第1476回「阪神・淡路大震災30年【5】~何を伝える?どう伝える?」
取材報告:亘佐和子プロデューサー

西村)きょうは、番組プロデューサーの亘佐和子さんと一緒にお送りします。
 
亘)よろしくお願いします。
 
西村)阪神・淡路大震災30年のシリーズ5回目のテーマは「何を伝える?どう伝える?」。震災を経験していない若い世代へ、震災の記憶と教訓をどう語り継ぎ、次の災害に生かしていくのかを考えます。亘さんは「語り継ぎ」というと、どんな伝え方があると思いますか。
 
亘)わたしは、「何を伝えるか」を考えていきたいと思っています。30年前の1月17日に起こったことは、そこにいた人しか伝えられないかもしれないけれど、それを聞いた人が自分のフィルターを通して伝える内容もすごく意味のあることだと思います。
 
西村)わたしは当時中学生で大阪にいたので被災はしていません。でもこの番組でいろんな人の話を聞いて、高齢化で亡くなる人が多くなっている今、わたしもお手伝いをしたいと思いました。わたしは被災していませんが、去年から「震災を読みつなぐ会KOBE」で朗読で伝える活動に参加しています。小中学校などで、阪神・淡路大震災に関する詩や絵本の朗読を行っている団体です。自分たちで朗読するだけではなく、児童・生徒にも朗読をしてもらって、震災と向き合うきっかけ作りをしています。40~80代の22人のメンバーが参加しています。代表の下村美幸さんは、「災害の記憶を風化させてはいけない」という思いからこの団体を発足させ、今年で20周年を迎えました。1/14(火)、小学校で行われた出前朗読にはじめて参加してきました。
 
亘)はじめてだったのですね。
 
西村)神戸市西区にある神戸市立枝吉小学校の震災集会です。「震災を読みつなぐ会KOBE」では、10年以上この学校で出前朗読を行っていて、ずっと引き継ぎが行われて、ご縁がつながっているそう。代表の下村さんは長年この学校に通っているので、児童からも声をかけられて、子どもたちとハイタッチを交わしていました。体育館に集まったのは、歌や朗読の発表した4年生と5年生の児童と保護者約100人。ほかの児童は、教室で中継を見るリモート授業となりました。この日わたしが読んだのは「伝えよう」という詩。この作品は、神戸市の人権課が子どもたちに残したい言葉を募集した「子どもたちへのメッセージ集2010」に掲載されています。震災から15年目のときに寄せられた詩です。詩を読んでみますね。
 
伝えよう
 
あの日がくると知っていたら
あの地震が起きると知っていたら
大好き
ありがとう
ごめんなさい
意地を張らずに言えたのに
毎日感謝を伝えたのに
 
一緒に暮らしていると あまりに身近すぎると
いつでも言えるから いつでもよいと思っていた
でもあの日を過ぎて おばあちゃんに「明日」は来なかった
 
十五年も経ったのに 言えなかったたくさんの言葉が
雪のように心に降り積もってまだ溶けないでいる
 
だから
照れ臭くても 喧嘩してても 一緒でも 遠くにいても
相手にきちんと伝えて欲しい
大好き ありがとう ごめんなさい の言葉を
大切な人に伝えて欲しい
大切な人に必ず「明日」が来るとは限らないのだから
あの日 地震で亡くなっていった多くの人に
伝えられなかった思いの分まで

 
亘)"おばあちゃんに「明日」は来なかった"のところにドキッとさせられました。子どもたちはどんなようすで聞いていましたか。
 
西村)真剣な眼差しで静かにこちらをじっと見つめて聞いてくれていました。被災経験のないわたしでも、伝えることができたのでしょうか。この日、体育館で聞いてくれていた4年生の女の子が感想を話してくれました。
 
音声・女の子)普段言えないこと、言いづらいことはあると思うけど、それを言わずに、地震が起きて、言いたかったことを言えないままその人が亡くなったら後悔する。(言いたいことを)言えるときに言った方がいいと感じました。これからも身近な人にいろんなことを伝たえられたらと思います。
 
西村)うれしい言葉をいただきました。被災したみなさんの思いを読みつないで、これからも届けていきたいと思います。「震災を読みつなぐ会KOBE」は1/26(日)に「朗読でつづる震災手記のつどい」を兵庫県立美術館KOBELCOミュージアムホールで開催します。午後1時30分開演。入場無料。わたしも出演します。みなさまぜひお越しください。続いては、亘さんのリポートです。
 
亘)わたしは震災でお子さん2人を亡くした米津勝之さんの話をします。米津さんは、芦屋市で被災しました。当時小学1年生だった長男・漢之(くにゆき)くんと、幼稚園に通っていた長女・深理(みり)ちゃんを亡くしました。米津さんはいろいろな学校で子どもたちに震災を語っています。子どもたちと対話をして、子どもたちの声から米津さん自身が新たな気づきを得ています。だから語る内容は年を経て変化していきます。1/15(水)に芦屋市立山手小学校の1年生に米津さんが話をしたときのようすを紹介します。リスナーのみなさんも子どもたちと一緒に考えてみてください。
 
音声・米津さん)きょうは、みんなに見てもらいたいものがあります。これは何ですか。
 
音声・子ども)ランドセル!
 
音声・米津さん)誰の?
 
音声・子ども)くにゆきくん!
 
音声・米津さん)そうやな。くにゆきは、当時、精道小学校の1年1組でした。これはくにゆきが背負っていたランドセルです。ランドセルの中は、30年前の1月16日の時間割のままになっています。これはくにゆきが使っていた筆箱。鉛筆は1月16日に削ったままになっています。1月17日が普通にくると思って前の日に削ったまま。ここで考えてほしい。この筆箱の時間はどうなってる?
 
音声・子ども)めっちゃ時間経ってる!
  
音声・米津さん)時間たってるよな?でも筆箱の時間は?変わってないよな。それってどういうこと?
 
音声・子ども)そのまま!
 
音声・米津さん)そう!そのまま。筆箱の時間は止まってんねん。30年前の1月17日から。

  
西村)小学1年生と対話していますね。
 
亘)そうですね。たくさん手があがっていました。「1年生には難しいかな?」と思いながら見ていたのですが、子どもたちの真剣な表情に圧倒されて感動しました。このランドセルの話には続きがあります。筆箱の時間は止まっているのですが、ランドセルの時間は止まらなかったんです。
 
西村)どういうことですか。
 
亘)1年生で亡くなったくにゆきくんは、ランドセルを9~10ヶ月しか背負えなかったけど、ランドセルはボロボロになっている。米津さんはそれを子どもたちに見せます。なぜこんなボロボロになっているのか。震災の後に生まれた弟の凛(りん)くんが6年間このランドセルを背負ったからです。りんくんが小学校に入るときに、「新しいランドセルを買う?お兄ちゃんが使っていたランドセルを背負う?」と米津さんがりんくんに聞いたら、りんくんは、「お兄ちゃんの使う」と答えました。その話は、「にいちゃんのランドセル」という本になり、歌にもなりました。りんくんがランドセルを使い終わったあと、再び亡くなったくにゆきくんの教科書や筆箱を入れました。
米津さんはさらに子どもたちに問いかけます。「このランドセルには何が入っている?」と。クラスで話し合って何が入っているか考えて、お手紙をくださいと。くにゆきくんが1年間背負えなかったランドセル。そのあとに生まれた弟のりんくんが6年間背負ったランドセル。くにゆきくんとりんくんのいろいろな想いがそこには詰まっています。米津さんの話が終わったあと、「ランドセルを見せてほしい!」と、校長室まで追いかけてきた子どもたちがいました。米津さんはランドセルを見せてあげました。中には、当時の教科書が入っていて、「自分たちが今使っている教科書と同じだ!」と話していました。
 
西村)30年の時が近づいたのですね。
 
亘)このような対話を踏まえて、子どもたちはこのランドセルの意味を考えると思います。リスナーのみなさんもぜひ、「このランドセルには何が入っている?」という問いについて考えてみてください。災害で人が突然亡くなるということの残酷さ。亡くなった人の思いを受け継いで生きること。いろんなことを考えさせられます。語り継ぐというのは、一方的な作業ではなく、語り手と受け手のキャッチボールの積み重ねの中で立ち上がって育っていくものだと、米津さんの授業を聞いて思いました。
 
西村)私も大切にしたいです。
 
亘)米津さんは東日本大震災で被害を受けた東北でも語り部をしています。全国トップクラスの実力を持つ音楽部がある岩手県立不来方高校とも交流を重ねてきました。不来方高校の音楽部員が全国ツアーを行うのですが、2月24日(月・祝)に西宮市民会館でファイナルコンサートを行います。
 
西村)西宮に来るのですね!
 
亘)米津さんも特別出演します。不来方高校と阪神・淡路大震災の被災地である兵庫県立神戸高校の合唱部が一緒に「兄ちゃんのランドセル」「幸せはこべるように」を歌います。入場無料。関心のある人はぜひ聴きに行ってください。そして、災害や復興、語り継ぐことについて思いをめぐらせていただきたいと思います。
 
西村)ありがとうございました。亘佐和子プロデューサーのリポートでした。