ゲスト:東北大学大学院工学研究科 成田峻之輔さん
西村)津波警報や津波注意報が出たときにどこに避難すれば良いのか。あらかじめ市町村が指定している避難場所や津波避難ビルはありますが、旅行先など土地勘のない場所で即座に避難することはできるのでしょうか。
きょうは、津波発生時にアドバルーンを使って避難先を伝えるという「津波バルーンプロジェクト」についてお伝えします。
ゲストはこのプロジェクトの考案者で、東北大学大学院で津波工学を専攻している成田峻之輔さん(23)です。
成田)よろしくお願いいたします。
西村)「津波バルーンプロジェクト」、とてもユニークなアイディアですね。プロジェクトのきっかけについて教えてください。
成田)去年のゴールデンウィークに友達と神奈川県・鎌倉市を観光したときに、津波避難ビルの場所がわからないと感じたんです。鎌倉市は、最短8分で津波が到達すると予想されている地域です。大学で津波避難行動を研究しているにもかかわらず、ここでもし避難する状況に置かれたら、自分は適切な行動が取れないかも...と思ったことがきっかけでした。
西村)津波避難ビルを示す看板は見つけられなかったのですか。
成田)津波避難ビルの看板は近くまで行けば見つけられるのですが、海側から陸側を見たときにどこに逃げたら良いのかがわからなくて。景観の問題で高い建物があまりないので、どこが避難先なのかわかりづらいと感じました。
西村)家の近所だったら、日頃から津波避難ビルの看板を目にしているので、逃げる場所がわかりますが、旅行先は気にしていないことが多いかもしれませんね。高い建物がないということも観光地にはよくあること。そこで、津波発生時の避難場所を教えるために、アドバルーンをあげることを思いついたのですか。
成田)津波避難ビルに指定されている建物が視覚的にわかる目印が高いところにあると良いと思っていたんです。昔、ショッピングモールによくあがっていたアドバルーンが使えると思って考案に至りました。
西村)最近はあまり見なくなりましたが、幼い頃、近所のショッピングセンターがオープンしたときに「グランドオープン」と掲げられていましたね。丸い気球の下に文字が書かれた垂れ幕が下げられていて。アドバルーンを津波避難の場所として示すことを思いついたきっかけはほかにもありますか。
成田)思いついたときは、アドバルーンという言葉すら出てきませんでした。「大きい風船 ショッピングモール」で検索して(笑)。
西村)現代版「稲むらの火」のようですね。「稲むらの火」というお話は、1854年の安政南海地震による大津波が和歌山県の広川町を襲ったとき、濱口梧陵という男性が稲藁を積み上げた稲むらに火をつけて、村人を安全な高台へ導いたという実話です。避難先を示すものが稲村の火のお話では、火だったのですが、成田さんはアドバルーンを目印にしようと思ったのですね。どのようなタイミングでどのようにアドバルーンを上げるのですか。
成田)今考えているのは、津波警報や津波注意報を受信したら自動で掲揚できるシステムです。手動でやるのは危ないので。
西村)人も避難しないといけませんしね。
成田)緊急性が高い災害なので、すぐに逃げられるようにしなければなりません。自動で早くあげなければ避難の誘導としての効果は大きくならないと思います。
西村)今はまだそのような仕組みができていないのですね。
成田)わたしは大学院生なので、学生の研究としてアドバルーンがどの範囲から見られるのかなどの検証はできるのですが、システムを導入するための知識はありません。実現させる方法を考えなければと思っています。
西村)このプロジェクトは、どこまで進んでいるのですか。
成田)先月、仙台市沿岸部の商業施設でアドバルーンをあげて、施設の来訪者や従業員に見えた範囲についてアンケートをとりました。アドバルーンがどの範囲でどれぐらいの人の誘導に使えるのかという検証をしたんです。さらに鎌倉市を再現したVR空間の中でも、アドバルーンの有無でどれくらい避難時間が変わるのかという検証をこれからする予定です。
西村)VR!今どきの検証方法ですね。仙台で先月行われた実証実験では、アドバルーンの下の垂れ幕に何と書いたのですか。
成田)「つなみぼうさいじっけん」と表記したものを垂れ下げて実験をしました。今回実験した場所が仙台市から正式に津波避難ビルに指定されていない建物だったので、周辺に誤解を与えないように。文字の視認性とアドバルーンそのものがどこから見えたかという2つにしぼって、アンケートを実施しました。
西村)全部ひらがなで書いたのはなぜですか。
成田)避難する人は漢字の読めない小さな子どもや外国人である可能性もあるからです。よくテレビでも津波警報が出たら「つなみにげて!」と漢字ではなくひらがなで書いてあることが多いですよね。
西村)アドバルーンを目にした人はどんな反応でしたか。
成田)「何かイベントがあるのかな?」と思ってワクワクしたという声がありました。本来の趣旨とは違うのですが。
西村)注目するきっかけにはなりますね。
成田)アドバルーンそのものが目立つ広告媒体なので、多くの人が目にすることができます。子どもたちにとってはあまり見たことのない珍しいものなので、人気があったと親御さんのアンケートにありました。
西村)注目させるという成田さんの趣旨は伝わっていますね。文字を読むことができた範囲はどれくらいでしたか。
成田)まだ分析中なのですが、掲揚地点から約500m~1kmで半数以上の人が気づくことがわかりました。遠くなるにつれて気づく人は少なくなります。文字はあまり読むことができなかったようです。ヘリウムガスの浮力で、どれくらいの重さのものを持ち上げることができると思いますか?
西村)気球はどれぐらいの大きさですか?
成田)直径約2.2mです。
西村)想像つかないのですが...3kgぐらいでしょうか。
成田)近いです。気球の浮力であげられる重さは、約3~5kgです。垂れ幕をできるだけ大きくしたいのですが、浮力に収まるように設計をしなければなりません。垂れ幕なので風の角度によっては垂直になると文字が見なくなってしまいます。
西村)くるくる回ることもありそう。正面に文字がくるとは限らないですよね。
成田)高くあげればあげるほど文字も読みやすいかと思ったのですが、予測とは逆でした。高くあげると地面からの距離は長くなる。今回の実験場所は、多くの人が車で来る施設だったので高すぎると車窓から外れてしまうんです。高ければ高いほど良いというわけではないことがわかりました。
西村)車社会の地域ならではかもしれませんね。
成田)徒歩だと視界も異なるので変わってくるかもしれません。
西村)垂れ幕の文字のフォントや色など工夫しなければいけないところがありそうですね。
成田)垂れ幕ではなく、バルーンそのものに標識をピクトグラムで示すのも一つ方法だと思います。アドバルーンがあがっている場所が緊急時の避難場所ということが事前に周知できていれば、垂れ幕の文字で情報を伝えなくても誘導はできます。実装するのなら、事前の周知と併せてやることが必要ですね。
西村)今後の「津波バルーンプロジェクト」の目標はありますか。
成田)「津波バルーンプロジェクト」は産官学連携でやっていく必要があります。産官学とは、企業・学術・行政のことです。わたしは学生として研究はできますが、自動化するスキルやお金はもっていません。行政が導入する流れにならないと実装段階には進まないと思います。産官学連携で実装に向けて動けていけたらと思いますね。
西村)自動的にアドバルーンをあげる装置を開発してくれる会社はあるのですか。
成田)今はないのですが、将来的には技術者と行政とともに実現を目指しています。今回の実験は、仙台市にサポートしてもらっています。支援がもっと広がって実装に向けて進むことができたらと。
西村)このプロジェクトを通じて伝えたいことはありますか。
成田)「震災から何年~」とよくいわれますが、今は震災前と捉えた方が良いと思っています。震災後にやっておいてよかったと思えるように、震災前に備えておくことが大事。
西村)被災すると余裕もなくなりますからね。成田さんのように日頃から「被災したら自分はどう行動すべきか」を考えて、新たな備えを探していくことは大切なことですね。このアドバルーンを平時に活用する方法はありますか。
成田)アドバルーンを緊急時だけ使うのはもったいない。広告媒体として、地元企業や観光地の土産の宣伝ができたら普段使いができると思います。これを「ついで防災」と呼んでいます。「何かのついでに防災をする」「防災のついでに何かをする」というふうに防災のためだけの防災にしないことが大切です。
西村)日常に結び付けていくことが大切なのですね。
きょうは、津波バルーンプロジェクトについて、東北大学大学院で津波工学を専攻している成田峻之輔さんにお話を伺いました。