ゲスト:震災を読みつなぐ会 KOBE 代表 下村美幸さん
西村)今月のネットワーク1・17では、29年前に発生した阪神・淡路大震災の特集をお送りしています。
きょうのゲストは、阪神・淡路大震災に関する手記や詩の朗読を続けているボランティア団体「震災を読みつなぐ会KOBE」代表 下村美幸さんです。
下村)よろしくお願いいたします。
西村)「震災を読みつなぐ会KOBE」では、どんな活動をしているのですか。
下村)小学校・中学校で活動しています。3年前から始まった道徳教育の中で、子どもたちが残した大事な記録を読ませていただいています。
西村)「震災を読みつなぐ会KOBE」は、いつ設立されたのでしょうか。
下村)今から19年前になります。
西村)ということは震災から10年目の年ですね。
下村)はい。震災から10年目の年は、神戸の建物は見事に復旧していました。でもみなさんの心の復旧はまだまだでした。亡くなった人も多かったので、みなさん口を閉ざしていました。わたしは趣味で朗読をしていたので、何かできないかと思いました。学校に行くと先生たちも協力してくれて。わたしたちは場所があってこそ活動できます。活動場所の提供をしていただくまでは、いろいろな支援がなければできませんでした。会員のみなさんの力で一歩一歩進んで歩んできた会です。「震災を風化させない」「震災を伝えなければならない」という想いだけでやってきました。
西村)これまでに朗読してきた手記や詩は、何作品ぐらいあるのですか。
下村)485作品あります。小学生用・中学生用に仕分けをしたリストがあります。それ以外にもみなさんが持っている作品を読んでいこうと思っています。
西村)「伝えていきたい」という想いでみなさんが残してきた手記や詩を是非、リスナーにも聞かせてください。きょうは、2つの手記を持ってきてもらいました。ひとつ目のタイトルを教えてください。
下村)「オレの手 髪を染めた少年 てれくさそうに」です。
西村)では、朗読をお願いします。
下村)
「オレの手 髪を染めた少年 てれくさそうに」
オレ あの日な 近所の婆ちゃん助けた
ガレキに埋もれた中から六人も助け出した
あんな時は手首つかまなあかんねん
顔も 体も まっ黒になったで
空もまっ黒やった
オレ五日目にな 避難所にたずねて行ったで
ホカホカカイロ持って行った
そうしたら婆ちゃんな
「兄ちゃんの分あるんか おおきにおおきに
ほんまにやさしいなあ 兄ちゃんの手は温かいなあ」
言うて涙流した
オレ あんなこと言われたん初めてや
周りのもんに 嫌われてると思って毎日過ごして
自分の手が温かいか冷たいか
そんなこと関係なかった
オレ あんなこと言われたん初めてや
西村)ありがとうございます。これは阪神・淡路大震災当時の実話なんですよね。手記を書かいた人はどんな人ですか。
下村)震災についてたくさんの聞き書きをしている車木蓉子さんという人です。これは手記ではないかもしれませんが、悲惨な状況だった神戸の街で、人々が助け合っていたことがわかる作品です。短い作品ですが「髪を染めた少年てれくさそうに」というようすが目に浮かびますよね。
西村)やんちゃな男の子だったのでしょうね。
下村)ピアスをしているような男の子だったのかもしれません。当時は、みんなが「何か役に立たなあかん」「何かせなあかん」と思う状況だったのだと思います。ボランティア元年と言われた阪神・淡路大震災当時、100万人近い人が神戸にきてくれました。今回の能登半島地震や熊本地震、東日本大震災で何か役に立ちたいとたくさんの人がかけつけるきっかけになったのだと思います。
西村)この少年は、今まで自分は周りの人に嫌われていると思っていて、心を閉ざしていたけど、助け合いの心でつながった温かい気持ちにふれて、人生が変わったのでしょうね。当時の過酷な状況での助け合いのようすも目に浮かんできました。続いていてもう1作品読んでいただきます。
下村)今から読むのは、震災から10年目の「1・17のつどい」で、遺族の今 英男さんが読んだあいさつです。
「英人よ」
あれから九年が過ぎて、三千二百八十八日目の朝。白い雪とともに迎えました。あの日も今朝のように凍てついて暗くて...。
九年がうそのように過ぎました。
英人よ。今年も来れました。母さんと二人で。
この日が過ぎないと、私のうちにはお正月が来ません。
あの年は一緒に初詣に行ったね。
あの時の写真が最後になりました。
あれから私の家のお正月が変わりました。年の暮れに年賀状は書かなくなりました。初詣も行けなくなりました。
今日この日神戸に来ると、やっと年が明けます。
決して良いことではないけれど、そんな習慣が私の家にはつきました。
今年も来ました。おかげさまで来れました。
神戸の三ヶ所にある、慰霊碑の君の名前を指でなぞるだけなのに。
今日からまた十年目を刻み始めます。三千二百八十八、三千二百八十九、三千二百九十、三千二百九十一...、もう数えるのはやめます。
あの日のことはやっぱり本当で、あの東灘の下宿の前の車の中で見た凍てついた月。間断のないサイレン。しかし奇妙に静かな風。
被災された多くの方々の記憶の中に、しっかりと残っていることと思います。
英人。君のふるさとの金沢は、今年は雪が本当に少ないです。
好きなスキーには帰らないでいいよ。
あのままの君の部屋。泥のついたまま真ん中で折れてしまっているスキー。今年は片付けようと思う。
テニスのラケットに、ボールも空気がなくなって寂しそうだ。
大学の軟庭のパートナーだったK君が結婚したそうだ。お母さんからお葉書をいただいた。
それだけ年がたったんだね。
今日こうして被災された多くの方々と一緒に、こんな記憶も大切に、大切に語り継いで...。
失った多くの物、多くの宝、多くの優しさ。
決して決して忘れない。
あの日を決して忘れないよ。今日の日も決して忘れない。
英人よ。君への思いは、神戸のたくさんの方たちと共に生き、大好きだった神戸のまちと一緒にあります。
君のふるさとで、神戸という名前を聞くだけで、心が震え、このまちを私達はいつまでも愛します。
英人よ。息子よ。私たちの誇りで、大切な記憶。
今日は祈りをこめて花を捧げたいと思います。
また来ます。神戸に。
そのためにも、父さんも母さんも、体を大事にして十年目を歩みます。
また来ます、神戸に。またの日を楽しみに。
西村)英人さんは金沢から神戸に進学して被災し、犠牲になりました。英人さんを想うお父さんの想いを伝えてもらいました。お正月の話がありましたが、別のご遺族からも「1月17日が来ないと正月が始まらない」という話をよく聞きます。震災から10年目の「1・17のつどい」から、さらに19年が経っています。このときに亡くなっていなければ、英人さんは結婚して子どもがいて、今さんも孫と一緒に楽しい正月を過ごしていたことでしょう。あの日、あのときに同じように人生が変わってしまった人がたくさんいました。わたしたちがメディアを通して取材をしても、その人たちの想いを知る機会は少ないです。ここまで赤裸々な気持ちを語るには、勇気がいることかもしれません。語ってくれたことに感謝します。そして、それを読みつないでくれている下村さん、ありがとうございます。
下村)10年の節目で語ることができるまで、今英男さんも時間がかかったのでしょう。あの日、あのときの月の光、風の音まで記憶にとどめているのです。今さんにとっては、10年という年月に関係なく、あの日がそのまま切り取られている。英人くんが亡くなってから「きょうで何日目」とずっと数えていたんです。10年間、毎日毎日数えていたなんて、なんと尊い命だったのでしょう。でも今年で終わりにしよう、10年目でやめようと思ってこの文章を書いたんです。それまで毎日「きょうで何日目」と思っていたのかと思うと...すごいですよね。
西村)若い世代にも届けている「震災を読みつなぐ会KOBE」。来年震災から30年。この先は、どんな活動をしていきたいですか。
下村)残された大事な手記を発信することで、震災を風化させないようにと10年近く活動してきましたが、この会を設立したときから、いつか児童・生徒がこれを読みつないでほしいという想いはありました。学校や教育委員会からも賛同を得ていたのですがなかなか実現しなかった。しかし最近では、学校に残された手記を探してもらって、児童・生徒に読んでもらっています。
西村)児童が先輩の手記を読んでいるのですね。
下村)手記がない学校には、作品を学校に持っていって児童に読んでもらうこともあります。今は、先生と打ち合わせしながら、一緒に作品を選んでいます。児童・生徒が読みつなぐことで、震災は風化することはないと思っています。児童・生徒は練習しなくても、きちんと気持ちをこめて読んでくれるんですよ。朗読させたいと考える先生も多くなってきました。ありがたいことです。
西村)子どもたちは、震災を経験していなくても、読みつなぐことで自分ごとにすることができますね。これは、神戸だけではなく、全国・世界で広まっていってほしい活動です。
きょうは、阪神・淡路大震災に関する手記や詩の朗読を続けているボランティア団体「震災を読みつなぐ会KOBE」代表 下村美幸さんにお話を伺いました。