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第657回『シリーズ人々の震災20・新長田駅前を離れて』2008.12.01
中村さんの店は駅前の若松町、自宅は目と鼻の先の大橋町にありました。地震では店が全壊。自宅はびくともしませんでしたが、やがてどちらも全焼してしまいます。地震後消火用の貯水タンクからの供給が停止されたことが一因でした。
1か所から出た火は瞬く間に付近の4つの町を焼き尽くしたのです。
2か月後、新長田駅前は再開発事業が行われることが決まりました。40本もの超高層ビルが立ち並ぶ計画です。それまでの長田はケミカル産業が盛んで人情あふれるまち。高層ビルが建設されていったものの、現在は計画のうちの半分ほどしか完成しなかったといいます。再開発事業そのものは取り消されないため、更地だらけの中、地震から13年以上も宙ぶらりんの状態で仮住まいの人たちも大勢います。
中村さんは今、当時どんなことがあったのか体験談を記録集にまとめようとしています。そんな中で大事にしたいエピソードは地震で焼けてしまった柿の木。無残な姿になった根っこを掘り出し移植したところ、なんと新芽が出ました。中村さんは接木をして見事に再生させたのです。それを見たある哲学者が中村さんにこう話したといいます。
まちづくりは古い文化のうえに新しい文化を接木すること。決して古い文化を壊してはいけない。今の新長田駅前のまちづくりは果たしてこれでよかったのか。中村さんはしみじみ考えています。
ゲスト:神戸市長田区でそば店を営んでいた 中村 専一さん

第657回『新潟県中越地震の復興に学ぶ』2008.11.24
中越地震では長岡市に支援に入っていた渥美先生は、1年半後から小千谷市塩谷地区の支援を始めました。今も月に2回通い、田植えなどをしています。塩谷地区は冬の積雪が4m、養鯉業などの傍ら棚田などで農業を営む兼業農家がほとんどです。地震前、49世帯いた住民のうち29世帯が集落を出て行きました。
復興の支援をしている渥美先生たちは、この集落で人の絆や生きること、助け合うことを実感する貴重な体験をいくつかしました。ひとつは「手紙」。きっかけは、渥美先生が理事長を務めるNPO法人が、小林聖心女子学院高等学校の奉仕部から、2007年新潟県中越沖地震の被災地、刈羽村にと寄付を受けたことです。そのまま寄付を渡すのではなく、塩谷地区で取れた食用の鯉を購入し、刈羽村へ届けることにしました。そのとき、塩谷地区の住民がかつてのつらい思いをつづった手紙を書いたのです。そこには「焦らないで下さい」というメッセージがありました。復興のために「集落を出て行くのか、戻るのか」決断を迫られた辛さ。気持ちが固まるまで待ってほしかったという思いは刈羽村にも届き、双方の住民があったときには前からの親しい友人のように心が通じたといいます。
阪神・淡路大震災は都市型の災害でした。しかし、こういう人のつながりを見ながら、まちづくりの手法も「他にもあったのかもしれない」と振り返ってみることも必要かもしれません。
ゲスト:大阪大学コミュニケーションデザインセンター 准教授 渥美 公秀さん

第656回『岩手・宮城内陸地震 被災地の今』2008.11.17
死者13人、行方不明者10人が出た岩手・宮城内陸地震。栗駒山の中腹にある栗駒耕英地区は、41世帯全世帯が被災しました。地区にある大場さんの自宅もイチゴ畑も大きな被害を受けました。大場さんが栽培しているのは、ショートケーキにのせる大きなイチゴ。地震の前の日、「あと2日もすれば出荷できる」と市場関係者と共に打ち合わせをすませたばかりでした。地震後の一時帰宅で熟しすぎたイチゴ300kgをヘリコプターで「救出」。冷凍保存して「復興イチゴジャム」として販売しました。

山も道もすっかり崩れてしまった栗駒耕英地区ではいまだに避難指示が解除されていません。来年の苗を少しずつ用意しながら、「山に帰る」ことを目標に大場さんたちも復興に向けて頑張っています。大場さんたちは、支援金も呼びかけています。

問い合わせ先:
くりこま耕英震災復興の会 
TEL0228−45−6050 (日曜日に対応しています)

【写真】
岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受けた宮城県栗原市の栗駒耕英地区。
かろうじて残った住宅は、これから2メートルもの積雪で倒壊する恐れがあります。倒壊を防ぐためにトタンなどで補強する「雪囲い」が住民やボランティアの手で進められています。
電話ゲスト:宮城県栗原市在住のイチゴ農家 大場 浩徳さん

第655回『見直そう、避難訓練』2008.11.10
これまで学校で習ってきた訓練は机の下にもぐり、そのあと校庭に避難するというパターンがほとんどでした。「どんな訓練が本当に役に立つの?」という疑問がわきます。社会安全研究所の木村拓郎さんは、次のように答えています。
そもそも避難訓練は身体で緊急事態の行動を覚えておくためのもの。去年の能登半島地震では、偶然地震発生の数日前に津波避難訓練を実施していて、そのとき決めた避難場所に住民が集まることができ、安否確認ができたそうです。このように、最近は小さな空き地を使った住民参加の実戦型が増えてきています。とはいっても参加者が少ないのはどこも悩みの種。暗闇の訓練、ウォークラリー方式や参加者にステッカーを配るものなど、工夫して楽しい訓練をめざすのも一つの方法です。
そして参加する私たちにも心構えが必要。防災の基本は地域社会=コミュニティです。訓練に参加することによって顔見知りが増え、いざというときの心強い味方になります。お友達を作るつもりで、みなさんも是非、防災訓練に足を運んでください。

(写真上)9月29日関西大学で行われた1万人参加の避難訓練。教室では学生が机の下にもぐったあと、避難場所になるグラウンドに移動しました。
(写真下)教職員は「災害対策本部」を立ち上げ、学生の安否確認の手順などを確認しました。
電話ゲスト:社会安全研究所 所長 木村 拓郎さん

第654回『がんばってるで!京都のボランティア』2008.11.03
阪神・淡路大震災のとき大学生だった吉村さんは、被災地に救援にかけつけた経験があります。その後、仕事のかたわら京都市域で活動するボランティア組織の災害担当責任者をつとめました。そこに起きたのが2004年の水害。新潟や福井に救援を出した吉村さんたちに、「京都のボランティアがなぜ新潟や福井に出て行くのか」と疑問の声が上がったのです。同時に、京都府には専門の災害ボランティアNPOがないことにも気づきました。こうしてNPO法人京都災害ボランティアネットは3年前に誕生しました。その後はボランティアセンターのサポートや水害にあったお宅の泥のかき出しなど、地道な活動を続けてきました。
災害救援で吉村さんたちが大切にしていることは4つあります。

【1】被災地の行政や社会福祉協議会も被災者。外から入ったボランティアはむしろ「今日1日ぐらい我々に任せて休んでください」と声をかけるぐらいの姿勢で。
【2】ボランティア養成講座や研修で知識があったとしても上下関係はない。上に立とうとせず、クレーム処理で頭を下げるのがボランティア。
【3】情報を十分に入れる。必要とされているものを把握し、水害現場にハイヒールで来るようなことは避けて。
【4】(放送では触れませんでしたが)被災地に行かなくてもボランティアはできる。
刻々と変わる支援ニーズの情報を仕入れて、できれば物資よりも義援金で・・・
どれも経験から生み出されたことです。
ゲスト:NPO法人京都災害ボランティアネット 理事長 吉村 雄之祐さん

第653回『河本リポート〜安心・安全の家作り』2008.10.27
千葉県に新築された国崎さんの自宅には、最新の防災機器が備えられています。
例えば緊急地震速報に連動して開く玄関ドア。これによって避難路をすぐに確保することができます。また火災に備えてスプリンクラーも設置。火災に気づかなかったとしても自動的に消火してくれる仕組みです。しかし国崎さんならではの工夫は子ども部屋にタペストリー(暖簾のようなもの)のようにかけられた非常用品です(写真上)。このエマージェンシーキットの中には、「釘を踏んでも大丈夫」という厚底の防災用サンダルやレスキューホイッスル、ライトなどが入っています。いつも目に付くところにかけておけば、非常時もあわてずに取り出せるというわけ。
ただ、こうした特別なものを使わなくても防災はできます。100円ショップでも購入できるタッチライト(手を触れるとスイッチが入る乾電池式のライト)など、普段から「これ使えるかも!」という発想で物を選んでみては?

【写真上】…
子ども部屋にとりつけられたエマージェンシーキット。こうすればインテリアのようでおしゃれです。(写真左が国崎さん)

【写真下】…
国崎邸の外観。普通のお宅となんら変わりありませんが、実はすごい防災ハウス!
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第652回『近畿の地震活動を探る満点計画とは』2008.10.13
飯尾先生たちのグループが進める「満点計画」。それは「近畿にあと1万点地震計を増やし、地震の予測につなげたい」というものです。地震計「1万点」で「百点満点」をめざします。
地震計を増やすとどうなるのか。CTスキャンのように地面の中のことが見えてくるといいます。「地震は、深いところで水が動くことによって起きると考えられています」と飯尾先生。水が入り込んだ断層がすべりやすくなったり、硬い岩を変形させたりして、地震を起こすというのです。ならばどこに水があれば分かれば地震の予測につながります。それを見せるのが実は地震波。水があるところを通るときは地震波の速度が遅くなるのです。速度の分布を図にすれば、地面のCTスキャンが取れるというわけです。
11月から45か所で地震観測が始まる予定ですが、民家や寺院などに地震計を設置させてもらえるように飯尾先生たちは交渉を続けています。みなさんのおうちにも依頼があったら協力してくださいね。

※河本アナが夏休みのため、ピンチヒッターで千葉アナが登場。手にしているのが地震の記録装置です。
京都大学防災研究所 地震予知研究センター教授 飯尾 能久さん

第651回『子どもサバイバルキャンプ』2008.09.08
キャンプを行ったのは奈良県北葛城郡上牧町の桜ヶ丘2丁目自治会。この自治会は周辺の5つの自治会とおともに「西大和6自治会連絡会」を結成して、自主防災活動を熱心に続けています。子どもサバイバルキャンプもその一環です。
キャンプは8月23日と24日の1泊2日で、自治会館前にテントを張って避難所生活を体験する本格的なもの。子どもたちは消火器に水をつめた「水消火器」を使う訓練をしたり、防災カルタで遊びながら基礎知識を学んだりしました。
キャンプの夕食といえばやはりカレー。地域の大人たちが大きな鍋でカレーライスを調理します。5升のお米を一気に炊き上げる体験は、大人たちもめったにありません。子どもたちは喜んでくれたかな?量は足りたかな?そんなことを確かめていました。そう、実はこのキャンプは子どもたちだけのものではありません。河本アナのインタビューに地域の大人たちは「子どものためのキャンプとうたっていますが、実は災害時を想定した大人の訓練でもあるんです」と教えてくれました。

【写真上】…「防災カルタ」で遊んでいるところ。河本アナも読み上げ役で参加しました。
【写真下】…消火器の中に水を詰めた「水消火器」で放水訓練をする子どもたち。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第650回『防災の日リポート』2008.09.01
大阪市の総合防災訓練は、大阪市の舞洲スポーツアイランドで行われました。
西淀川区、大正区、港区、此花区に加え、警察・消防・陸上自衛隊・海上保安部が参加する大掛かりな訓練です。
河本アナは、参加した自主防災組織の方たちに注目しました。いわゆる「防災服」を着て参加していた男性たちの中には「地域の夜の見回りは月2回やっています」「防災ジュニアという小学生たちのクラブを作っています」という熱心な地域の人もいました。にぎやかなのは女性たち。アルファ化米といって、お湯や水を加えるだけで炊き上がる備蓄米を炊き出ししているグループは「女性は食べることに敏感。それぞれの立場でお手伝いしていますよ」と楽しそうに参加していました。
また、阪神・淡路大震災のときにも活動した日本アマチュア無線連盟の方たちは、いざというとき自宅に設置したアマチュア無線を使って、避難所で必要とされている物資や子どもたちの安否を行政などにも連絡できるようにしているということです。
こうした人たちに支えられている防災訓練。河本アナウンサーは「消防のヘリコプターが出てくるのが訓練の表舞台とするなら、僕は裏舞台を知ることができました」と話していました。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第649回『防災リポート』2008.08.18
「きくせいさん」こと菊田清一さんは、宮城県沖地震が迫る気仙沼市で消防士として長年防災に携わってきました。消防の仕事は早期退職し、現在は観光コンベンション協会に勤めています。6月14日の岩手・宮城内陸地震で大きな被害があった岩手県一関市の避難所を、7月7日に訪問してきました。「避難所においしい寿司を届けたい」という気仙沼市の寿司組合の親方衆に同行したのです。
気仙沼と一関は50km離れた隣町。目の前で握られるお寿司に、10世帯40人ほどの避難者の方はとても喜んでくれたそうです。子どもたちは魚に歓声を上げ、高齢の被災者は「ありがとうございます」と畳に額をこすり付けるように感謝しました。親方衆は「かえって勇気をもらった」と帰りの車中話し合ったということです。

【写真上】…
避難所となった一関市厳美公民館山谷分館。寿司組合の親方7人と女将さん3人が寿司やうどんを振舞いました。

【写真下】…
ネタはカツオ・ビンチョウをメインにウニ・ホタテ・エビ・イカなど。子ども用に玉子・巻物もありました。
電話出演:宮城県気仙沼市の1・17リポーター 菊田 清一さん

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