オンライン:「最期の声~ドキュメント災害関連死」著者 ノンフィクションライター山川 徹さん
西村)今月14日で 熊本地震の発生から6年を迎えます。熊本では地震の被害で直接亡くなる方に比べ、被災後のストレスや病気の悪化などで亡くなる「災害関連死」が4倍にものぼりました。
きょうは、関連死について10年にわたって取材し「最期の声 ドキュメント災害関連死」を出版したノンフィクションライターの山川徹さんにお話を伺います。
山川)よろしくお願いいたします。
西村)改めて「災害関連死」について教えてください。
山川)「災害関連死」とは、精神的なストレスや避難所の環境の悪化などによって持病が悪化したり、感染症に感染したりすることで亡くなってしまうケース、震災後に仕事や家族を失った喪失感や絶望から自ら命を絶ってしまうケースです。
「災害関連死」を国が定義づけたのは熊本地震の3年後の2019年4月。阪神・淡路大震災から「災害関連死」という枠組みが生まれましたが、それから24年間かかったということです。
西村)「災害関連死」は多いのでしょうか。
山川)豪雨災害でもたくさんの人が関連死にカウントされています。阪神・淡路大震災から26年の間に5000人以上の人が「災害関連死」として認められています。
西村)「災害関連死」はどういった流れで申請するのですか。
山川)岩手県・大船渡市の34歳の男性は家が半壊。地域の復興作業に関わっていましたが数日後に倒れて亡くなりました。家族は34歳で持病もなかったので、死の原因は震災によるストレスしか考えられないと役所に申請書を提出。自治体が医師や弁護士からなる審査会を開いて、震災がどれだけ死に影響を与えたのかを審査し「災害関連死」を認定するという仕組みになっています。
西村)熊本では地震の被害で亡くなる人に比べて、「災害関連死」が4倍にものぼったとのこと。
山川)全体の死者に対して「災害関連死」の死者は、熊本は80%。東日本大震災は17%。熊本地震では「災害関連死」が多いことがわかると思います。
西村)山川さんは東日本大震災以降、10年にわたって「災害関連死」と認定された家族や関係者に取材をしています。その中で、熊本地震ではどんな人に出会いましたか。具体的な例を紹介してください。
山川)本でも取り上げましたが、心臓に持病を持っていた4歳の女の子がいました。心臓病は手術で完治して、一般的な生活ができると言われていました。しかし手術後に熊本地震に遭い、病院で治療を続けられなくなりました。病院が老朽化していて倒壊の恐れがあったからです。その後、福岡の病院に移送中に体調が悪化し、熊本地震の5日後に命を落としてしまったのです。
お母さんにお話を伺ったのですが「なぜ老朽化していた病院に入院させてしまったのか」「福岡の病院への移送手段は適切だったのか」と後悔をお持ちで、非常につらい取材でした。病院に耐震設計がきちんとされていれば治療を継続できたはずだし、きちんと準備がされていれば今も元気だったのではないか思います。
西村)人工呼吸器をつけるなどの準備が十分に揃っていなかったということですか。
山川)普通の救急車で運べなかったそうです。自衛隊の搬送用救急車も検討されたのですが揃わなかったとのこと。人の命を守る最後の砦である病院に十分な耐震設計がされていなかったということが一番の問題点だと思います。
西村)この女の子は「災害関連死」と認められたのですか。
山川)もちろん認められました。なぜ娘が亡くなってしまったのかをきちんと考えてほしいとお母さんが話してくれました。同じような病気で、同じような状況で入院している子どもは日本中にたくさんいる。入院している病院を地震が襲ったとき、そのような子どもたちを助け、治療を継続できる仕組みを作ることを考えて欲しいと。この言葉に感銘を受けました。
西村)同じ思いをしている家族や本人のために話をしてくださったのですね。これからの災害への備えに生かしてほしいと心から思います。女の子のお母さんは「災害関連死」を申請できることは知っていたのですか。
山川)10数人の遺族に取材していますが、熊本地震のお母さんに限らず「災害関連死」という言葉を知っている人はいなかったです。熊本地震に関して言えるのは、3.11などで「災害関連死」という言葉が世間的に大きく周知されて、行政機関や「災害関連死」をサポートする人たちが問題意識を共有した中で起きた災害だということです。
西村)熊本地震は車中泊をする人がたくさんいました。エコノミークラス症候群や避難所での持病の悪化という事例も多かったのでしょうか。
山川)多かったと思います。エコノミークラス症候群は、2004年の新潟中越地震で初めて注目されて「災害関連死」と結びつけられるようになりました。その後、新潟大学で被災時にエコノミークラス症候群を減らす取り組みがなされ、熊本地震では、保健師や看護師団体が車中泊をしている人に「水分取りましょう」と声をかけてまわったり、弾性ストッキング(血栓を防ぐストッキング)を配ったりする活動をしていたそうです。そのように「災害関連死」を防ぐ活動は進んでいると思います。
西村)山川さんは、熊本地震のほかにも東日本大震災の被災者にもたくさんの取材をしているということで、具体例を聞かせてください。
山川)関連死を取材するきっかけになった事例です。僕は山形県出身で宮城県・仙台市の大学に通っていたので、知り合いがたくさん被災しているというのもあり、3.11直後から現場に入って取材をしていました。取材で知り合った人が震災後に体調を崩して障害を負ってしまった、自殺とおぼしき亡くなり方をしてしまった、という話がたくさん耳に入ってきたのが2012年の春頃。
そんな中で、知り合いの地元の記者から「家族全員を失った10代の少年が、家族の骨壺を持って海に飛び込んで自殺した」という噂を聞いたんです。それが本当なら非常に痛ましい話。当時は噂だったので、現場に行って調べてみたのですが、その死が自殺だったのか事故死だったのかも明らかになっていなくて、災害と関係性があるのかもわからなかったんです。
災害が原因で自殺したという人もいれば、持病を苦に亡くなったという人もいて。どのような悩みや動機があったのかはわからず、10代の少年が家族を失った後に亡くなってしまったという事実だけがありました。災害に関連していないのかもしれませんが、震災から数ヶ月後に、少年が行方不明になって遺体で発見されたのなら、周りの人は慎重に検証しなければいけない。彼のような少年は、今後の震災でも出てくる可能性がある。彼の死を検証する必要があると思って調べていくうちに「災害関連死」という問題に出会ったのです。その少年の死はいちばん印象に残っていますね。
西村)実際に「災害関連死」として認められなかった人もいるのですか。
山川)何人か知っています。家族が災害後に体調が悪化したり、生活環境の変化が原因で亡くなってしまったりした申請者は、助けてあげられなかったという後悔を持っている人が多いです。だからこそ、大切な人の死は災害が原因だと証明したくて申請する。でも認定されずに納得できないという人にたくさんお目にかかりました。
西村)認められなかった事例を教えてください。
山川)基礎疾患がある人は自己管理が足りないのでは、という議事録があることも。体重が平均より重く、高血圧で基礎疾患持ちの50代の男性が亡くなったときは認められませんでした。その後、奥さまが納得できないと行政を訴えて裁判になり、裁判の結果、関連性なしの判定がくつがえって、その男性は「災害関連死」が認められました。
西村)本の中に書かれていた陸前高田市の川澄優さんの事例ですね。
山川)川澄さんは、健康に生活をしていて、夫婦でリサイクルショップを営んでいましたが、津波で店が流されてしまった。陸前高田市では、仮設商店街を建設する予定があったのですが、なかなか建設が進まず、川澄さんは焦りを覚えていました。娘さんが学齢期だったこともあり、すぐに事業を再開するべく、重機の免許を取って、本来行政がすべき工事を自らやろうとしていました。復興に前向きで、焦りもあったのだと思います。そのような状況で体調を崩してしまいました。
西村)大きな病気になったのですか。
山川)震災から8ヶ月後の11月に胸に強い痛みを覚え、心筋梗塞という診断を受け手術を受けました。亡くなったのは、その1ヶ月後の12月だったと思います。
西村)なぜ、川澄さんは「災害関連死」と認められるまでに時間がかかったのでしょうか。
山川)議事録を見ると、自己管理ができてない、災害後に薬を飲むのを怠ったとあります。いわば自己責任論。災害は一つの要因として挙げられていて、ストレスはみんなにあると。心筋梗塞とストレスとの因果関係は、循環器系の医師に聞かなければ判定できないなどという議事録が延々と続くんです。人の死を判断するという切実や真剣さが感じられない議事録。僕も非常に憤りを覚えました。遺族にとっては大変な憤りだったのではないかと想像します。
西村)「災害関連死」を認定するには、たくさんの課題があるのですね。
山川)申請主義という問題があります。申請しなければ「災害関連死」は認められません。「災害関連死」は、検証することで、次の災害で「災害関連死」を減らすための対策や支援についてのヒントを得ることができます。たくさんの事例を収集して、亡くなった原因の調査や検証をすることが非常に重要だと思います。その中で、ハードルとなっているのが申請主義。自分の家族が「災害関連死」と思っていない遺族もいますし、制度を知らない遺族もいます。
仮設住宅で亡くなったケースも申請しなければいけないんです。避難中に亡くなっているのに。せめて避難所や仮設住宅で亡くなった場合は、行政や専門団体が「災害関連死」の調査を遺族に呼びかける配慮があってもいいのではと思います。
西村)当たり前にやっていることだと思っていました。
山川)少なくとも東日本大震災ではそのような支援はありませんでした。個人的な訪問ケアや見守りの看護師によるアドバイスはあったかもしれませんが。
西村)山川さんの著書「最期の声 ドキュメント災害関連死」。なぜこのタイトルにしたのでしょうか。
山川)震災直後から陸前高田市で被災者の法的なサポートをしていた弁護士・在間文康さんが「災害関連死」は、被災した人たちの"最期の声"だと話してくれたんです。それが非常に印象に残っていてタイトルにしました。
取材する中で「自然災害はみんなが苦しいのだから自力で生活再建しなければならない」「高齢者は体が弱いから災害で死んでも当たり前で補償するのはおかしい」という自己責任論は根強くあると感じました。特に「災害関連死」には。
亡くなった人は社会を良くしよう、次の災害に備えようと思って死んでいるわけではない。とても無念だったと思います。その無念を生き残っている僕らがどのように受け止めるのかが問われていると思います。それは僕たち一人一人、社会の問題だと感じました。
西村)貴重なお話をどうもありがとうございました。
きょうは「最期の声 ドキュメント災害関連死」の著者、ノンフィクションライターの山川徹さんにお話を伺いました。