第1359回「食でつなぐ災害に強い地域づくり」
ゲスト:NPO法人「うわじまグランマ」代表理事 松島陽子さん

西村)きょうは、わたしがSNSでつながって一度お会いしたいと思っていた方に来ていただきました。2018年の西日本豪雨の後、わたしが友人と企画した音楽イベントで収益の一部を寄付した団体です。愛媛県のNPO法人「宇和島グランマ」代表理事 松島陽子さんです。
 
松島)よろしくお願いいたします。
 
西村)松島さんのお住まいはどちらですか。
 
松島)愛媛県宇和島市です。
 
西村)「宇和島グランマ」代表理事としての活動以外にもお仕事をしているんですよね。
 
松島)加工業、化粧品業などもしています。
 
西村)お子さんはおいくつですか。
 
松島)4人いて、一番上が35歳、次が33歳、30歳、20歳です。
 
西村)みなさん成人しているのですね。さらにお孫さんもいるそうで。
 
松島)孫も4人います。5月に1人増えて、5人になります。
 
西村)にぎやかになりますね!松島さんはお子さんが小さいときに宇和島市のPTA会長も務めていたとか。
 
松島)PTA連合会の会長を1年間務めていました。
 
西村)中学校で、子どもたちと防災キャンプをしたそうですね。
 
松島)前年度の会長が計画をしていて、わたしのときに実現しました。約30人の小学生~中学生の子どもたちと小学校の体育館で、ライフラインをカットした防災キャンプを行いました。
 
西村)電気も水道も携帯電話も使えない想定で行ったのですね。
 
松島)子どもたちに避難所運営もさせました。何もわからないままはじめましたが、私たちもすごく貴重な経験ができました。
 
西村)それは西日本豪雨の前ですか。
 
松島)ちょうど1年前です。
 
西村)松島さんは、そのときから防災に関心があったのでしょうか。
 
松島)すごく関心があったわけではなかったです。1年間、いろんな人たちと企画を進めるうちに少しずつ防災の意識が芽生えてきました。
 
西村)1年後に西日本豪雨が発生して宇和島市も被災しましたね。
 
松島)防災キャンプがすごく役に立ちました。わたしも1日ダンボールで寝る経験をして、自分ごとができました。1日だけでもすごく大変だったんです。長い避難所生活の大変さを改めて実感しました。
 
西村)宇和島市は13人が亡くなりました。
 
松島)主人が育ってきた場所が大きな被害を受けて。道が土だらけになっているのを見てびっくりしました。
 
西村)松島さんが道の駅の広場で、とあるお母さんたちに出会ったと聞きました。
 
松島)20~30代のお母さんたちが子どもをおんぶしながら、SNSで呼びかけた支援物資を集めていて。若いお母さんたちが物資を配っている姿を見て、私たちのような子育てを終えているおばあちゃんが何もしないのはどうなのか、と思ったことが活動のきっかけになりました。その団体が「お母さんと一緒」という団体だったので、わたしたちの団体は「グランマ」と名付けました。
 
西村)「宇和島グランマ」は具体的にはどんな活動や取り組みをしているのですか。
 
松島)炊き出しや物資支援をして、三世代交流の場を作ってきました。そして、食を通じてコミュニティの場を作ろうと防災を意識した子ども食堂も運営しています。
 
西村)西日本豪雨の発生直後も災害時の食を届ける仕事をしていましたよね。
 
松島)PTAをやっていたので、教育長から炊き出しのコーディネートをしてほしいという話がありました。LINEグループを作って、行政と企業をつないで、食の支援をサポートしていました。たくさんの企業に支援していただきました。
 
西村)現地で温かいものを作って提供したのですか。
 
松島)土埃がすごくて、衛生面を考えると現地で作ることが難しかったので、弁当を作って渡しました。温かいおうどんを提供してくれた企業もありました。
  
西村)子ども食堂にはいろいろな境遇や思いを抱えている人が来ると思います。どんな人が来ているのですか。
 
松島)家庭環境が大変な人が集まるイメージがあると思いますが、宇和島市の子ども食堂は地域の人々が誰でも参加OKな食堂。90歳から0歳児までみんなが集う場所なんです。
 
西村)核家族化が進んでいて、おじいちゃん・おばあちゃんが遠くに住んでいて会えない家庭も多いですよね。地域の子ども食堂でいろいろな世代の人と交流ができるのはいいですね。ご飯を食べながら話すと心の扉を開くことができそう。
 
松島)同じものを一緒に食べることで、食べものの話ができるし、高齢者に「困ったことない?」と話しかけることもできます。子どもの声に元気をもらうという人もたくさんいます。1人暮らしで話し相手がいない人は一緒にご飯を食べるとみんな元気になっていきます。
 
西村)災害時も地域のコミュニティ作りが大事だと思います。子ども食堂は災害時に役立ちますか。
 
松島)毎月1回子ども食堂をやっているのですが、200食ほどの食事を一緒に作る経験が災害時の炊き出しにも役立ちます。避難時は、いつも行っている場所なら不安なく行けますし、顔見知りの人たちがいるとほっとします。お母さんたちにとっては子どもを連れて行きやすい場所、高齢者にとっては歩いて行ける場所、というところに子ども食堂の良さがあると思います。
 
西村)災害時に行くことができる身近な場所、美味しいご飯を食べながら、みんなと過ごすことができる場所が地域にあるのは心強いですね。なかなか行政には伝えにくい相談に乗る場所にもなっているのでは。
 
松島)いつも一緒にいるわたしたちには相談しやすいこともあると思います。わたしたちで手に負えない場合は、行政につなぐこともできますし。そのような形でわたしたちにできることと行政ができることのすみ分けをしています。
 
西村)西日本豪雨で被災した経験を語り継ぐ場にもなっていると思います。体が不自由で外に出ることができない人や遠方に住んでいる人など子ども食堂に来ることができない地域の人たちには、どのような支援をしているのですか。
 
松島)キッチンカーを利用した居場所作りということで、宇和島市内には15ヶ所の子ども食堂があります。それ以外の場所にどのように子ども食堂を啓発していくかが課題。わたしたちが食事を提供する時間がないので、キッチンカーに行ってもらって、子どもを見守る団体、絵本を読んでくれる団体、地区民生委員にも手伝ってもらいながら、居場所を作る活動もしています。キッチンカーと行政が災害時の協定を結んでいます。知らない土地からでも1回でも来てくれたら馴染みができますよね。有事のときにも何かお手伝いできてもらえると思うので。
 
西村)いつまた豪雨や地震など大きな災害が起こるかわかりません。災害で被災してからメンバーを集めるのは、自身も被災していると大変。日頃からつながりがあると、いろんな地域からみなさんが助けに来てくれますね。キッチンカーでは、どんなメニューを出しているのですか。
 
松島)出汁メーカーのうどんや、刻み食・流動食などの介護食もあります。
 
西村)キッチンカーがいるだけでワクワクしますよね。日ごろ家にこもりがちな人も「キッチンカーで美味しいものを食べられるらしいよ」と外に出て、家族や近所の人と話すきっかけにもなりそう。これはぜひ全国に広がってほしい取り組みですね。「宇和島グランマ」の活動を通じて、松島さんが地域のつながりが大切だと感じられる瞬間はありますか。
 
松島)悩みを抱えているけど誰にも話ができない高齢者、子どものことを誰にも相談できない1人親などを目の当たりにしました。人と人が出会える、つながることができる場所があれば、そんな人たちの悩みが解決すると思います。地域のコミュニティが大切だと感じました。
 
西村)西日本豪雨から4年が経ちました。被災したみなさんは今どんな困りごとがあるのでしょうか。
 
松島)幅広い年齢層の人が金銭的にも大きなダメージを受けています。復興・復旧の部分でまだまだな場所もあります。生活が苦しい人に食を届けに行くことも続けたいと思っています。家の改築についての悩みなどは、訪問してわかることでもありますし。
 
西村)最近は、オンラインで話すことが増えましたが、訪問して実際に会ったり、美味しいご飯を食べながら顔を見て話したりすることが大切なのですね。
 
松島)何も持たないで訪問するより、食べ物を持っていくことできっかけ作りがしやすいです。食べ物の話題から少しずつ話が広がります。食って強いですよね。
 
西村)これからはどんな活動をしていきたいですか。
 
松島)次の若い世代が住み良く、住んでいて良かったと思える街になるように、わたしたち以外にも活動をする人を増やして、つなげていく取り組みもしていきたいです。
 
西村)街作りと人とのつながりが災害時にもみなさんの心を救うのですね。
きょうは、愛媛県のNPO法人「宇和島グランマ」代表理事 松島陽子さんにお話いただきました