オンライン:東京大学大学院 情報学環 総合防災情報研究センター
客員教授 松尾一郎さん
西村)みなさんはタイムライン防災を知っていますか。
タイムライン防災とは、台風の接近や上陸時に、時間軸に沿って、行政や消防、住民がとるべき行動を事前に決めておくというものです。このタイムライン防災を全国に広める取り組みが始まる中、日本の第一人者としてその必要性を訴えている、東京大学大学院 情報学環 総合防災情報研究センター 客員教授 松尾一郎さんにお話を聞きます。
松尾)よろしくお願いいたします。
西村)タイムライン防災とはどんなものですか。
松尾)2013年にハリケーン・サンディがニュージャージー州を直撃しました。そのとき、災害調査を兼ねて現地に行き、危機管理局で「前年につくった防災計画が役に立った」という話を聞いたんです。これがタイムライン防災の原型で、日本の防災計画用に見直しをしました。災害は地域で発生します。タイムライン防災とは、地域の市民の命を守るために、市町村長、消防団、警察、住民がどのタイミングでどのように行動すればいいかをあらかじめ決めておく防災計画です。
肝心なことは、あらかじめ「いつ」「誰が」「何をする」を決めておくことです。
西村)「いつ」「誰が」「何をする」この3つの要素を防災行動計画としてあらかじめまとめておくのですね。
松尾)毎年台風が近畿圏・関西圏を襲っています。台風が発生する3日前には5日先まで進路予報が出せるので、4日前、3日前にすることを決めることができます。台風は前日ぐらいから厳しくなりますよね。風も強くなって外を歩けなくなる。そうなると台風に備えて前前日ぐらいまでに買い出しを済ませなければならない。そのようにあらかじめ台風に備えて、どのように行動をするかを決めておくんです。
西村)日本の国の防災計画では、具体的に「いつ」「どうするのか」について決まったものがあったのでしょうか。
松尾)ザックリしたものはありました。日本の防災計画というのは「防災基本計画」といって、国には「防災業務計画」、市町村には「地域防災計画」というものがあります。その中で、台風のときにどう対応するか大まかな理念と考え方は決められています。わたしがタイムライン防災でやっているのは、どんな災害が起こるかをあらかじめ時間の流れに沿って考えていくということ。そのような詳細な防災計画は日本の防災計画にはないのです。
西村)3日前に何をしたらいいかは、経験がある人ならわかるかもしれないけど、経験がない人は何をしたら良いのかわかりませんよね。
松尾)台風が発生して気象庁から大雨警報が発表されると市町村は災害の連絡体制をとります。加えて、雨が降って川が氾濫しそうになると自治体は直前に防災の体制をとりますが、具体的にどうするかまで詳細は決められていないので非常に曖昧です。
曖昧な防災をやっているために、市町村によっては避難指示が出せないこともあります。熱海市では土砂災害で人が亡くなりましたが、当該市町村は避難指示を発表していなかった。さまざま悩みや逡巡があったかもしれませんが、危険な状況を察知したときは、早めに避難の呼びかけをすることが市町村としての責務だと思います。タイムライン防災は、日本の曖昧な防災計画を補完することができます。
西村)時間軸に沿って、いつ、どのタイミングで、誰が何をするのかが決まっていて、マニュアルが頭にはいっていたら、自治体もすぐ動くことができます。わたしたちも避難行動がとりやすくなりますね。
松尾)自治体のタイムラインに連動する形で、町内会・自治会、家族がそれぞれがタイムラインを作っていけば、全体が動き出す。災害は毎年起こらないので、10~20年に1回起こる災害時に、そのときになって市町村長は悩むんです。防災担当者も一般職員なので。
西村)今まで経験がない人が防災担当になっているということもあるかもしれません。
松尾)タイムラインで計画を作っておけば、漏れや抜け落ちがありません。
西村)そんな中、2015年に全国で最も早くタイムライン防災を導入したのが三重県・紀宝町です。三重県の一番南側にあり、和歌山県新宮市と隣接している自治体です。紀宝町がタイムライン防災を導入したきっかけは、2011年の紀伊半島豪雨。紀伊半島豪雨では、死者・行方不明者が88人に上り、紀宝町でも死者1人、行方不明1人が出ました。今後の対策を模索しているときに、紀宝町の担当者が松尾さんに出会い、タイムライン防災に取り組み始めたということです。どんなタイムラインを作っているのか、紀宝町防災対策室の堀勝之さんにお話を聞きましたので、お聞きください。
音声・西村)紀宝町では、どのようなタイムラインを作っているのですか。
音声・堀さん)当庁のタイムラインは、台風等の状況から、レベル1~5に分け、「いつ」「誰が」「何をする」かを、時間軸で決めています。
レベル1(台風接近5日前)...水防施設等の点検、災害危険箇所等の巡回、サイレンの点検
レベル2(台風接近3~2日前)...災害対策本部の準備、通行止めに伴うバリケード等の防災資機材の準備
レベル3(台風接近前日)...災害対策本部の設置、自主避難が困難な方への支援、防災情報・注意喚起の広報
レベル4(台風上陸12時間前)...避難指示の対応、緊急時における防災対応方針の決定・見直し、熊野川の合流地点の水門操作の実施
レベル5(台風最接近・上陸・氾濫危険水位超過)...消防団員も含め逃げ遅れのないように退避
音声・西村)これらは紀宝町役場の行動ですね。
音声・堀さん)行動項目ごとに、町の職員がいつ・何をするのかを決めています。
音声・西村)実際に訓練もしているのですか。
音声・堀さん)町主体の訓練、各自主防災単位での訓練も随時行われています。
音声・西村)どれぐらいの規模の台風のときに、このタイムラインが使われるのでしょうか。
音声・堀さん)規模は一概にはいえませんが、この地域に上陸したり予報円に入ったりした場合に、防災計画を進めています。2015年から約40回、タイムラインが始動しています。
音声・西村)住民のみなさんは、タイムラインに合わせてどう行動するのですか。
音声・堀さん)現在、地区ごとに「地区タイムライン」を作成してもらっているところです。町ではタイムラインに沿って避難する基準に達すれば避難指示等の発令を行いますが、実際に避難するのは地域住民です。災害時に、地域住民や自主防災組織、民生委員等がとるべき行動をマニュアル化した地区タイムラインが必要です。地区によって中身も異なりますが、だいたい3日前にはタイムラインが始動。非常持ち出し品の準備や自宅周辺の排水溝の確認、避難が困難な人の名簿の確認などを各地区の自主防災組織でやってもらっています。
音声・西村)班長や区長の方に伝える伝達方法はどのようにするのですか。
音声・堀さん)町内では37の自主防災組織全があり、町のタイムラインが始動したら、全ての自主防災組織の会長に連絡して、各地区タイムラインに沿って住民に周知を進めています。各地区の自主防災組織の会長にタブレットを配布して、状況等を見てもらっています。
音声・西村)実際にタイムラインを運用して、どのような効果がありましたか。
音声・堀さん)タイムライン防災を運用してきたことによって、住民意識が向上し、自主避難者が増えてきました。2017年の台風21号では、町内では床上浸水73世帯、床下浸水60世帯の被害が発生しましたが、救助要請は1件もありませんでした。
音声・西村)みなさん避難できたということですか。
音声・堀さん)早め早めの事前避難ができたということです。住民の避難意識も高まってきているので、このマニュアルがある方が迅速に避難できていると認識しています。
西村)紀宝町の町役場では、レベル1~5の5段階のタイムラインを作って、町の職員が行動しています。住民には地区ごとにタイムラインがあります。この地区タイムラインを作ったことが住民の防災意識を高め、早めの避難につながっているということでした。
松尾さん、今の紀宝町防災対策室 堀勝之さんのお話を聞いていかがですか。
松尾)わたしがタイムラインに取り組み始めたのは9年前。紀宝町では2014年から8年間実施しています。それ以降、全国約60の自治体に行って、市町村のタイムラインを一緒に作り、運用してきました。それでわかったことは、情報の共有ができるということ。役場がタイムラインを立ち上げると、「気象台から警報が発令されました」「台風は今ここら辺です」と防災無線で逐一、町民に伝えられる。そうすると町民は「役場は自分たちのことを思ってくれているんだ」と、自主防災会もタイムラインを作り始めて動くんです。避難の際、山間部には、要支援者やひとりで逃げられない人もいます。そのような人たちに、福祉課が民生委員を通じて、高齢者一人一人に「台風が来る前にどこに逃げますか」「いつ逃げますか」と尋ねて回っています。
西村)大変な作業ですよね。
松尾)事前に確認することができれば、その形で動けばいいので確実に地域全体が動く。地域住民も一緒になってタイムラインを回していくことができます。確実に地域の防災の仕組みや意識は変わっていくと思います。絶対に各地域でタイムライン防災に取り組まなければならない。これを全国に普及させることが私の大きな人生最後のミッションです。実現させたいと思います。
西村)現在導入している日本の自治体はどれぐらいなのですか。
松尾)市町村が中心となったタイムラインは大体160ぐらい。全国には1800の自治体があるのでまだまだです。でもタイムライン防災に取り組むことによって、確実に命を守ることができるという成果も出しています。
西村)タイムライン防災を広めるためにはどのような課題がありますか。
松尾)ひとつは人材育成。防災に取り組んでいてリタイアした人や気象庁退職後も現役で頑張りたい人などを集めてタイムライン防災を勉強してもらって、できれば県や市町村単位にひとり、コーディネーターとして地域に展開することを進めていきたいです。
それと、自治体の支援をする必要があります。地域によっては市町村長が避難の呼びかけができないことも。経験がないからです。経験がある人が市町村の支援・アドバイスをするという体制も必要。これを実現するためには財政的な問題があります。自治体は、今コロナ対策の影響でお金がない。国が体制の強化、情報提供、人材育成をして、自治体がタイムライン防災に取り組めるような財政的な支援をすることが急がれます。
西村)国の財政的な支援、アドバイスをしてくれるアドバイザーの育成も必要という今後の課題も教えていただきました。このタイムライン防災に取り組むことで、自治体も住民も、いつ・どこで・何をするのかということがクリアになる。そして話し合うことで、それぞれの防災意識も高まっていきます。これは大きな取り組みだと思いました。
きょうは、タイムライン防災について、東京大学大学院 情報学環 総合防災情報研究センター 客員教授 松尾一郎さんにお話を伺いました