地域でも起きたということは、普遍的に起きるということですよね。
  
西村)釜井さんは、阪神・淡路大震災の当時、被災地の地すべりや崩壊現場を調査して回られたそうですが、仁川百合野町の現場もいかれたのですか?どんなようすでしたか?
  
釜井)当時は交通がまだ回復していませんから西宮北口駅から歩いて行きました。歩くうちにさまざまな場所で地すべりが起きていましたが、それが市街地なわけです。ふつう、我々が見ているような山ではなく市街地が滑っているというのはかなり衝撃的で、自分の生活圏でそういう災害が起きたんだという印象を受けました。それが、自分たちに突き付けられた現実であると感じました。地すべりや斜面災害の専門家の研究対象は、基本的には自然斜面でした。その方が研究しやすいし、いろいろな理由でそうなっています。しかし、阪神・淡路大震災で、そうではないものがある、市街地で我々の生活圏が脅かされることがあるということがわかって、私も専門家としての方針転換を迫られました。それから、宅地の斜面災害を研究テーマにするようになりました。私自身もそうですし、それ以後の日本の宅地の規制にも大きな影響を及ぼしたと思います。
  
西村)当時、調査してどんなことがわかったのでしょうか。
   
釜井)武庫川から明石までの阪神地域を調べましたが、約200か所で同じような宅地の崩壊が起きていました。その内の半数以上は、仁川と同じように谷埋め盛り土であることがわかりました。
   
西村)谷埋め盛土は人が開発した場所ですよね。それだけ多くの被害があった...
 
釜井)阪神間の住宅地は、戦前は重機もなくて平坦なところを埋めて作られていたので大きな谷埋め盛土はありませんでしたが、戦後は、谷の中など条件が悪い場所が盛り土で埋め立てられて開発されていったという経緯があります。
 
西村)こういった開発には、当時、ルールや規制はなかったのでしょうか?
  
釜井)規制をする代表的な法律は「宅地造成等規制法」です。この法律が制定されたのが1962年。したがって、仁川百合野町の盛り土はそれより前の開発ということになります。
  
西村)宅地造成等規制法が制定される前は、どんな規制があったのでしょうか?
  
釜井)この法律は、そもそも当時、頻発していた乱開発による災害に対処する目的でつくられました。逆に言えば、それ以前の開発規制は緩くて、事実上、開発者のモラルに任されていたという実態でした。
  
西村)宅地造成等規制法の技術的ルールはどんなものなのでしょうか? 
  
釜井)法律自体には技術的なことはあまり書いていないのですが、法律に基づいた技術基準があります。法律制定後、10年ぐらいでさまざまな技術基準が整備されていきました。盛土にとって大事な、締固めの手順や地下水の処理もルール化されています。ただし、問題は、それらが計画通りの性能を維持できているか、現状も含めて造成後の状況をチェックする仕組みが無いことです。これは、宅地が売却されて私有地となることを前提としているためです。私有地はその所有者が責任を持つことになりますから、全体としてチェックが難しくなります。公共の利益というものがあるはずですが、それに比べて私権が強いのが我が国の特徴だからです。
  
西村)法律はその後、改正などはあったのでしょうか?
  
釜井)2006年に改正されました。それまで一度もルール変更はなかったのですが、阪神・淡路大震災以降、宅地の盛り土の地すべりが何度も起きて、大きく変わりました。
  
西村)ルールは厳しくなったのですか?
   
釜井)いろんなことが付け加えられました。盛土の崩壊に対する技術基準が作られたこと、さらに、都道府県知事が滑動崩落(地すべり)防止の危険のある既存の住宅地を指定して、災害防止のための措置の勧告や命令ができるようになりました。
   
西村)新川さん、阪神・淡路大震災の時に地すべりが発生した西宮市の仁川百合野町では、その後、何か対策は行われたのでしょうか?
 
新川)阪神・淡路大震災の後、再び地すべりが起きないように兵庫県が大規模な対策工事を行いました。盛り土の下にある硬い地盤の中にまで到達する鉄の杭を何本も打って、土が動かないようにする工事や、地下水を下げるための深い井戸と排水パイプを斜面全体に設置、そして、表面を法枠で覆う工事、さらに水位計を設置して地下水を計測するなど、盛り土の内部と外部にさまざまな対策を施しました。
斜面の周辺では、住民の皆さんが庭園を整備して、今では花の名所としても知られるようになっています。斜面のそばには、地すべり資料館が建てられ、地すべりの被害やメカニズムが学べる場となっています。

  
住宅地の開発で行われる盛土の造成は、決して珍しい場所ではありません。全国999市区町村に、およそ5万1千か所の「大規模盛土造成地」が存在しています。阪神・淡路大震災の後にも、各地で盛り土の崩壊が発生しています。
  
西村)この後は、東日本大震災で盛土の地すべり被害を受けた当事者の声をお伝えします。
  
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西村)先ほどは阪神・淡路大震災で起きた、盛り土の地すべりについてお伝えしましたが、
その後も全国で大きな地震はたびたび起きていますよね。
阪神・淡路以降には、どんな地震で盛り土の崩壊が起きているのでしょうか?
 
釜井)新潟県中越地震で長岡市周辺、中越沖地震でも柏崎市あたり、東日本大震災では仙台から茨城くらいまでの太平洋側の各都市、熊本地震では熊本市や益城町、そして4年前の北海道胆振東部地震でも札幌市や北広島市周辺で盛土の崩壊が発生して、住宅地に大きな被害をもたらしています。
2004年の新潟県中越地震で谷埋め盛り土の地すべりが起きたことがきっかけで、2006年に宅地造成等規制法が改正されました。

 
西村)今、挙げていただいた大地震は、どの被災地でも甚大な被害が出ていますが、盛り土の崩壊が起きていたとは知りませんでした。
ここから、東日本大震災でご実家のある場所が盛土の崩壊に見舞われた、男性の声をお伝えします。その男性とは、「ネットワーク1・17」前キャスターの千葉猛さんです。宮城県仙台市にあるご実家の被災について話してくださいましたので、お聞きください。
 
音声・千葉猛さん)実家は全壊判定になりました。全壊といっても家としてはちゃんと建っているんです。でも、家の中に入ると床が完全に傾いていて、ビー玉落とすと転がる。明らかに傾いていて目まいがするレベルになっています。つまり、地盤が地震によって崩壊したということだと思います。私の実家のあるニュータウンは1970年代に開発始まっています。地形としてはニュータウンに多い、なだらかな坂に沿って家が整然と並んでいる、そういう場所。うちの実家だけではなくて近所にも同じように全壊判定になっている家がいくつかあります。西隣は全く被害がない。東隣の家はうちと同じく全壊判定。まわり全体がおなじような被害ではなく、健全な家とそうでない家があるラインに沿って混在している感じなんです。(古い家だから壊れたのでは?)うちの建っているあたりは建売で一括分譲されたので建てられたのは同じ時期。同じ建設会社が分譲しているから、同じように建てられているんです。なのに、壊れている家と壊れていない家がある。これはどうしてかなと。
 
西村)千葉さんが調べてみると、ニュータウンを開発する時の土地の成り立ち、つまり地盤が関係していることがわかったといいます。
 
音声・千葉猛さん)どうもニュータウンを開発した時に盛土をした部分と切土をした部分がある。仙台市が「宅地造成履歴等情報マップ」を公開していて、このニュータウンのここは「切土何メートル」ここは「盛土何メートル」ということが地図でわかるようになっているんです。これを見てみると、うちの建っている場所は、盛り土と切り土の境目にごく近い場所に建っていると。うちの実家のまわりを歩いてみると、うちと同じように切土と盛土の境目に近い場所の家がわりと被害を受けているという感じを受けました。考えてみたら、1978年の宮城県沖地震の時にうちの東隣の家の隣の空き地に大きな地割れができたんです。その時に地盤の弱さが出ていたのかもしれません。
 
西村)お父様が一生懸命働いて建てた夢のマイホームが...と思うと、本当に辛いなと思います。
調べてみると、被害を受けたのは、「盛土と切土の境目」に近い場所に建っている家だったということです。「盛土」は、これまでお伝えしている通り、谷や斜面に土を盛って平らにすることです。「切土」をいうのは、丘や斜面を切って、平らにした場所のことです。その切土と盛土の境目のところに千葉さんのご実家があって、東日本大震災で傾いたと。釜井さん、これはどういうことなのでしょうか?
 
釜井)千葉さんのご実家のケースは、宅地の地盤の影響が災害に影響を及ぼした典型的な例だと思います。
切土と盛土の境目に住宅が建っている場合、住宅は盛土の動きによって引き裂かれるようになるので、被害は最も大きくなります。次いで、住宅全体が盛土側に入っている場合でも、盛土が均質に動くことは稀なので、やはり、被害が出やすいと言えます。逆に、全体が切土側に立っている場合は、被害を免れる可能性が高くなります。もちろん家が非常に古くて振動で壊れることもありますが、地盤による被害はほぼ免れます。

  
西村)でもそれ、パッと見てもわからないですね。
   
釜井)そうですね。なかなか素人目には分かりにくい、微妙な立地の違いが、被害の有無に大きな影響があるということが、この種の災害の特徴です。
東日本大震災は、津波で大きな被害が出ましたが、実は、仙台市を中心に多数の谷埋め盛土の地すべりが起きていました。中には、1978年の宮城県沖地震で地すべりが起きた同じ場所の盛土が被害を受けたケースも多かったんです。

 
西村)千葉さんが最後に言っていた、宮城県沖地震の時にお隣の空き地に大きな地割れができていたというのは大きなヒントだったんですね。
 
釜井)そうです。よく調べてみると、1978年と2011年でほぼ同じ場所に地割れができたケースも多かったんです。東日本大震災の方が揺れは大きく、宮城県沖地震では被害を受けなかった住宅地でも被害が見られました。
行政のボーリング調査で、被害が発生した場所の多くで、盛土に地下水が溜まっていたことがわかりました。地下水があったことが事前に知っていれば対策できたかもしれないと思います。

  
西村)1978年の宮城県沖地震で一度、盛土の地すべり被害が出たのに、何か対策はされなかったのでしょうか?
  
釜井)それは私も最大の疑問なんですが、たとえばある地域では道路だけが補修されて、住宅地はそのまま放置されたというケースもありました。ただし、仙台市の中でも、数少ないですが対策が行われた場所もあります。仙台市太白区では、宮城県沖地震で谷埋め盛土の崩壊が多く発生しましたが、一部では非常に念入りな地すべり対策工事が行われました。その結果、そういった場所では東日本大震災の時には、1978年に起きたような盛土全体が滑り落ちるというようなことはありませんでした。一部壊れたところはありましたが、被害がだいぶ軽減されました。
  
西村)対策工事のおかげで、命が危険となるような大規模な地すべりは防ぐことができたんですね。やはり、対策をしておくことは重要と感じます。
では、全国に数多く存在する盛り土の造成地では、防災対策は進められているのでしょうか。このあと、お伝えします。
 

第1318回「ネットワーク1・17スペシャル~盛土崩壊」後編
ゲスト:京都大学防災研究所教授 釜井俊孝さん
    西宮市宅地防災専門役 吹田浩一さん
取材報告:新川和賀子ディレクター

西村)ここから、もう1人、ゲストをお迎えします。西宮市宅地防災専門役・吹田浩一さんです。よろしくお願いします。
 
吹田)こんばんは、よろしくお願いします。
 
西村)吹田さんは、西宮市の職員として、宅地造成等規制法に関わる業務を担当する「開発審査課」で20年以上務められ、去年春に定年退職された後も「宅地防災専門役」というお立場で、市役所に残って勤務されています。
吹田さんがいらっしゃった西宮市の「開発審査課」は、簡単に言うと、市内で開発工事や宅地の造成などが行われるときに、それをチェックする部署と思ったらよいでしょうか?
 
吹田)そうですね。宅地の造成をするには様々な技術基準がありますので、それをチェックして 出来るだけ安全な宅地になるようにしています。また、過去に行われた造成工事でも危険な状況が見られた時は、その改善指導も行っています。
 
西村)それでは、ここからは吹田さんと一緒に西宮市の盛土造成地の防災対策について見ていきたいと思います。取材した新川和賀子ディレクター、よろしくお願いします。
 
新川)盛り土の造成地が大地震のたびに崩壊しているという状況を受けて、国も近年、対策の強化に乗り出しています。国土交通省は、一定の規模以上のものを「大規模盛土造成地」と位置付けていて、それが全国でおよそ5万1千か所あるのです。番組の前半で、「宅地造成等規制法」が2006年に改正されたというお話がありましたが、この時、同時に、「宅地耐震化推進事業」というものが創設されました。「宅地耐震化推進事業」は、大地震に備えて盛り土の住宅地の場所を把握して、危険性の判定を行って、災害の時に被害が出ないように対策しましょうというもので地方自治体が行って、国からの補助金も出ます。
危険性を調査して災害が起きる前に対策工事を行ったのは、全国でたった2か所。その内の1か所が、今日お越しいただいている西宮市宅地防災専門役の吹田さんが対策工事をご担当された住宅地です。
西宮市花の峯という地区で、JR福知山線の生瀬駅から歩いて10分ほど、高台にある見晴らしのいい場所で、1970年代に住宅地として開発されました。ここは、西宮市でも北部に位置していて、1995年の阪神・淡路大震災では大きな被害は出ませんでした。西宮市は、市内に100か所ある大規模盛土造成地の調査を2010年度に行いました。その調査で花の峯地区におよそ180軒ある住宅の内、16軒の住宅の地盤が、震度6強の地震で地すべりを起こす可能性が高いことがわかりました。

 
西村)吹田さん、当時、花の峯地区の住宅を支えている盛り土はどんな状態だったのですか?
 
吹田)西宮市が大規模盛土造成地の調査を委託した業者さんから、盛土斜面の一部が大きく膨らんでいる との報告が ありましたので、現地へ確認に行きました。そうしますと、斜面を 覆っているコンクリート製の植栽ブロックが大きくずれていてびっくりしたのを覚えています。
しかも、そのブロックに付いていた水を抜く穴からは、前に置かれていたバケツがすぐに水でいっぱいになるほどの地下水が噴き出している状態でした。昔の谷底からで言うと、30メートルぐらい 上の高さで、盛土斜面の途中から水が出ていました。

 
西村)ものすごい勢いで地下水が吹き出していた...。
阪神・淡路大震災や東日本大震災で地すべりを起こした谷埋め盛土は、地下水が貯まっていたというお話でしたが、釜井さん、まさにこの花の峯地区の盛土も放っておくと危険な状態だったわけですね?
 
釜井)そうだと思います。地下水のレベルが地表面に近いほど、地盤は弱いわけですから、花の峯の緊急性は非常に高かったと思います。
 
西村)そこで、対策工事が必要だったということですが、吹田さん、工事はすぐに行うことができたのでしょうか?
 
吹田)いいえ、すぐに工事は出来ませんでした。対策工事には高額な費用が必要でしたので、その工事費を誰がどの程度負担するかということを調整するのにとても時間がかかりました。
宅地耐震化推進事業での対策工事といいますのは、対策の必要な土地の所有者の方に実施 していただくもので、その費用の一部を国が助成するという制度です。
崩れる可能性のある土地には西宮市が管理する道路も含まれていましたので、ある程度は市も費用を負担するという形で、住民の皆さんの負担額を試算しました。そうしましたら、一世帯当たり、少ない方でも100万円近くの金額になりまして、多い方では500万円ほどの費用負担が必要との計算結果になりました。

 
西村)工事のお金を行政だけじゃなくて住民の方も払わないといけないんですね。
それが1世帯当たり100万円から500万円払わないといけないって聞くと、そんなお金ないわと思ってしまいます。
 
吹田)花の峯は1970年代に宅地分譲が開始された場所ですので、長くお住いの方も多い地区でしたので、ご高齢の方が多かったんです。ご高齢の方は、やはり日常的な医療費の負担も大きくて、高額な工事費の負担はとても無理だという声が多かったです。
 
西村)その後、どうやって対策工事ができるようになってんでしょうか。
 
吹田)最終的には、国からの補助金以外の費用を西宮市が全額負担するという形で対策工事を 実施しました。
「なぜ個人負担なしで民有地の対策工事を行うのか」という 意見もありましたけど、いくつかの 理由を説明して、工事の着手にこぎつけました。
まず ひとつ目の大きな理由ですが、崩れ始める斜面と個人宅地の間に市の管理する道路が あったということです。もし、この盛土の斜面で地すべりが発生した場合、市の道路は完全に 機能を失ってしまうということが分かっていましたので、何らかの対策をする必要があったということです。
それから、阪神・淡路大震災の時、西宮市では 仁川百合野町以外の多くの盛土造成地でも 地すべりや崖くずれが発生しています。その復旧工事の中で、規模の大きなものにつきましては、個人の宅地を含んでいたとしても、個人に負担を求めることなく市や県で工事を実施しています。このことも影響があったと思っています。
そして、私どもが調査を行った西宮市内にある大規模盛土造成地は全部で100箇所なのですが、対策工事の必要な個所がこの花の峯で最後でした。このことも、工事に直接関係する以外の費用や業務を考えたとき、有利に影響したのではと思っています。

 
新川)2013年に住民説明会を開いてから、2018年に工事が完了するまでに5年かかったんですね。当事者となった住民の方にお話をうかがうと、当初、震度6強の地震で崩れるかもしれないという話を聞いた時は大変困惑しましたが、最終的には対策工事を行っていただいて大変感謝しているとお話しされていました。
 
西村)大地震で崩落してから税金を投じて復旧工事を行うのであれば、命を守るために事前に対策工事をしておく...というのは大事なことのように感じます。
全国には、5万カ所以上の盛土造成地があるということですが、ほかの自治体でも、対策は進んでいくと思われますか?
 
吹田)西宮市の花の峯での対策工事は宅地耐震化推進事業の先進事例ということになりますので、全国の自治体関係者の方がよく視察に来られます。その際にいろいろな質問を受けるんですが、特に工事の費用負担につきまして、個人にどの程度の負担を求めて、それをどうやって説明するのか。また、民有地の改善工事に多額の税金を投入するということについて、それぞれの 自治体のトップへの説明も含めまして、財政部門にどうやって理解をしてもらうのかという点で、皆さん悩まれておられました。
西宮市が工事に着手してから5年ほどが経ちましたけど、事前対策に着手したという話をあまり 聞きませんので、やはり非常に難しいことなのかなと思っています。

 
西村)個人負担であっても、自治体負担であっても費用面がどうしても課題ですね。
 
新川)大規模盛土造成地の住宅地の安全性を高めるための「宅地耐震化推進事業」は、2006年にできているので15年以上前にスタートしていますが、調査だけでも手間や費用がかかるために、なかなか進んでいません。大規模盛土造成地がある全国の999の市区町村の内、安全性の把握を完了したのは、去年3月末時点でたった39市区町村のみです。国土交通省では、対策を進めるために優先すべき大規模盛土造成地に限って、対策費用の補助率を一部アップしていますが、国の財源にも限りがありますから、対策を進めるにはまだまだ時間がかかりそうです。
大規模盛土造成地の事前対策工事を行ったのは、西宮市のほかには、大阪府の岬町があります。岬町では、行政より先に、住民が盛り土の異変に気づいて声を上げて、調査で危険性が判明して、対策工事に繋がりました。岬町の場合は、盛り土の土地が町有地だったために住民の費用負担は最初からなく、比較的スムーズに工事まで進みましたが、住民が異変に気づいて声を上げていなければ未だに対策は行われていなかった可能性もあります。
費用面などのハードルはありますが、住民側から声を上げていくことも必要だと思います。

 
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西村)1時間にわたってお送りしてきた「ネットワーク1・17スペシャル~盛土崩壊」。釜井さん、何十年も前にしっかりと対策せずに開発を進めてきたツケが、今になってわたしたちに突き付けられているように感じました。
 
釜井)谷埋め盛土の問題を私は「遅れてきた公害」と呼んでいます。谷埋め盛土が数多くつくられた高度経済成長期は、公害の時代でした。たまたま大地震がなかったためにそれが放置されて、どんどん増えてきた盛土が、最近になって問題を引き起こしてきたということです。高度経済成長期には、水や大気が汚染されるなどさまざまな公害がありましたが、それらは努力によってほぼ解決されてきました。しかし、地盤の問題は放置されたまま現在に至っていて、それが今、吹き出しているということです。
宅地は、土地の所有者がリスクも含めて責任を負わなければいけないんです。もし、自分の所有物が地震で壊れて人にケガをさせたりしたら、責任がともないます。だから、まずは、自分の住んでいる場所が「盛土造成地」なのかどうか、どういう土地なのかを知って、問題がある場合は地域でまとまって行政に対策を要望するなどの防衛策が必要だと思います。自分のことは自分で守るというのが、宅地の問題の基本だと思います。

  
西村)新川さん、自分の住んでいる場所が盛土かどうかは、どうやって調べたらいいんですか?
 
新川)全国に5万カ所以上ある「大規模盛土造成地」は、公表されていて、地図上で見ることができます。国土交通省のインターネットサイト「重ねるハザードマップ」で調べるか、検索サイトで、自分の住んでいる自治体の名前と「大規模盛土造成地」と打ち込んで、調べてみてください。インターネットが使えない方は、お住まいの自治体に問い合わせてみてください。
 
西村)行政職員として、住宅地の防災に長く関わってこられた吹田さんは、どのように感じていますか。
 
吹田)私は、安全な盛土造成というものを正しく理解されている方が、自治体の職員を含めて少ないのではないかと思っています。今はコロナ禍で実施できていませんけど、大学などで土木や 建築を学んでいる学生さんが市役所へ1週間ほど研修として業務体験に来られることがあります。私が研修を担当する場合は必ず仁川百合野町へ行って、地すべり資料館で災害発生の仕組みを説明したあと、その横にある 「やすらかに」 と書かれた慰霊碑に手を合わせて、「君たちは 人の命を守る仕事ができますからぜひ頑張ってください。」と言うようにしています。
また、住まいのエンドユーザーであるリスナーの皆さまには、かしこい消費者になっていただきたいと思います。例えば、皆さんが土地を購入する際には、その敷地での地盤の調査 簡易な方法 であったとしても必ず求めていただいて、もしそれを拒否するような業者さんからが居られたら、その業者さんからはもう土地を買わないようにする、というようなことが大事ではないかと思っています。「自分と家族の命は自分で守るんだ」という意識を持っていただいて、業者さんにも言っていくということが非常に重要だと思います。
阪神・淡路大震災では多くの方が建物の中で亡くなられました。これは、宅地の地盤を正確に把握して建物を建てる時に反映されていなかったということが大きな原因ではなかったかと思っています。私は、震災直後に仮設住宅の受付業務の応援で順番待ちの列を整理していたことがあります。その時、中学生ぐらいの女の子が受付で、「子供だけでも、入居の申し込みができますか」と言ってたことが今でも忘れられません。こういうことが少しでも無くなるようにしたいという思いは持ち続けたいと思っています。

 
西村)まずはリスクを知ること、そして声を上げること。災害から命を守る基本は、「盛土」の問題でも共通していると感じました。「ネットワーク1・17」では、これからも、災害に備えて、情報を発信していきます。
京都大学教授・斜面災害研究センター長の釜井俊孝さん、そして、西宮市宅地防災専門役・吹田浩一さん、ありがとうございました。

第1317回「トンガの海底火山噴火が日本にも影響」
オンライン:鹿児島大学 准教授 井村隆介さん

西村)阪神・淡路大震災の発生から1月17日で、27年を迎えました。6434人が亡くなり、今も行方不明の人が3人います。1月17日、神戸市中央区の東遊園地では、「阪神淡路大震災1.17のつどい」が開かれました。灯籠の明かりで「忘れない1.17」の文字が形づくられ、地震発生時刻の午前5時46分には、訪れた人たちが手を合わせました。

音声)<黙祷のようす>

音声・男性)瓦礫の下にうまっとったんや。若い女の人が。でも上に火がせまってきて助けられんかったんや。その声がまだ耳に残ってる。今だに思う。自分が変わってやりたかったって...

音声・女性)1階の人が4人亡くなったので、毎年お参りに行っています。母は後遺症で2ヶ月後に亡くなりました。家がなくなって、東京の妹のところに預けてたんですけど、「帰りたい、帰りたい」って言って亡くなりました。


西村)震災から27年たちましたが、つらい記憶は今も続いています。会場で目立ったのは若い世代でした。高校生や大学生、親子連れもいました。今回初めて来たという親子と大学生の声を聞いてください。

音声・お母さん)小学2年生の娘が学校の授業でこのつどいのことを知ったみたいで。「行きたい」と言われて来ることにしました。このようなつどいに来ることの大切さがわかりました。27年ぶりに思い出しました。
   
音声・記者)きょう、来てみてどうでしたか。
  
音声・女の子)いろんな灯りがあって、いろんなお話してて。緊張しちゃう...
  
音声・女子大生)私は九州出身ですが、大学で神戸に来ています。きょうは、同級生や先輩後輩と一緒に来ました。せっかく神戸に来たので、1度は来てみたいと思っていて。震災は、生まれる前のことで、テレビで見る過去のことというイメージでした。瞑想空間で名前を触っている人を見て、実際に身近な人を亡くした人がいるのだなと思いました。写真で、自分が知っている街が壊れていた様子を見ると、過去のものという意識はなくなって、身近に感じるようになりました。

 
西村)瞑想空間には、亡くなった人の名前が刻まれた銘板が並んでいます。大切な人に会いに来る場所であり、震災を経験してない人にとっては、亡くなった人を思うみなさんの悲しみと向き合う場所でもあるのですね。テレビの映像や教科書の写真からは感じられないことがここにはあります。私は、阪神・淡路大震災のときは、中学1年生でテレビで見ていたのですが、「1.17のつどい」に初めて訪れたときに大切な人を亡くしたみなさんの悲しみが波動のように心に伝わってきて、初めて自分ごとに変わりました。
  
1月17日の午前5時46分、リスナーのみなさんはどこでなにをしていましたか。私は自宅のベランダで黙祷を捧げました。子どもたちを起こさないようにそっとベッドを抜け出して、台所でお弁当を作っていると配信ライブが始まりました。
  
先々週のゲスト、ニ代目語り部の米山未来さんが彼女の地元、淡路島の北淡震災記念公園からスマートフォンのアプリを使って、生中継をしていたんです。27歳の未来さんならではの方法ですね。米山未来さんのお父さんの米山雅之さんは、北淡震災記念公園の総支配人であり、語り部です。未来さんは、震災当時生後2ヶ月で、阪神・淡路大震災で一番被害が大きかった北淡町で被災しました。東京の大学に進んだとき、周りの友人が阪神・淡路大震災のことを知らず、ショックを受けます。「私が震災のことを伝えていかなあかん!」と若い世代におなじみの配信アプリで、2年半前から語り部の活動をスタートしました。この追悼式では、精霊流しや「ふるさと」の合唱が行われ、午前5時46分に黙祷。米山さんの配信を見ながら、全国各地や海外の人も一緒に祈りを捧げていたかもしれません。視聴者のコメントの中には、「米山さんに出会って震災のことを考えるきっかけができた。私も何か協力をしたい」という言葉もありました。オンラインでみなさんと語り合いながら、一緒に黙祷すると温かな気持ちになりました。黙祷の後は、語り部として当時のお話を語ってくれました。
 
ただ事実を話すだけではなく、未来さんは冒頭でこう語りかけました。
「いつもなら午前5時46分、みなさんは何をしていますか。布団の中かな?」この一言で、過去の震災を自分ごとに感じることができました。北淡町で震災による火災で亡くなったお母さんの話を聞いて、炎の中で亡くなったお母さんの思い、大切な人を失った家族の悲しみ、地震で水道管が破裂して消火活動が進まず助けられなかった消防団の人の無念。それぞれの思いが伝わってきて涙があふれました。
未来さんは最後にこう話しました。
「今、防災・減災の準備ができるのは、この震災があったから。でも、亡くなった人々はみんなの教訓になりたくて亡くなったのではない。今を生きたかった人たちなんです。その人たちの命の上で私たちは今、災害の備えができるということを忘れないでいてほしいです」
 
阪神・淡路大震災で亡くなった人は6434人。行方不明の人は3人います。その数以上に大切な人との突然の別れを悲しんでいる人がいます。もう二度と同じ気持ちになる人が出ないように。自宅や職場の家具の固定をはじめ、今からできる災害への備えをみんなで進めていきましょう。
 
阪神・淡路大震災から27年「ネットワーク1.17」は、被災地の声を聞き、明日の防災を考えます。
 
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西村)先週15日、南太平洋のトンガ諸島で海底火山が噴火し、8000km離れた日本でも、6日未明に津波警報や注意報が発表されました。1m以上の潮位の上昇が観測されたところもあります。この噴火について、鹿児島大学准教授で、火山学や地震学が専門の井村隆介さんに電話でお話を伺います。

井村)よろしくお願いします。

西村)衛星からの噴火の映像を見てびっくりしました。

井村)この100年ぐらいの間で、地球で起こった噴火の中でも一番大きな噴火かもしれません。

西村)この噴火で火山島が消滅したのでしょうか。

井村)噴火前と噴火後の衛生写真を比べると、島がほとんどなくなっていることがわかります。吹き飛んだのか、大きな噴火が起こって陥没してしまったのか。陸地が失われたことは間違いありません。

西村)噴煙の高さはどれぐらいだったのでしょう。

井村)気象庁は16kmと発表していますが、研究者の情報を照合すると約30kmは噴煙が上がったのではないかと考えられています。

西村)火山灰もかなり降りましたよね。

井村)噴煙の高さは約30kmで、短い時間の間に半径300kmに広がりました。近畿地方が一瞬で覆われてしまうぐらいの大きな噴煙の傘ができたので、その下にはたくさんの火山灰や紛出物が積もっていると思ったのですが、映像を見ると意外と積もっていなかったんです。噴火より津波の被害の方が大きかったようです。

西村)津波被害の大きさはどのようなものでしたか。

井村)東北の津波の調査では、家も流されて、道路も瓦礫だらけで、木も倒れていましたが、トンガの現地の写真を見ると、海岸沿いの住宅は流されているところもありますが、奥の方まで瓦礫が流れているような様子は見えません。船が陸に打ち上げられている様子もない。津波の規模からすると、人的な被害はあまりなかったのではないかと見ています。でも現地の状況はわからないので心配しています。

西村)8000km離れた日本でも津波警報と注意報が発表されました。日本では、鹿児島県の奄美市で最大潮位上昇1.2mと発表されました。これは、津波なのでしょうか。

井村)津波と言っていいと思います。日本には昔から高潮という言葉があって、研究者が定義していますが、定義よりも実態に合わせた表現をした方がいいと思うので僕は津波といって良いと思います。地震に伴う津波に関しては、経験があって、データも揃っていて、気象庁もすぐ情報が出ますが、火山噴火は数百年に1回あるかないか。日本に影響があるかが気象庁もよくわからなかったんです。今まで通りの地震と同じような考え方で判断すると、若干の潮位の変化はあっても被害を出すことはないということに。しかし時間が経つごとに潮位の変化が大きくなってきて、奄美と岩手県沿岸に警報が出されました。

西村)それで気象庁は、津波被害はないと発表していたのに警報を出したのですね。

井村)経験がなかったので仕方がないと思います。タイミングが悪いことに注意報を警報に切り替えた時間が夜中だった。避難する人は、暗くて寒い中、不安だったでしょう。避難するには、体力的にも精神面も大変だったと思います。

西村)岩手県の津波警報が出たのは、午前2時54分でした。当時、岩手県では-2度のところもあったそう。冬の真夜中に起きて、外に出て、避難するとなると歩いて避難するのは大変なので、車で避難しようと考える人が多かったのだろうなと想像します。実際に鹿児島県奄美市などでは高台へ避難する人の車で渋滞が起こりました。

井村)気象庁が警報に変えたタイミングは良くなかったのですが、現実にそういうことがあるのです。地震や津波がくる時刻は予測不可能。今回は、雨や雪などの激しい気象条件ではなかったですが、もっと激しい気象条件のときにもこういうことがあるかもしれない。やはり訓練をしておかなければならないですよね。東北で地震があった後、最悪を想定していろいろな訓練をしていたと思いますが、雨の日や朝早い日はやめておこうとか、コロナだから訓練は控えることもあったと思います。でも、実際にコロナ禍で避難しなければいけないという状況が生じているわけです。訓練のための訓練になっていた部分があるのでは、ということを研究者としては問いかけておきたい。寒い、暗い、厳しい状況に置かれることもあるということを知っておいてほしいです。

西村)避難した人たちも、実際に行動したからこそわかったことがたくさんあると思います。

井村)船やいかだが流された被害はありましたが、幸い人的被害はなかった。車で避難して渋滞が起こってしまったということを教訓にして、次そうならないようにすればOK。実践的な訓練を1回やらせてもらったと思えば。
 
西村)井村さんは、改めて今回の車避難についてどう考えますか。
 
井村)東北では、車で避難して渋滞に巻き込まれて命を落とした事例がたくさんありました。避難は徒歩が基本で、ハンディキャップがある人、災害弱者と呼ばれる人たちは車避難でも良いというのが東北の教訓だったはず。僕はそれをこの11年間いってきたのに、今回渋滞してしまったことがかなりショックでした。津波の怖さは伝わっていたけど避難の仕方までは伝わっていなかったということを感じ、これからも訴え続けなければいけないと思いました。みなさんも我がこととして、どうすべきかを考えてほしいと思います。
 
西村)車避難は危ないということをわかっていても、実際に避難するとなると、寒いし、夜中にずっと外にいるとなると、徒歩ではなく、車で移動しようと思うみなさんの気持ちもすごくわかります。
 
井村)わかります。この状況で徒歩避難は辛いです。でも辛くても徒歩で避難しなければ渋滞が起こってしまう。ハンディキャップがある人たちが逃げ遅れてしまうという事実が詳らかになったわけです。これを教訓にすることが一番大事です。
 
西村)避難訓練の大切さを実感しました。自分自身の戒めにもなりました。
 
井村)行政も、寒い季節は避難所の毛布が1枚では足りないということなどを教訓にして、次に活かしていかなければなりません。
 
西村)日本から8000km離れた場所で海底火山が噴火して、日本に津波が押し寄せてきました。これはなぜだったのでしょうか。
 
井村)火山噴火で津波が起こることはこれまでも知られていました。日本で記録に残っている大きな噴火の災害に「島原大変肥後迷惑」があります。江戸時代に、雲仙普賢岳が噴火して、直後に地震が起こり、対岸の肥後の国(熊本県の沿岸)が津波で大きな被害を受けました。大きな火山噴火があれば、地球の反対側で起こった噴火でも、被害を及ぼすような津波がやってくるということを知っておいてほしいです。
 
西村)なぜ潮位が上昇したのですか。
 
井村)ひとつは山体崩壊で海面が変化したことによるもの。さらに大きな爆発による空振で波が引き起こされ、津波が日本にやってきて、潮位の変化が大きくなったというふうに考えられています。しかしまだわからない部分もたくさんあります。
 
西村)これはまた起こるかもしれないですし、引き続き備えなければいけないなと思います。
 
井村)1960年のチリ地震津波では、24時間後に日本の沿岸で大きな津波被害をもたらしました。地球の反対側で起こったことでも、災害になるのです。
 
西村)まだまだ聞き足りないことがたくさんあります。井村さん、今後もどうぞよろしくお願いいたします
きょうは、鹿児島大学准教授の井村隆介さんにお話を伺いました。