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第717回『チリ大地震 被災地の現状』2010.03.08
多くの人が犠牲となり、日本にも津波をもたらした先月27日のチリ大地震。
被災者支援のため、チリにスタッフを派遣した国際医療NGO「AMDA」の代表、菅波茂さんに話を聞きました。

地震発生後、AMDAは医師と調整員ら3人を現地に派遣しました。
3人は今月5日にチリの首都・サンティアゴに到着。その後、陸路で被害の大きかったチリ中部に向かいました。途中の幹線道路は、被災による一部通行止めなどの影響で渋滞が激しかったそうです。

AMDAによると、チリ中部のタルカワノ地区は海岸沿いに位置し、貧困層が多く暮らしている地域。今回、津波による大きな被害を受けたこの地域は、地震発生から1週間が過ぎた今も、水や電気、ガスなどの社会インフラが復旧していないということです。
また、地元関係者の話によると、タルカワノ地区には公立病院が1つありますが、周辺から多くの負傷者が集まり、パンク状態になっているそうです。
菅波さんは「水や電気が回復しないと本格的な医療はできない。
おそらく、この公立病院でも本格的な医療はできていないのでは…」
と話し、AMDAは今後、この病院を支援する方向で検討しているということです。

(写真上)被災地タルカの災害対策本部で、情報収集するAMDAスタッフ
(写真下)ビル群が倒壊したコンセプシオン市街地

いずれの写真も『AMDA』提供
電話出演:国際医療NGO「AMDA」代表の菅波茂さん

第716回『チリ大地震 津波が日本にも到達』2010.03.01
17年ぶりに大津波警報が発表され、日本中でチリから押し寄せる津波に緊張しました。幸い、津波の高さは予想より低かったのですが、大津波警報が出された宮城県に住む1・17リポーターと、津波の現地調査に乗り出した研究者の2人に話を聞きました。

宮城県石巻市に住む1・17リポーターの武山友幸さんは、高台に避難した住民が津波の第一波の予想時刻が過ぎると家に戻ってしまった状況を話してくれました。
警報は出されたままだったということで、津波は第2波、第3波の方が大きくなることがあるので注意が必要になります。

また、冠水の被害が出た宮城県気仙沼市で現地調査を行なった東北大学の今村文彦教授(津波工学)は、「津波が到達する前から逆流して排水溝やマンホールから水が湧き出ていた」と、浸水が始まる状況を語りました。
今村教授は津波の危険性について「数十センチの津波でも力が強く恐いもの。気象庁の予報も誤差があるので、安易な自己判断はしないように」と話していました。

(写真左)JR松島海岸駅にて
(写真右)観光地として有名な松島付近の駐車場。
日曜日(先月28日)にもかかわらず、閑散としています。
(いずれの写真も武山さん提供)
(電話出演)東北大学教授 今村文彦さん、1・17リポーター 武山友幸さん

第715回『被災地を支援するお茶わんプロジェクト』2010.02.22
地震などの被災地に、全国から寄せられた食器類を届ける活動を続けているNPO「ひまわりの夢企画」代表の荒井勣さんに話を聞きました。

15年前、荒井さんは神戸市西区の自宅で被災しました。
当時、家にあった食器のほとんどが割れて使えなくなったという経験から、発案したのが「お茶わんプロジェクト」。
全国から善意で提供された茶わんなどの食器類を被災地に届け、現地で無料配布するというもので、2004年の新潟県中越地震から実際に活動を始めました。この時は、段ボール約1200箱分の食器類が集まり、被災者に配布したということです。
その後、07年の中越沖地震や08年の岩手・宮城内陸地震の被災地、また昨年、豪雨被害を受けた兵庫県佐用町でも、同様の取り組みを行なったそうです。

荒井さんは「茶わんを送った人が『あの茶わん、いま新潟で』と、ふと思う。受け取った人も『これ、神戸から来た茶わん』と、ふと思う。茶わんというのは、形を変えた心の支援なんだろうなと思います」と話していました。
NPO「ひまわりの夢企画」代表 荒井勣さん

第714回『ハイチ大地震から1カ月 被災地の現状』2010.02.15
推定で23万人が死亡するなど、甚大な被害をもたらしたハイチ大地震から1カ月。被災地の現状について、現地で支援活動を続けている国際協力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」のスタッフ、齋藤雅治さんに電話で話を聞きました。

齋藤さんは先月21日からハイチに入り、首都・ポルトープランスを中心に、被害状況などの調査を行なってきました。現地では、いたるところに大小さまざまな避難所があり、全体を把握するのは難しい状況が続いているそうです。また避難所の中には、シーツやテーブルクロス、カーテンなどを屋根代わりにぶら下げているくらいのところもあるということです。
齋藤さんは、「4月頃から現地は雨季に入ります。雨が本格的に降り始める前に、雨をしのぐためのテントなどを最低限整えるというのが、一番大きな課題だと思います」と話していました。
電話出演:国際協力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」スタッフの齋藤雅治さん

第713回『震災15年・県外被災者はいま』2010.02.08
阪神・淡路大震災で住まいを失うなどして、兵庫県外に移住した「県外被災者」の実情について、川崎医療福祉大学の田並尚恵准教授に話を聞きました。
昨年9月、田並さんは関西学院大学の高坂健次教授と共同で、「県外被災者」についての実態調査を実施。36都道府県の267人から有効回答を得ました。その結果、およそ半数にあたる130人が「兵庫県内に戻ってきたい」と考えていることがわかりました。
また267人に、県内に戻っていない理由について聞いたところ、「現在の居場所で落ち着いている」が多かった一方で、「転居資金が調達困難」「自宅の再建が困難」などの経済的な理由も目立ったということです。
アンケート調査の自由記述欄には、「献血は必ず神戸でやっています。それが唯一、被災地とのつながりです」「お墓が被災地にあるので、死んだら戻れます」といった記載があったそうです。
川崎医療福祉大学 准教授 田並尚恵さん

第712回『故郷ハイチの復興をめざして〜ある壁画家の取り組み』2010.02.01
大地震で甚大な被害を受けたハイチの復興を支援しようと、兵庫県芦屋市に住むアメリカ人の壁画家、ヒューズ・ロジャー・マシューさんが募金を呼びかけています。

マシューさんは、アメリカ・ニューヨークで生まれ、すぐに両親の出身地であるハイチに移り住み、首都・ポルトープランスで13歳まで過ごしました。その後、アメリカの大学で美術を学び、2004年に来日。ハイチと日本の文化の融合をイメージした作品を、これまで数多く描いてきました。

「ハイチのために何かしないといけない…」今回のハイチ大地震に心を痛めたマシューさんは、すぐに復興支援のための募金の呼びかけを始めました。集まった募金は将来、ハイチで耐震性のある医療施設をつくるために活用したいそうです。
壁画家 ヒューズ・ロジャー・マシューさん

第711回『震災15年・被災者同士の交流』2010.01.25
阪神・淡路大震災をきっかけに、高齢者や障害者の見守りを続けている阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長の黒田裕子さんに、話を聞きました。
 
阪神・淡路大震災の発生後、黒田さんは仮設住宅や復興住宅で、被災した高齢者らの見守りを続けてきました。その後、活動は神戸だけにとどまらず、各地で自然災害が起きればすぐに現地を訪れ、被災者に直接会って、孤独や不安を受け止めてきました。

震災15年を迎えた今月17日には、新潟県中越地震や能登半島地震などで被災した高齢者らが神戸を訪れ、被災者同士が交流したそうです。
交流会では、参加者全員に豚汁が配られました。黒田さんは「震災後、避難所や仮設住宅で何かイベントがあれば豚汁が出て、ほんとに豚汁に支えられて生きる力をもらってきたと思うので、今回も作りました」と話していました。
阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長 黒田 裕子さん

第710回『震災15年・次の世代に伝えるべきこと』2010.01.18
阪神・淡路大震災の発生から15年となった1月17日。
神戸市中央区の東遊園地で行われた追悼行事には、例年よりも増して多くの人たちが訪れました。震災で親しい友人を亡くしたお年寄りの女性は「15年経っても、亡くなった友達のことが思い出されて、ここへ来ずにはおられません」と涙ながらに話し、また、若い女性は「私たちより下の年代になってくると、震災を知らない子も多いので、絶対に伝えていかなければいけないと思いました」と話していました。

番組の後半では、今月13日に宝塚市立中山桜台小学校で行われた、子どもたちに震災を伝える特別授業について、取材した河本アナウンサーが報告しました。
授業の先生役は、宝塚市で今も復興住宅の見守り活動をしているボランティアグループ「きずな」の亀甲つぎこさん。体育館に集まった全校児童およそ430人を前に亀甲さんは、小学校のある宝塚市中山地区が震災でどんな被害だったのか、当時の写真を見せながら説明しました。
そして、その後の仮設住宅のようすを振り返る中で、「いろんな人とのつながりや助け合い、励まし合いが、被災者の生きる力になった」と話し、子どもたちは真剣な表情で耳を傾けていました。
また授業では、割れたガラスに見立てた卵の殻を床に敷きつめ、その上を裸足で歩いてもらうという、疑似体験も行われました。「痛い!痛い!」と叫んでいた子どもたち、靴などの履物を備えておくことの大事さを感じていたようです。

(写真左)1月17日、神戸市中央区の東遊園地にて
(写真右)卵の殻の上を歩く、中山桜台小学校の子どもたち
スタジオ報告:河本光正アナウンサー

第709回『シリーズ人々の震災22・両親を亡くした書道家〜筆に込める思い』2010.01.11
書道家・野原神川さんは、震災当時、神戸市東灘区のマンションで一人暮らしをしていて被災しました。ご自身は助かったものの、同じ東灘区内の両親が住む実家と、妹一家が住む文化住宅が全壊。両親と義理の弟を亡くし、妹も足に障害を負いました。地震直後、町の様子を見てすぐに「両親は亡くなった」と確信するほどの惨状だったと言います。妹夫婦は何とか昼頃に助け出しましたが、運んだ先の病院は混乱していて満足に治療を受けることもできず、妹の夫は地震の翌日に息を引き取りました。
書道家として活躍する野原さんは、2年前に長田区の商店街から依頼された作品展で自身の震災の経験を短歌に詠み、書にしました。短歌には両親への思いや震災で触れた人の温かさ、感謝の思いなどが綴られ、その時々の気持ちを込めた様々な書体で表現されています。
震災から15年が近づき風化が進んでいることを感じた野原さんは、短歌の書と自作の紙芝居を用いて、ご自身の震災体験を語る機会も作っています。

【写真左の作品】
「幾千の 受けし恩義の 萬分の 一も未だに 報いずにいる」
【写真右の作品】
「只ひとり 声あげて泣く被災後の 全ての処理を 終えし如月」
書道家 野原神川さん

第708回『今年最初の放送・みなさんからのおたより紹介』2010.01.04
阪神・淡路大震災の発生から今月17日で丸15年になります。
「つらい日がまた来ようとしています」、「今でもあの時の様子は忘れられません」・・・ 番組には、震災当時のことや、震災15年を迎える思いなどを綴ったはがきやメールが、多数寄せられています。
2010年最初となる今回の放送では、一部ではありますが、みなさんから寄せられたメッセージを紹介させていただきました。

今年もどうぞ「ネットワーク1・17」をよろしくお願いいたします。
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