第1475回「阪神・淡路大震災30年【4】~地震火災」
オンライン:元神戸市消防局長 鍵本敦さん

西村)阪神・淡路大震災の発生から17日で30年になります。当時、神戸市では大規模な火災が発生しました。地震が原因とみられる火災は285件にのぼり、119番が鳴り止むことはなかったそうです。なぜここまで大規模な火災が起きてしまったのか。震災当時、長田消防署に勤務していた元神戸市消防局長の鍵本敦さんにお聞きします。
 
鍵本)よろしくお願いいたします。
 
西村)もうすぐ阪神・淡路大震災の発生から30年になります。地震発生当時のことを教えてください。
 
鍵本)当時、神戸市消防局の長田消防署で勤務をしていました。32歳で消防指令になって2年目の年でした。1月16日の9時半から1月17日の9時半まで、24時間の当直勤務中に地震にあいました。朝5時頃に消防署の2階の仮眠室で、朝まで仮眠をとろうとゴロンと寝転んでいたときです。突然ドーンという衝撃音がして、消防署にトラックが突っ込んできたのかと思いました。その後、強烈な横揺れがあり、室内のロッカーがスーッと滑っていきました。大きな地震はほとんど経験したことがなかったので、震度7の揺れにど肝を抜かれました。
 
西村)すぐ外に出たのですか。
 
鍵本)地震の揺れが強烈だったので、建物の中にいるのは危険と判断。揺れが収まってから、部隊と一緒に消防車両で庁舎の外に出ました。
 
西村)そこにはどんな景色が広がっていましたか。
 
鍵本)真っ赤な炎が燃え盛っていました。約200平米が爆発したように燃えていました。普通の火災なら徐々に火が大きくなって、15分後くらいに外へ火が噴き出しますが、すぐに火があがっていました。最初は2ヶ所の現場に消防車を分散させ火を消そうとしましたが、信号も消えていて真っ暗でした。
 
西村)まだ明け方のことでしたものね。
 
鍵本)通常の火災現場は騒然となっているものですが、すごく静かでした。突然の地震で、みなさん着の身着のままに避難していました。何人か人は見えましたが、車も通っていなくて、町が死んでしまったようでした。火災現場の近くの女性が「お父さんが家の下敷きになっているので助けてください!」と言っていたのを覚えています。
 
西村)消防署には何件ぐらいの通報が来ましたか。
 
鍵本)取りきれないぐらいです。当時は118回線の電話を受ける体制を整えていましたが、電話は鳴り止みませんでした。
 
西村)そんな中で鍵本さんはどうしたのですか。
 
鍵本)長田消防署の当直責任者という立場で現場を回りました。長田消防署のポンプ車5台をフル稼働して、早期に火災を抑えようと動きました。既に10件以上の火事が起こっていました。延焼危険度の高い地域から早く消火しなければなりません。市場や商店街など家と家の間の距離が小さいところは、普段でも延焼危険度が高いので、早く消火しないと手がつけられなくなります。
 
西村)火を消すときには水は使えたのですか。
 
鍵本)断水していて水道消火栓が使えないので、地面の下の防火水槽の水で消火活動をせざるを得ない状況でした。
 
西村)水は足りたのでしょうか
 
鍵本)名古屋や静岡あたりには、地震に対応する防火水槽がたくさんありましたが、「神戸には地震があまりこない」と行政も市民も思っていたので、防火水槽が少なかった。川、海、学校のプールなど町中のありとあらゆる水を求めて、ポンプ車を移動させて消火しなければなりません。非常に厳しい条件の中で消火活動にあたりました。
 
西村)海や川からの給水は対策されていたのですか。
 
鍵本)以前から大きな工場火災などでは、消防艇で海の水を陸へ引っ張っていました。実際の現場を経験したこともあります。
 
西村)普段から訓練はしていたのですか。
 
鍵本)実践がありました。神戸は海に面しているのでそのようなノウハウはありました。
 
西村)消火しているときも、目の前には倒壊した家の下敷きになっている人々がいたのですよね。
 
鍵本)消火活動をしながら、近隣で救助ができそうな場面があれば救助活動にも携わりました。ほとんどの木造の家屋の2階が1階に落ちてしまっていて、簡単に救出できる現場はほとんどありませんでした。重機がないと救助できない状況。消火をしていたら、「こっちの救助に来てくれ!」と引っ張りだこになっていました。
 
西村)30年前の震災の教訓をこれからに活かしていかなければなりません。鍵本さんはどのように考えますか。
 
鍵本)長田区は地震による火災の影響が特に大きかったエリアです。同時多発の火災が起こり、消防隊の数より上回る火災件数があったので、消防隊だけではどうしようもありません。消防団や地域の自主防災組織にも初期消火をお手伝いしてもらわなければなりません。
 
西村)わたしたちがこれからできることはありますか。
 
鍵本)地震が起こったときに、まず火を出さないということが大事です。
 
西村)そのためにはどんな備えをしたら良いですか。
 
鍵本)建物が壊れて火が出ているパターンが多いので、まずは耐震化が大切です。今の新築の建物は、すべて耐震化されていますが、耐震補強をして家が潰れないようにするのが大前提。それによって火事も閉じ込めも防ぐことができます。そして、火災を起こさないことも大事。日本の電化製品は、転倒すると電気が遮断されます。関東大震災などの教訓を踏まえて改良されています。阪神・淡路大震災では、町のいたるところでガス漏れが起こっている中、電気による通電火災が注目されました。
 
西村)通電火災とは、どのようにして起こるのですか。
 
鍵本)大規模な停電が起こると、電力会社が停電エリアを探るために1~2分後に電気を通します。変電所に近いエリアから順番に送電して、停電エリアを探るメカニズムがあるそうです。そのときにブレーカーの電線が不安定な状況になっていたら、ガスに引火して燃えてしまいます。停電後の復旧作業の際、それぞれの家の電化製品の状況がわからない中、電気を通してしまうと、ストーブの上の布団や洗濯物に引火して火事になることも。地震が起こると家の中の電気を遮断する感震ブレーカーをつけておけば、通電火災を防ぐことができます。
 
西村)我が家の実家は古いので、改めて確認しておきたいと思います。鍵本さんが震災の教訓を未来に生かしたいことは何ですか。
 
鍵本)30年経って教訓の伝承は課題となっています。日本はどこで地震が起こってもおかしくありません。市民1人1人、企業が日本は地震国であるいうことを自分ごととして捉えてほしい。さまざまな備え、周りとの連携をしていきましょう。日本人全員が未来への責任として、過去の大きな自然災害を伝承することが、国民の未来への責務と言えると思います。
 
西村)ありがとうございました。阪神・淡路大震災30年のシリーズ4回目は、元神戸市消防局長の鍵本敦さんにお話を伺いました。