ゲスト:CODE 海外災害援助市民センター 山村太一さん
やさしや足湯隊 兵庫県立大学大学院1年生 南太賀さん
西村)元日に発生した能登半島地震の被災地で"足湯ボランティア"をしている「やさしや足湯隊」。これまでに延べ62人が現地で活動を続けています。
きょうは、「やさしや足湯隊」として活動しているCODE海外災害援助市民センター 山村太一さん(23)と、兵庫県立大学大学院1年生で防災を学んでいる南太賀さん(23)にスタジオに来ていただきました。
山村・南)よろしくお願いいたします。
西村)「やさしや足湯隊」はいつ頃できたのですか。
山村)足湯ボランティアは、CODE海外災害援助市民センター代表の吉椿が阪神・淡路大震災のときに始めました。新潟中越地震、東日本大震災、2007年の能登半島地震のときも活動し、そこから広がって、全国のさまざまな団体が足湯ボランティアをしています。「やさしや足湯隊」は、1月下旬に募集をかけ、発災1ヶ月後の2月上旬に現地に行きました。
西村)山村さんは、以前の災害でも足湯ボランティアに参加したことがあるのですか。
山村)僕は今回、初めて参加しました。右も左もわからないまま、事務局長に教えてもらいながら始めました。
西村)現在は何人が登録しているのですか。
山村)現在、LINEグループで148人が登録しています。
西村)「やさしや足湯隊」は神戸を拠点にしているとのこと。登録している人は神戸の人が中心ですか。
山村)神戸が拠点ですが、実際に現地に行く人は東京からだったり九州からだったりさまざま。SNSや大学の先生の紹介でつながった人に「やさしや足湯隊」のLINEグループに登録してもらっています。
西村)能登半島の被災地に行って活動するのは、1回あたり何人ぐらいですか。
山村)5~10人です。
西村)足湯隊の名前なのですが、「やさしさ」ではなく、「やさしや」なんですね!
山村)足湯隊の名前を考えるときに、すごく悩みました。能登には、「能登はやさしや土までも」という言葉があります。"能登は土までも優しい"という意味です。地震が起こる前の年に、CODEが支援しているお祭りに初めて参加させてもらったことがあったのですが、そのとき、よそ者の僕を能登の人たちが温かく受け入れてくれたんです。それがきっかけで「能登はやさしや土までも」という言葉を知って、この名前をつけました。
西村)おふたりはこれまでに何度も能登に行っているということなのですが、直近ではいつ頃行きましたか。
山村)4月末のゴールデンウィークの最初の3連休です。3泊4日で活動しました。
西村)南さんも一緒ですか。
南)はい。山村さんと同じ日程で、僕も初めて足湯ボランティアに参加しました。
西村)参加者は、どんな手段で現地に入るのですか。
山村)関西では、社会人のドライバーボランティアに運転してもらって車で向かいます。関東勢は金沢で合流します。みんなで七尾市中島町小牧の拠点に寝泊まりしています。
西村)拠点には、寝泊まりできるスペースもあるのですね。
山村)拠点までは、車、電車、バスなどさまざまな手段で向かいます。
西村)食事はどうしているのですか。
山村)現地で何でも買えます。コンビニもスーパーも開いているので、食事に困ることはありません。
西村)滞在費はどうしているのですか。
山村)食費はすべて実費。交通費はこちらが半額負担をしています。
西村)具体的にはどんな場所でどんな活動をしているのですか。
山村)足湯ボランティアだけをする活動と思われがちなのですが、ほかにも被災家屋を片付けたり、思い出の品を探したり...と活動内容は多岐に渡ります。午前はお手伝いをして、午後に足湯ボランティアをしています。活動場所は、珠洲、輪島、七尾など能登全域です。
西村)学校の体育館などで行うのですか。
山村)学校の体育館や小さな自主避難所などです。音楽教室やガソリンスタンドで足湯ボランティアをしたこともあります。
西村)桶にお湯を張って、椅子に座ってもらって、お話を聞くのですか。
山村)はい。どこでもできるのが足湯の良いところです。お湯を沸かすだけで良いので。足湯用のバケツに足を入れてもらって、僕たちは手をさすりながらお話を聞きます。
西村)南さんは、今まで足湯ボランティアをしたことはあったんですか。
南)今回が初めてでした。
西村)行くまでに何か不安なことはありましたか。
南)特に不安はなかったのですが、少し緊張しました。でもいざやってみると、いろいろお話ができて良い経験になりました。
西村)わたしは、マッサージをやったことがないので、マッサージしながら話を聞くのは、どんなふうにしたら良いのか戸惑いそうです。
山村)学生さんに、「被災者に聞いてはいけないことはありますか」「やったらダメなことはありますか」とよく聞かれます。僕は「基本的に聞いたらダメなことはない」と答えています。相手は被災者ですが、3~4ヶ月ぐらい前までは被災者ではなかったわけです。足湯の良いところは、支援者と被災者という関係ではなくて、人としてつながれるということ。素直な気持ちでおじいちゃんやおばあちゃん、子どもたちと話したら、喜んでもらえるし、逆にこちら側が元気をもらえることもあります。不安に思わないで、ナチュラルな気持ちで足湯ボランティアに参加してほしいです。
西村)マッサージのやり方は教えてもらえるのですか。
山村)初日に足湯講習会を開いてやり方を教えます。
西村)被災者とどんな話をしましたか。山村さんが心に残ったエピソードがあれば紹介してください。
山村)印象に残っているのは...2月頭に足湯ボランティアをしたときに避難所で出会ったおばあちゃんです。これから仮設住宅の抽選が始まるという時期で、避難所には、災害復興公営住宅などさまざまな情報がホワイトボードに書かれていました。「これから仮設住宅に移れそうでよかったですね」と僕が言うと、おばあちゃんは、「もうそんなに長くないから、ここ(避難所)でいいわ。次(仮設住宅)に移らなくてもいいわ」と言っていて。僕たちが目指す復興と、おじいちゃんやおばあちゃんが目指す復興は全然ベクトルが違うと感じました。これから限界集落が広がる中で、能登の人たちにとっての本当の復興とは何か。仮設住宅を建てただけで終わりで良いのかと感じた瞬間でした。
西村)その後、おばあちゃんとは会いましたか。
山村)それっきり会っていなくて。今どうしてるのかなと思っています...。
西村)被災者は、最初からそのようにいろいろな話をしてくれるのですか。
山村)他愛のない話だけで終わってしまうときもあります。僕たちが話を求めることではないので、他愛のない話の中から出てくるつぶやきが大事だと思っています。こちら側から「被災してどうでしたか?」とはあまり聞かないですね。
西村)他愛のない話をして仲良くなったからこそ、心を開いてもらえるのですね。
南)僕も足湯ボランティアで印象に残っている人がいます。避難所で生活をしている80代ぐらいの女性です。その人は、「さっきまで畑にフキを取りに行っていて、服がすごく汚れてるんだよね」と最初は、他愛のない話をしていたんですけど、途中から声のトーンが変わって、1月1日の話をしてくれました。「津波が来るから山に急いで避難して大変だったよ」と、聞かせてくれました。
西村)その話を聞いてどう思いましたか。
南)実際に対面で聞くことで、大変な出来事があって辛かったことを受け止めることができました。足湯を介して話をすることで、その人の心のケアにつながったら良いなと思いました。
西村)町の変化やライフラインなど、現在の被災地のようすについて教えてください。
山村)1月に比べれば、道はかなり良くなっています。ときどき車がパンクするときもありますが、国道はそこまで気をつけなくても走れる状況になっています。ただ景色は変わっていません。被災後のままです。特に珠洲市は人も歩いていなくて、忘れられたような雰囲気があります。
西村)仮設住宅に入っている人もいると思いますが、被災者のつぶやきやニーズに変化はありますか。
山村)変わってきつつあります。行政の指定避難所とは別に自主避難所もたくさんあったのですが、「仮設住宅より自主避難所の方が、居心地が良かった」「自主避難所が俺の家」と言う人もいました。「自主避難所の方がみんなと一緒に住めて楽しかった」「仮設住宅に移動するのは寂しい」という声もあります。その人たちにとっては、自主避難所は仮設住宅よりも居心地がよかったのだなと。足湯していく中でいろいろな想いに気づきました。
西村)南さんは今後も参加しますか。
南)6月中にも参加する予定です。
西村)わたしたちやリスナーもボランティアに参加することはできますか。
山村)6月に3回行く予定です。1~2回目は人数が多くなってきていますが、6月21~23日は人数が足りていません。ぜひ来てください。
西村)ドライバーのボランティアもあるとのこと。参加してみたいと思った人は、CODEのホームページや「やさしや足湯隊」で検索してみてください。現地に行きたい気持ちはあるけど参加できないという人は、どうしたら良いですか。
山村)「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングをしています。集まった支援金は、学生の交通費や現地での活動費に充てさせていただきます。6月30日まで募集していますので是非よろしくお願いします!
西村)きょうは、「やさしや足湯隊」として、能登の被災地に行って活動している山村太一さんと南太賀さんにお話を伺いました。