ゲスト:「まるっと西日本」代表世話人 古部真由美さん
西村)福島第一原発の事故から10年が経とうとしています。福島県によると、約3万6000人が県内外へ避難しています。近畿だけでも1100人以上。福島県以外から避難している人も入れるともっと多くなります。この人たちは今、どんな生活を送っているのでしょうか。
きょうは、関西への避難所を支援する団体「まるっと西日本」代表世話人 古部真弓さんにお話を伺います。
古部)よろしくお願いいたします。
西村)古部さんご自身も避難者でいらっしゃるんですよね。
古部)茨城県つくば市から大阪に母子で避難してきました。
西村)その当時お子さんは、おいくつだったのですか。
古部)当時は小学2年生でした。
西村)「まるっと西日本」はどんな団体なのでしょうか?
古部)関西に広域避難してきた人をサポートするために、2011年に立ち上げたボランティア団体です。避難者交流会を実施したり、相談窓口を作ったりして活動しています。関西2府4県に広域避難してきた人に情報支援として、自治体を通じて情報誌を無料で配布しています。
西村)私の手元にあるのですが、カラーでとても見やすくて、すごく温かみを感じる冊子ですね。「まるっと西日本」は、この10年でたくさん避難者のみなさんとお話をされていると思うのですが、相談内容は変化していますか?
古部)最初は、住まいや体調についての相談が多かったのですが、公営住宅などに入ったあとは、自治体が次々に出す支援策や住宅支援の期限についての問い合わせが多くなります。次第に公的な支援が終わっていく中で、体調や PTSDの症状、お子さんについての相談も増えていきます。
西村)避難が長期化する中で、不安に感じることも変わっていくのですね。お子さんについての相談とは、具体的にどんなものがあるのでしょうか?
古部)お子さんの不登校やPTSDの症状についての相談が多いです。
西村)PTSDとはどのような症状なのでしょうか。
古部)多いのは、眠りが浅い、眠れないなどの不眠、学校に行く気がしない、友達と遊ぶ気がしない、やる気がおこらないなどです。被災地ではよく不活発病が増えるといいますが、それは県外に避難した人にも当てはまります。
西村)被災して大きなショックをうけて、見知らぬ土地にお母さんとお子さんだけで避難すると、生活が大変な中で、さまざまな不安があるのでしょうね。
古部)家族構成の変化が影響します。災害後の転居、お子さんの転校に伴って、親しい友達や祖父母や親戚との別れがあり、母子避難というケースも多いので、父親との別居という例も。世帯が分離しやすくなります。
家族構成が突然変わってしまうことによって、家族の役割も変わります。今まではいろんな人がお子さんを見ていたのに、お母さん1人で、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんの役割をすることに。友達の役割までお母さんがすることになります。一気にお母さんの負担が増えるんです。
お子さんにもリロケーションダメージがあります。東日本大震災は広範囲で起きた複合災害で、全国にみなし仮設ができたことで、遠方の親戚や知人を頼って避難する人が増えました。避難先は、大人同士は関係性があっても、子どもにとっては新天地。子どもは転校して生活を再建していくことになります。転校は子供にとっては精神的な負担になります。1回の転校なら良いのですが、私が相談に乗るお子さんは、2~3回転校しています。広域避難している人は、どこに避難したらいいのか、どの情報が正確なのかがわからなかったのです。
西村)原発の影響が恐ろしいから、なるべく遠くに避難しようとしたのですね。
古部)支援状況は、2011年にどんどん拡大していったのですが、福島の人はすごく翻弄されました。それに伴ってお子さんも一緒に避難するので、転校の回数は多くなってしまします。
西村)支援が拡大するというのは、いいことだと思ったんですけど、翻弄されたのですね。
古部)関西の自治体は、最初は強制避難の人だけを受け入れていたのですが、次第に福島や全域から避難者を受け入れるように。災害救助法の発表が変わっていきました。
西村)避難には、強制避難と自主避難があって。自主避難とは、避難指示区域以外から避難することですよね。
古部)福島県だけではなく、近隣の宮城県、福島県の風下の茨城県、栃木県、千葉県から避難する人もいます。
西村)母子避難で、お母さんはただでさえ子育てが大変なのに、ご自身も働き、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お友達などいろんな役割を担うということは、心の不安が募りますよね。
古部)災害後は失業する人が多くなり家庭内の収入が減ると、親の労働時間が増えて、子どもとの時間は減り、子どもも不安になってしまいます。お父さんとお母さんの仕事がすぐに安定すればいいのですが、私が相談に乗っている人の中には、転職回数が5回~という人もたくさんいます。
西村)去年、関西学院大学災害復興制度研究所が、原発事故避難者の全国調査を行って700人が回答を寄せました。そのデータによると、年収が300万円未満の家庭が4割。原発事故前と事故後の職業を聞くと、無職や非正規雇用が1. 5倍に増えているということです。
根本に、経済的に苦しいという悩みがあるから、よりお母さんの心身の負担は大きくなっているのですね。この10年で、経済的な問題もどんどん深刻になっているのでしょうか?
古部)非正規で働く人が多いので、コロナの影響もあって、雇い止めや出勤日数が減るという相談も増えています。
西村)生活を支えていく上で、家賃の問題というのが大きいと思います。2011年に自主避難者への住宅無償提供が打ち切られたという影響は大きかったですよね。
古部)住宅の支援とともに、その他の支援も一緒に終わっていくので、避難者は、突然何もかもなくなった感じを受けると思います。住宅支援は、みなし仮設という扱いなので、つまり仮設住宅。被災地なら、災害復興住宅に移る人が多いのですが、広域避難の場合は、次は支援なしの自立ということに。住まいを失った後の、負担は大きくなります。
西村)もともと住んでいたところの家の家賃とダブルで払うことになりますね。
古部)家を手放してしまう人もいます。壊れた家のローンを払いながら避難先の家賃を払う人も。
西村)実際に古部さんが相談に乗ったお話を聞かせてください。
古部)福島県から関西に避難した40代の女性(子ども3人)は、住宅支援終了後、3人の子どもを育てるために稼ごうと、仕事を増やしたのですが、過労で体を壊して仕事に行けなくなってしまって。この女性以外にもダブルワーク、トリプルワークをする例もありました。中には、過労で身体を壊し、仕事に行けなくなり、家事もできなくなった人もいらっしゃいました。
西村)旦那さんとのつながりはどうだったのでしょうか。
古部)ご主人に「戻ってこないなら俺の子ではない」と言われたり。これは、日常的に聞く言葉なんです。これを言われた女性は結構多くて。
西村)そんなことを言われたら、本当にショックですよね。
古部)一番つらいのは、お子さんだと思うんです。避難しただけで、お父さんから「自分の子ではない」と言われるわけですから。原発事故で、避難はマイナスイメージがつきまといますが、もっとポジティブなイメージであってほしいと思います。
西村)違う場所で安心して暮らせるという。
古部)そんなふうに捉えてほしいと思います。再建は、必ずしも被災地だけではなく、どこでしてもいいと思うんです。仮設住宅を被災地に建てるよりは、空き住居をみなし仮設化しようという話が、東日本大震災をきっかけに増えていっているんです。そうすると被災地以外で再建していくスタイルが増えていく。
「ここから出て行くなら俺の子ではない」と言うのではなく、「そっちでも頑張って。応援しているよ」と励ましがあればと。
再建のスタイルは一つではないということが浸透していけばいいと思います。
西村)誰にも相談できず、孤立してしまっている人もいるのでは。
古部)相談というのは、すごくハードルが高いものだと思っています。私は、災害支援はアウトリーチでなければならないと思っています。交流会で相談って難しいですよね。不登校、やる気が出ない、眠れないとか...それを他人の前で語るのは、すごく難しいこと。災害後のいろんな悩みを語ろうと思ったら、ほかの人がいないところで、打ち明けてくれる人がたくさんいます。できるだけ一人一人に寄り添いたいといつも思っています。
西村)コロナの影響で仕事の変化もあり、心の問題も深刻になっているのだなと、改めて感じます。今、避難先で苦労している人に対して、どんなサポートが必要だと思いますか。
古部)人の暮らしの復興は、建物の復興とは違って、建てたら終わりではなく、心を取り戻していくのに長い時間がかかると思うんです。暮らしの再建の中で、福祉的な視点も求められていると思います。喪失、悲しみ、生業や生きがいを失ったり、健康を失った人も。こうした感情を秘めたまま、予想していなかった全く別の人生を歩むことを余儀なくされるのが、災害からの暮らしの復興や心の復興。その道のりは、全く容易ではなく、困難な再建だといつも感じています。
西村)福祉的な支援が一番大切だと思うのは、どんなシーンでしょうか。
古部)災害支援と福祉支援が結びついてないような気がするんです。例えば、住宅支援が終わったときに、高齢者なら介護制度に繋げていく。ほかには、子ども福祉や自立支援窓口に繋いでいくなど。公的な支援が終わったら、一歩先に自治体やボランティアさんと一緒にその繋ぎをやっていくことが必要だと思います。
西村)経済的な支援が欲しい人の中には、生活保護を受けている人もいらっしゃるのですか。
古部)生活保護の申請に同行することはよくあります。なかなか行きづらいという人も多いのですが、心中や自死を選ぶことにならないように、一緒に行きましょうと声をかけています。
西村)自らの命を絶つことまで考えてしまうほど、つらい状況もあるのですね。
古部)とにかくいろんな制度を使いこなして、再建の道のりをその人なりのスピードで、ゆっくり歩いて行ってほしいです。
「いいんだよ」と伝えたいと思っています。
西村)「いいんだよ」って本当に優しくて大切な言葉ですね。一緒に歩んでいく人の存在って本当に大きいと思います。
古部)「元気にしてる?」と電話をかけるだけで、「実は最近こういうことを聞きたいと思っていた」という風にお話いただけるんです。関西に避難している人が元気に過ごせるように、これからも応援したいと思います。
西村)きょうは、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。関西への避難所を支援する団体「まるっと西日本」代表世話人 古部真弓さんにお話を伺いました。