第1460回「地震、そして大雨~能登半島のいま」
オンライン:リブート珠洲 宮口智美さん

西村)元日の能登半島地震から9ヶ月が過ぎました。被災した人たちが新しい生活に踏み出そうとしていたところに先月の大雨で、能登地方は再び大きな被害を受けました。わたしは8月に取材して復興支援ツアーに参加しました。そのツアーを立ち上げ、ガイドをしてくれた珠洲市在住の宮口智美さんに、現在の能登のようすを聞きます。
 
宮口)よろしくお願いします。
 
西村)宮口さんは元日の地震で家が全壊して今は仮設住宅にいるとのこと。9月21日に大雨が降ったときは、どのような状況でしたか。
 
宮口)夜中からかなり激しい雨が降っていました。一瞬外に出ただけでびしょ濡れになりました。その日もツアーの予約があり、午前中にお客さんを案内していましたが、道がどんどん川のようになってきて。危険な状況だったので途中で中止しました。
 
西村)町はどのような状況でしたか。
 
宮口)信号も止まって、道路も海のようになって、車が前に進めずに渋滞していました。
 
西村)地域のみなさんが集まる場所はどんなようすでしたか。
 
宮口)コミュニティスペースがある元商店街は川のようになっていて、一部に泥水が入ってきました。
 
西村)わたしも案内してもらった「本町ステーション」ですね。元々お店だった場所を憩いの場にしているのですよね。
 
宮口)辺りの木造の建物は壊滅的な被害を受けましたが、鉄筋で無事だった建物をコミュニティスペースにして、春からオープンしています。
 
西村)わたしも8月に訪れたときに仮設住宅で1人暮らしをしているおばあちゃんとお茶を飲みながらお喋りをしました。みなさんが集まっている場所にも泥水が入ってきてしまったのですね...。
 
宮口)他の地域に比べて被害は少なかったのですが、浸水して機械が使えなくなった店もあり、稲刈り間近の田んぼも被害を受けました。
 
西村)宮口さんが住んでいる仮設住宅は大丈夫でしたか。
 
宮口)わたしは見附島近くの2階建ての仮設住宅に住んでいるのですが、浸水被害はなかったです。
 
西村)良かったです。電気や水道などのライフラインはどうなっていますか。
 
宮口)わたしが住んでいる宝立町は大丈夫ですが、珠洲市の中でも、大谷町など西側の地域が今も断水しています。電気も使えない中過ごしている人もいます。
 
西村)報道で見ましたが、大谷町では建物が浸水して、土砂で埋まって2階の屋根の部分だけが見えている家もありました。本当に大変な状況です。
 
宮口)孤立している集落に炊き出しのお手伝いに行ってきましたが、道路が通行止めになっていて、緊急車両のみ通行可という状況。道がまだまだ復旧していません。
 
西村)まだ一般の人たちは通行できない状況なのですね。電気はどうですか。
 
宮口)先日炊き出しに行った集落は、まだ電気が使えない状況が続いています。水道は復旧に2ヶ月ぐらいかかるそうです。
 
西村)珠洲市長が「水道は、11月末までの復旧を急ぐ」という考えを示しているようなので、もっと時間がかかってしまうかも知れません。1月の地震からずっと水道が使えない地域もあるのですか。
 
宮口)一度水が出ていた地域もありますが、今回の豪雨でまた水のない生活に戻ってしまったと思います。電気も復旧してないので、発電機を使ってたくましく生活しています。
 
西村)電気も水道も元日の地震直後の状態に戻ってしまったのですね。飲み水、風呂やトイレはどうしているのかすごく心配です。
 
宮口)風呂は車で30分以上かけて町まで出て、銭湯に入るしかありません。簡易シャワーを使っている人もいます。
 
西村)8月末までは避難所に自衛隊が設置した風呂がありました。今はないのですか。
 
宮口)8月末で撤退したのでありません。大谷町には元々自衛隊風呂がなかったので、町まで風呂に入りに行っていました。五右衛門風呂を作って入っていたこともあったそうですが、今回はそれもできない状況です。
 
西村)トイレはどうしているのですか。
 
宮口)畑で用を足したり、ダンボールに凝固剤を入れてつくった簡易トイレを利用したりしています。
 
西村)大きな被害を受けてしまったみなさんは、どのような気持ちで過ごしているのでしょうか。
 
宮口)大谷町の人々は、思いのほか元気で、できる範囲の生活をしている印象。でも心にダメージを受けていると思うので、今後もみなさんの心の支えが大事だと感じています。
 
西村)印象的な言葉や会話はありましたか。
 
宮口)支援物資を届けたときに、豆腐や納豆など、わたしたちが普段当たり前に食べているものが喜ばれたのが印象的でした。
 
西村)わたしが8月に珠洲市を訪れたとき、復興支援ツアーで仮設住宅入居者の刀祢春子さんを紹介してもらいました。刀祢春子さんは80代の元気なおばあちゃん。初対面にも笑顔で迎えてくれて、「暑いからスイカ一緒に食べよう」と、仮設住宅の入口で宮口さんと3人でスイカを食べながら、いろんなお話をしたことを思い出します。
 
宮口)昨日もコミュニティスペースに来ていました。浸水があったときは、家や車庫が気になって、膝の辺りまで水に浸かりながら見に来ていたそうです。息子さんが別の仕事で使っていた道具も水に浸かってしまったそうです。
 
西村)暮らしを立て直しているときに...心配です。仮設住宅は浸水したのですか。
 
宮口)刀祢さんがいた学校のグラウンドの仮設住宅は浸水被害を免れましたが、少し離れた宝立町の新しい仮設住宅は床下浸水になりました。入居2日後に被害にあったそうです。
 
西村)浸水した家に住んでいた人は今はどこで暮らしてるのですか。
 
宮口)幸い床下浸水だったので、穴を開けて排水して、すぐに入居したと聞いています。
 
西村)もっと大きな被害が出ている仮設住宅もあるのですか。
 
宮口)床上浸水したところもあります。
 
西村)また避難所に戻った人もいるのですか。
 
宮口)はい。仮設住宅から避難所に移動した人もいます。
 
西村)刀祢春子さんは、今回の豪雨の後どんなお話をしていましたか。
 
宮口)刀祢さんは、すごく明るい人なので、前向きな話をしています。
 
西村)復興支援ツアーは大雨の後も続けているのですか。
 
宮口)24日から再開をしました。今回の被害は局地的でした。わたしたちの住んでいる宝立町などは、被害はなかったのでツアーの案内をしています。
 
西村)復興支援ツアーはどんな思いで始めたのでしょうか。
 
宮口)わたしは、もともと道の駅の観光案内所で勤務していました。震災後、観光客が戻ってくるのかと、不安に思っている人が多く、今来てくれる人に珠洲のファンになってもらって、復旧後にまた来てほしいという想いからこのツアーを始めました。
 
西村)豪雨災害で被災地がさらに大変な状況になってしまったので、観光に行っていいのかと、思う人もいると思います。現地のみなさんの思いはいかがですか。
 
宮口)被害が大きかったところもあれば、小さかったところもあります。わたしたちとしては、とにかく現地を訪れて、物を買ったり、現地を見て、現状を外に伝えたりすることが支援の一つになると考えています。能登を知ってもらうことが大事です。
 
西村)わたしも今回のツアーに参加して、珠洲のファンになりました。実際に現地を訪れて実感したのが高齢化。泥かきなどの力仕事も必要なのではないですか。
 
宮口)泥かきなどの作業は、かなり人手が不足しています。30~40代の働き世代が減っているのでみなさんの力が必要です。
 
西村)泥かきができるほどの力がない人も役に立てますか。
 
宮口)泥かきなどの力仕事だけがボランティアではありません。先日、美味しいコーヒーとお菓子を持ってコミュニティスペースに来てくれた人がいました。お茶会を開いて、みなさんで会話できる場を提供してもらえると、わたしたちの心の支えになります。
 
西村)力がなくてもできることはあるのですね。
きょうは、珠洲市在住の宮口智美さんにお聞きしました。