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第638回『防災リポート』2008.04.28
鈴木隆太さんは新潟県長岡市を拠点に高齢者のボランティア活動を続けています。地震の後、仮設住宅から1人また1人と生活再建をしていく過程で、ようやく仲間を作った高齢者が閉じこもりがちになりました。神戸でもあった問題です。鈴木さんがかかわったある高齢女性は、寂しさから外に出て歩けなくなってしまいました。鈴木さんはなんとか連れ出そうと「山菜採り」を企画。何度も誘って連れ出すことに成功しました。すると・・・山に入った女性は「車を降りてみたい」と自分から言い出し、なんとすたすた歩き始めたのです。
一方の寺倉智浩さんは、常備消防署がない能勢町の消防団に導入された最新型の消防車についてリポートしました。消防団は、行政の消防署とは違い、普段仕事を持っている人たちがボランティアで参加するものです。導入されたのはエンジンカッターやAEDが搭載され、レスキューができるような機材が備えられた消防車です。「これを使って大勢の命を救うことができる」と寺倉さんも決意を新たにしていました。被災者や一般の人を守っているのは、こんな市井の人々なのです。
電話出演:CODE海外災害援助市民センター 鈴木 隆太さんと1・17リポーターで大阪府能勢町消防団

第637回『緊急地震速報なんでも相談室』2008.04.21
リスナーのみなさんから寄せられた質問に、東京スタジオの中森先生に答えていただきました。
中森先生は、災害社会学や災害情報論が専門。災害や災害情報が流れたとき、人々がどう行動するのか研究しています。緊急地震速報は、どこかで地震が起きたとき、大きなゆれが伝わる前に知らせ、被害を減らそうというもの。しかし余裕は数秒から数十秒しかなく、直下型地震などでは情報が間に合わないこともあります。MBSラジオでは今年7月1日からこの「緊急地震速報」を放送で伝えることにしています。
 しかし情報を受け取ってからどう行動すればいいのか。中森先生の解説はこうです。1.まず身を守る。そのため家の中では家具を固定し、危険なものを取り除く。また繁華街やオフィス街では高層ビルの落下物から身を守るため、近くの丈夫そうな建物にただちに逃げ込む。百貨店や倉庫では、物が落ちてこない「安全ゾーン」「待避場所」を作るのが望ましい。2.運転中の車は、ハザードランプをつけ、ゆっくり減速する。
 要は事前の対策が大切です。いつ地震がきても命が守れるよう、身の回りの危険なもの、点検してみませんか。
ゲスト:日本大学文理学部社会学科 教授 中森 広道さん

第636回『ラジオが支えるオーストリアの災害NPO』2008.04.14
「ラジオがNPOを共同運営?」確かに、日本ではあまりない形式かもしれません。NPO「チームエスタライヒ」は2007年夏に発足したばかり。会員は、SMSと呼ばれる携帯電話のメールで登録するだけ。名前や連絡先、災害時役立ちそうな特技、免許、資格などを書き込みます。「子どもの相手が得意」もOK。
そして災害や事故が起きると、会員に向かって「あなたの力が必要です。参加できる人はYESの返事を」と一斉にメールが送信され、「YES」と返信した人に詳しい指示が飛ぶしくみです。このNPOの存在を一般の人に知らせ、また会員だけでは人手が足りないときにボランティアを呼びかけるのがラジオ局「ORF3」です。「X地区に医者が足りない」「Y地区は人が集まりすぎて混乱している。しばらく待機を」「大型トラック800台が必要」・・・。
広域の放送エリアを持つラジオ局は、こうした呼びかけを被災地以外にすることができます。「同じような規模のMBSの果たせる役割も大きいですよ」とこの番組も矢守先生から激励されました。
ゲスト:京都大学防災研究所 准教授 矢守 克也さん

第635回『いつも備える地震対策』2008.04.07
「いつも備える」といっても「いつもいつも地震のことを考えて過ごしなさいという意味ではないんですよ。いつもしていることが自然と防災につながる、そういう暮らし方をしようということです」と渥美先生。阪神・淡路大震災の被災者167人の証言を集めた「気持ちの」防災本『地震イツモノート』に、その具体例があります。
渥美先生自身が避難した西宮市立安井小学校では、体育振興会の指導員さんたちが学校と連携し、避難者の名簿作りや食事の手配、部屋の振り分け、風呂焚きなどを手際よく進めていきました。楽しいから指導員をしていたらそれが防災につながっていたわけです。これを聞いた河本アナ、「アウトドアというほどではないけど、僕はバーベキューをします。それも防災なんですね!」
最後に、一人暮らしの河本アナに、先生からアドバイス。「ゴミ当番をしている人にちょっと話しかけたり、マンション出会った人に挨拶や天気の話をするだけでもいいですよ」。阪神・淡路大震災でがれきの中から助け出された人の8割は、近所の人々の手によるものでした。みなさんも近所づきあいから始めてみは。
※3人が手にしているのは、きょうのプレゼント『地震イツモノート』。震災13年にちなんで13冊、プレゼントします。
ゲスト:大阪大学コミュニケーションデザインセンター 准教授 渥美 公秀さん

第634回『はじめまして、河本光正です』2008.03.31
河本アナは阪神・淡路大震災当時小学4年生。10歳でした。北区にあった自宅はそれほど被害はありませんでしたが、経営する蕎麦屋が心配になった父の等さんとともに午後になって兵庫区へ。そこで、わずか1本通りを隔てた松本通りの火災を目にします。「店が燃えたらこれからの生活はどうなるのか・・・」幼心に愕然としたといいます。
そんな河本アナが今回話を聞いたのは、父に加え、兵庫区内で喫茶店を経営する鹿島治子さん、そして建設会社の社長さん。建設会社の従業員は、地震直後、がれきに閉じ込められた人の救出に走り回りました。ただ、残念なことに殆どの人がすでに亡くなっていたそうです。一方で等さんや鹿島さんが話すのは「地震直後の飲食店は、建設や解体の人たちで一時的に賑わった」ということ。しかし復旧工事が落ち着くにつれ売り上げは減り、以前の住民が引っ越してしまった今は、気づくと震災前の半分や3分の1になってしまいました。
「小学生の目には、壊れた建物や火災しか入らなかった。その中で人の命が失われていたことを今回強く実感しました」と河本アナは話していました。
スタジオ報告:ネットワーク1・17新パーソナリティー 河本 光正アナウンサー

第633回『妹尾和夫卒業記念 ネットワーク1・17スペシャル』2008.03.24
 妹尾さんの卒業式にゲストとしてお迎えしたのは、京大名誉教授の梅田康弘さん(下の写真、後列右から2人目)。梅田先生は98年から「週間地震概況」のコーナーの監修を7年間おひとりで務め、毎週番組を熱心に聴いてくださいました。「妹尾さんの台本なしの生放送は楽しく、真摯でまっすぐな会話ができました」と振り返っています。きょうは海底掘削船「ちきゅう」がなにをしているのか、南海地震の予知にはつながるのかについて聞きました。
 一方で、妹尾さんに内緒のサプライズゲストとして登場したのが、小学生のとき自転車で日本一周をした矢崎正道・直道兄弟(下の写真、後列左から直道君、正道君)。今や2人とも立派な大学生。それぞれスペインやニュージーランドの留学経験を経て、大分で学んでいます。
 このほか「被災地リポーター」として電話リポートをしょっちゅう寄せてくれていた耕笑園てつやさんも、声の登場。リスナーのみなさんからのメールやFAX、お手紙を読みながら妹尾さんも涙腺がゆるみっぱなしでした。
 31日からは魚住由紀とMBSアナウンサーの河本光正(下の写真、後列右)のコンビです。新しくなる「ネットワーク1・17」を引き続きよろしくお願いいたします。

※ 下の写真、妹尾さんと握手しているのは初代パーソナリティー(95〜96年)の関西大学安部誠治教授です。
※ 妹尾さんの最終回に、リスナーのみなさんから本当にたくさんのメール・はがき・FAX・お手紙を頂きました。時間の制約上、ほんの一部しかご紹介できず申し訳ありません。頂いたメッセージはすべて妹尾さん、魚住さん、スタッフが読んでいます。改めてお礼申し上げます。
ゲスト:京都大学名誉教授で産業技術総合研究所招聘研究員 梅田 康弘さん

第632回『今も続く被災者の見守り』2008.03.17
地震災害が起きるたび、避難所の問題が取り上げられます。プライバシーのない空間や仮設トイレの衛生状態、蔓延する感染症など・・・地震でせっかく助かった命を避難生活で失わないためにどうすればいいのか。黒田さんたちは、阪神大震災の経験からそのことを真剣に考えてきました。
発生からまもなく1年を迎える能登半島沖地震では、発生直後にかけつけて、仮設トイレの段差に手すりをつけ、つまづいたり滑ったりする原因になるむき出しのポリ袋をゴミ箱にきちんと設置するようアドバイスしました。高齢者が転倒すれば足を骨折し、寝たきりになって肺炎で亡くなることも多いのです。高齢化率が非常に高い地域だけに、こうした気配りは重要でした。この経験は新潟県中越沖地震でも生かされたといいます。
それ以上に黒田さんが大切にしているのは、ひとりの人としての尊厳。家を失い「この先どうなるのだろう」と不安を抱える人に神戸の経験を話し「大丈夫」と手を握る。そうした心からの見守りの必要性を、黒田さんは訴えています。
ゲスト:阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長 黒田 裕子さん

第631回『これからの防災対策』2008.03.10
「地震の対策してますか?」と聞かれたら皆さんどう答えますか。
「非常持ち出し袋を作っています」と答える方が多いのでは?
その前に考えてほしいのは、地震の瞬間生き延びることだと木村さんは言います。そのためにはなんといっても耐震化。特に1981年以前の木造住宅は要注意。壊れた家を再建するには2千万円以上かかるのが普通ですが、耐震補強工事は100万円から200万円です。また家具の転倒防止も大切。「1人じゃできないよ!」という人も多い中、東京の世田谷区では地域にある大学と町内会が協定を結んで、屈強な男子学生が高齢者のお宅の家具止めを手伝っているそうです。そういう人の輪を作り、いざというときに助けあうのも大切な防災対策。
これからの時代は高齢者が増え、経済状況も厳しくなります。元気な人ばかりが進めるのではなく、弱い人も知恵を出し合って助け合う防災対策、積極的に進めましょうと木村さんは話していました。
ゲスト:社会安全研究所 所長 木村 拓郎さん

第630回『被災外国人の支援を続けて』2008.03.03
2004年に新潟県中越地震が起きたとき、田村さんたち多文化共生センターのメンバーは長岡市の避難所を巡回。外国語を話せるスタッフが「中国語」や「ポルトガル語」と書いた粘着テープを背中に貼り、避難所をぶらぶらしたのです。最初は警戒していた外国人被災者も、ぽつぽつと困っていることを相談し始めました。このとき田村さんは「『見捨てられているのでは』という心理面の不安が大きかったのだ」と気づいたといいます。
この経験から、2007年の新潟県中越沖地震でも柏崎市で同じようなボランティアが活躍しました。13年前の阪神大震災ではあまりに被災者が多すぎて同じことはできていなかったという田村さん。神戸では、震災後むしろ「災害時に困らないための日常のまちづくり」に重点が置かれすぎたかもしれないと思い直したそうです。改めて災害直後の外国人への対応を客観的に見直すことができるようになったと話していました。
ゲスト:多文化共生センター大阪 代表理事 田村 太郎さん

第629回『震災がつないだ松山との交流10年』2008.02.25
交流の始まりは、松山のボランティア「打てば響く会」代表で石手寺の住職でもある加藤俊生さんが、宝塚の仮設住宅を訪れたこと。「被災者に物資を届けたい」と話す加藤さんに、対応した亀甲さんは「物をもらってもありがた迷惑です」ときっぱり。しかし「それよりも心の支援を。被災者を温泉に招待してください」と願い出たのです。それが実現し、被災した高齢者は道後温泉へ招待され、忘れられない思い出となりました。すっかり仲良くなった松山とはその後も行き来が続き、芸予地震では宝塚のおじいさんが100万円を持って支援に訪れたり、逆に石手寺には宝塚で被災した石を使った震災地蔵が建立されたりしました。
そのようすを亀甲さんが文章にした紙芝居が去年完成。81歳の男性が挿絵をつけ、今年の1月17日に石手寺で披露しました。被災したお年寄りが涙を流して喜んだのはもちろんです。しかし、「これでよかったのだろうか」と壁に突き当たっていた石手寺の住職や活動が停滞していたボランティア「きずな」のメンバーの意識までも、紙芝居をきっかけに再び火がつきました。
※写真の紙芝居は松山で1月17日に生まれた「いのりちゃん」
ゲスト:宝塚のボランティア「きずな」副代表 亀甲 つぎこさん

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