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第628回『海を渡ったペーパードーム』2008.02.18
カトリックたかとり教会がある野田北部地区は阪神大震災で焼け野原になりました。教会の跡地に建ったのが、まちの集会所「ペーパードーム」でした。厚紙で出来た58本の円筒の柱の上にテントを張ったユニークな外観。まちづくりの話し合いや、被災地の外から来たボランティアの催しもの、そして教会のミサ・・・そこは人が集う「場」でした。神田さんの口癖「まちづくりはダチ(友だち)づくり」の由来、「ダチづくり」の現場でもあったのです。しかし震災10年で教会の再建が決まったとき、ペーパードームは一度は廃棄される運命にありました。それを救ったのが、地域を訪れていた台湾のNPO。話を聞くなり「我々がもらいます!」と即決したそうです。「今飲んでる酒の酔いが醒めてから聞きますよって言ったら・・・やっぱりもらうって言われた」と笑う神田さん。ペーパードームは船で台湾に運ばれ、先月25日、台湾大地震の被災地で無事立柱式(起工式)を迎えました。現地を訪れた神田さんは「柱の向こうに神戸を見た」といいます。台湾大地震から9年の今年9月21日、有機農法を中心としたまちづくりの拠点として再び命を吹き込まれます。
ゲスト:たかとりコミュニティセンター代表で神父の 神田 裕さん

第627回『震災遺族の13年』2008.02.11
(写真は前列左から加藤いつかさん、松浦美佐子さん 後列左から松浦潔さん、白木利周さん)

今日のゲストは、「ネットワーク1・17」が土曜夕方放送だった頃から出演されている方ばかり。NPO法人HANDSの理事長・白木利周さん(写真右上)は神戸大学3年だった長男の健介さんを、理事の松浦潔さん(写真左上)・美佐子さん(写真右下)夫妻は高校1年だった長男の誠君を、それぞれ震災で亡くしました。加藤いつかさん(写真左下)は、11歳だった妹のはるかさんを亡くしています。それぞれ、悲しみを人に話せるようになるまで何年もかかりました。 
全く知らない人同士だった白木さんと松浦さんが出会ったのは、被災地に建てられた慰霊碑を巡る「モニュメント交流ウオーク」です。慰霊碑に集う人たちの前で息子が亡くなったことを初めて話した白木さん。思わぬところで慰霊碑に息子の名前が刻まれているのを偶然見つけた松浦さん。受け入れてくれる人たちの前で泣けた経験がもとで、少しずつ周りが見えるようになっていきました。加藤さんも、妹が残した種から咲いたひまわりが「はるかのひまわり」となって全国に広がる中で、少しずつ心を開くことができるようになったといいます。
1月17日は「命を考える日にしてほしい」と口をそろえる4人。心ない事件が数多く報道される中、震災を知らない人たちに体験を伝えていくことで人の命の重みをわかってもらう、それがあの震災で「生かされた」者のつとめだと感じています。
ゲスト:震災遺族でNPO法人HANDSメンバー 白木利周さん、松浦潔さん・美佐子さん、加藤いつかさん

第626回『鳥取県西部地震、被災地の今』2008.02.04
2007年末、参議院で与野党勢力が逆転した「ねじれ国会」で初めて成立した法律がありました。それが「改正被災者生活再建支援法」。これによって住宅の再建・補修にも使える最高300万円の現金が国から支給されることになったのです。しかし遡ること7年、鳥取県が同じ内容で被災者に現金を支給していました。それが2000年10月の鳥取県西部地震です。最大の被災地・過疎の日野町で途方にくれた高齢世帯を励ましたのが、この補助金でした。全壊・半壊にかかわらず、同じ日野町内で住宅を再建する世帯に300万円、補修する世帯に150万円を支給。制度を使った人たちは「励みになった。ありがたかった」と口をそろえます。
ただ、震災とは別の不安や困りごとが出てきているのも事実。それを日常的に見守り続けるのが「日野ボランティアネットワーク」です。毎月1回、その月に誕生日を迎える高齢世帯を訪問してプレゼントとメッセージカードを届けます。
遠慮しがちな高齢者も、幼稚園児や小学生も参加するこのボランティアに心を開き、徐々に要望を口にするようになってきたといいます。

写真上:日野町で最も被害が大きかった地域のひとつ、黒坂地区。屋根瓦だけ真新しい家もありますが、所々に空き地が見られます。

写真下:日野ボランティアネットワークが毎月高齢世帯に届けている誕生月のカード。お祝いのメッセージとともに、困ったときの連絡先も書いています。
スタジオ報告:ラジオ報道部 大牟田 智佐子記者

第625回『震災ボランティア発足13年』2008.01.28
13年前の今日、ある震災ボランティアが誕生しました。その名は「ワンツードリーム」。避難所となっていた湊川中学1年2組から夢を発信しようという思いが込められていました。このボランティアは間もなく「プロジェクト1−2」となり、有光さんが代表となりました。
避難所、仮設住宅と被災者を支援してきた「プロジェクト1−2」の方向性が変わり始めたのは、復興住宅にみなさんが引っ越し始めた頃。復興住宅に入ってしまえば、被災していない人と一見変わりなくなってしまいます。そこで有光さんたちは方向転換しました。新たに、地域にもともと住んでいた人たちと、あとから復興住宅に入居した被災者の人たちを結ぶ、橋渡しの役目をしようとしたのです。その活動のひとう、ふれあい喫茶「オリーブ」は、今も150円で地域の人たちにモーニングを提供しています。これからも、肩肘張らずに地域に根ざした活動をしていきたいと有光さんは話しています。
ゲスト:プロジェクト1−2 代表 有光 るみさん

第624回『震災13年〜語り継がれる震災』2008.01.21
阪神・淡路大震災の発生から13年となった1月17日。
神戸市中央区の東遊園地で行われた追悼行事には今年も多くの人たちが訪れました。
その中には、今年初めて参加した作曲家の奥野勝利さんの姿もありました。
奥野さんは、震災で犠牲になった大学生の加藤貴光さんが生前、大学に入学する時に母親に向けて書いた手紙に出会い感動し、その手紙に曲をつけて歌を作りました。
奥野さんは「これから羽ばたこうという時に亡くなった青年の無念さを、自分が音楽を通して代弁できれば…」と話していました。
18日、奥野さんは貴光さんが在籍していた神戸大学を訪れました。犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前で、奥野さんは貴光さんの母親の律子さんが差し出すマイクに向かって、この歌を歌いました。律子さんは「息子がこの大学にいたという証の前で歌ってもらったことは、私にとってものすごく大きいんです」と話していました。
スタジオ報告:魚住 由紀

第623回『3人家族で迎える震災13年』2008.01.14
「あの川口君がもうお父さん?!」25歳といえば立派な大人ですが、妹尾さんと魚住さんにとっては自分の子どもを見守るような気持ちです。高校2年生で初めて番組に出演してくれた川口和徳さんが、同い年の綾香さんと結婚し、去年6月には長女を授かりました。和徳さんは震災でお父さんを亡くし、4人家族の長男としてお父さんの代わりを務めてきました。一方の綾香さんは同じ小学6年生のとき震災に遭い、両親を亡くしました。綾香さん自身も家の中に閉じ込められ、自力で這い出した経験を持っています。
「中学生の頃はお父さんが震災で死んだとは言えずに友達にうそをついていた」という和徳さん。一方の綾香さんは「親しくない人にも両親が地震で死んだって自分から言っていた。そのほうが相手も話しやすいと思って」。同じような境遇でも性格の違う2人。互いのいいところは「和徳さんのやさしいところ」(綾香さん)「綾香のしっかりしたところ」(和徳さん)だそうです。
震災13年の17日は特別なことはしないけれど、亡くなったお父さんお母さんのことを思い出すことが大切だと思う、と話していました。
震災遺児の川口和徳さん、妻で同じく震災遺児の綾香さん、長女で7か月の日向ちゃん

第622回『命を守る下宿選び』2008.01.07
阪神大震災のときも、「親に負担をかけたくないから」と老朽化した木造アパートに住んでいた親孝行な大学生が、地震でがれきの下敷きになり、亡くなりました。ところが鍵屋さんたちが行った学生
100人のアンケートでは「耐震性」を基準に住まいを選ぶ学生がゼロという結果が出たそうです。
「まず建築年代で選びましょう」と鍵屋さんはアドバイスします。建築基準法が改正された1981(昭和56)年の翌年以降に建てられたマンションが目安。阪神大震災のときも、こうした建物は被害が少なかったという調査結果が出ています。また、背の高い家具やテレビは突っ張り棒や粘着テープで止め、倒れてくるまでの時間を稼ぎましょう。「水道水の備蓄」「猫砂」もおすすめです。水道水は塩素消毒されているので半年は保存可能。水が出ないのトイレの処理とにおい消しには安価な猫砂!こうした防災からスタートしてはいかがですか?
(写真は「いのポタ」が配布している大学生向けの防災チェックシート)
ゲスト:NPO法人東京いのちのポータルサイト 理事 鍵屋 一さん

第621回『うつに気づいて!孤独死を防ぐために』2007.12.24
誰にも見取られずにひとり亡くなってしまう「孤独死」。地震後、住み慣れた場所から遠く離れた仮設住宅で、生きる気力を失って孤独死してしまう高齢者やアルコール依存症の果てに孤独死してしまう中高年男性が後を絶ちませんでした。その原因は「コミュニティが壊されたからだ」と言われ続けてきましたが、青木先生は少し違う角度からこの孤独死を見つめました。それは「孤独死は見取られることを拒絶している死、その背景はうつではないか」というものでした。「今は人と会いたくない」という被災者は「うつ」の可能性があるのです。そんな人には無理に外に出て行くのではなく、「そういう気持ちになるのも無理はない」「十分頑張ったよ」「あなただけじゃないからね」と呼びかけてほしいと青木先生は話します。先生のペインクリニックには、体の痛みをとってほしい患者さんが訪れます。その中には心の痛みが体の痛みとなって現れる患者さんが数多くいるのです。
ゲスト:青木クリニック院長で医師の 青木 正美さん

第620回『あの日の記憶が防災の原動力』2007.12.17
神戸市須磨区に住んでいた小野さんは、小学1年生で被災。腰が突き上げられるようなゆれやがれきのまちの光景が体に染み付き、地震後1か月ほど、おう吐や泣きじゃりを繰り返していたといいます。その症状も癒え、震災の記憶も薄れかけた中学3年生のときに目にしたのが、テレビの報道でした。全国で初めて防災コースを設置した兵庫県立舞子高校環境防災科の一期生たちが震災を伝えようとしている姿。それまで「防災は大人がするもの」と思っていた小野さんは「震災を次の世代に伝えることこそが、被災した自分たちのつとめなんだ」と気づきました。そして環境防災科に進学。友人や先生たちから幅広い視点を学びました。今は、南海地震で大きな被害が出ると予測されている徳島大学で勉強しながら、地元のボランティア代表として子どもたちに震災の経験を語り継いでいます。将来は教師か報道の仕事に携わりたいと話す小野さん。周りを明るくさせる彼女の力で、いのちの大切さに気づく子どもたちが増えてほしいと、私たちも願います。
ゲスト:「1・17リポーター」で大学生の 小野 綾子さん

第619回『上町断層で地震が起きたら』2007.12.10
上町断層帯は、北は豊中市から南は岸和田市まで、全長およそ42kmの活断層の集まりです。中でも地形がはっきり見えるのは、天満橋駅の近くの釣鐘町にある急峻な坂です。
土岐教授が座長を務める、政府の中央防災会議の専門調査会は、11月1日、この上町断層の被害想定を公表しました。最悪の場合、死者は4万2千人。しかし2006年に大阪府が独自に出した想定では、死者は1万2700人でした。
違う数字が出てきた理由は、想定に使う地盤のデータが違うから。「大切なのは細かい数字にこだわることではなく、この中に自分が含まれると真剣に思って備えることです」と土岐先生は指摘します。
被害想定の数字は、これからの対策で減らすことができます。土岐先生は「まずは住宅の耐震診断から始めてください」と話しています。地震に対して家がどれくらい強いか診てもらうのが耐震診断。ほぼすべての自治体で費用は補助が出ます。地震に対して弱いと診断された家は耐震補強が必要ですが、確実に実行していくことで、命を守る対策になります。
ゲスト:立命館大学理工学部 教授 土岐 憲三さん

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