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第677回『シリーズ人々の震災21・地震後に生まれた子どもたちにつながる命』2009.04.20
兵庫県芦屋市で被災し、当時7歳の男の子とと5歳の女の子を亡くした米津勝之さん・好子さん夫妻。地震後に生まれた次女・英さん、次男凛くんとともに、福井市に住んでいます。
今月小学2年生になった凛くんは、入学当初から兄の遺品であるランドセルを背負って通学しています。亡くなった姉や兄の洋服を「お下がり」感覚で身に着けてきた英さんや凛くんにとって、それは特別なことではなかったようです。ぴかぴかのランドセルを持つ友達に「なんでお前のはぼろいの」と聞かれると「お兄ちゃんのやから」と答え、使い続けています。このランドセルの話は、今年の震災14年で全国で報道され、新聞協会の2008年ハッピーニュース大賞にも選ばれました。
亡くなった漢之くん・深理ちゃんのことを折に触れて話していますが、そこに
は、生きたくても生きられなかった人たちがいたことを知り、命を大切にしてほしいという願いが込められています。地震後生まれた幼い2人が理解するのは、まだ先のことかもしれません。しかし、勝之さんは前回こう話していました。「亡くなった漢之と凛は全く性格が違うのに、教えていないのに同じ遊びをしたりする」。亡くなった子どもたちの命は、確実に受け継がれているのです。
ゲスト:(収録)芦屋市で被災し現在は福井市在住の震災遺族 米津 勝之さん、妻の好子さん、次女・英さん

第676回『シリーズ人々の震災21・地震後に生まれた子どもたちにつながる命 (前編)』2009.04.13
 米津さんたちは震災当時、兵庫県芦屋市の津知町に住んでいました。地震直後、木造2階建ての1階で寝ていた4人は地震でがれきに埋まり、好子さん、勝之さんの順に助けられました。救出を待つ暗闇の中、子どもたちに声をかけていた好子さんは、深理ちゃんだけが返事をしていたと話します。しかし2人とも出されたときにはすでに息がありませんでした。
 漢之くんは恥ずかしがり屋でおとなしい性格。対照的に、深理ちゃんは人の前にも出て行ける子どもでした。その後生まれた英さんは深理ちゃんに瓜二つでした。逆に凛くんは漢之くんとは違い、活発な性格に育っています。 そんな米津家では毎月17日が「カレーの日」。理由は、漢之くんが残した「あのね帳」にあります。「先生、あのね」で始まる学校の連絡帳には、地震の前の日、1995年1月16日にカレーを作ったことが生き生きと書かれていました。たまねぎを切って目が痛かったこと、お母さんににんじんの乱切りを教わったこと・・・そして「あした、たべるのがたのしみです」と締めくくられていました。
 漢之くんと深理ちゃんがそのカレーを食べることはありませんでした。子どもたちのことを思い、米津さん夫妻は地震から1年後の1996年1月17日、カレーを食べることを始めました。それは、英さんと凛くんが生まれた今も、ずっと続いています。

(写真上)米津さん一家。福井市から揃って駆けつけてくれました。
(写真下)漢之くんが遺した「あのね帳」。几帳面な字が並んでいます。
ゲスト:(収録)芦屋市で被災し現在は福井市在住の震災遺族 米津 勝之さん、妻の好子さん、次女・英さん

第675回『河本リポート〜夢に向かって・旅立ちの春』2009.04.06
山口貴之さんは2004年4月17日に、兵庫県立舞子高校環境防災科の1期生として出演。同級生の山口友子さん、諏訪清二教諭とともにスタジオに来てくれました(過去の楽屋話に写真があります)。その頃、すでに「人を助ける仕事がしたい」と話していた山口さん。7年越しの夢がかない、4月1日に宝塚市消防本部で消防士の辞令を受けました。
消防士になりたいと思ったきっかけは、中学生のときに母親が救急車で運ばれたことです。かけつけた救急救命士が、不安そうな顔をしている山口さんに「しっかりしろ」と声をかけ、「お母さんは絶対助ける」と言ってくれたそうです。しかし、消防士になるのはたやすいことではありませんでした。消防士試験のための勉強は毎日8時間。そして晴れて合格し、辞令を受ける前日は、期待に胸が膨らんでなかなか寝付けなかったそうです。
ところで、山口さんたち消防士が火災現場で活躍するのはまだ先。この放送当日4月6日に消防学校に入学し、半年間の厳しい訓練が始まりました。消防署に配属されるのは10月で、そこから火災現場を経験することになります。また救急車に乗るためには、救急過程の勉強と訓練がこれから待っています。
着実に夢をかなえるために準備してきた山口さん。きょうのこの気持ちを忘れずに羽ばたいてほしいですね。

(写真)辞令を交付され、満面の笑みを見せる山口貴之さん(22歳)。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第674回『長屋と路地のまちの防災』2009.03.30
空堀商店街は地下鉄谷町6丁目駅から松屋町駅のあたりまで、東西およそ800mの長い商店街です。戦災でも焼けなかった長屋と路地が続く風情ある町並みです。でも、行ったことのある人なら気付くはず。坂道になっているのです。
実はこの商店街、上町台地の真上に位置していて、上町断層を横切る位置関係にあるんです。上町断層は、ひとたび地震が起きると4万人以上が犠牲になると想定されている、日本でも規模の大きな活断層です。古い町並みはひとたまりもないのではないか・・・そこで、この界隈では最近、防災をテーマにした勉強会を盛んに行うようになりました。専門家を招いて被害想定を聞いたり、阪神・淡路大震災の経験を聞きながら、どんな覚悟をするのかを真剣に考えたり。そのきっかけを作ったのが、早川さんが事務局長を務める市民団体「からほり倶楽部」。
もともと、長屋で店を開いたり、実際に暮らしてみたいという若い人と大家さんとの仲立ちをする活動をしていました。その中で、災害に対しても安全であることが大切だと気付いたそうです。阪神・淡路大震災でも地震に耐えた長屋や路地がありました。すべてを鉄筋コンクリートのビルにするのではなく、まちのよさを生かしながら命を守る方法を考えています。

(写真上)ゲストの早川さんを囲んで。
(写真下)この日は「ネットワーク1・17」の番組リポーターのみなさんが研修でスタジオを訪れました。東は仙台から西は徳島まで。この日は欠席しましたが、ほかに気仙沼と和歌山のリポーター2名がいます。
ゲスト:からほり倶楽部 事務局長 早川 厚志さん

第673回『能登半島地震から間もなく2年』2009.03.23
 「2年」という年月は大きな意味を持ちます。というのは、能登半島地震では仮設住宅の入居期限が2年とされているから。正確には3月31日に期限を迎え、被災した人たちは4月から5月にかけて仮設住宅を出て行くことになります。被災した中には80歳代や90歳代の人も数多く、元の家を再建した人もいますが金沢や富山、東京、大阪など子どもたちを頼って移り住む人も少なくありません。
 一方で大きかったのは、地震が歴史や伝統に与えた影響です。信仰心の厚い地元の人々の心の支えとなる宗教施設。600もの寺や神社に被害があり、これらの復興が地域の人たちの元気に直接つながりました。また、伝統産業の被害も深刻です。漆塗りでは乾燥のためなくてはならない土蔵が被災し、再建に時間がかかっているため、日本を代表する伝統産業の再建も遅れている状態。中には土蔵が再建できずに廃業を決めた職人さんもいるといいます。
 「なんとかここでふんばって、全国の人に能登に来てもらいたい」と村井さんは話していました。

(写真)魚住さんと河本アナが手にしているのは、村井さんたちが発行した写真集『いとしの能登 よみがえれ!』。能登のよさがしみじみ伝わる本です。申し込みは被災地NGO恊働センターTEL078−574−0701まで。

※この日は、阪神・淡路大震災で亡くなった神戸大学生の加藤貴光さんが生前お母さんにあてた手紙を元に作られた歌『親愛なる母上様』のCDをかけました。歌は、作曲した奥野勝利さんのHPからお聴きいただけます。
このページの一番下にある「親愛なる母上様」をクリックしてください。
http://www.voiceblog.jp/utopiastreet/
電話出演:被災地NGO恊働センター 代表 村井 雅清さん

第672回『河本リポート・耐震診断ってどんなん?』2009.03.16
写真の作業着姿の男性は耐震診断士。床下を調べるため、畳を外してもぐろうとしているところです。このように、耐震診断は床下、屋根裏、そして家の周囲、全ての部屋をくまなくチェックします。その間にもうひとりが、柱や壁がどこにあるのか、家全体の見取り図を河本アナが同行したのは、大阪市の助成事業に申請した東成区のお宅。築60年近い町家で、畳がへこんでいたり床が傾いていたりするのが前から気になっていたそうです。
耐震診断をするうちに、かつての職人さんが手がけた粋な手仕事も発見しました。飾り窓や小窓、細工のきいた欄間など。ところがそのために単なる壁よりも残念ながら耐震性は低くなってしまっているのです。そして診断結果は・・・「倒壊する危険性が高い」というものでした。ただ、家をすっかり建て替えなくても耐震補強の方法はあるということです。このお宅も耐震改修をする方向で考えています。

※耐震診断には殆どの場合、自治体から補助が出ます。今回取材した大阪市では診断費用5万円のうち4万5千円が補助、自己負担は5千円でした。
※一般的な木造一戸建ての場合、耐震補強工事費は少なくとも100万円かかります。ただ、ほとんどの自治体が工事費を補助しています。大阪市では4月以降、工事費用の50%、最大100万円を補助する方向で準備を進めています。
※お問い合わせはお住まいの地域の市役所や区役所へ

(写真上)作業着に着替えた耐震診断士が、床下の狭い隙間から基礎の状態などを調べています。
(写真下)このお宅には、風情のある飾り窓がありました。地震に対しては耐震性を弱めてしまうことにはなりますが、こうした風情を残しながら耐震改修工事をする方法はあるそうです。
スタジオ報告:河本 光正アナウンサー

第671回『岩手・宮城内陸地震から学ぶ被災者支援〜長びく避難生活をどうするか』2009.03.09
岩手・宮城内陸地震で被害が大きかった宮城県栗原市の花山地区や栗駒地区などでは、天然ダムなどの影響で二次災害が心配され、いまだに避難指示や避難勧告が出たままです。そこには被災した人たちの自宅だけでなく、イチゴやイワナなど生活の糧になる大切な仕事場があります。仮に戻れたとしても、収穫できるのは少なくとも半年後。すぐに収入が得られるわけではありません。しかし、こうした避難者に対する支援はなく、被災者は貯金を取り崩して避難生活を送っています。以前番組に電話出演したイチゴ農家の大場浩徳さんも、日々土木作業などで生計を立てているといいます。
このように、長期避難で農業などの仕事も失うケースは阪神・淡路大震災のような都市直下型の地震ではありませんでした。しかし雲仙・普賢岳や有珠山、三宅島の火山災害では、長期避難に伴う生活支援が様々なメニューで行われたのです。
今後、近畿でも南海地震など大地震が起きた場合は、山間地の土砂災害などで長期避難の必要性が出てくるかもしれません。そのときに被災者をどう支えるのか。制度がなければ避難者はそのまちを離れてしまい、ますます過疎化に拍車がかかる心配もあります。今から検討を始めることが必要です。
ゲスト:社会安全研究所 所長 木村 拓郎さん

第670回『多文化社会でまちの活性化を』2009.03.02
 阪神・淡路大震災ではベトナム人やブラジル人の人たちも数多く被災しました。
ところが地震がない国から来た人は、起きたこともわからなかったり、「避難所」と言われても、寝泊りしたり支援物資を無料で受け取っていい場所だとは知らなかったり・・・そんな人たちのために、いくつもの言語に翻訳して生きるための情報を提供したのが吉富さんたちの活動の始まりでした。しかし、震災という状況はいい側面も生み出します。それまでブラジル人やベトナム人は「別の空間に固まって住んでいる人」というイメージだったのが、1人1人の顔が見える関係に。ガレキの下から助けるのに国籍は関係ありませんでした。
 その後、暮らしが落ち着いてからもこの経験は生かされたといいます。「ゴミ出しのルールを守らない」と地域から苦情が出ていた外国人の人たちでしたが、ゴミ置き場に多言語でルールを張り出したところきちんと守られるように。説明が足りなかっただけだったのです。
 現在、吉富さんたちはモデル事業として医療通訳を派遣しています。日本語が分からない患者さんと一緒に医療機関に行き、医師の説明を通訳するのです。あいまいな説明だと通訳がしにくいため、何度かやり取りをしているうちに医師の説明能力が上がったといいます。すると、外国人だけでなく日本人の患者にとってもわかりやすい説明が受けられるようになるわけです。
 外国人だけでなく障害のある人など「少数者」を尊重し、互いから学ぼうという社会は、いざというとき弱い立場になった人を切り捨てない安心な社会でもあります。こういう社会を築いていければと吉富さんは話していました。
ゲスト:NPO法人多言語センターFACIL 理事長 吉富 志津代さん

第669回『どうする災害廃棄物』2009.02.23
 阪神大震災で出た災害廃棄物は2千万トン。これは、兵庫県内の一般家庭から1年間に出るゴミの実に8倍の量です。これがわずか15秒ほどのゆれによって出てしまいました。それを処理するのに、大阪湾フェニックス計画で3年かかりました。ところが上町断層の地震では、1億2千万トンの災害廃棄物が出ると予測されているのです。日本中の一般家庭から出るゴミの2.3年分です。これをどこに持っていくのか。どのように分別するのか。有害なアスベストなど化学物質はきちんと分けることができるのか・・・こうした問題は、まだ具体的に検討されていないと平山さんは言います。その理由は、廃棄物の問題は後回しにされているから。

しかし、地震直後から廃棄物の問題は始まっています。夏場に大地震が起きれば、廃棄物処理は即、被災者の安全や衛生面での大きな問題にもなります。事前に廃棄物の量を減らすこともできます。住宅1棟は60トンのがれきになります。耐震化が進めば、命を守るだけでなく廃棄物を減らすこともできるのです。自治体単独ではなく、広域で連携して取り組まなければいけない課題です。
ゲスト:京都大学大学院工学研究科 都市社会工学専攻 グローバルCOE特定准教授 平山 修久さん

第668回『食の備蓄〜震災や新型インフルエンザに備えて〜』2009.02.16
災害での食料の備蓄は行政などからの支援の手が届くまでの最低3日間がめど。ところが新型インフルエンザの大流行(パンデミック)では、厚生労働省によると2週間分必要になります。理由は食料の買出しができないから。むやみに外出すれば感染を広げることになり、食料の流通や店の営業そのものが止まることも考えられるからです。そこで必要なのは家庭での備蓄。奥田先生によると、ポイントは「食べなれているもの、好きなものを6か月以上の保存が利くものに置き換える」。種類は主食、おかず2種類(肉や魚などのたんぱく質と野菜系)、デザート。これを飽きないように組み合わせて考えていきます。奥田先生が実際に2週間非常食ばかり食べる実験をしました。最も欲しくなったのは野菜だったそうです。最近では調理の手間を省く便利な食品が出回っています。写真にあるような乾物野菜やフリーズドライのほうれん草などのほか、最新技術を使った非常食も、楽しみながら探してみてはいかがでしょう。

(写真・河本アナが食べているのは、新潟県中越沖地震でも使われた、新潟県魚沼市のホリカフーズ開発の非常食カレーライス。専用パックに発熱剤と袋詰めされた水、レトルトの食品を一緒に入れると、30分後には温かいごはんとカレーが食べられます)
ゲスト:甲南女子大学 名誉教授 奥田 和子さん

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