第676回『シリーズ人々の震災21・地震後に生まれた子どもたちにつながる命 (前編)』2009.04.13
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米津さんたちは震災当時、兵庫県芦屋市の津知町に住んでいました。地震直後、木造2階建ての1階で寝ていた4人は地震でがれきに埋まり、好子さん、勝之さんの順に助けられました。救出を待つ暗闇の中、子どもたちに声をかけていた好子さんは、深理ちゃんだけが返事をしていたと話します。しかし2人とも出されたときにはすでに息がありませんでした。 漢之くんは恥ずかしがり屋でおとなしい性格。対照的に、深理ちゃんは人の前にも出て行ける子どもでした。その後生まれた英さんは深理ちゃんに瓜二つでした。逆に凛くんは漢之くんとは違い、活発な性格に育っています。 そんな米津家では毎月17日が「カレーの日」。理由は、漢之くんが残した「あのね帳」にあります。「先生、あのね」で始まる学校の連絡帳には、地震の前の日、1995年1月16日にカレーを作ったことが生き生きと書かれていました。たまねぎを切って目が痛かったこと、お母さんににんじんの乱切りを教わったこと・・・そして「あした、たべるのがたのしみです」と締めくくられていました。 漢之くんと深理ちゃんがそのカレーを食べることはありませんでした。子どもたちのことを思い、米津さん夫妻は地震から1年後の1996年1月17日、カレーを食べることを始めました。それは、英さんと凛くんが生まれた今も、ずっと続いています。
(写真上)米津さん一家。福井市から揃って駆けつけてくれました。 (写真下)漢之くんが遺した「あのね帳」。几帳面な字が並んでいます。
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ゲスト:(収録)芦屋市で被災し現在は福井市在住の震災遺族 米津 勝之さん、妻の好子さん、次女・英さん
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