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第588回『能登半島地震取材リポート』2007.03.31
【写真上】…
材木屋さんの作業場や農機具を置く小屋。
瓦屋根の重みで全壊が目立ちます

3月25午前9時42分に発生した能登半島地震は最大震度6強を観測しました。魚住さんは放送前日の30日、日帰りで被災地を取材。被害は門前町の道下(とうげ)地区では、ある通りに沿って、立派な瓦屋根の町並みが無残な姿になっていました。避難所はほとんどが高齢者。中にはずっと横たわったまま胸の上に置いた薬を口にしている人もいました。

【写真下】…
避難所には最新式仮設トイレもありました。
常時水を循環させているので清潔感が保たれる

そんな中、神戸のボランティアも現地に入っています。魚住さんが見つけたのは、阪神高齢者・障害者支援ネットワークの黒田裕子理事長。高齢者と世間話をしながら、すばやく必要なニーズを吸い上げています。黒田さんの目は細かいところまで行き届いています。例えば避難所の床にはりめぐらされた暖房用のチューブ。「即席の床暖房」と避難者に喜ばれましたが、黒田さんは「阪神のときもつまづいて致命傷になったケースがあります」と、チューブを覆って養生するよう提言。被災者の先を読みながらのケアに、災害の経験が生かされていました。
スタジオ報告:魚住由紀

第587回『ネットワーク1・17、リニューアルへ』2007.03.24
阪神・淡路大震災をきっかけに、1995年4月15日にスタートした「ネットワーク1・17」はこの日591回目の放送でした。この12年近くの間に生まれた絆を元に、過去のゲストから声のメッセージを頂きました。「この番組から聴こえる声で、被災者には次の1週間まで生きようという力が生まれた」と話してくださったのは阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長の黒田裕子さん。
「いずれまたくる震災はますます進行する高齢化社会で起きる。それを迎え撃つための十分な知識と準備が必要です。そのためのわかりやすい放送を」と注文してくださったのは街づくり支援協会事務局長の中西光子さん。
また、98年から「週間地震概況」の解説を担当した京大防災研の梅田康弘教授は「南海地震や直下型地震への備えがますます重要になります」と指摘。
最後に、初代パーソナリティーでもある関西大学の安部誠治教授が「安全・安心が重要な時代に、この番組が有益な情報を流していくことを望みます」としめくくってくださいました。
 
みなさんのおかげで4月からも続くネットワーク1・17。ますます防災・減災に役立つ内容をお届けしていきます。
スタッフ

第586回『たかとり教会の再出発』 2007.03.17
たかとり教会は、神戸市長田区のJR鷹取駅の南にあります。震災でこの一帯は大火災に見舞われ、教会も焼け落ちてしまいました。その後教会は震災からの復興とともに様々な人々の集う場となります。直後はボランティアが集まる「たかとり救援基地」。そして多言語コミュニティ放送局のFMわぃわぃのほか、様々なボランティアやNPOが活動拠点を置く「たかとりコミュニティーセンター」。さらには地域の人の手で敷地内に建てられたまちづくりの集会所「ペーパードーム」は象徴的な建物になりました。
神田さんは震災前、教会の中だけのコミュニティで活動することに疑問を覚えていたといいます。その教会が震災で焼け落ち、0になってから人々が集まってきたとき、初めて「本来の教会になった」と感じたのだそうです。信者さん以外の人が自由に出入りし、様々な出会いとアイデアとまちづくりの活力を生み出していった、そのきっかけがあの震災でした。
たかとり教会は「まちの復興が先や!」という神田さんの思いを受けて震災10年を経てようやく再建工事に入りました。そして4月1日、新しくなった教会で初めてのミサがささげられることになっています。今後も人々が集まる「場」を提供しながら、長く活動を続けたいと神田さんは話しています。
ゲスト:カトリックたかとり教会神父 神田 裕さん

第585回『仮設住宅から復興住宅まで・震災12年を見つめて』2007.03.10
ポーアイの第三仮設には安田さんより高齢の被災者ばかりが入居していました。
病気を抱えていたり、一人暮らしで生きることに投げやりになる人たちもいて、そのたびに安田さんは一人一人に「生きて仮設を出よう」と呼びかけてきました。
「裸一貫になった仮設では、人は皆気取ることもなく自分をさらけ出した。そのときに『根っから悪い人などひとりもいないんだ』と思いました」と安田さんは語ります。その後、復興住宅に移ってから、90歳を超えて一人暮らしをしていた女性はベッドと窓の隙間にはさまり3日間動けなくなっているところを、安田さんたちの見守り活動に助けられました。高齢者の安否が心配だと語る安田さんも、震災12年が過ぎ81歳に。この12年間に亡くなった人たちのことを思う気持ちが、安田さんを支えています。
ゲスト:元ポートアイランド第三仮設住宅自治会長 安田 秋成さん

第584回『未来の防災のために伝えたいこと』2007.03.03
これまで何度も番組に出演して分かりやすいキャッチフレーズで防災対策をお話しいただいた室崎先生。「1000円からできる耐震補強」のほか「寝るときは北枕で」「地震がおきたら火鉢に抱きつきましょう」・・・これだけでは「???」となってしまいますが、ちゃんと根拠があります。「北枕」は、住宅で壁が多い方角が日本では北になることから。窓が大きく開いている南側は地震で倒壊しやすいため、頭は逆に向けて寝たほうが命が助かる確率が高いのです。また、火鉢のような高さのものは倒れてきた梁や柱の衝撃を避けるように、ちょうど頭の高さに空間を作ってくれます。

そんな室崎先生が今主張しているのは「耐震対策だけが万全の防災ではない」ということ。阪神大震災では家屋の倒壊が人の命を奪ったと注目されましたが、それまでは関東大震災の教訓から「地震で怖いのは火災」といわれ続けていました。「ひとつのことばかりに関心が行くと、次の災害では必ず裏をかかれます。日常生活を見直して総合的な減災をしなければ。そのためにメディアの果たす役割は大きいのです」とエールを送っていただきました。
ゲスト:消防研究センター 所長 室崎 益輝さん

第583回『旧山古志村の復興〜新潟県中越地震から2年4か月』2007.02.24
取材したのは2006年の年末。近畿でも雪が降った日でした。長岡市内ではちらほらと舞うぐらいの雪が、旧山古志村ではたちまち吹雪に。自然の厳しさを物語ります。生活道路である国道291号線が100億円をかけて復旧したため、14集落のうち被害が軽かった3集落の人々が徐々に戻っていました。しかし水没したり地盤ごとめちゃめちゃに壊れた集落はまだまだ。復旧が進んだために却って復興の格差が見えてきたのが地震から2年以上たった現実です。
といっても、仮設で3度目の冬を過ごす人たちも住宅再建のめどはほぼ立ったようです。山古志を離れ街の中に新居を構える人、中古住宅を買う人など、厳しいながらも先が見えた安堵感が漂っていました。

【写真上】…
旧山古志村に建てられた復興住宅。
伝統の日本家屋で縁側ももうけられています。

【写真下】…
棚田の風景。錦鯉はこのような棚田でも飼っています。
スタジオ報告:毎日放送ラジオ報道部 大牟田 智佐子記者

第582回『三宅島避難指示解除から2年』2007.02.17
噴火前、小林さんは三宅島の三池地区で民宿「伊波荘」を営んでいました。しかし三池地区は高濃度の火山ガスの被害が最もひどい地域に。東京・国立市での避難生活を終えて戻ってみたものの、住んではいけない地域に指定されていました。前の民宿も借金をしてようやく建てたもの。「玄関ぐらいまでしかローンは返せていなかった」という小林さんですが、地震保険を頭金にあてて、被害が少ない阿古地区で2年前に民宿を再開しました。名前は「伊波荘・阿古館」。いつか本館の三池に戻るぞ、という小林さんの思いがこめられています。

小林さんは奥さんと2人で民宿を経営していますが、大学2年の長男と高校1年の長女は島に戻らないという決断をしました。島全体を見渡しても、噴火前3800人だった島の住民はおよそ2800人に。高濃度ガスの地域にいた人はこれからも戻れる見込みは薄いといいます。一方で85%は、風向きによってガスの影響を全く受けない人々。その差が如実に現れているのが噴火から7年たった三宅島の現状です。「自分は再建に向かっているだけ幸せ。戻れない人たちのことを忘れてはいけないと思っています」という小林さん。
「なにか始めなければ借金も返せませんしね」と力強く話してくれました。

※みなさんからのお便りもありがとうございました!
採用の方にはレスキューホイッスルを差し上げています。どんどんお便りをお寄せください。
電話出演:三宅島の住民 小林 武さん

第581回『シリーズ震災12年(2)〜忘れられた存在・震災障害者』2007.02.10
阪神大震災では1万人以上が重傷を負いました。
でも、その後そのケガがもとで障害や後遺症が残った人が
何人いるかはわかっていません。
当時、行政には震災でケガをした人のための相談窓口はなく、
震災障害者は孤立していきました。
中学3年生の時に地震でピアノの下敷きになった城戸洋子さん
(写真左)は「高次脳機能障害」という脳の障害を負いました。
体は動くけれど、うまく話ができない、記憶が残らない・・・。母親の美智子さん(写真右)は、別人のようになった娘に戸惑いました。
「命の次に大切なのは体。それなのに、震災で障害を負った人をだれも見ようとしない・・・」復興が進んだと聞くたび、違和感を感じてきました。
そんな中、震災障害者の横のつながりを作ろうと神戸大学の岩崎信彦教授の呼びかけで、去年、震災障害者と家族のつどいがはじまりました。10年以上孤立していた当事者達はやっと交流の場を持てたのです。岩崎教授は、震災障害者の生活再建には独自の経済支援と当事者同士が語り合える場所が必要と話しています。

<お知らせ>
2月18日(日)13時から「震災障害者・後遺症者と家族のつどい」が神戸市長田区の神戸大学フィールドスタジオで開かれます。
お問い合わせは、神戸大学・岩崎教授の研究室 078−803−5513
Eメールは iwasaki@lit.kobe-u.ac.jp まで。
スタジオ報告: ネットワーク1・17 河野多美子 ディレクター

第580回『シリーズ震災12年(1)〜被災地に浮かび上がる問題』2007.02.03
地震後再建した家のローンに加えて、壊れてなくなった家のローンも払い続けなければならない。そんな二重ローンをあの震災で何人が抱えたのか、まとまった調査はありません。利子補給の支援はあったものの、今は「自力再建できている」とみなされ、援助がないのも実情。神戸市灘区の会社員の男性は、73歳まであと23年間二重ローンを払い続けます。「年金をもらえるのが65歳からになったでしょう。定年が60なんですよ。ということは60になったら僕はこのマンションを出ていかなあかん。払えないですよね。」という言葉が重く響きました。
一方、避難所、仮設住宅、復興住宅という道筋の中で住んでいた地域から離れ、何度も転居を繰り返すうちにつながりを失ってしまった高齢者の問題も深刻です。灘区の68歳の男性は、「同じことを繰り返してるんよ。食事、掃除、洗濯。テレビと友達や。」とつぶやきます。でも地震までは紳士服の裁縫・裁断の職人でした。家と仕事を失い、転職していった仲間とのつながりも失いました。また別の73歳の男性は一時は死のうとまで思いつめましたが、香川県の琴平高校の生徒との文通で生まれかわります。被災者を励まそうと送られてきた手紙が、そのうち進路相談になり、男性が高校生を励ますようになったとき、生きる力が生まれたのです。住宅だけではなく生きがいを与えられるような支援の必要性がわかります。これからの高齢社会にも重くのしかかる問題。今年退職する団塊の世代などが無理なく参加できる、ボランティアのしくみづくりが求められるのではないでしょうか。
スタジオ報告: 毎日放送ラジオ報道 大牟田智佐子記者

第579回『科学と防災の狭間で』2007.01.27
三宅島のすべての住民が島の外に避難する。こんな決断が下されたのが2000年の三宅島の噴火のときでした。9月4日に避難は完了し3000人の住民の命は救われました。しかし小山教授は「避難は8月末までに終えるべきだった。たまたま被害が出なかっただけだ」と指摘します。三宅島は6月から活動を活発化させていました。それを示す写真も、三宅島の住民からネットに寄せられていました。しかしそれを実感していたのは、噴火予知連の中でも過去の歴史を知っている地質学者。一方、観測データは噴火が収束に向かっていることを示していて、数値やデータを大切にする物理学者にとっては理解できない現象が続いていたのです。しかも噴火予知連では防災の議論は封じられていたため、小山教授たち一部の火山学者はもどかしい思いをしたといいます。
「めったに起きなくても大規模な被害を起こす自然災害はある。せめて行政はそのときに最悪の事態を想定して動くべきではないか」と小山教授は警鐘を鳴らしています。
そんな小山教授は、普段は火山のめぐみについて子どもたちに教えています。写真の「火山カレンダー」もその活動の一環。火山学会が発行しているこのカレンダー、世界の火山の美しい姿を見ることができます。
ゲスト:静岡大学教授 小山 真人さん

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