オンライン:元ネットワーク1・17プロデューサー MBS報道情報局
大牟田智佐子さん
西村)きょうは、「ネットワーク1・17」の元プロデューサーにスタジオに来ていただきました。番組の担当を離れてからもずっと防災関連の取材や発信を続け、兵庫県立大学の大学院で博士号をとりました。研究テーマは「災害時のラジオの役割」。災害時、ラジオは何ができて、何をすべきなのか。
きょうは、リスナーのみなさんといっしょに考える放送にしたいと思います。MBS報道情報局の大牟田智佐子さんです。
大牟田)よろしくお願いいたします。
西村)大牟田さんがこの番組のプロデューサーをしていたのはいつ頃ですか。
大牟田)1998~2010年の12年間です。この番組がスタートしたのが95年の4月。その3年後から東日本大震災の前の年までです。
西村)阪神・淡路大震災の3年後からプロデューサーとして関わっていたのですね。当時はどんな放送していたのですか。
大牟田)この番組は、もともと被災者による被災者のための番組としてスタートしました。立ち上げたスタッフや出演者は全員被災者でした。初代からパーソナリティを務めた魚住由紀さんに話を聞くと、初めは被災地からの反応が全くなかったそう。
西村)なぜですか。
大牟田)被災地のタクシーに、切手不要のハガキを乗せて走ってもらったことも。それでもハガキは来なかった。それはラジオが聞かれていなかったのではなく、つらい体験を自ら語ることができなかったからなんです。番組では被災地をよく知る専門家やボランティアが出演して、当事者の代わりに被災者の気持ちを代弁しました。県外避難者についてなど、番組がいち早く取り上げた問題も数多くありました。
西村)放送時間は今と違っていたのでしょうか。
大牟田)土曜日の夕方の生放送でした。約45分間、リスナーさんのFAXやメールを番組の中で紹介していました。
西村)大牟田さんは、それまでに被災地に関わることはあったのでしょうか。
大牟田)わたしは、テレビで地震専門の記者をしていて、災害報道を担当していました。そういうこともあり、ラジオに異動してきた当時、番組になかった「防災」のテーマを持ち込んだんです。最初は、番組のカラーとそぐわないといわれたこともありましたが、地震はそれで終わりではないという気持ちもあり、防災をやっていこうと。それが徐々に受け入れられた頃、震災5年後に、番組の最初の危機があったんです。
西村)どんな危機ですか。
大牟田)西村さん、震災から5年後はどんな時期だったか覚えていますか。
西村)阪神・淡路大震災当時は、わたしは中学1年生でした。震災後5年というと、一つの節目という印象を受けた記憶が。
大牟田)被災地で仮設住宅が解消した時期でもあり、番組も終了する時期ではないかという声が内外からあがってきて。どうやって跳ね返そうかと知恵を絞りました。その頃、99年に台湾、2004年に新潟など各地で地震が起き始めて、また災害は起きるという想いを新たにしたんです。備えをしなければという思いが局内にも広がり、番組の役割が再認識されました。今は、テーマもゲストも多様になり、27年以上続いていることを心強く思っています。
西村)この番組を届けたいという想いで、コンテストにも応募したんですね。
大牟田)「防災まちづくり大賞」に応募し、総務大臣賞をいただきました。大きな力になりました。
西村)番組の危機がありながらも、27年以上この番組が続いていて、今もリスナーのみなさんに聞いていただけていることは当たり前ではないですね。感謝の思いでいっぱいです。みなさんありがとうございます!大牟田さんは番組を離れてからもずっと防災に関ってきました。兵庫県立大学の大学院で研究したテーマは、「災害放送におけるラジオの役割」。これはどんな研究ですか。
大牟田)ラジオというと、緊急時の情報源というイメージが強いと思いますが、わたしはラジオの良さは情報だけではないとずっと思っていて。コミュニティFMや臨時災害FMは、地域密着型のラジオとして評価が高いですよね。でも意外と民放ラジオは先行研究が少ない。そこで民放ラジオを対象に研究を始めました。
西村)具体的にどのような分析をしたのですか。
大牟田)「ネットワーク1・17」も含め、3つの事例研究をしました。きょうはその中で、民放ラジオの全社に行ったアンケート調査をご紹介します。2年前に民放ラジオ100社を対象に、番組制作に携わっている人が重視している「災害時の放送の内容、日常の放送」について、31項目の質問を送り、54社から回答をいただきました。すると、災害時、AMとFMともに被災地に向けて、被災者同士のコミュニケーションの手助けになるような情報を流そうとしていたことがわかったんです。日常で最も重視することはともに地域密着性だったこともわかりました。この被災地の中に向けた情報とはいわゆる生活情報です。
西村)例えば「水はここで給水できますよ」とか。
大牟田)ラジオは、ライフラインの被害や復旧状況などの情報をきめ細かく伝えることで、災害時に評価されてきました。実際にMBSラジオも当時、リスナーさんからの電話が鳴りやまない状態でした。
西村)その電話は、どのような内容だったのですか。
大牟田)まずは「被災地の人を助けたい」という電話。ほかには、「どこかに開いているスーパーありませんか」「水汲めるところはありませんか」という質問も。さらに「うちに水が出るので汲みに来て下さい」という情報もありました。それを次々に放送に乗せて紹介したんです。これは、普段からリスナーの意見を募集して、電話を繋ぐスタイルがラジオで定着していたからこそできた放送なんです。
西村)リスナーも電話して情報を伝えることをいつもやっているから、災害時でもやろうと思ったんですね。
大牟田)つまり、アンケートの回答が示したものは、日常の放送が災害時にも生かされるということ。AMとFMで違いもあって、地域密着性の次に重視するのは、AMではデマを防ぐこと、FMでは日常に近い安心を届けることという回答でした。電波の特性から、音質の違いでAMは、普段からトーク番組を流しますよね。FMは音質が良いので音楽番組が多い。それぞれの特性を災害時にも生かしているということが言えます。このような特性を生かした放送のパターンをわたしは「共感放送」と名付けました。
西村)「共感放送」とは?
大牟田)リスナーの置かれた状況にラジオ局が共感して、AMはリスナーの声を生かす双方向性、FMは音楽で安心を―これはこれまで災害放送のパターンとして認識されていなかったんです。災害放送は、防災放送、被害報道、安否放送、生活情報の4パターンだといわれていました。これは、どれもが何かの役に立つ情報。でも共感放送は、必ずしも役に立つことを目指していません。例えばAMの共感放送は、「地震怖かったですね」「近所の人とこうやって助け合いました」などと意見を紹介します。FMは音楽のリクエストもあって。情報の隙間にある余白のような放送がこの共感放送だと思います。役に立たないように思えるおしゃべりや音楽が大切だと思うんです。
西村)研究の中で実感したということは、どんな意見があったのですか。
大牟田)ラジオ局からは、「災害時に安心できる話題や音楽はラジオの真骨頂」、「災害時に"いつもの時間にいつもの人"という、非日常の中の日常を提供できるのはラジオならでは」という意見がありました。熊本地震の避難所で、疲れ切って目をつぶってラジオを聞いているリスナーの姿があったという話も。そんな意見を聞いて、リスナーは必ずしも情報だけを求めているのではないということがわかりました。
西村)高校2年生のときに阪神・淡路大震災で被災したこの番組のスタッフは、ラジオを毎晩聞いていて、枕元にラジオがあったから、避難するときもラジオを持ち出せたそう。避難所では、ラジオから聞こえる声のおかげで落ち着きを取り戻したという話を聞きました。日頃からラジオを聞いているからこそ、災害時にラジオが生かされるということを実感します。でも、阪神・淡路大震災のときとは違って、インターネットやSNSが広がった今、ラジオはいらないのではという声も。ラジオを聞いている人が少なくなっている現状があります。現代で災害が起きたとき、テレビやインターネットとは異なる「ラジオの役割」とは何でしょう。
大牟田)テレビは被災地の外に向けて被害映像を伝える役割があります。それに対して、ラジオは被災地の中に向けて被災者のために役立つ情報や癒やしを届けます。インターネットはローカルな情報を拾うこともできるけど、事実確認が取れていないコメントがあふれることもあります。でもラジオは、放送に乗せる前に必ずスタッフが確認し、誹謗中傷が出ることがないようにしていますし、人の声のぬくもりを通して情報を伝えることができます。この番組のように、長い復興過程を被災者と一緒に伝え、日常の安心感も取り入れながら歩いていくことができるのがラジオだと思います。
西村)これからもそういう番組を目指していきたいと思います。とはいえ、ラジオのリスナーが減って、ラジオの収益が減少し、スタッフの人員削減もあるラジオ局も。リスナーの期待に応えていくのは大変という声も聞こえきます。どんな工夫や知恵が必要だと思いますか。
大牟田)アンケートでも災害放送に関して、6割の局が「不安を抱いている」と回答しています。だからといってラジオが災害放送を放棄することはできない。ラジオは防災機関としての役割を法的にも位置づけられています。速やかに情報をもらえるように、公的機関との信頼関係、技術面での構築は必要。あるいは複数のラジオ局が合同で放送分担することも将来必要になるかもしれません。そのときに被害がひどい地域ほど情報が発信されないので、その穴を埋めるためにも、リスナーさんやおなじみの出演者などのネットワークが大切。そのときに求められるのは、役に立つ情報だけではないということをぜひ心に留めておきたいです。テレビ並みの災害報道ができなくても、ラジオらしい災害放送を心がければ良いと思っています。ほかのメディアには担えない役割があるということをラジオの関係者は誇りに思ってほしいですし、リスナーのみなさんもラジオの一員だという意識でぜひこの輪の中に入ってきてほしいと思います。
西村)みなさんの心に寄り添って、日頃から関係を築きながら、届けていくことを大切にしたと改めて思いました。
きょうは、MBS報道情報局の大牟田智佐子さんに災害時のラジオの役割と題してお送りしました。