取材報告:新川和賀子ディレクター
西村)阪神・淡路大震災の発生から27年を迎えようとしていた去年12月、神戸市・中央区の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」の銘板に、神戸市・長田区の男性の名前が新たに刻まれました。去年10月、77歳で亡くなった和田幹司さんです。
和田さんは、震災で大きな被害を受けた神戸市・長田区で被災し、復興のまちづくりや震災の語り継ぎに力を注いでいました。「ネットワーク1・17」にも何度もご出演いただきました。
きょうは、和田幹司さんの過去のインタビューを紹介しながら番組を進め、和田さんをしのんでいきたいと思います。
番組ディレクターの新川和賀子さんと一緒に進めます。新川さん、よろしくお願いします。
新川)よろしくお願いします。
和田幹司さんが亡くなったのは去年10月です。「和田幹司さんをしのぶ会」が予定されていたのですが、コロナの影響で2度も延期に。ようやく今月6日に「和田幹司さんをしのぶ会」が行われ、わたしもお邪魔してきました。まず「和田幹司さんをしのぶ会」の様子を聞いてください。今月6日に神戸市・長田区の旧二葉小学校の講堂で行われ、約150人が参加しました。
和田さんが長く携わってきた追悼行事「1・17KOBEに灯りをinながた」の実行委員長を和田さんから引き継いだ、金宣吉(きむ・そんぎる)さんが語った言葉を聞いてださい。
音声・金さん)1・17という震災で大きな被害を受けたこの町の想いを次世代に語り継ぐ、多くの人がさまざまな祈りや追悼の気持ちを集めることができる日を引っ張っていただきました。「グローカル」「グローバリズム」を踏まえた多様性を尊重することを和田さんほど体現してこられた方はいないと思います。広い世界を見て、それでも多くの偏見を持たず、年齢を重ねても次世代にたくさんの想いを持ちながら、それを地域の中で実現していった。私たちは和田さんの思いを少しでも引き継いでいきたいと思っています。和田さん、空の上から見守っていただければと思います。ありがとうございました。
西村)次世代にたくさんの想いを伝えてきた人だったのですね。
新川)本当に地域の人に愛されていた人だったと改めて感じました。和田幹司さんを改めて詳しくご紹介します。
和田さんは、親しみを込めて"わだかんさん"と呼ばれていました。優しい笑顔が素敵で、ハンチング帽がトレードマークでした。神戸市・長田区の生まれ育ちで、大学卒業後は大手カメラメーカーのミノルタに勤めていました。10年以上海外赴任をしていて、アメリカやヨーロッパなど世界を股にかけて働くビジネスマンでした。日本に戻ってきた2年後に震災がありました。
西村)海外で長く暮らした後に被災したのですね。
新川)長田区の自宅で、阪神・淡路大震災にあいました。今から4年前、2018年1月14日放送の「ネットワーク1・17」に出演時の音源をお聞きください。
音声・千葉キャスター)和田さん自身も神戸市・長田区で被災をされて。
音声・和田さん)当時51歳で会社員でした。火事にはあわずに、両親も子どもたちも無事で、家だけが全壊したという状況でした。貸していた近所の家屋も全壊。仕事をしながら立て直す作業がつきまといました。
西村)大変な状況だったのですね。
新川)自らも被災しながら、長田の町の復興に関わっていきます。震災発生から2ヶ月後、まず取り組んだのは、被災者に向けた情報を掲載する地域の「ミニコミ誌」の発行をお手伝いすること。最盛期には週に1回、1万部を発行するほどだったそう。
西村)みなさん楽しみにしていたのですね。
新川)地元の有志と一緒に3年間、ミニコミ誌の発行を続けました。和田さんはカメラを片手に長田の人々や町を取材。カメラメーカーに勤めていたこともあって、写真は得意だったそう。変わりゆく長田の町をずっと撮り続けました。定点撮影は、ミニコミ誌が休刊した後も20年以上続けました。ほかにも長田で生まれた多言語放送のコミュニティラジオ「FMわぃわぃ」にパーソナリティとして出演したり、地区の暴力団追放運動の先頭に立って活動したりと、長田のまち作りに深く関わってきました。
西村)和田さんは、いろんな人と笑顔で話している姿が印象的でした。わたしは、和田さんには一度しかお会いできなかったんです。新長田駅前の追悼行事でお会いしました。そのとき初めてお話ししたのですが「毎年来てたんですよ!」伝えると「そうやったんか!」とうれしそうに話してくれて。優しい語り口と温かな笑顔が今でも印象に残っています。
新川)和田幹司さんは、JR新長田駅前で毎年1月17日に行われている追悼行事「1・17KOBEに灯りをinながた」に、会社を定年退職された後から本格的に関わっていきました。2004年~2019年まで実行委員長を勤めていました。追悼行事がはじまったきっかけについて、以前番組でお伺いしました。
音声・千葉キャスター)「1・17KOBEに灯りをinながた」という催しは、いつからどんな経緯ではじまったのですか。
音声・和田さん)神戸は震災から3年経った頃でも、夜中に明かりが灯っていてなくて真っ暗で。せめて1月17日の夜ぐらいは家に電灯をつけて明るくしようと「神戸に灯りを1・17」という集まりが三宮で開かれました。そして、4年目の1999年から長田でもやろうと。1月17日の夜中に、家の電灯を消さずに寝たことを覚えています。それをきっかけに「1・17KOBEに灯りをinながた」の追悼行事を1999年からはじめました。神戸を明るくしたいという気持ちからはじまった行事なんです。
音声・千葉キャスター)震災から4年経っても神戸は暗いイメージだったのですね。
音声・和田さん)復興住宅が完成し出したのが震災から3~4年目。仮設に入っていた人が落ち着いてきたのが、4~5年経ってからですから。3~4年目はまだ暗い状況が続いていましたね。
西村)街の明かりを灯すことが、被災者の心の灯を灯すことにも繋がっていそうですね。
新川)「1・17KOBEに灯りをinながた」は、毎年1月17日の夕方に行われています。JR新長田の駅前にペットボトルで作られた灯籠で「1・17ながた」とひらがなで書いた文字が形づくられ、中のろうそくに火が灯されます。地震が起きた早朝ではなく、夕方の5時46分に黙とうが行われます。
西村)なぜ夕方に行われるのですか。
新川)会社帰りや学校帰りの人が気軽に追悼行事に参加できるように、夕方に駅前で開催されています。
西村)わたしが参加したときにも、会社帰りの人や若い人が多い印象でした。ろうそくを並べたり、募金を呼びかけたりしている人の中にも、若い学生さんの姿が多かったです。
新川)若い人が多いのは、長田の追悼行事の特徴です。被災者が高齢化していて、震災後20年を過ぎた辺りから追悼行事を取りやめた地区も多い中、長田では和田さんが若い人に伝え続けることを意識していました。和田さんが震災23年を迎えた2018年1月に、番組で話してくれました。
音声・和田さん)子どもたちに伝えていくことがこの行事にとって一番重要だと思っています。最近では、小学校・中学校・保育園・幼稚園あわせて7校ぐらいで、1月17日に使う1万個のろうそくを作ってもらっています。駒ヶ林中学校の校長先生や教頭先生も理解を示していただき、授業の一環として、2時限潰してろうそく作りをしてくれています。中学生が手伝ってくれて、早く準備ができる。うれしいですね。
音声・千葉キャスター)実際に震災を体験した高齢世代だけではなく、体験していない中学生や若い世代も一緒にこの集いを作っているのですね。
音声・和田さん)今年は20回目になります。中には、大学生、社会人になった人や消防団に入っている人もいます。わたしはもう74歳。我々年寄り組も頑張っていますが、支えてくれる若い人が自然に集まってくるのがこの行事の特徴。ろうそくを作るという神聖な気持ちを持ってもらうとともに、なぜろうそくを作るのか、なぜ手を合わせるのか、なぜ6400人の方が亡くなったのか、どうしたら自分たちが安全に生きることができるのか、そんな話もしています。今年からは語り部も若い人たちにやってもらっています。若い人に継承していきたいという気持ちでやっています。
西村)幅広い世代のみなさんが参加して語り継ぎをしている。素敵ですね。
新川)当日の設営だけではなく、毎年12月から子どもたちと一緒にろうそく作りの作業をしています。寄贈された使い古しのろうそくを溶かして卵のパックに注いで、形を作っていくという地道な作業。追悼行事には1万個ものろうそくが必要なので、和田幹司さんたち実行委員会のメンバーが学校を訪れ、子どもたちにろうそく作りを指導していました。ろうそくを作る前には必ず震災の話をして、ろうそくを作る意味や追悼の意味を伝えているんです。わたしも以前、ろうそく作りの現場を取材しました。震災後23年の2017年12月です。新長田駅近くの駒ヶ林中学校で、ろうそく作りをしている様子をお聞きください。
音声・指導スタッフ)これで作っていきます。最初にそそぐ量は、パックの半分くらい。
音声・子ども)あ~やりすぎた、難しい...
西村)楽しそうですね。
新川)楽しくワイワイと作業していました。わたしが取材したときは、子どもたちに指導するスタッフにも若い人がいました。このことについて和田さんに現場で話を聞きました。
音声・新川)きょうは、ボランティアさんは何人ぐらい来ているんですか。
音声・和田さん)11人ぐらい。実行委員とその家族やお子さんも。今年は教職員のOB・OGにもお願いして、元学校の先生が2人来てくれています。
音声・新川)震災を知らない世代が増えていますね。
音声・和田さん)神戸の小学生・中学生には「神戸や長田にいる私たちは何かやらないと」というように、身についているような気がします。10年以上学校に寄せていただいています。風物詩みたいな行事になってきていて。ありがたい話です。我々が来たら「ろうそく作りのおじさんや!おばさんや!」と言ってくれるようになって。町を歩いていたら、手を振ってくれる子どもたちもいます(笑)。
西村)地域に根付いたものになってきているのですね。
新川)このときは、30代の地元の社会福祉協議会の人や、20代の実行委員のお子さんも参加していて、若いスタッフが子どもたちに丁寧に教えていました。震災の話もしていました。
西村)ろうそくを作るだけなら「作らされている」となりそうですが、作る前に震災の話をするとによって、ろうそくに込める想いも変わってくるでしょうね。
新川)そうですね。このとき取材した長田区の駒ヶ林中学校で、小学校1年生4人にお話を聞いています。
音声・新川)きょうは、どんなことを考えてろうそくを作りましたか。
音声・男子生徒)一生懸命頑張って作ったので、震災で亡くなった人に気持ちが伝わったらいいなと思って。
音声・女子生徒)話を聞くまでは、地震ってどんなのかわからなかったけど、話を聞いてよくわかりました。将来もし地震が起きたら、きょう習ったことを生かして、自分の命やみんなの命を守れるようにしたいです。
音声・男子生徒)お母さんの親戚が震災で亡くなったので、よく話を聞いていました。大切な人が死んでしまう怖さを改めて感じました。
音声・女子生徒)こういう行事を後輩も続けていけるように、自分たちがちゃんとしていこうと思いました。年配の方が来て話してくれて重みを感じます。6000人ぐらい死んでいるって聞いて。大変だなと感じました。
西村)「大切な人が亡くなってしまう怖さを知った」これはわたしも番組を通じて感じたこと。実際にお話を聞く、語り継ぐことは大切ですね。
新川)この子どもたちも今は高校生。きっとこのときのことを覚えていて、今も意識を持ってくれていると思います。駒ヶ林中学校では今も毎年追悼行事を手伝っています。この2年間はコロナの影響でいつもより追悼行事を縮小していたのですが、さまざまな形でお手伝いは続けていて、来年1月も震災28年に向けてお手伝いをする予定ということです。4年前に番組に出演していただいた和田幹司さんもこんなふうに話していました。
音声・和田さん)「なんで卵パック持って行くの?」「学校でろうそく作りするねん」と親子で会話をすることで、震災の話をするきっかけになります。新長田の駅前は鉄人広場もあって、毎月のように行事が行われています。1月は震災がテーマ...というふうにいろんな大人が集まって何かやっている。駒ヶ林中学校の生徒は、新長田駅前に近いこともあり、ペットボトル灯篭を並べにきてくれています。校長先生も教頭先生も恒例行事にしますと力強く言ってくれています。
西村)家族でさりげなく震災の話をするきっかけを作ってくれているのが、素敵だなと思いました。
新川)和田幹司さんは、追悼行事以外にもさまざまな地域の活動に参加して、先頭に立ってきました。みんなの背中を押して、みんなが主体的に活動に参加できるような場作りをしていて。それが長田という地域に根付いてきたのだと思います。和田さんが長い時間かけて築いてきたものは、確実に町に根付いていると思います。若い世代がこれからも追悼行事などを通じて、震災を語り継いでいってほしいですね。
西村)和田さんが伝えてくださったことを、長田以外の全国・海外の人にも伝えていけたらと思いました。この番組でも和田さんの想いを大切にしていきたいと思います。きょうは、新川和賀子ディレクターと一緒にお送りしました。