第1390回「石川県能登地方の地震から1か月」
オンライン:空飛ぶ捜索医療団ARROWS 看護師 新谷絢子さん

西村)石川県・珠洲市で震度6強を観測した地震から1ヶ月。700棟を超える住宅が被害を受け、その後も余震とみられる地震が続いています。
きょうは、今の状況と必要な支援について、発生直後から現地で支援活動を行う、空飛ぶ捜索医療団ARROWS 看護師の新谷(しんがい)絢子さんに話を伺います。
 
新谷)よろしくお願いいたします。
 
西村)空飛ぶ捜索医療団ARROWSは、どのような団体ですか。
 
新谷)空飛ぶ捜索医療団ARROWSは、わたしが所属している特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパンで行われている災害緊急支援プロジェクトの名前です。これは、大規模災害が起きたときに被災地にいち早く駆けつけて、救助・救命活動を行う、医療を軸としたプロジェクトです。2019年から活動していて、全国各地の災害が起きた場所へ行って支援をしています。
 
西村)空飛ぶ捜索医療団という名の通り、空を飛んで被災地に駆けつけるのですか。
 
新谷)陸路で移動する場合もありますが、大規模災害の場合は、陸路が寸断されて時間を要することもあります。団体が保有している航空機やヘリコプターを活用して、できるだけ早く現地に駆けつけ、すぐに支援が展開できるように平時から準備しています。
 
西村)どんなメンバーで活動しているのですか。
 
新谷)医師、看護師、調整員、航海士などさまざまな職種の人がいます。
 
西村)陸路が寸断されて移動できない場合も空から駆けつけることができるとは、心強いですね。活動拠点はどこですか。
 
新谷)ピースウィンズ・ジャパンの本部は広島県・神石高原町にあります。東京・佐賀、世界各国にも事務所があります。
 
西村)新谷さんはどこにいるのですか。
 
新谷)平時は、広島県・神石高原町の本部で働いています。
 
西村)空飛ぶ捜索医療団ARROWSは、石川県能登地方の地震で、今も現地で支援しているとのこと。能登地方にはいつごろ入ったのですか。
 
新谷)発災した翌日の5月6日に広島から空路で現地入りしました。到着したのは、5月6日の昼ぐらいでした。
 
西村)どんな職種の人が何人ぐらいで活動したのですか。
 
新谷)医師1人、調整員2人、看護師1人、パイロット1人です。先に別の地域で活動していたチームと合流し、約10人で活動していました。
 
西村)空から見た現地の様子はいかがでしたか。
 
新谷)空から見る限りでは、明らかな地震の被害は確認できなかったのですが、現地に近づくにつれ、家屋が倒れているところを多く見かけました。
 
西村)珠洲市では以前から活動していたのですか。
 
新谷)今回が初めてです。
 
西村)珠洲市ではどんな活動をしていたのですか。
 
新谷)保健師がいる健康増進センターを尋ねて、今後の支援について話し合いをしました。現地で支援する地域の人と外部支援者などで構成された会議体を立ち上げ、サポートをしました。
 
西村)いわゆる対策本部ですね。そこからどんな活動をしていったのですか。
 
新谷)まずは運営のサポートです。災害時は場所や時期によって必要な支援が変わります。さまざまな外部支援が入ってくる中、人や物を適切な場所に届けるための調整をしています。
 
西村)たくさん人がいてもまず役割分担を決めなければ動くことができないので、とても大切な活動ですね。その後は、避難所の設営もしたのでしょうか。
 
新谷)地震発生当日は、公民館が避難所になっていました。あまり広くない場所に約70人の避難者がいて、入りきれずに車中泊した人も。正院小学校の体育館を避難所にするために、設営に関わりました。
 
西村)発災直後、街の様子はいかがでしたか。
 
新谷)発災翌日に現地に入り、その後数日かけて街の状況を見ました。正院地区など被害が大きい地域では、道に家が倒れてきていて、かなり被害が大きかったです。住める状況ではない家屋もいくつも目にしました。
 
西村)避難所に来ている人は高齢者が多かったですか。
 
新谷)ほとんどが高齢者でした。住宅が倒壊した人、全壊していないけれど、「余震が怖くて1人で眠れない」「不安で眠れない」という理由で、夜だけ避難所に来て寝泊まりをする人もいました。昼間より夜に避難所を利用する人が多かったですね。
 
西村)珠洲市は高齢者が多い地域ですか。
 
新谷)人口約1万2000人の地域で、その内約6500人が高齢者。高齢化率も51.4%と非常に高いです。
 
西村)避難所に来た人は多かったですか。
 
新谷)わたしが活動している2週間の間で多いときで20人くらい。徐々に減って5人くらいになりました。
 
西村)避難してきた人は、自分の意思で避難してきたのでしょうか。それとも誰かに誘われて避難してきたのでしょうか。
 
新谷)自分で車を運転してきた人や家族に連れてこられた人がいました。
 
西村)避難所を小学校に移したということでしたが、授業は大丈夫でしたか。
 
新谷)学校は教育の場なので、校長先生としても1日も早く元の教育の場として戻したいという気持ちもありながら、約1週間は地域のために避難所として提供していただきました。同時に、公民館に避難所の場所を移し、2週間は行ったり来たりしていました。
 
西村)小学校のどんな場所が避難所として使われたのですか。
 
新谷)体育館です。
 
西村)体育館に避難するとなると、寝るときに床が硬くて生活しづらかったのでは。
 
新谷)体育館はかなり底冷えしました。まずダンボールベッドやテントを組み立てて、プライベート空間を作りました。ダンボールベッドだけでは寒さをしのげないので、マットや毛布を追加して防寒対策をしました。
 
西村)高齢者が昼間は自宅に帰って、寝るときだけ避難所に来ていたという話がありましたが、自宅も大変な状況だったのでは。
 
新谷)実際に避難者の自宅に訪問し、家の中を見せてもらったのですが、天井の瓦が取れて光が差し込んでいる家、雨漏りしている家、柱が歪んでいる家もありました。「自宅を離れるのが心配」「片付けもあるし」と、昼間は自宅で過ごしている人が多かったです。
 
西村)どんなことが心配だったのでしょうか。
 
新谷)余震でさらに自宅が倒壊してしまうのでは...という不安です。
 
西村)避難所に来ることができなかった人もいましたか。
 
新谷)1人で避難ができない人や避難所があるのは知っているけど、いろんな人がいる環境で生活しづらいという人は、避難所を選ばずに自宅で生活していました。
 
西村)倒壊した家の危険度判定は行われたのでしょうか。
  
新谷)被害が酷かった正院地区は、応急危険度判定の張り紙が貼られていました。
 
西村)赤は、立ち入り禁止ということですか。
 
新谷)大きな被害がなくても、隣の家屋が倒れてきていて、次の余震がくると危険な場合は、赤の張り紙が貼られているところもあります。
 
西村)赤の危険度判定をされた人は、避難所に来ていましたか。
 
新谷)赤の張り紙が貼られた人でも昼夜ともに自宅で過ごしている人も多かったです。
 
西村)高齢者は、どんなことに困っていましたか。
 
新谷)「倒壊した家の再建について、誰にどんなふうに相談をしたら良いかわからない」という声がありました。被害状況を市役所に届けることで支援が受けられる「罹災証明」の手続きがわからない人がとても多かったです。
 
西村)5月20日に避難所が全て解消されたという報道が出ましたが、仮設住宅はできているのでしょうか。
 
新谷)仮設住宅は、現在建設中で6月中にはできると聞いています。
 
西村)これから必要な支援や課題について教えてください。
 
新谷)罹災証明の申請をどのように支援していくのかが今後の課題です。手続きが進まないことで支援が遅れ、支援が遅れることで、健康被害や孤立化が問題になる可能性があるので、サポートは重要です。仮設住宅に入った後の支援も必要。仮設住宅に入居して終わりではなく、新しい生活をする上でのコミュニティ作りや見守り支援も必要です。眠れていない人が多いという情報もあります。発災から1ヶ月たちますが、片付けや手続きが思うように進まず、今後に不安を感じている人が多いので、精神的なケアの重要性も高まっています。
 
西村)看護師だからこそ見えてくる、被災者の声をたくさん届けてもらいました。
きょうは、空飛ぶ捜索医療団ARROWS 看護師の新谷(しんがい)絢子さんに石川県珠洲市の様子について聞きました。