第1412回「世界津波の日~津波防災を考える~」
ゲスト:稲むらの火の館 館長 崎山光一さん

西村)きょう11月5日は世界津波の日です。世界津波の日は1854年の安政南海地震による津波が今の和歌山県・広川町を襲ったときに、実業家の濱口梧陵が稲村に火をつけ、村人を高台に導いて、津波から救ったという逸話「稲むらの火」の故事にちなんで制定されました。
きょうは、和歌山県・広川町にある「稲むらの火の館」館長 崎山光一さんにスタジオにお越しいただきました。

崎山)よろしくお願いいたします。

西村)「稲むらの火の館」はどんな施設ですか。
 
崎山)「稲むらの火」の主人公、濱口梧陵の活動について知ることができる記念館と津波防災教育センターの2つの施設からできています。
 
西村)子どもたちをはじめ、海外から来る人も多いそうですね。
 
崎山)「稲むらの火の館」は、1854年の安政南海地震の津波を伝承しています。修学旅行や社会見学で、近畿圏の小中学生がたくさん来ています。世界津波の日が制定されてからは、外国からのお客さまも多く、11月には、「濱口梧陵国際賞」を受賞したチリの研究者にも来ていただきました。
 
西村)ネットワーク1・17子どもリポーターの桃佳さんが津波防災を学ぶために現地に行ってくれました。その様子を聞いてください。
 
音声・桃佳)ネットワーク1・17リポーターの桃佳です。小学校5年生、10歳です。きょうは和歌山県の広川町にある「稲むらの火の館」に来ています。早速中に入ってみます。
 
音声・崎山)よろしくお願いします。「稲むらの火の館」の館長 崎山です。
 
音声・桃佳)濱口梧陵さんは、何をした人なんですか。
 
音声・崎山)安政元年1854年に、安政南海地震が起こりました。濱口梧陵は、地震のあと津波が来ると気づき、村を走り回ってみんなに高いところに逃げるように避難を呼び掛けたんです。濱口梧陵の活躍はその後も続きます。津波に備えて、海岸に大きな堤防を作ったんです。
 
音声・桃佳)濱口梧陵さんは、お金持ちだったんですか。
 
音声・崎山)濱口梧陵は、千葉県・銚子の醤油会社「ヤマサ醤油」の社長でした。堤防を作る費用は今のお金で約5億円かかりました。濱口梧陵は、津波で家が流されてしまった人のために仮設住宅を50軒建てました。隣町との間にあった3本の橋も付け替えました。村の復興のために自分のお金、総額約20億円を使ったのです。
 
音声・桃佳)すごいです。今もし地震がおきたら津波はきますか。
 
音声・崎山)和歌山県・広川町は記録に残っているだけで8回津波が来ています。今ここで大きな地震が起こったら津波の心配をしなければなりません。
 
音声・桃佳)今もし地震が起きたらどう行動すれば良いですか。
 
音声・崎山)一番安全な避難所は、濱口梧陵がみんなに避難を呼びかけた廣八幡神社。そこで危ないと感じたら、社の後ろの山へ登れば安全です。次に避難できる場所があるところが一番のベストな避難所と言えます。

 
西村)濱口梧陵は津波から村人の命を救っただけではなく、その後の復興にも大きく関わった人だったのですね。
 
崎山)「稲むらの火」の話は、濱口梧陵がみんなに避難を呼びかけて大勢の人を助けたところで物語は終わっています。しかし濱口梧陵の活躍はここから始まったと言っても過言ではありません。私財を投じて、仮設住宅を作ったり、隣町との橋をかけ換えたり、次の津波に備えて大きな堤防を作ったりしました。世の中にお金持ちはたくさんいますが自分が持っているたくさんのお金を社会のために、みんなのために使うことができる人は、なかなかいないと思います。
 
西村)広川町には、過去に8回も津波が来ているのですね。
 
崎山)記録に残っている一番古い津波が1361年。和歌山県に来る津波のほとんどは、太平洋を震源とする南海地震です。南海地震は、100~150年に1度起こり、その都度、津波が襲っています。それより古い時代にも何回も津波が来ていると思います。広川町では、地震から30数分後に津波第一波がおしよせる想定になっています。最悪の場合、9mの津波が来る。「稲むらの火の館」の津波防災教育センターは、鉄筋コンクリート3階建ての建物で、3階は避難所として利用されます。3階の床の高さは海抜13m。9mの津波に対して、13mあれば安心だと思いますが、想定通りになるとは限りません。東日本大震災のときは、16mある建物の屋上まで水がきた例も。「稲むらの火の館」の3階の13mで危険なら、次はもう屋上しかありません。屋上から水浸しの広川町の景色を見ると精神的に厳しい状態になると予想されます。屋上でも危険となるともうヘリコプターでつり上げていただく以外にありません。でもすぐには、ヘリコプターは救助に来てくれないと思います。周辺でベストな避難所は、濱口梧陵が村人に避難を呼びかけた廣八幡神社だと思います。廣八幡神社の境内の高さは海抜12m。「稲むらの火の館」よりも低いのですが、危なくなったら、社の後ろに30~40m高い山があります。そばに次に避難できる高い場所が段階的にあるところがベストな避難所です。
 
西村)津波防災教育センターが避難場所になっているということですが、過去に実際に避難したことはあったのですか。
 
崎山)「稲村むらの火の館」がオープンして16年の間に1度だけ津波警報が出たことがあります。それが12年前の東日本大震災の3月11日。あのとき、和歌山県の沿岸にも大津波警報が出ました。広川町では、防災無線で避難を呼びかけました。「稲むらの火の館」の3階には、約200人が避難をしてきました。和歌山県では津波の被害はなかったのですが、海面が数cm上昇したというニュースもありました。約1000km離れた東北で起こった地震が和歌山県まで影響をおよぼしたのです。
 
西村)「稲むらの火の館」には、津波防災を見て学べる展示もあるそうですね。16mの水槽で、実際に津波を起こして、そのメカニズムを学ぶ子どもたちに人気の展示を子どもリポーターの桃佳さんが体験してきました。その様子をお聞きください。
 
音声・桃佳)これは何ですか。
 
音声・崎山)津波のシミュレーションができる機械で、静かなときの波と津波の波を比較することができます。この波は、静かなときの波。今度は津波の波が来ますよ!
 
ザァーーーー!(津波がおこる音)
 
音声・桃佳)高い!
 
音声・崎山)海底で地震が起こると海面が上昇して、水は低い方に流れます。だから四方八方へ水が流れていくんです。
 
音声・桃佳)世界津波の日に、わたしたちはどういうことを思ったら良いですか。
 
音声・崎山)今、津波が来たらどこに避難すれば良いかを普段から考えておいてください。登下校の途中でもし津波が来たら、お父さんやお母さん、先生もそばにいない中、自分で判断をしなければならないからです。
  
音声・桃佳)今日ありがとうございました。勉強になりました。

音声・崎山)これからも地震や津波に備えてくださいね。
 
音声・ディレクター)館長さんの話を聞いて、どう思いましたか。
 
音声・桃佳)私財を投げうって、街の人たちを救った濱口梧陵さんはすごい人だと思います。20億もの大金を使える優しさがすごいです。
 
音声・ディレクター)これからの行動は変わりますか。
 
音声・桃佳)今いる場所で地震が起こったらどこに避難するかをよく考えて、これから行動していきたいです。

 
西村)津波のシミュレーション、音だけでもかなりの迫力がありましたね。ネットワーク1・17子どもリポーター・桃佳さんは、これを体験して、津波に対しての考え方や防災に対しての考え方が変わったようですね。
 
崎山)シミュレーションなので、実際はもっと大変なことになりますが、普段の静かな波と津波の大きな波の違いを見られることは、貴重な経験になると思います。
 
西村)「稲むらの火の館」を訪れたほかの子どもたちからは、どのような感想がありましたか。
 
崎山)小学校の社会見学で来た子どもたちが後日、感想文を送ってくれます。その中で「津波が来たら高いところに逃げるということがわかりました」「家族がバラバラになっていても集まれるように、家族で避難する場所を決めておこうと思いました」という感想がありました。
 
西村)大切なことがしっかりと伝わっていますね。子どもが「稲むらの火の館」で経験したことを家族に話すことで、家族で防災に向き合うきっかけにもなりそうです。
 
崎山)津波シミュレーションのある1階には、テレビゲームで防災を体験するコーナーもあります。後日、お父さんやお母さんに連れられてゲームをしに来てくれる子どもも多いですよ。親御さんは「子どもに連れられて、来てよかったです」と言ってくれます。
 
西村)家族みんなで防災について考えるきっかけとなる場所ですね。きょう(11月5日)は、世界津波の日です。最後にリスナーに伝えたいことはありますか。
 
崎山)津波はある程度予測できます。地震は突発的に起こりますが、ほとんどの津波は、大きな地震の数分後に押し寄せてきます。海の近くにいるときに大きな地震が起こったら、津波が来ると思ってすぐ高いところへ避難しましょう。学校やほかの場所にいるきに地震が起こってもなるべく早く高いところへ避難をする。これが自分の命を守ることにつながります。
 
西村)実際に避難してみて気づくこともあります。高い階段を登ることができなかったら、体力をつけようと思うこともあるかもしれませんね。経験が災害のときに命を守ることにつながります。家族で避難を実践することを大切にしたいと思いました。
きょうは、「稲むらの火の館」館長 崎山光一さんに、津波防災についてお聞きしました。