電話:石川県穴水町下唐川地区 区長 加代等さん
西村)きょうは、能登半島地震で大きな被害を受けた石川県穴水町の仮設住宅で暮らす人たちのお話です。「絆」という通信を発行し、一軒一軒に配って、住民たちの関係をつないでいる穴水町下唐川地区の区長 加代等さんにお話を聞きます。
加代)よろしくお願いします。
西村)加代さんは今、仮設住宅で生活をしているのですか。
加代)1月1日の能登半島地震で家が大規模半壊になったので、昨年の4月16日から仮設住宅で暮らしています。自宅は早い段階で再建に入ったので、4月にほぼ完成する予定です。
西村)下唐川地区の地震被害について教えてください。
加代)下唐川地区には空き家も含めて約40軒の家がありましたが、約30軒が全壊・大規模半壊に。今は30軒が公費解体されました。
西村)4分の3が解体されたのですね。
加代)この地区には怪我人はいなかったのですが、風景が変わってしまいました。県道に土砂崩れや道路の地割れが起こって、一時孤立状態になりました。わたしは妻と2人暮らしですが元旦は、子どもや孫あわせて12人が家にいました。行き場がなくなってしまったので、近くの集会所にみんなで身を寄せました。30畳のスペースに約60人が入って避難生活を始めました。
西村)狭い中で生活をしていたのですね。孤立して大変だったのではないですか。
加代)1番大変だったのは、ライフラインが切れたこと。道路は車が通れない状態。地区にはきれいな湧き水を使った簡易水道があるのですが、本管が土砂崩れで道路ごと流されて水が来なくなりました。もちろん電気も来ませんし、情報も入ってこない。ライフラインが全て切断されて、本当に困りました。
西村)それで、どうしたのですか。
加代)村には、重機を運転できる人、水道屋さんに勤めている人、電気屋さんがいました。田んぼにあった大型の重機を使って、道路の割れているアスファルトを剥がして、通れるように修復をしました。水は、最初は山水を汲んでいたのですが、水道屋さんが、パイプを持ってきて近くの井戸水を修復。水を集会所、避難所に引いて、4日ぐらいで水道が使えるようになりました。いろいろなスペシャリストがいて助かりました。情報が入らないことが人々の不安につながるので、電気屋さんがBSアンテナを手に入れて、BS放送で他の地区のようすを見られるようにしてくれました。
西村)情報が入ってくると安心につながりますね。
加代)テレビが1台つくだけでみんなほっとするんです。1月は寒い時期だったので、インフルエンザや衛生面も気になります。元看護師の妻や2人の養護教諭が毎朝、避難所にいる人の健康チェックをして、トイレの消毒もしたので、インフルエンザも広まることはなくすごく助かりました。
西村)みんながそれぞれが自分のできることをやったのですね。
加代)「この人すごい、こんなことできるんやな」とお互いをリスペクトしましたね。それがエネルギーになったような気がします。
西村)下唐川地区には「石川モデル」という新しい形の仮設住宅が建てられました。この仮設住宅は、災害救助法で定められた2年間の入居期間終了後は、公営住宅になります。つまり退去する必要がなく、収入に応じた家賃を払って、長く住み続けることができるのです。「石川モデル」は、木造平屋の1戸建てとのこと。
加代)わたしたちの地区に「石川モデル」ができたのが7月19日。県産材を使ったフローリングや畳の部屋もあり、基礎がしっかりしているので、断熱効果も高くてとても良いです。仮設住宅なので、4畳半2間+台所の9坪しかなく少し狭いですが。ずっと住み続けることができるので、金沢のみなし仮設に入っていた人も戻ってきました。80代のお年寄りが帰ってくると真っ先に「ここに帰ってきてよかった」「ここの空気を吸ったらすっかり元気になった」と言っていました。
西村)住み慣れた場所はやはり良いものですよね。下唐川地区では、地元で暮らし続けたいと思っている人が多いのでしょうか。
加代)家の再建が難しい人もいます。子どもの住む場所に行った人もいますが、みなさん、できれば生まれ育った土地で最期を迎えたいと思っています。地元の空気や景色が大切だと感じている人たちが多いようです。「石川モデル」ができたことで、地元に留まった人もたくさんいます。
西村)加代さんは、下唐川地区に住むみなさんのために「絆」という通信を発行し、仮設住宅での出来事や復興の状況を伝え続けているそうですね。なぜこの「絆」通信を繕うと思ったのですか。
加代)5月28日に穴水町で初めて自治会組織ができ、団地の区長になりました。わたしは、中学校で教員をしていたので、学年通信や学級通信を発行していたことがあります。わたしは、重機も運転できないし、水道もなおせないけれど、通信を作って各世帯に配ることならできる。住民の健康状態をチェックしたり、話を聞いたりしながら、つながりを作ろうと書き始めました。
西村)手渡しすることで、顔を見て会話するきっかけになりますね。通信にはどんなことが書かれているのでしょうか。
加代)ボランティアが開いてくれるカフェやイベントについてなど。「歌を歌ってくれるボランティアが来るよ」という情報や、みんなが不安に思っている公費解体の状況も書いています。仮設団地ができる時に復旧した簡易水道は、山が揺れたために鉄分が多くなって飲めなかったので、水質検査のようすもお知らせしていました。
西村)盛りだくさんな内容ですね。
加代)ボランティアの申し出は全て受け入れてきたので、情報も共有できる。来てくれたボランティアさんにメールで通信を送って、つながりを続けています。
西村)外部から来た人たちとの絆も深まっているのですね。毎週発行しているのですか。
加代)6月1日が第1号で、3月31日で100号になります。1ヶ月に10号ぐらいですから、週2回ぐらい発行しています。
西村)結構、忙しいのではないですか。
加代)今は、パソコンを使って1時間もあれば1枚できるので、学校通信よりも楽に作れていますよ。
西村)さすが学校の先生ですね!今、私の手元に「絆」通信があります。これを見ているといろんなことが分かります。家の公費解体で変わっていく風景をドローンで撮影した写真が載っていますね。加代さんは、このドローンの写真を見てどう思いましたか。
加代)自宅が解体されていくようすは、本当に寂しいと思いました。家がなくなるだけではなく、そこに住んでいた人たちの思い出までも消えていくような気がして。最初は公費解体を進めることが自分の役割と思って、どんどん解体を進めていましたが、雪が降る前に、30軒の解体を終えて村を眺めたときに、「(解体を)やってきてよかったのかな。もっと残せる家もあったんじゃないかな」と思いました。もちろん持ち主の意向で解体したのですが、100年以上の歴史がある立派な家もあったので。
西村)この通信を見たみなさんの反応はどんなものでしたか。
加代)団地のようすやボランティアの情報もわかるし、わたしや他の人の想いも書いているので、みなさんすごく楽しみにしてくれています。わたしは、9月から下唐川地区の区長になったので、通信の名前を「下唐川団地通信」から「下唐川通信」に変更。団地の17世帯だけではなく、地区に残っている人たちにも配っています。団地と地区をつなぐ役割が果たせていると思います。
西村)これから下唐川地区はどのようになってほしいですか。
加代)下唐川地区は高齢化率が高く、地震が起きていなくても15~20年先にはほとんど人がいなくなる場所です。いずれは村じまいをしなければならないような状況でしたが、この地区に「石川モデル」ができたことで、たくさんの大学関係者や大学生が訪問してくれるようになりました。地区の祭りや行事に大学生が関わってくれて、3月3日の春祭りには、金沢大学の学生や職員が来て、一緒に団子を作りました。今後、高齢者が多くなっていくとは思いますが、そのような交流人口を増やして、村の中に賑わいを作っていけたらと考えています。
西村)きょうは、「絆」という通信を発行して、住民のみなさんの関係をつないでいる穴水町下河川地区の区長、加代等さんにお話を伺いました。