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第697回『インドネシア・ジャワ島沖地震 被災地にラジオの救援を』2009.10.12
阪神・淡路大震災がきっかけで設立された神戸市長田区のコミュニティラジオ局「FMわぃわぃ」などが、先月インドネシアで起きた地震の被災地で不足しているラジオを現地に届けようと、募金活動を行なっています。
先月2日のジャワ島沖地震と、先月30日のスマトラ島沖地震では、現地にあるコミュニティラジオ局が大きな被害を受けました。スタジオなどが壊れたために、放送ができない状態のラジオ局がほとんどだそうです。
被災地では緊急災害用のラジオ局が新たに設けられましたが、避難所にいる人たちが放送を聴くためのラジオが不足しているのが現状で、特にスマトラ島の被災地では、少なくとも1000台は必要だということです。
そんな中、「FMわぃわぃ」などが被災地にラジオを届けようと、募金活動を始めました。

「FMわぃわぃ」代表の日比野純一さんは、「避難している人たちがラジオを持っていないので、災害情報や救援情報が聴けない状態が、まだ続いています。被災者が大切な情報を知るために、ラジオが聴ける環境を早く作ってあげたい」と話していました。

※募金は郵便振替で受け付け。詳細は下記の通りです。
 郵便振替 口座番号00970−8−259303
      加入者名「わいわいクラブ」
      通信欄に「インドネシア地震支援」と明記。
 問い合わせ:FMわぃわぃ事務局(電話 078−737−3196)
神戸市長田区のコミュニティラジオ・FMわぃわぃ代表 日比野 純一さん

第696回『インドネシア・スマトラ地震 なぜ被害は大きくなったのか2009.10.05
先月30日に発生したインドネシア・スマトラ島沖の大地震について、関西大学 環境都市工学部 教授の河田惠昭さんに話を聞きました。

国連は1日、今回の地震による死者が1100人に達したことを明らかにしました。
現地からの報道によると、震源地に近いスマトラ島西部のパダン市などで被害が大きく、多くの建物が倒壊し、まだ数千人が生き埋めになっている恐れがあるということです。

河田教授によると、周辺地域では、今回のような大きな地震が過去5年間で4回も起こっていて、そのたびにパダン市などでは建物が少しずつ被害を受けていたそうです。
そうして一部損壊状態になっていた家や建物が、今回の地震で一気に倒壊し、被害が大きくなったということです。

河田教授は、「過去の地震で家が一部損壊していたり、あるいは水害で家の土台が腐ったりして、建物の体力がそがれている時に、新たに地震が起こると、大きな被害が出やすいので注意が必要」と話していました。
ゲスト:関西大学 環境都市工学部 教授 河田惠昭さん

第695回『台湾大地震から10年』2009.09.21
 1999年の台湾集集大地震から9月21日で10年を迎えました。この日にあわせて台湾に入った、関西学院大学の室崎益輝教授に現地の復興状況や神戸の人たちと現地の人たちとの交流などについて電話で聞きました。

 1999年9月21日未明に起きた台湾大地震。およそ3万棟の建物が倒壊し、2400人以上が亡くなりました。50kmにわたって地表に現れた断層は、大きいところで6mも地面が隆起し、滝ができた場所もありました。
 今回、震災10年にあわせた国際学会などに出席するため日本から台湾に入った室崎教授は、21日をもっとも被害が大きかった被災地のひとつ、台中県桃米村で過ごしました。ここは去年、神戸市長田区にあった紙の建築「ペーパードームたかとり」が移設された村。希少生物が生息するという地域の特長を生かし、エコをテーマにした復興まちづくりを進めてきました。カエルやトンボがそこここに見られる村は、村人たちが民宿で家庭的に客人をもてなします。最初はエコで生計を立てられるのかと半信半疑だった村の人たちも、今は生き生きと働いているそうです。民宿には、民間企業が建てた仮設住宅が利用されているものもあります。
室崎教授は、「阪神・淡路大震災の教訓が台湾に伝わり、経験を経てさらによい教訓が新潟県中越地震へ、そして中国の四川大地震へと受け継がれています」と話しています。
 (写真上)神戸市長田区にあった「ペーパードームたかとり」は、カエルやトンボの希少種が生息する桃米村の自然豊かな土地で交流スペースとして活用されています。(撮影:室崎益輝さん)
 (写真下)9月21日の地震10年の追悼式典。「921」の文字が浮かび上がる中、集まった人たちで犠牲者を悼み、これまでの復興に思いをはせました。(撮影:小林郁雄さん)
電話出演:(台湾から)関西学院大学 教授 室崎 益輝さん

第694回『兵庫県佐用町の台風豪雨から1か月〜被災地に息の長い支援を』2009.09.14
台風9号の豪雨災害で、8月9日から10日にかけて、兵庫県や岡山県で大きな被害がありました。それから1か月が過ぎた兵庫県佐用町を、パーソナリティーの魚住由紀が取材しました。

台風9号の豪雨災害から9月9日で1か月。被害がひどかった兵庫県佐用町では、まだ町の中には泥が積み上げられ、1階が柱だけを残してすっかりなくなっている住宅も数多くあります。仕事のめどがつかずに廃業を考えている農家もあるということです。
そんな中、阪神・淡路大震災直後からボランティアを続けている「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の黒田裕子理事長が、被災者から頼まれた支援物資を手に、佐用町を訪れました。今回魚住さんは、これに同行。黒田さんは災害直後に1週間、避難所で被災者と寝食をともにし、支援を必要としている人たちを把握しました。中上月地区の町営住宅に住む山上さんのお宅では、闘病中だった奥さんが災害でさらに体調を崩し、入院しました。残されたお父さんと娘さんはまだガスも通らず、風呂釜も使えないためお風呂にも入れていません。また台所が使えないため、配食サービスでつないでいます。黒田さんは「家電の救援物資は抽選会がありますよ」という情報を伝え、他に不便がないかを世間話の中からさりげなく聞き出していました。
ほかにも、神戸に拠点を置く「被災地NGO恊働センター」が被災地に炭を送ろうという運動をしています。番組では事務局長の村井雅清さんに電話で詳しく聞きました。泥水の除湿や脱臭の効果があり、空気清浄が期待できる炭。「協力したい」という方は、078−574−0701(被災地NGO恊働センター村井さん)へ電話でお問い合わせください。

(写真上)まち角にあった、ボランティアに感謝する立看板。
(写真下)水害に遭った町営住宅。1階部分が柱だけを残してまるで吹き飛ばされたようになり、向こうが見渡せるような状態でした。
スタジオ報告:魚住 由紀

第693回『防災を伝える校内放送』2009.09.07
番組のタイトルは「あらかわ防災ステーション」。制作メンバーは、通学路の安全などをチェックする「安全委員」の生徒たちですが、地域の防災ボランティアや和歌山大学防災研究教育プロジェクト担当の客員准教授など、大人がバックアップしています。
番組制作は去年始まりました。1年めは阪神・淡路大震災の教訓を集めた本を材料に台本を作り、「こんなときに地震がきたらどうするか」「非常時に頼りになるものはなにか」などを1回5分、43回に分けて放送。今年はさらに発展させ夏休みに神戸を取材、震災で家族を失った女性にインタビューしました。
取材を受けた野原久美子さんは神戸市東灘区で被災し、両親と妹さんのご主人を亡くしました。全壊した野原さんの実家の写真を見て、生徒たちも衝撃を受けたようです。
今回の番組は、荒川中学校だけでなく、近隣の調月小学校など2校にも放送されました。子どもたちに感想を聞いた新川ディレクターは「震災があったことすら知らない小学生もいて、5分間で理解するのは難しいかもしれない。ただ、継続していくと制作にかかわる子も番組を聴く子も自然と『防災は大切なんだ』と認識していく。それが大切なのでは」と感じたそうです。

(写真上)野原久美子さんに話を聞く中学生たち
スタジオ報告:新川 和賀子ディレクター

第692回『災害時の安否確認、どうすればいいの?171を使ってみよう』2009.08.31
 災害のとき、被災地に向かって一斉に「無事なの?」という電話が入ると電話回線はパンク(輻輳)します。すると、災害救助に必要な消防や警察に関する電話、あるいは復旧に必要な行政に関する電話がつながらなくなってしまう事態に。そこで別の方法で自分の無事を知らせることができるサービスが提供されています。
 1つは音声で安否を知らせる「災害用伝言ダイヤル」。自宅の電話番号を暗証番号として171にかければ伝言を録音したり、再生したりできるものです。もうひとつは携帯電話のメールのように使える「災害用伝言板」。こちらはあらかじめ登録した人に安否を知らせるメールを発信できるものです。いずれも9月1日の防災の日前後の1週間に体験できます。
 番組では、河本アナが「171」にかけてみた様子を放送。非常時に慌てていると1回では録音するのは難しいかもしれない、と感想を話しました。森先生は普段から使い慣れておくことを薦めています。特に、送信先を3件〜10件(携帯電話会社による)登録できる「伝言板」サービスでは、家族・知人のほかに「学校の担任の先生」など、自分や家族が属している集団に安否を知らせることも考えて、と解説してくださいました。

 ※災害用伝言ダイヤル、災害用伝言板は9月1日の防災の日をはさんだ1週間のほか、毎月1日、正月3が日、1月17日前後のボランティア週間に体験することができます。みなさんも試してみてください。
ゲスト:関西学院大学社会学部 准教授 森 康俊さん

第691回『夏休み地震相談室』2009.08.24
お待たせしました。8月10日放送予定だった「夏休み地震相談室」。防災研の地震予知研究センター長で、政府の地震調査委員会の委員でもある飯尾先生がみなさんの質問に答えてくれました。
まずは京都市の小学6年生、牧萌子さんの質問から。「地球じゃないところでも地震はあるんですか?」・・・大人では思いつかない質問ですね。飯尾先生の答えは「月にも地震があります」。地球でゆれると地震ですが、月では月震(げっしん)というそうです。1970年代のアポロ計画で月に地震計を設置してわかったことで、体に感じないくらいのゆれでした。
また、数多くの方から寄せられた今月11日の駿河湾の地震についての解説もお願いしました。駿河湾の地震の前にも東海道南方沖、あとにも八丈島とやや大きめの地震が続いているように思います。しかし飯尾先生の答えは「この3つは距離も離れているので相互に関係はないと考えられます」。また、駿河湾の地震によって東海地震の前兆的な現象が起きているというデータもないため「東海地震との関連はない、ということでいいと思います」ということでした。
今の科学ではまだまだわからないことも多いのが現実。しかし、地震を知ることによって不要な恐れを取り除くこともできます。阪神・淡路大震災では、「●月●日の●時に大きな地震が起きる」などのデマが流れ、眠れない夜を過ごした人たちがいました。今の科学ではこのような地震の直前予知はできません。逆に解明できない部分も多い自然に対して私たち人間は謙虚でいなければならないこともあります。正しい基礎知識を身につけてしっかり防災対策もしていきましょう。
ゲスト:京都大学防災研究所 地震予知研究センター長 飯尾 能久教授

第690回『防災リポート・静岡県で最大震度6弱の地震』2009.08.17
 地震の瞬間、中村さんは「大きなゆれだ」と感じましたが、慌てることなくベッドの上でおさまるのを待っていました。自宅の周囲は震度5強だったそうですが、被害は「テーブルの上に置いていた空のペットボトルが落ちただけ」。その理由は、自宅にある家具をすべて固定しているからです。中村さんは災害関係の仕事をしていたこともあり、災害が起きれば職場に出て行かなければならないと常に覚悟していました。自宅の防災に熱心なのは、残された家族が避難所に行かずとも安心して過ごせるようにと考えた結果です。およそ10年前、耐震性を考慮して自宅を建築。室内の家具は多いそうですが、すべて固定しているので今回の地震でも全く倒れませんでした。さらに驚くのは「防災部屋」。壁だらけの2畳間に、非常食100食分や水、キャンプ用品、救急用品などを備蓄しているのです。それも特別なものではなく「お金をかけず少しずつそろえていく」のがコツだそう。水は、飲み残しの2リットルのペットボトルを洗って乾かし、水道水を空気が入らないように入れれば(最後に表面張力で水が盛り上がるくらいペットボトルを押した状態でふたを閉めるのがポイント)、半年は保存できます。「いつくるかわからない災害のために特別なことをしても続かない。こつこつと楽しみながら準備するのがいいんです」と話してくれました。
 震度6弱のゆれにしては今回の地震は被害が少なくてすんだという指摘があります。防災対策に熱心な静岡県の人たちの実践、できるところから見習いたいものです。

 (写真1)牧之原市で。焼津市にある中村さんの自宅周辺は被害が少なくてすみましたが、同じく最大震度6弱を観測した牧之原市では、屋根瓦が落ち、ブルーシートをかけた家も見られました。
 (写真2)焼津市の小川漁港。地震の後、埠頭にはひび割れや段差ができて復旧工事が進められていました。
電話出演:静岡県焼津市在住の中村 晋也さん

第689回『台風9号に伴う豪雨被害』2009.08.10
10日の放送時で11人が亡くなった兵庫県佐用町。水で流された車が折り重なり、町全体が茶色い泥をかぶった状態でした。被害をもたらしたのは、S字に曲がりながら流れる佐用川。9日の午後8時頃あっという間に水位が上がり、5メートルの堤防を乗り越えて氾濫したということです。一時は胸まで水につかるほどで、坪井記者が取材したときも、商店街の店の中はまだテーブルやいすが散乱していました。また、水道や電気も使えないところも多く、交通網が寸断されて病院にたどり着くことができない高齢者が大勢いて、被災した方々の健康状態が心配されました。

一方、同じように被害が大きかった徳島市。リポーターの小野さんは住宅の1階にいて、30分の間に急激に水位が上がる恐怖を味わいました。玄関から水が入ってきて、瞬く間に股下まで水がきたそうです。しかし防災NPOの代表でもある小野さん。近所の商店街の人たちなどと声を掛け合って、流れた車を引き上げたり、後片付けを手伝ったりしました。

最後に、水災害の専門家でもある中北教授は、今回の災害の原因は想定外の豪雨だったと分析します。また、用水路などはたとえひざ下ぐらいの水位でも勢いよく流れていると転倒し、流される危険性があると警告。車もドアの半分以下が水につかっただけで水圧で中から開けることができなくなります。水が町の中に溢れてくる前に、早めに避難することが大切です。また、幅や流域面積が小さい河川ほど、豪雨で一気に水が溢れるということです。普段から「この川はどれくらい降ったら溢れるのか」情報をいれて、行政からの避難情報に注意することが大切。経験者に聞いて自主避難することも心がけてほしいと呼びかけました。

(写真上)兵庫県佐用町での被害。
(写真下)徳島市内の被害。30分ほどで一気に増水しました。
電話出演:京都大学防災研究所 教授 中北 英一さん

第688回『ネットワーク1・17スペシャル〜水害に備える』2009.08.03
50年前の伊勢湾台風では実に5098人もの人が死亡、または行方不明になりました。番組では、家の天井まで水が押し寄せる中、波のへこんだところで息をしながら何度も水にもぐって助かった男性の話もインタビューで紹介。ただ、当時に比べると堤防が強化されたり、低い土地のかさ上げが行われたり、住宅が頑丈になったりしています。同じことは起きないのでは?ところが、ゲストの関西大学河田教授は「温暖化で台風も巨大化している。昔よりも浸水がひどくなる恐れは十分にある」と指摘します。
特に大阪市内は1961年=48年前の第2室戸台風以来、水害に見舞われていません。そこで大切なのが、過去の体験に学んで災害イメージをつかむこと。番組の中では、第2室戸台風で大きな被害を受けた大阪・港区の港中央市場から、気象予報士の南利幸さんが中継しました。当時かしわ屋を営んでいた岡田さん、そして果物屋を営んでいた山崎さんの女性2人が体験を語りました。市場が開いて2年ほどたったばかりで、商売道具がすっかり水につかってしまったのですが、コンビニエンスストアもない当時のこと、すぐにお客さんが食料を求め、店の片付けをしながら残った道具でなんとか商売をしていたそうです。
台風が発生する回数が多いのは8月ですが、大型の台風が上陸するのは9月という統計もあります。気象情報もリアルタイムで入手できるようになりました。
それを早めの避難に役立てることが大切です。
(写真上)スタジオで河田教授とともに。
(写真下)左からかしわ屋さんの岡田さん、気象予報士の南さん、当時果物屋さんだった山崎さん。
ゲスト:関西大学 環境都市工学部 教授 河田 惠昭さん

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