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第667回『防災リポート』2009.02.09
2007年にスタジオ一度出演した小野綾子さん。徳島では子どもたちに地震や防災の話をわかりやすく伝えたり、NPO「徳島の風」の代表として、地域住民をいかに防災まちづくりに巻き込むか、日々苦心しています。
そのひとつが「スーパー防災」。被災者が食料を求めるスーパーマーケットを防災の拠点にしようという発想です。スーパーの入り口で徳島の風の活動をPR。いざというときには避難所の代わりに人々が集まる場所にしたり、炊き出しをしてもらえるように協定を結んでいるということです。スーパーも協力的で、「災害が起きたときは頑張ります!」と表示したステッカーを貼り出したりしているそうです。
小野さんが防災にここまで力を注ぐのは、小学生で体験した阪神・淡路大震災がきっかけ。当時は恐怖で泣き叫んでいたという小野さん。しばらくしてPTSDのような症状も体験しました。しかし、経験した自分たちが、自分たちの言葉で震災を伝えていく役割があると考えるようになり、兵庫県立舞子高校の環境防災科に入学。以来、防災にずっとかかわっています。
そういう小野さんは就職活動中。将来は報道関係の仕事につきたいと頑張っています。

(写真・「被災地むすぶ手芸展」で魚住さんが購入したお手玉。新潟県刈羽村の被災者の方たちが作ったもので、巻貝が入っています)
電話出演:1・17リポーターでNPO「徳島の風」代表で徳島大学3年の小野綾子さん

第666回『中国・四川大地震から9か月』2009.02.02
 阪神・淡路大震災で福岡から神戸に救援に入って以来ボランティアを続けている吉椿さん。四川大地震のときには偶然、被災地の隣、雲南省にいました。そこで直後から被災地に入ります。瓦礫のまちでは泣き叫ぶ人、救助を待つ間にもどんどん亡くなっていく人・・・吉椿さんも胸がつぶれる思いで被災者に寄り添うことしかできなかったといいます。
 そこから、、必要な支援を聞き取る調査を始め、被害の最も大きいひとつ、北川県香泉郷光明村を拠点にすることになりました。その後、住宅再建にむけてレンガをより分ける作業などのボランティアをしています。重機で一気に壊してしまうと、再生可能なレンガも壊れてしまうので、手作業が必要なんだそうです。黙々と作業を続ける吉椿さんたちの姿を見て、中国の人たちも次第に心を開き、自ら動き出しました。
 しかし、今の最大の問題は住宅再建です。政府は2008年の年末までに住宅を再建した人に限って建設費の一部補助をすると発表しました。しかし、光明村は出稼ぎによってわずかな収入を得ている村。費用負担は重く、再建を急ぐあまりに、安価で耐震性の不十分な住宅も数多く建設されてしまっているといいます。吉椿さんたちがしているのは体を動かしてひとりひとりに寄り添う形のボランティア。日本の人たちには、四川の被災者のことを忘れないこと、そうしたボランティアを支援するのも間接的な支援だと語ります。また、観光がてらぜひ現地を訪れてほしいと話していました。
ゲスト:CODE海外災害援助市民センター 吉椿 雅道さん

第665回『被災地をむすぶ手芸』2009.01.26
阪神・淡路大震災では、仮設住宅などの入居者が得意な手芸を生かしてコースターやぬいぐるみなどを作り、それを市民団体が手ごろな価格で販売し、収益を被災者に還元する取り組みが行われました。こうした事業は「コミュニティービジネス」と呼ばれます。被災地に送られたタオルを利用したぞうのマスコット「まけないぞう」もそのひとつです。
菅さんたちは、兵庫県西宮市や神戸市で活動するコミュニティービジネスのグループとかかわってきました。例えば西宮の「木馬の会」が作るしじみの根付は、炊き出しで使われたしじみを洗ってきれいな布を貼って作るもの。「あのときの炊き出しのしじみが使われている」という話を聞けば、買う人は支援しているという実感がわき、被災地の人との間に心のつながりが生まれます。また、作る人は自分の特技で事業が成り立つという生きがいも感じることができます。災害で生まれたコミュニティービジネスによって、被災した人たちがより生き生きとしてくるのです。
2007年新潟県中越沖地震の被災地、刈羽村の仮設住宅でも手芸を通じた被災者同士の交流が行われてきました。そしてこのほど、新潟や神戸などのグループが共同で作品展を開くことになりました。貝殻にちりめんの布を貼り付けたかわいらしいお雛様も販売されます。初日には交流会も予定。「被災地むすぶ手芸展」は2月2日から4日まで、神戸市東灘区のコープこうべ生活共同センターで開かれています。問い合わせ:TEL&FAX 078−351−5511(ひょうご・まち・くらし研究所)
(写真)河本アナウンサーはインフルエンザのため休み。魚住さんと大牟田プロデューサーがゲストの菅さんを囲みました。
ゲスト:大阪大学コミュニケーションデザインセンター 特任講師 菅 麿志保さん

第664回『震災14年・慰霊のろうそく』2009.01.19
毎年、神戸市役所の南にある東遊園地で行われている追悼の行事。その時間に集う人々を、河本アナは今回初めて取材しました。午前5時頃から1つ1つのろうそくに人々が火を灯し始めます。知らない人同士が火を分け合う姿に、声には出さなくても「あの日がまためぐってきましたね」・・・そんな言葉を河本アナは感じ取ったそうです。談笑する人も見られた会場は、午前5時46分の直前からはりつめた空気になり、黙祷の瞬間、全員の思いが一つになったように感じられました(写真上)。
この会場で使われている追悼のろうそくは、すべてボランティアの手作りです。12月中旬に行われたろうそく作りも、河本アナは取材しました(写真下)。神戸市灘区の摩耶埠頭で、10人のボランティアが作業をしていました。冠婚葬祭に使われたろうそくを無償で譲り受け、なべでとかして「ガチャガチャ」の容器に入れて作ります。この日は「初めて参加した」という神戸大学の学生5人もいました。震災遺族から亡くなった方のことを丹念に聞き取り、記録に残す「震災聞き語り調査」に携わっているそうです。「ろうそく作りを通して震災のことを知ることができた、もっと多くの人にこの活動を知ってほしい」と話していました。摩耶埠頭で準備されたろうそくは2万個。その他、兵庫県内や遠く山形などから寄せられたろうそくとあわせて10万個が1月17日の朝、使われました。

(写真上)1月17日の朝、東遊園地で。
(写真下)12月中旬、摩耶埠頭で行われたろうそく作り。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第663回『ながたの灯りに集う人々』2009.01.12
長田の灯りの行事は、JR新長田駅前の広場で行われます。当日、ボランティアがおよそ2000個のペットボトルで灯篭を作り、「1.17ながた」の文字に並べてろうそくを点灯。午後5時46分に一斉に黙祷をささげます。このろうそくを作っているのが地元の保育園児や中学生。みんなで集めた卵パックに溶かしたろうを注いでろうそくを作るのです。作業の前には和田さんが震災の話を聞かせています。保育園児はもちろん、今の中学1年生も震災の年にはまだ生まれていません。震災を知らない子どもたちに向かって、和田さんは震災当日自分で撮影した写真を見せながら、どんな被害があったのかを聞かせます。ただ、保育園児が怖がったりしないように、炊き出しやレスキュー犬の写真を見せます。
「少し我慢したら人が助けに来てくれるからね、というんです」。逆に中学生には「今度はあなたたちが助ける側に回ってください」と話しているそうです。
こういうことを経験した子どもたちは、1月17日の灯りの行事の会場にも足を運び、ろうそくを並べて試験点灯するお手伝いをしています。通りかかった高齢者も一緒に火をともしながら、自然と震災の話が出ます。会場にはあちらこちらで「あのときは大変やったね」「避難所でようやく親が見つかって・・・」といった話が繰り広げられるそうです。誰でも参加できるこの行事、1月17日の朝10時頃から準備が始まり、夜10時まで開かれています。
みなさんも一度足を運んでみてください。
ゲスト:1.17KOBEに灯りをinながた実行委員長 和田 幹司さん

第662回『防災リポート・関西と関東の防災意識の違いは?』2009.01.05
高崎さんは年末に帰省し、消防団の年末警戒に参加しました。夜9時から真夜中1時まで消防車でパトロールするというもの。実はこの1年に宇治田原町では11地区中3地区で自主防災組織が立ち上がりました。それまでは全くありませんでした。災害のときには常備消防や消防団はすぐに駆けつけられません。地域住民で構成する自主防災組織が強い味方になりそうです。
 それに比べ、東京に住むようになった高崎さんには、東京の人の防災意識が関西より薄いのではと感じずにはいられないそうです。日常的に地震が多いにもかかわらず、対策をしているという人にはあまり出会わず・・・高崎さん自身は宇治田原にいる頃と同様、家具の転倒防止、風呂水のため置き、食料・水の備蓄などをしています。また、いざというとき大切なのが近所づきあいですが、自宅マンションは日中人が出払っていて、つきあいを深められないのが悩みです。
 そんな中、地域の消防団などに積極的に参加するのは知り合いも増え、防災を考え直すよいチャンスだと高崎さんはいいます。全国的に消防団は人員不足の悩みを抱えています。各自治体で募集しているので関心のある人は是非参加してほしいと高崎さんも呼びかけています。
電話出演:1・17リポーター 高崎 剛さん

第661回『今年最後の放送・みなさんからのおたより紹介』2008.12.29
新パーソナリティーで入社2年目の河本光正アナウンサーは、3月31日からほぼ毎月「月イチリポート」と称して、震災に関係する様々な取材を経験してきました。その中で今月放送した「上町断層を歩く」には数多くの反響が寄せられました。大阪を南北に貫く40kmの大断層、上町断層。河本アナは住吉大社から谷町九丁目までを歩いてみて、実は歴史ある坂道や神社の石段が上町断層だったことに気づかされます。リスナーのみなさんからも「地図を見ながら聞きました」などおたよりを頂きました。
ほかに、川西市からFAXで頂いた質問もご紹介。「カラフルな消火器を自転車屋さんで見ましたが?」番組で調べました。自転車・消火器製造の宮田工業がお酢を主成分に作った「キッチンアイ」という商品。食べられるものばかりで作った消火薬剤なので、従来のように粉が飛び散ることもなく、使い終わったら飛び散った液を拭けばよいというものです。
間もなく阪神・淡路大震災は発生から14年を迎えます。再びあの日を迎える皆さんの思いも番組にどうぞお寄せください。「ネットワーク1・17」も震災の経験を伝え、今後の災害で犠牲者が1人でも少なくなるよう、みなさんが実践できる防災の知識をお知らせしていくつもりです。
2009年もどうぞ「ネットワーク1・17」をよろしくお願い致します。
ゲスト:なし

第660回『FMわぃわぃ代表 日比野 純一さん』2008.12.22
FMわぃわぃは、阪神・淡路大震災がきっかけで設立された多言語のコミュニティ放送。震災で情報から隔絶された外国人に安心情報を伝えてきました。 被災者にとっては、自分たちの安否、どこで食料や水をもらえるのか、役所でどんな手続きが必要なのかなど、細かい情報が必要です。こうした情報とあわせ、心の傷を癒す音楽をかけたり、被災者の話を聞いたりするのもコミュニティラジオです。
 そのわぃわぃの経験が買われ、世界110の国・地域から5000局が参加する「世界コミュニティラジオ放送連盟」(国際NGO)のは日本協議会代表を日比野さんが務めることになりました。各国のコミュニティラジオに配る災害時のガイドラインをまとめているところだそうです。ガイドラインには「放送が続けられるように、送信機は地震でも落ちないようにくくりつけておこう!」といったことから細かく書かれています。
海外のコミュニティラジオは、地元の人たちが出演しあうだけでなく、お金を出し合ったりして支えています。そんな小さなラジオが横につながることで、それぞれの地域の課題を解決する知恵が生まれれば・・・阪神・淡路の経験は世界に生かされようとしています。
ゲスト:FMわぃわぃ代表 日比野 純一さん

第659回『震災14年を迎える思い』2008.12.15
13年以上にわたるボランティア活動の中で、亀甲さんたちのグループは「宝塚東フェニックス・ステーション」「情報サポーター楽楽友」と名前を変え、現在は「ボランティアいっぷく」そして「ボランティアきずな」として活動しています。その時々で、閉じこもりがちな高齢者をふれあいサロンに招き、人とのつながりで生きる希望を取り戻してもらおうとしてきました。
そんな活動の中で、四国八十八カ所の五十一番札所でもある松山の石手寺との交流が生まれます。仮設住宅に支援に訪れたこの寺の住職と知り合い、宝塚の被災者と松山のボランティアが行き来するようになったのです。今年になって亀甲さんは住職から相談を受けました。「まだ震災から一歩踏み出せない人が大勢いるはず。その人たちとともにお遍路をめぐりたい」。亀甲さんもはっとしたといいます。「これまで目に見える支援しかしてこなかったと思ったんです」。
石手寺では毎年1月17日の震災が起きた時刻に合わせて慰霊法要が営まれます。実は今年の1月17日、大学生の息子さんを交通事故で亡くした女性が石手寺の法要に出席していました。真っ暗で張り詰めた空気の中、読経や太鼓の音を聞き、「生きる」の文字にともされたろうそくに囲まれて心が震える体験をした女性は、この日がきっかけで石手寺を再び訪れました。そして今では自身も大学で介護福祉を学ぶまでに前向きになったそうです。
亀甲さんたちは、1月16日から1泊2日で一緒にこの法要に参加してほしいと呼びかけています。この旅行では、四国八十八カ所のほかの寺も巡ります。お問合せは毎日新聞旅行へ。
ゲスト:兵庫県宝塚市のボランティア 亀甲 つぎこさん

第658回『河本リポート・上町断層を歩く』2008.12.08
午前・午後の2回、70人ずつの参加者を迎えて行われたウォークイベント。
河本アナは午後の部に参加しました。住吉大社を出発して谷町九丁目までのおよそ6kmを徒歩と電車で踏破しました。
まず河本アナが驚いたのが、阿倍野神社の西側にある石段(写真1)。高さ10mほどもあるこの石段、実は上町断層が作った地形なんだそうです。
また、通天閣が見える天王寺駅から歩いてほど近い「七坂」も、上町断層の地形です(写真2)。写真にある愛染坂のほか、清水坂、逢坂、口縄坂など歴史ある坂道が実は活断層だったなんて・・・。しかも七名水といわれるほどの名水が湧き出ているのも、元はといえば活断層からしみ出した水。中でも大阪市内で唯一の滝、「玉出の滝」は隠れた名所です。近くには今も使われている井戸がいくつかあり、活断層がもたらす水の恵みを知ることができます。
自然史博物館の中条学芸員は「地震を起こす活断層が身近にあることをまず知ってほしい。その上でどう備えるかを考えていきましょう」と話していました。

<写真>
【上】…阿倍野神社の西側にある高さ10mの石段。これも上町断層が作った地形です。
【下】…天王寺区にある「七坂」のひとつ、愛染坂を登る河本アナ。このあたりには七名水も湧き出ていて、坂の地形も水の恵みも、ともに上町断層がもたらしたものです。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

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