第1436回「災害ボランティアのこれから」
ゲスト:大阪大学大学院 准教授 宮本匠さん

西村)阪神・淡路大震災が起こった1995年は「ボランティア元年」と言われ、その後の災害では多くのボランティアが活躍してきました。しかし、元日に発生した能登半島地震では、行政によるボランティアの統制や自粛ムードの是非が課題になりました。
きょうは、災害ボランティアのこれからについて、大阪大学大学院 准教授 宮本匠さんにお話を聞きます。
 
宮本)よろしくお願いいたします。
 
西村)宮本さんは今回の能登半島地震でのボランティアの動きをどのように見ていましたか。
 
宮本)被災地に行った人が口々に言うには、被災地がとても静かだということです。断水が続いて、二次避難した人が多かったことに加え、ボランティアの数が少ないことが要因です。これまでの被災地ではなかった形でボランティアが受け入れられているのです。
 
西村)どういうことでしょうか。
 
宮本)今回は、石川県が一元的にボランティアの事前登録を受け付けていて、石川県は被災地のニーズに応じた数のボランティアを派遣しています。これまではそれぞれの市町村にある災害ボランティアセンターを経由して活動していましたが、今回の窓口は石川県のみ。能登半島全体の1日当たりのボランティアの活動人数はたった約300人でした。めちゃくちゃ少ないですよね。今回の被害だといろいろな支援が全然追いついていないと思います。
 
西村)なぜこんなに少ないのでしょうか。
 
宮本)災害ボランティアセンターを経由して活動すると、ボランティアの数が限定的になってしまうのです。阪神・淡路大震災のときは、災害ボランティアセンターというものはありませんでした。
 
西村)だからみなさん、自由に活動していたのですね。阪神・淡路大震災のときは、おにぎりを配って歩いているおばちゃんがいたとか。
 
宮本)その人は、「お腹すいていませんか」とたずねる前に、もうおにぎりを持っているわけです。困っている人がいるに違いないと。何のツテもなく、被災地に行った人が避難所でお風呂を焚いているボランティアを手伝うこともありました。阪神・淡路大震災のときは、ニーズを聞き取ってから活動するのではなく、とにかくまず被災地に駆けつけて、自分に何ができるかを考えて活動していました。それから災害ボランティアセンターができて、2004年に一般化しました。
 
西村)新潟中越地震が起こった年ですね。
 
宮本)災害が多かった2004年に社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを設立。より多くのボランティアが効率的に被災地で活動できるように、事前にトレーニングや訓練をして、マニュアルを作りました。しかし、ニーズを待ってから動くスタイルなので、人数を超えた分は受付けられないんです。被災者からニーズが上がってこない要因はたくさんあります。多いのは「自分なんかよりもっと大変な人がいるから」という遠慮。知らない人に何かをお願いすることに抵抗がある人も。現在、能登の被災地に住みながら活動を続けている女子大学生の話があります。彼女は、ある避難所の朝ご飯の炊き出しを手伝っていました。1日目は、彼女が洗ったほうれん草をおばあちゃんがもう一度洗ったそうです。しかし次の日、彼女が洗ったほうれん草はそのまま使ってもらえた。
 
西村)心を許してもらえた感じがしますね!
 
宮本)その次の日は、おばあちゃんの家で1時間ぐらいお話を聞かせてもらって、その次の日は、おばあちゃんがいるときに本棚の片付けをして。それが今では、おばあちゃんいないときでもお手伝いをしているそうです。このようにボランティアは関係を作りながら活動するもの。「困っていませんか」「なにかありませんか」と聞いてもなかなか難しいものです。
 
西村)ボランティアの窓口が一つとなると、ボランティアの調整をするスタッフも大変ですよね。
 
宮本)日本社会は一元化が苦手。前提を共有しない別の組織や人と一緒に仕事をすることが、すごく苦手な社会です。このような社会では、ボランティアは、県や市町村、民間や地域でも行って、多様化・多元化する方が向いていると思うのです。
 
西村)今回、石川県の災害ボランティアセンターに登録する以外にも、いろいろな形で自主的にボランティアをしている人もいるのですか。
 
宮本)はい。たくさんのNGO、NPOなどいろいろな団体が、直後から拠点を作って独自にボランティアを受け入れて活動してます。
 
西村)そんな中、ボランティア同士のいざこざはあるのでしょうか。
 
宮本)地震直後は、被災地では深刻な渋滞が起きていて、「支援車両の妨げになるからボランティアに行くべきではない」というメッセージがSNSで飛び交いましたよね。能登半島全体が渋滞していたわけでも、24時間ずっと渋滞していたわけでもないのに。局所的に渋滞はありましたが全く動けない状況ではありませんでした。東日本大震災のときも渋滞がすごかったですが、「渋滞しているからボランティアに行くな」なんて聞いたことありません。渋滞は解決した方がいいけれど、それが支援しない理由にはならない。困った人がいたら、「何とか助けよう」「どうしたら助けられるだろう」と考えるのが普通です。
 
西村)もっとシンプルに考えたいですね。
 
宮本)このようなムードは、東日本大震災のときにも少しありました。この5~6年強くなっていると感じるのですが、この現象をわたしは、「見なかったことにする問題」と呼んでいます。日本社会は、どんどん余裕がなくなってきていて、誰かを助けようにも自分に余力がない人が多いのです。
 
西村)金銭的に余裕がない人もいますよね。
 
宮本)個人はもちろん、行政も人が減っていて、普段からギリギリの人数で回している状況。人を助けるために使える資源は減っていますが、災害は増える一方です。
 
西村)ここ最近の地震の多さにびっくりします。
 
宮本)やれることは少ないのに、課題は増えている。すると、「起こった問題を見なかったことにしよう」という考えになります。中途半端になるなら、「見なかったことにしよう」と思っても仕方ないと思います。そのようなムードが元々あるところに、「支援車両の妨げになるから~」というのは乗れる話で、支援できないことへ理由になりますよね。それも支援控え、自粛モードになっている一つの背景だと思います。
 
西村)でも、現地の被災者は今も困っていますよね。震災から3ヶ月以上経った能登は今、どんな状況なのでしょう。
 
宮本)仮設住宅に移った人もいますが、まだ避難生活をしている人もいます。瓦礫の片付けなど、なかなか復旧作業が進まないところも。目に見える変化があると気分も変わると思うのですが、なかなか風景が変わらない中、疲れが出ている人も多いと思います。気になるのは、能登半島を離れた人たちが、どこでどのように過ごしているのかということ。誰もフォローできていないと思うので心配です。
 
西村)どうしていったら良いのでしょう。
 
宮本)わたしは、「選択と集中」の反対の「包摂と分散」が大事だと思っています。「包摂」はいろいろなものを認めるということ。ボランティアなら、県のほかにNGO、自治会、町内会、学校のPTAでもいい。自分たちだけでやるのが難しければボランティア経験のある団体と協力し合って、受け入れ窓口を増やしていく。さまざまな形を認めることが包摂です。「分散」は文字通り、そのような場所を能登半島の中にたくさんつくること。直近では、この連休がポイントになると思います。現在、道路も仮復旧が進んでいて、渋滞は起きていません。この連休に「みんなで能登を支える」「能登のことを忘れてない」という空気を作っていくってことが大事。兵庫県は、5人以上のグループで連休中に活動する人たちの交通費を支援しています。さまざまなNGO、NPOがボランティアを受け入れて活動しているので、お手伝いしたいという気持ちがあって、お手伝いできる状況にある人は、情報を調べて、ぜひ連休に活動してください。
 
西村)ボランティアというと、「ボランティアセンターに登録して、がれきの撤去をする~」というイメージがありましたけど、ほかにもできることはいろいろあるのですね。
 
宮本)ボランティアは、ひとりひとりが専門家。被災地での活動経験がなくても、認知症のおばあちゃんと一緒に暮らしている人なら、「おばあちゃんは、昔やっていた針仕事をしたら表情が戻る」ということを知っているはず。避難所や仮設住宅にいるお年寄りに昔やっていたことをしてもらったら、元気になるかもしれないとわかります。ひとりひとりが持っている多様な経験、感性が被災地では活きます。「素人が行って良いの?」と思わずに。必ずみなさんに役割があります。あまり深刻に考えずにまずはボランティアに参加することです。
 
西村)避難所や仮設住宅に針仕事ができるものを持っていって、みんな一緒に何か作るのもいいですね。
 
宮本)能登のみなさんは、本当に不安な思いをしていると思います。「忘れられてない」と思えるのは、すごく大きいと思います。気持ちを支えることが一番大事だと思うので、お話を聞くだけ、そこにいるだけでも意味があると思います。
 
西村)まずは行ってみて、できることをやってみましょう。ゴールデンウィークに時間がある人は、いろいろな団体を調べてみてはいかがでしょうか。
きょうは、災害ボランティアのこれからについて、大阪大学大学院 准教授 宮本匠さんにお話しを伺いました。