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第727回『子どもたちも参加する地震研究とは』2010.05.31
地震の予測につなげようと、京都大学防災研究所が進めている計画に、京丹波町立下山小学校の児童が参加しています。子どもたちに、地震計の仕組みや地震波の観察方法などを教えている、京大防災研究所地震予知研究センターの片尾浩准教授に話を聞きました。

京大防災研究所では、内陸型地震の予測につなげようと、丹波山地やその周辺などに小型の地震計を数多く設置して、地下構造やゆがみを精密に調べる計画を進めています。観測点1万点を目標として「満点計画」と名付けられたこの計画、これまでに120地点に地震計が設けられました。
そのうちの1つは昨年12月、下山小学校の校舎裏に設置。研究員の指導を受けた6年生の児童が、観測された地震波のデータを2カ月ごとに取り出して、研究所に送るそうです。子どもたちからは「ちゃんとデータを取れるように頑張りたいと思います」という声が聞かれました。

片尾准教授は「子どもたちが地震計を操作して自分たちで観測し、『地震が起きてるんだ』っていうことを実感してもらう。そういう意味で、地球を調べるとか、科学する心が育ってくれれば本望です」と話していました。

【写真右】
校舎裏に設置された地震計を、真剣な表情で見つめる子どもたち〜京丹波町立下山小学校にて
京都大学防災研究所 地震予知研究センター 准教授 片尾浩さん

第726回『震災を語り継ぐ〜ある合唱団の取り組み』2010.05.17
阪神・淡路大震災を語り継ごうと、震災をテーマにした曲を歌い続けている兵庫県西宮市の『コスモスの詩合唱団』についてお伝えしました。

西宮市の職員らでつくる『コスモスの詩合唱団』では、2007年から震災をテーマにした組曲「四季の花」を創作。
4曲から成り、これまで「タンポポ」・「さざんか」・「ひまわり」という曲を発表してきました。
作詞を担当しているのは、団員の米田実さん。
最後の曲となる「コスモス」では、これまで書くことができなかった体験についても歌詞にしました。
震災から2日目の夜、市の職員だった米田さんが、死亡届を受け付けていた時のことを書いたそうです。

「市役所の 夜も続く窓口に 老人の 差し出した死亡の届
 平成7年1月生まれ 十日ばかりの短い命 『お母さんは病院に…』
               代われなかった老人の 悔しさが涙に変わる」

「コスモス」は、5月16日に開かれた『第50回西宮市民コーラス大会』で初めて披露されました。
小さな子どもさんを連れて歌を聴きに来ていた女性は、「歌詞の中に、十日ほどの命の子どもの死亡届を出したっていう、そこを聴いて胸につまるものがありました」と話していました。
コスモスの詩合唱団 米田実さん

第725回『中国・四川大地震から2年 震災障害者同士の交流』2010.05.10
2008年5月の中国・四川大地震で左足を失った女子高校生と、阪神・淡路大震災で障害を負った人たちとの交流について、取材したパーソナリティーの魚住さんがスタジオ報告しました。

中国・四川省の女子高校生、段志秀さん(17歳)は2年前、教室で授業を受けている時に被災。崩れた校舎の下敷きになり、17時間後に救助されましたが、左足を切断しました。現在は、義足をつけて生活しています。
段さんは先月27日、支援者らの招きで神戸市を訪問し、阪神・淡路大震災で障害を負った人や家族ら7人と交流。お互いの震災体験や今の思いなどを語り合いました。

参加していた日本の震災障害者の皆さんは「体は不自由でも、心は絶対不自由ではない」、「15年も経てば、私のように笑って話せることもあると思うから頑張って」など、段さんに温かい言葉をかけていました。

交流会の最後に段さんがあいさつ。「四川には、私と同じように震災で障害を負ったクラスメートが多くいます。皆さんから教えてもらったことを彼らにも伝えていきたい」と話していました。
スタジオ報告:魚住由紀

第724回『中国・青海省大地震 被災地の現状』2010.04.26
2000人以上が犠牲になるなど、甚大な被害をもたらした中国・青海省大地震。
現地で被災状況を調査したNPO「国境なき医師団」の村上大樹医師に話を聞きました。

地震発生後、「国境なき医師団」は外科医の村上大樹医師を現地に派遣。
村上さんは、北京で2人のスタッフと合流し、17日に被害の大きかった町・結古鎮に入りました。結古鎮では、ほとんどの建物が崩壊し、一面ガレキの山だったそうです。また、標高4000メートル弱という、富士山よりも高いところにあるため、少し歩いただけでも、かなり息切れがするような状況で、中国の救助隊による救援活動も、なかなか思うように進んでいなかったということです。

一方、医療支援については、中国国内の他の省や県から来た医療チームが、現地ですでに医療活動を始めていました。また、テントや毛布などの物資も続々と届いていたそうです。

「国境なき医師団」では今後、現地の子どもたちのメンタルケアや、倒壊した病院のシステムの再構築など、長期的な視野に立った援助を検討していくということです。

(写真左)
被害の大きかった町・結古鎮にて撮影
NPO「国境なき医師団」の村上大樹医師

第723回『河本アナの自宅から生放送〜家の中の地震対策を徹底チェック』2010.04.19
スペシャルウィーク企画として、河本アナウンサーの自宅から生放送。
家の中の地震対策について、危機管理アドバイザーの国崎信江さんに話を聞きました。

国崎さんは、15年前の阪神・淡路大震災をきっかけに、家の中の防災対策について研究しています。今回は、河本アナウンサーが住む賃貸マンションの部屋で、家具や家電製品の配置などを徹底チェックしてもらい、地震の際の危険をなくす方法について具体的にアドバイスしてもらいました。

まず、国崎さんの目に留まったのは、キッチン入ってすぐのところにある冷蔵庫。
地震のゆれで倒れてくると、キッチンの入り口をふさいでしまう恐れがあるので、冷蔵庫はキッチンの奥に置くのが理想だそうです。また、冷蔵庫は片ドアタイプよりも両ドアタイプの方が倒れにくいということです。
リビングでは、耐震ジェルマットを使って実際にテレビの固定をしてもらいました。
まず、床とテレビ台を固定し、それからテレビ台とテレビを固定します。
写真のように、テレビを少し持ち上げ、底の部分(四隅)にジェルマットをペタッと貼り付けます。ジェルマットの粘着性が落ちるのを防ぐため、貼り付ける部分のほこりなどを、あらかじめ取り除いておくと良いそうです。
危機管理アドバイザー 国崎信江さん

第722回『ハイチ大地震から3カ月 被災地の現状』2010.04.12
 20万人以上が犠牲になるなど、甚大な被害をもたらしたハイチ大地震から12日で3カ月。被災者支援のため現地を訪れた、阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長の黒田裕子さんに話を聞きました。

黒田さんは阪神・淡路大震災の発生後、仮設住宅や復興住宅で被災した高齢者らの見守りを続けてきました。その後、活動は神戸だけにとどまらず、各地で自然災害が起きれば現地を訪れ、被災者支援の活動を行なってきました。

 今回、黒田さんはNPO「災害看護支援機構」の一員として、先月30日から8日までの日程でハイチを訪問。首都・ポルトープランスから約30キロ離れた田舎町・マリアニに入りました。この地域では今でも、医療支援がほとんど行き届いていないそうです。現地では青空診療を行ない、150人以上を診療しましたが、マラリアなどの感染症にかかっている人が多かったということです。

 黒田さんは「不衛生な状況の中で、そして何もない状況の中ですから、感染症は非常に多く見られましたし、現地はこれから雨季になってきますから、今後もさらに拡大する傾向があるのではないかと思います」と話していました。

(写真下)マリアニで、被災者の診療を行なう黒田さんら
阪神高齢者・障害者支援ネットワーク理事長 黒田裕子さん

第721回『災害時に役立つ「かまどベンチ」』2010.04.05
普段はベンチとして利用し、災害時にはかまどとして使える『かまどベンチ』を製作している、滋賀県立彦根工業高校都市工学科の先生と生徒さんに話を聞きました。

『かまどベンチ』は、彦根工業高校都市工学科の『防災研究班』に所属する生徒らが2年前から製作しています。通常は木製の板をかぶせてベンチとして利用し、地震などの災害時には板を外して、炊き出しをするためのかまどとして使用できます。これまでに市内の小学校や公園などに8基が設置されました。小学校では
児童と一緒にベンチを作ったり、また地元自治会の人と一緒に、完成したかまどでおでんを作るなど、『かまどベンチ』を通して地域住民との交流も深まっているそうです。

都市工学科2年生で『防災研究班』リーダーの北川晃浩さんは、
「活動に取り組む前に比べ、防災について意識をするようになりました。また、『かまどベンチ』を作った時に地域の人が喜んでくださり、僕たち高校生も社会に役立てることがあったんだなと思い、うれしいです」と話していました。

また、都市工学科の田中良典先生は、
「地域に防災設備を形として残すことはもちろん、活動を通して人と人、学校と地域とのつながり、そういう交流ができるという点で、おすすめの活動だと思っています。ぜひ、ほかの地域でもやっていただければ…」と話していました。

【写真左】
彦根市立城陽小学校では先月、『かまどベンチ』を使って豚汁が作られました。子どもたちは「美味しい!」を連発していました。
滋賀県立彦根工業高校都市工学科 教諭 田中良典さん、都市工学科 2年生 北川晃浩さん

第720回『シリーズ人々の震災23・命の重さ伝えたい 〜娘と教え子を亡くした元校長』2010.03.29
阪神・淡路大震災で長女を亡くし、兵庫県佐用町の豪雨災害で教え子を亡くした、佐用町立幕山小学校の元校長、上野政志さんに話を聞きました。

15年前の震災で、上野さんは長女の志乃さんを失いました。当時、神戸大学2年生だった志乃さんは、神戸市灘区の下宿先のアパートで被災。建物の下敷きになり、亡くなったそうです。
震災から3年が経過した頃、上野さんは娘を失った悲しみや命の大切さを伝えたいと、震災当時のことを公の場で語り始めました。
これまで、地元の小中学校などで20回ほど講演したということです。
一方、昨年夏の台風9号による豪雨災害では、佐用町立幕山小学校で校長を務めていた時の教え子1人が亡くなり、1人が今も行方不明のままになっています。今年1月の講演で、上野さんは娘のことだけでなく、水害で犠牲となった教え子らのことも初めて話しました。今後も、自らの体験をもとに語り続けるつもりだということです。

上野さんは、「自分には父・母がいて、おじいさん・おばあさんがいて、10世代さかのぼるだけでも1024人の方がいます。その誰か1人が欠けると、自分は存在しないわけです。1024人の方の命の上に自分の命があるということで、自分だけの命じゃないよということを、若い人たちには伝えたい。そして、命を大切にしてもらいたい」と話していました。
佐用町立幕山小学校の元校長 上野政志さん

第719回『防災リポート・大学4年間で学んだこと』2010.03.22
小学生の時に阪神・淡路大震災を体験し、その後、高校・大学で防災を学んできた、番組リポーターの小野綾子さんに話を聞きました。

徳島大学4年生の小野さんは、小学1年生のとき神戸市須磨区で被災。しばらくはPTSDのような症状も経験しました。
その後、兵庫県立舞子高校の環境防災科を経て、徳島大学で4年間、より深く防災について学んできました。徳島では、近い将来起きるとされる南海地震に備えて、あちこちで防災マップを見かけ、次第に「災害時の避難行動」に興味を持つようになったそうです。
先月、提出した卒業論文のテーマは「災害時の高齢者の避難行動について」。
「HAT神戸」にある復興住宅に住む100世帯に聞き込みを行なうなどして、災害が起きた際、高齢者が指定された避難所に到着するまで、どれくらい時間がかかるのか研究しました。今後、避難所の設定などに役立ててもらおうと、卒論は地域の自治会にも手渡したそうです。

大学卒業後は、防災関連の会社で技術職の仕事に就くことが決まっている小野さん。
「高校生の時は『みんなの太陽になる』って話していたと思うんですけど、今まで大学でやってきたことを踏まえて、これからは国土を災害から守る技術職ということで、下から支えるような、縁の下の力持ちになれたらいいなと思っています」と話していました。
1・17リポーター、徳島大学生 小野綾子さん

第718回『ハイチ大地震から2カ月 被災地の現状』2010.03.15
20万人以上が犠牲となった今年1月のハイチ大地震から2カ月。
大阪府富田林市在住のハイチ人で、被災地支援のため一時帰国した
ピエールマリ・ディオジェンさんに話を聞きました。

ディオジェンさんは、ハイチの首都・ポルトープランスのラプレン地区出身。
NGOの現地スタッフとしてハイチに滞在していた日本人の智子さんと
知り合い、2年前に来日しました。その後、結婚し、現在は大阪府内の
リサイクル工場に勤務しています。

1月の大地震では、32歳の姉と10歳の弟が犠牲となりました。
ディオジェンさんは、出身地域の復興を支援したいと、先月28日から
今月11日まで一時帰国しました。
訪れたラプレン地区では、テントの支援がいまだに行き届いておらず、
被災者は、木の枝を地面に立てて、そこに布などをひっかけたりして、
仮の住まいをつくっていました。
ただ、昼間は非常にきつい日差しが照りつけ、夜はかなり冷え込むため、
安心して眠ることができず、また雨が降ると、すぐに雨が家の中に入って
きてしまうような状態だということです。

ディオジェンさんは、地元の若者と支援グループをつくり、どのように
地域の人を助けることができるか、何度も話し合いました。そして、
約800家族に、米や魚の缶詰などの食料を配りました。
また、つらいことを少しでも忘れられるようにと、現地の子どもたちに
日本から持参した竹とんぼなどを渡して、一緒に遊んだりしました。
また、食事の提供もしたそうです。交流が終わった後、たくさんの子ども
たちが「今度はいつ来るの?」と、ディオジェンさんのところに集まって
きたそうです。

ディオジェンさんは「特に、地震で両親を失った子どもたちのために、
何か支援していきたいと思っています」と話し、今後も故郷ハイチために
支援活動を続けていくということです。
大阪府富田林市在住のハイチ人 ピエールマリ・ディオジェンさん

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