第1416回「福島の子どもたちを応援するカレンダー」
ゲスト:「応援カレンダープロジェクト」代表理事 水戸晶子さん

西村)きょうは「12人の絵本作家が描くおうえんカレンダー」を紹介します。このカレンダーには、趣旨に賛同した絵本作家が描いた素敵な絵がたくさん載っています。カレンダーの収益金は、東日本大震災で被災した福島県の子どもたちや家族の支援として寄付されます。
きょうは、この活動を始めた想いや寄付の使い方について、「応援カレンダープロジェクト」代表理事 水戸晶子さんにお話しを伺います。
 
水戸)よろしくお願いいたします。
 
西村)「応援カレンダープロジェクト」は、どのような目的で始めたのですか。
 
水戸)2011年の福島原発事故の後、被災地のために何かしたくても何ができるのかわからない状況でした。そんな中、2012年に絵本作家の降矢奈々さん、広松由希子さんを中心とした世界中の絵本作家が福島の子どもたちのために原画を売って寄付をする「手から手へ展」という活動が行われました。その活動に刺激を受け、このような活動をこれからも続けていきたいと思い、「応援カレンダープロジェクト」を始めました。絵本作家の市居みかさんが絵本作家を32人集めてくれて、2015年から活動を開始し、2016年に最初のカレンダーができました。市居みかさんと出会えたことで生まれたカレンダーです。
 
西村)わたしも毎年このカレンダーからいろいろな想いを受け取っています。2024年版は、2023年12月から引き続き長谷川義史さんが1月に海を描いていますね。オレンジ色の空も描かれています。
 
水戸)これは多分、汚染水を表現しているのではないかと思います。
 
西村)2023年12月にこたつに入っていたタコさんが、凧揚げで空に舞っています。こうしてつなげて見る楽しさもありますね。
 
水戸)今、その流れに気がつきました!(笑)
 
西村)いろいろな想いを込めて描かれているということが伝わります。4月のあおきひろえさんの絵もかわいいですね。ちらしずしを作っているのかな。桜の木も描かれています。7月の酒井駒子さんの絵も印象的。かもめが飛んでいて、女の子が寂しそうな表情をしていて。
 
水戸)酒井さんの世界観に引き込まれますね。
 
西村)原画展でじっくりと見てみたい絵ばかりですね。続いては、このカレンダーの収益金の寄付先の一つである「たこ焼きキャンプ」代表 小野洋さんに話を聞きましたのでお聞きください。
 
音声・小野さん)当時は、東日本大震災の原発事故の影響で、外で自由に遊べない子どもたちがたくさんいました。そこで、2011年8月に福島の子どもたちを兵庫県によんで、2週間ほど滞在してもらう活動を始めたんです。
 
音声・西村)なぜ「たこ焼きキャンプ」というのでしょうか。
 
音声・小野さん)厳しい状況にある親子が気軽に参加できる名前が良いと思いました。わたしは個人的に、会津若松市に避難していた被災者に業務用たこ焼き機を使って、たこ焼きを振舞うボランティア活動をしたことがあったんです。それで「たこ焼きキャンプ」という名前に決めました。
 
音声・西村)今年8月も「たこ焼きキャンプ」を開催したとのこと。どんな内容だったのですか。
 
音声・小野さん)コロナ前の2011~2019年は、子どもたちの野外活動を中心としたプログラムでした。コロナ禍の影響で、2020~2021年は休止し、昨年再開。しかし、子どもたちを2週間預かるのはとても大変。お世話をする人を集めるのが難しくなったので、親子で3~4日滞在してもらうプログラムに切り替えました。昨年と今年は4組、15~16名の親子連れに姫路の施設に泊まってもらって、施設で遊んだり、観光をしてもらったりして、規模を縮小して再開しました。
 
音声・西村)参加した親子の反応はいかがでしたか。
 
音声・小野さん)2011年の震災直後、福島ではたくさんの家族が県外で保養をしていました。原発事故後に放出された有害な放射能の影響で、健康に不安を持つ親子が多くなりました。子どもたちを放射能にさらさないように、屋外では夏でも長袖・マスクを着用させ、外で遊ばせないようにしていました。
 
音声・西村)砂遊びができないという話も聞きました。
 
音声・小野さん)大気中の放射性物質が体に入ることを不安に思っている人も多かった。一定期間、セシウムなどの放射性物質が少ない地域に行き、1~2週間滞在すると放射能が体外に排出されるので、チェルノブイリ原発事故以降、ロシアやウクライナでは保養という活動が行われてきたんです。1~2週間、放射性物質の影響を受けない地域に滞在することを保養といいます。
 
音声・西村)福島から来た子どもたちの心の変化はありましたか。
 
音声・小野さん)原発事故の直後は、感謝のメールをたくさんもらいました。小学校1年生の子どもがお母さんに「福島県では公園で土に触れないけど、兵庫県では触れるんだよ」と言ったそうです。
 
音声・西村)原発事故から12年経ってもこの活動を続けている理由は?
 
音声・小野さん)保養に行きたいという親子がまだ福島にいるからです。表面的には福島市・郡山市などの都市部の人々は、落ち着いた生活をしていますが、原発事故はまだまだ収束していません。木が生えている山には、除染できていない場所がたくさんあります。本当はそのような場所で子どもたちに自然体験をさせたいけどなかなかできない。食べ物は、生産者がしっかり検査をしていますが、毎日子どもに食べさせるのは不安という親御さんも一定数います。そのような細々とした不安から離れて、自然の中で子どもを自由に遊ばせてあげられることは貴重なこと。コロナ後に募集を開始したら、たくさんの申し込みがありました。これは続けていく必要があるなと。
 
音声・西村)「応援カレンダー」の収益で支援を受けられるという話を聞いたとき、どう思いましたか。
 
音声・小野さん)ありがたいと思いました。今までは、個人の寄付がメイン。ときどきいただく助成金で交通費や滞在費をまかなっていましたが、助成金や個人の寄付も震災から12年以上経って少なくなってきています。そんな中、応援してくださるのは非常にうれしかったです。何よりカレンダーがかわいらしい。これをきっかけに保養のことをたくさんの人に知ってもらえるという期待もあり、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
西村)福島の子どもたち、家族にとって、「たこ焼きキャンプ」がすごく楽しみのひとつになっているのですね。それが「応援カレンダー」の収益でつながっているのはうれしいことですね。水戸さんは今のインタビュー聞いてどのように感じましたか。
 
水戸)長く続けることが本当に大事。避難区域が解除されるなど、原発事故のことがどんどん忘れられています。11月2日に会津若松で原画展があったので行ってきたのですが、浪江町から会津若松へ山を超えるとき、線量計がずっと鳴りっぱなしでした。12年も経っているのに。山間部は紅葉が綺麗なのですが、まだまだ放射線が残っています。収束していない現実を実感しました。
 
西村)福島原発事故から12年経っても、そのような状況が続いているのですね。今後はどのような活動をしていきたいですか。
 
水戸)支援を必要とする人がいる限り、活動を続けていきたいと思います。このカレンダーを手に取ったときに、福島のことを思い出してもらえたらありがたいです。
 
西村)このカレンダーを見るたびに福島のことを思い出したり、カレンダーを友人にプレゼントしたときに、震災の話をするきっかけになったり。私もたくさんのきっかけをもらっています。
きょうのゲストは、「応援カレンダープロジェクト」代表理事 水戸晶子さんでした。