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第707回『地震・津波から子どもを救え!』2009.12.28
大阪の民間団体「自然環境研究オフィス」では、5年前のスマトラ島沖地震・インド洋大津波をきっかけに、インドネシアの子どもたちに地震や津波の恐ろしさを伝える取り組みを続けています。

2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震・インド洋大津波では、22万人以上が犠牲になるなど、甚大な被害がもたらされました。
「自然環境研究オフィス」では、津波が起こるしくみや避難方法などをイラスト入りで紹介したパンフレットを作り、インドネシアの子どもたちに送り届ける活動を始めました。柴山さんらは毎年、現地の小学校などを訪問し、これまでにあわせて7万5千部を配布したそうです。
また今年からは、津波だけでなく地震そのものから身を守る方法などを記したパンフレットの作成にも取り組んでいます。

柴山さんは、「地震や津波というのは、長いスパンで起きるので、できるだけ若い世代にこうしたパンフレットを配っておくことで、非常に大きな効果があるのではないかと思います。これからも、子どもたちを中心にパンフレットの配布を続けていきたいと思っています」と話していました。

【写真】
左側が「津波対策のパンフレット」、右側が「地震対策のパンフレット」です。
「自然環境研究オフィス」所長 柴山元彦さん

第706回『岐路を迎えるボランティア活動』2009.12.21
神戸市兵庫区のボランティアグループ「プロジェクト1−2(ワンツー)」は、阪神・淡路大震災の直後、95年1月28日に前身の「ワンツードリーム」として結成されました。当時、支援していた避難所の湊川中学校1年2組の教室から夢を発信しようという願いを込めたネーミングでした。そして、翌年4月には「プロジェクト1−2」と名前を改め、仮設住宅や復興住宅などで、被災した高齢者の生活支援やふれあいの場づくり、まちづくりの支援などを続けてきました。しかし、ボランティア参加者の高齢化が進む中、後を継ぐ若い世代も見つからず、震災15年を機に活動を大幅に縮小せざるをえなくなったということです。
「プロジェクト1−2」代表の有光るみさんは、「活動が縮小するのは、私たちにとってもつらいことですが、これで終了というわけではありません。『できることを、できる人が、できる時に』をモットーにずっとやってきたので、今後もできる範囲で続けていきたいと思っています」と話していました。
「プロジェクト1−2」代表 有光るみさん

第705回『地域に根ざした防災まちづくり』2009.12.14
大阪市中央区の空堀地区で活動している市民団体「からほり倶楽部」の代表理事、六波羅雅一さんに話を聞きました。

空堀地区は、戦災を免れた長屋と路地が続く風情ある地域です。
しかし、上町台地の真上に位置するため、ひとたび上町断層で地震が起きれば多くの犠牲者が出ると予測されています。

「からほり倶楽部」では、地域の長屋やそれにつながる暮らし・文化を受け継いでいこうと、以前から長屋の再生事業などを行なっていますが、最近では防災・減災を意識した取り組みも始めています。
地震の時の被害を減らそうと、古い民家を再生する際に筋交いを入れたり、減災勉強会を継続して開くなど、その活動は広がりを見せています。

「防災・減災の取り組みを通して、もっと地域に溶け込んでいきたい…」そんな六波羅さんの思いが、とても伝わってきました。
からほり倶楽部 代表理事 六波羅雅一さん

第704回『お年寄りを支える女性大工の取り組み』2009.12.07
大阪のNPO法人「住快護創造ネット」では、介護が必要な高齢者らの自宅を対象に、住宅の改修や地震対策などの取り組みを行なっています。
「住快護創造ネット」の理事長で、女性大工の小多美恵子さんに話を聞きました。

小多さんが大工になろうと思ったのは、父親の介護経験がきっかけでした。
当時、車いすの父親のためにバリアフリーの家を購入しましたが、わずかな段差で車いすがつかえたりするなど、不具合が多かったそうです。
小多さんは、介護にやさしい家を自分でつくろうと思い立ち、大工の息子に弟子入りして修業し、3年半後に独立しました。
その後、介護が必要なお年寄りの家などを回り、手すり1本の取り付けから大がかりな住宅改修まで、さまざまな工事を引き受けてきました。
また、地震発生時に転倒しないよう家具を固定したり、タンスの上に物を置かないようアドバイスしたりするなど、防災を意識した取り組みもあわせて行なっているそうです。
「いざという時、自分の身は自分で守るための手助けをしたい…」
そんな小多さんの思いが強く伝わってきました。
「住快護創造ネット」理事長で、女性大工の小多美恵子さん

第703回『日本最大の地震から何を学ぶか』2009.11.30
日本列島で起きた最大級の地震、1707年の宝永地震について、産業技術総合研究所関西センター招聘研究員で地震考古学者の寒川旭さんに話を聞きました。

宝永地震は5代将軍・徳川綱吉の時代、旧暦の宝永4年10月4日未明に発生しました。東海・東南海・南海地震が一度に起きたとされ、当時の記録によると、大阪でも多くの家屋が倒壊、また道頓堀付近まで津波が押し寄せたそうです。
歴史的に80年から150年ごとに繰り返されている東海地震や南海地震ですが、今世紀中頃とみられている次の地震は、宝永と同じく3つの地震が連動して起きる可能性が高いと専門家は予測しています。
寒川さんは「高い建物が大きくゆれたり、地下街に津波が流れ込んだりすることで、昔では考えられないような、現代特有の被害が起きることも考えられるので、しっかり対策をたてる必要があると思います」と話していました。
産業技術総合研究所関西センター 招聘研究員 寒川旭さん

第702回『長田・真野地区の復興まちづくり』2009.11.23
阪神・淡路大震災の後、地域の復興まちづくりの拠点となった、神戸市長田区・真野地区の「まちづくり会館」について、「真野地区まちづくり推進会」事務局次長の藤原柄彦さんに話を聞きました。

95年の震災で大きな被害を受けた真野地区には、NGO団体などから復興支援のための中古のプレハブ住宅が送られ、当初は被災した住民の仮設住宅として使われていました。その後は「真野まちづくり会館」として、地区の広報誌の発行や、もちつき大会などの行事の企画、また高齢者の生活サポートなど、地域でのさまざまな活動の拠点となっていきました。会館では、住民からの「家の中のタンスを動かしてほしい」、「自転車のパンクを修理してほしい」といった要望にもこたえているそうです。

老朽化のため、会館は鉄筋コンクリートに建て替えられることが決まり、「真野地区まちづくり推進会」が中心となって、現在、募金活動が行われています。来年の秋頃の着工をめざしているということです。
真野地区まちづくり推進会・事務局次長 藤原柄彦さん

第701回『防災リポート・次なる災害に備えるために』2009.11.16
防災リポートは、地震など大きな災害が起きた時に、現地にいる人たちからいち早く地域の情報を番組に伝えてもらうコーナーです。
リスナーから志願者を募り、2002年にスタートしました。
普段の番組では、まちの取り組みや自身の防災対策などをリポートしてもらっています。
今回は、東京と徳島のリポーター2人に電話をつないで話を聞きました。

東京在住の会社員・高崎剛さんには、8月に行われた東京都主催の総合防災訓練の模様を報告してもらいました。訓練は、首都圏で強い地震が発生したという想定で、市民らおよそ1万人が参加して行われました。
救助・搬送訓練などを実際に見て、高崎さんは「自治体や警察・消防と、一般住民とのコミュニケーションがなかなか取れていなかったように感じました。こうした訓練を今後も繰り返し行なっていくことが大事だなと思いました」と話していました。

徳島県鳴門市で農業を営む樫本泰夫さんには、県などの主催で9月に開かれた災害ボランティアコーディネーター養成研修会についてリポートしてもらいました。災害ボランティアコーディネーターは、災害が起きた際、被災地に集まったボランティアの取り組みと、被災者のニーズをつなぐ役割を担います。
樫本さんは「応援に来てくれたボランティアの人を『こちらに行ってください、あちらに行ってください』といった形で振り分けるのは、年配の人の方がスムーズにできるのではないかと思い、この研修会を受けました」と話していました。
1・17リポーター 高崎剛さん、樫本泰夫さん

第700回『兵庫・佐用町の豪雨災害から3カ月〜大阪の居酒屋から広がる支援の輪』2009.11.09
兵庫県佐用町の豪雨災害から、今月9日で3カ月となりました。
番組では、大阪の居酒屋を拠点に広がる被災地支援の活動について、お店から中継でお伝えしました。

今年8月の台風9号による豪雨で、佐用町では18人が死亡、2人が行方不明となり、およそ900棟の家屋が全半壊するなど、大きな被害に見舞われました。
大阪市北区で、佐用町の郷土料理を提供する居酒屋「テン」の女将、三枝雄子さんは佐用町出身。3カ月前の豪雨で実家は床上浸水し、その影響で1階部分は今も使えない状態で、1人で暮らす母親は2階で生活しているそうです。
災害後、三枝さんは佐用町が運営するコミュニティーサイトなどを通じて、現地で活動するボランティアの人と知り合い、それがきっかけで月に1回、佐用町出身の人やボランティアに参加した人らが店に集まって、交流会が開かれることになりました。すでに2回行われ、被災地の現状や支援のあり方などについて話し合われたそうです。

交流会について、三枝さんは「人と人とのつながりが、集まることによってどんどん広がっていくんですよ。それに言葉を交わすことによって、ボランティアの人だけが思ってる、佐用のまちの人だけが思ってるってことが、すれ違わずにすむ、お酒を飲んだりお茶を飲みながら、お互い正直な気持ちを伝えることができると思います。
やっぱり、となりに座っているだけで会議のように交流会を開くのではなく、笑いながら、いろんな日常の話をしながら、つながっていく人間関係っていうものが、一番大事だなっていうことを感じました」と話していました。

【写真】
 放送終了後、女将の三枝雄子さんと記念撮影。
 テーブルの上にあるのが佐用町名物「ホルモン焼きうどん」です!
佐用町出身で、居酒屋「テン」の女将 三枝雄子さん

第699回『高潮・津波から街を守れ! ある水防団の取り組み』2009.11.02
高潮などの水害から街を守る活動をしている、大阪・港区の水防団について、港区水防団第5分団長の赤野久雄さんに話を聞きました。

大阪・港区の水防団は地区ごとに6つの分団からなり、あわせて約500人の団員が所属しています。メンバーは、普段は会社員や自営業といった地域住民です。
台風の接近などで浸水の恐れがある場合、区内にある防潮扉を閉めるのが、水防団の大きな役割の1つ。赤野さんが団長を務める第5分団には80人が所属していますが、先月、台風18号が接近した際は、団員らが手分けして防潮扉を閉鎖したそうです。また地震発生時も、地域で津波警報が発令された場合は、すぐに防潮扉を閉めることにしているということです。

「少しでも市民のみなさんの力になれたら…」という思いで、18歳の時に水防団に入ったという赤野さん。背筋をすっくと伸ばして「これからも市民のためにがんばります!」と力強く話していたのが、とても印象的でした。
港区水防団第5分団長 赤野久雄さん

第698回『新潟県中越地震から5年 被災地と小児がんの子どもたちとの交流2009.10.26
2004年10月に起きた新潟県中越地震の被災地と、小児がんの子どもたちとの交流について、大阪市立大学医学部附属病院の小児科医、
山口悦子さんに話を聞きました。

難病の子どもや家族を支援するNPO法人「エスビューロー」では今年8月、神戸で「小児がん・脳腫瘍全国大会」を開きました。
その中で行われたのが「くじけ米プロジェクト」。
5年前の新潟県中越地震で被災した小千谷市塩谷地区の農家から、病気の子どもたちに届けられた励ましのお米でおむすびを作ろうというもので、「くじけまい」という言葉には「震災にくじけず復興しよう」、「病気にくじけず復学しよう」という思いがこめられています。
子どもたちはおむすびを食べた後、塩谷地区の農家にメッセージを書いて送ったそうです。

この「くじけ米プロジェクト」を発案した山口悦子さんは、「地震で被災された人たちも難病の子どもたちも、地震から復興していく、病気から回復していく過程は、大変なこと、つらいこと、そして不便なこともたくさんあるかもしれないですが、たくさんの仲間と一緒に一歩ずつ前に進んでいくというプロセスは同じだと思います。お互い、つらい立場を経験したからこそ、わかり合えるというところはあると思います」と話していました。
大阪市立大学医学部附属病院安全管理対策室 専任医師の山口悦子さん

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