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第747回『新潟県中越地震から6年〜山古志米を三宅島へ』2010.11.01
 新潟県中越地震の発生から先月で、丸6年を迎えました。当時、大きな被害を受け、全村避難した旧山古志村(現:長岡市)に、すぐに支援に駆けつけてくれたのが、火山の噴火で同じく全島避難していた東京都・三宅島の島民でした。
 その三宅島の人に米をつくって送ろうと、旧山古志村の荒れ地を耕し、田んぼ作りに乗り出したのが、元山古志村支所長の青木勝さんでした。番組に電話出演した青木さんは「三宅島に田んぼがひとつもないことを知った。『それならば』ということで、山古志の米を三宅島の人に食べてもらうと考えた」と理由を話します。

 また、今後のテーマとなる「中山間地」の高齢化問題について、青木さんは、アルパカを使った産業を始めたことを紹介してくれました。
 アルパカは南米産のラクダに似た動物で、その毛は羊毛に劣らず、セーターやマフラーなどを作るのに適しています。青木さんらは、このアルパカを里山に住む高齢者の人たちに牧場で飼ってもらい、地元の産業として育てることが狙いだといいます。
 青木さんは「“癒し効果”のあるアルパカは最近人気で、多くの人に集まってきてもらっています。さらにアルパカの数を増やしました」と手応えを感じていたようでした。

【写真】アルパカに餌を与える青木さん
(電話出演)山古志住民会議 青木勝さん

第746回『奄美豪雨〜兵庫・佐用町から支援のタオル』2010.10.25
 記録的大雨が襲った鹿児島県奄美大島。お年寄りら3人が死亡し、道路や電話回線などが寸断される大きな被害が出ました。
 この知らせを聞き、いち早く支援に動きだしたのが、全国でも奄美からの最大の移住者が住む兵庫県・尼崎市の人たちでした。奄美エーストラベルの大阪営業所(尼崎市)に勤める久保秀基さんらは、義捐金を募るために、奄美出身者を中心に声がけを始めました。
 番組に電話出演した久保さんは「15年前の阪神・淡路大震災のときに、尼崎は奄美の人たちから大きな支援を受けました。その恩を返す意味でもできる限りの支援をしたい」と話します。
 また、番組の後半では、同じく水害で大きな被害を受けた兵庫県佐用町の企画防災課長の長尾富夫さんが、町にストックしていたタオル3500枚を送った話を紹介してくれました。
 去年8月、台風の水害で死者・行方不明者20人を出した佐用町には、全国から多くのタオルなどの支援物資が届けられ、泥掃除などに役に立ったといいます。
 長尾さんらは、その「水害の知恵」を奄美の人たちに役立ててもらおうと、全国でもいち早く、タオルを送ったということです。
 久保さんらは来週にも、JRと阪神の尼崎駅前で、募金活動をするということでした。
(電話出演)兵庫県佐用町・企画防災課長 長尾富夫さん 、奄美エーストラベル大阪営業所 久保秀基さん

第745回『シカバーガーが結ぶ高校生と水害被災地』2010.10.18
 今月初め、兵庫・西宮市の仁川学院高校で学院祭が開かれました。その場に去年、水害で被害にあった兵庫・佐用町の名産を販売するブースが設けられ人気を集めました。当日、番組のパーソナリティー・魚住由紀さんもそのブースを訪れ、びっくりしたものがありました。
 それはなんと鹿肉で作った「シカバーガー」と「シカアイス」。鹿による獣害に悩まされてきた町の一助になろうと、地元・食堂「いっきゅう」の小林ひとみさんが、考え出した特産品ですが、水害後は町の復興に役立てようと、町のピーアール商品として販売しています。

 番組では、小林さんと電話をつなぎ、「シカバーガー」開発秘話や、特産品を通して、復興にかける思いなどを伺いました。
 また、この学院祭に佐用町の人たちを招待した仁川学院高校2年生の平川達也さんからも話を聞きました。
 宗教委員長(仁川学院はカトリック系)を務める平川さんは、委員を指導する先生から、佐用町に連れていってもらったことがきっかけで、防災やボランティアなどに興味を持つようになり、将来はその関係に進学したいと考えるまでになったといいます。
 平川さんは「学院と同じ兵庫県にある佐用町のことをもっとみんなに知ってもらい、防災の意識を高めてもらいたい」と話していました。

【写真上】仁川学院祭で「シカバーガー」と「シカアイス」を
      販売するブース
【写真下】宗教委員のメンバー。写真中央が平川達也さん
(電話出演)食堂「いっきゅう」経営 小林ひとみさん、仁川学院高校2年生・宗教委員長 平川達也さん

第744回『震災障がい者とは?』2010.10.11
「震災障がい者」−1995年の阪神・淡路大震災で心身に障害を負った被災者。あまり知られていない言葉ですが、行政上の定義はなく、数年前から当事者らが使い始めた名称です。
 番組では、この震災障がい者の支援を続けてきたボランティア団体「よろず相談室」主宰の牧秀一さんをゲストに迎え、話を伺いました。

 兵庫県と神戸市による人数調査では、震災障がい者は県内で、少なくとも328人(うち117人死亡)いることが判明しています。近くサポート体制などを充実させたいとしていますが、牧さんは「実際には2千人以上にいる」と訴えます。
 牧さんは「震災で自宅の下敷きになった心境、障害を負って生活してきた苦しみ、行政への疑問・・・震災は終わっていない」と話します。また、肉体だけではなく、知的精神的に受けた「傷」も見過ごせない大きな問題だと指摘します。
 牧さんらは、震災障がい者の人らが語り合う「出会い」の場を月一回設けていますが、まだ、参加者は15人ほどで、「今後も一人でも多くの人に参加してもらうようにしたい」と話していました。
よろず相談室主宰(神戸市立楠高校教員)牧秀一さん

第743回『日本人NGOスタッフが見た中国・青海省地震の被害』2010.10.04
 今年4月、中国・青海省で起きた大地震。2年前の四川省大地震の影に隠れて日本ではあまり知られていませんが、スタジオゲストには、現地に入り支援活動を行ってきた「CODE海外災害援助市民センター」のスタッフ、吉椿雅道さんに来ていただきました。

「青海省地震」と名付けられたM7・1のこの大地震は今年4月14日、中国青海省玉樹チベット自治を震源に発生。死者2698人とけして被害の小さな地震ではありませんでした。
 吉椿さんは、地震発生から約1ヵ月半後の6月初め、現地に乗り込み、災害援助の支援活動に入りました。現地は標高3700m、ちょうど富士山の頂上並みの高さのため、高山病に悩まされながらの支援活動だったといいます。
 周辺には住宅建設用の木材が少ないことから、揺れに弱い土壁作りの家がほとんどで、地震で崩壊する家が多発、多くの人は今もテント暮らしを強いられています。
 吉椿さんは、「9月から現地は冬に入っている。家やテントなども十分用意されていない状況でこれからが心配だ。日本人にも被害の状況を知ってもらい、援助に加わってもらいたい」と話していました。
CODE海外災害援助市民センター 吉椿雅道さん

第742回『防災にも役立つジオパークとは?』2010.09.27
 貴重な地形や地層が残る地域を国際的に認定した地質遺産公園「ジオパーク」。
これまでに世界21カ国66地域が加盟していて、日本からも北海道の洞爺湖有珠山や、新潟県の糸魚川、長崎県の島原半島3地域が認定されています。

 スタジオゲストには、日本ジオパーク委員会の代表・尾池和夫さんを迎え、その現状などについて伺いました。尾池さんは、地震学者としても知られていますが、「委員会」では現在日本全国を飛び回り、各地に残る自然遺産を審査し、「世界ジオパーク」に加盟申請する仕事をしています。
 ジオパークの主な目的は、貴重な地形を観察できる自然公園として残し、教育や観光に役立てることですが、尾池さんは「日本ではこれらに"防災"視点も加えた」と解説。 
「ジオパークで大地の鼓動を学び、火山や地震の仕組みを知った上で観光客や市民の安全を守る防災意識を育てることが大切だ」と指摘するように、認定された地域のいくつかも、火山噴火や地震といった自然災害による被災地でもありました。
 尾池さんは「今後、さらに『ジオパーク』をたくさんの人に知ってもらい、多いに利用していただきたい」と話していました。
日本ジオパーク委員会委員長(京都大学前総長) 尾池和夫さん

第741回『鳥取県西部地震から10年〜人をつなぐ支援とは?』2010.09.20
 2000年10月6日に起きた鳥取県西部地震から10年。被害を受けた町のひとつ、鳥取県日野町には当時、過疎高齢化が進んだ山間地域に関わらず、県外から多く
のボランティアがかけつけました。
 番組では地震以来、『日野ボランティアネットワーク』のコーディネーターを務めてきた山下弘彦さんを迎え、その苦労話などを伺いました。
 地震直後は、見知らぬ人に対して、地元の人たちが強い警戒心や遠慮があったため、復旧・復興のさまたげの一因にもなったといいます。このため山下さんらは、「誰もが気軽に助け、助けられるような地域をつくろう」と、主に高齢者を対象とした継続的な支援を始めたということです。
 今年7月で100回を数えた「高齢者誕生月プレゼント企画」も、そうした支援活動のひとつで、毎月、誕生日を機会に、地元の70歳以上のお年寄りを訪れ、生活状況や困りごとなどについて話を聞いていく活動だそうです。
 山下さんは、「日頃からのつながりを持つことと支え合うことで、災害に強い地域づくりができる」と話していました。     
 また、こうした経験を自分たちの町だけではなく、被災した他の地域へも発信し共有することで、「次に役立つ防災につなげていきたい」と抱負を語っていました。
日野ボランティアネットワーク 山下弘彦さん

第740回『防災リポート〜歴史に学ぶ南海地震の防災対策』2010.09.13
 阪神・淡路大震災をきっかけに、自分が育った町で過去に起きた地震や津波の体験談を、地域の人たちに伝える活動をしている和歌山県日高広域消防本部・消防長の弓場研二さんに電話出演していただき、話を伺いました。

 弓場さんは、阪神・淡路大震災を引き起こした15年前の大地震の当日、消防の応援で神戸市長田区に駆けつけ、悲惨な町の状況を目の当たりにしました。その経験がきっかけで、「自分の町は大丈夫なのか」と疑問を持ち、地域に残る地震の体験談や文献を調べ始めました。
 弓場さんが育った和歌山県印南町は、近い将来起きるとされる南海地震で、津波の被害が心配される地域。地元には、1946年に起きた昭和の南海地震の体験者も生存しているほか、1854年に起きた安政の大地震の際の大きな揺れや津波が押し寄せる様子を克明に書き記した文献なども残されているということでした。
弓場さんは、こうした身近な体験談や歴史を伝えることが、「地域の防災」を学ぶ、特に子供たちにとっては、大切であると訴えていました。
(電話出演)1・17リポーター 和歌山県日高広域消防本部・消防長 弓場研二さん

第739回『三宅島噴火から10年〜故郷の情報を発信し続ける女性ボランティア』2010.09.06
 今回のテーマは伊豆諸島・三宅島噴火から10年。ゲストに、全島民が、島外に避難を余儀なくされて以来、島民の心をつなぐために故郷の情報を発信し続けてきた宮下加奈さんに来ていただきました。
 宮下さんは、10年前の8月、訪れた親せき宅で火砕流に遭い、東京の団地で避難生活を送る中、都内で散り散りになった島民のために支援グループを立ち上げました。
以後、避難生活を送る島の人たちに互いの情報を伝えたり、噴火の体験を島外の人に伝えたりする活動を行ってきました。
10年経った今でも、島では火山ガスによる立ち入り禁止地域が残り、自分の家に帰れない人が300人ほどいるなど苦しい一面もあるということですが、一方で、島の自然の美しさなどを再認識した島の若い人たちが戻ってくるなど、うれしい話題もあるそうです。
 宮下さんは、火山災害について、今後も防災や減災の大切さを訴えていくと同時に、三宅島の良さをアピールしていきたいと話していました。
ネットワーク三宅島・代表 宮下加奈さん

第738回『被災した祖国を歌で癒したい〜在日中国人歌手の思い』2010.08.30
 兵庫県西宮市を拠点に、中国・四川大地震の被災者の支援活動を続ける在日中国人歌手の李広宏さんをゲストに迎え、話を伺いました。
 李さんは、日本の唱歌に魅せられ、来日。以後、日本の歌を中国語に翻訳し歌い、ヒット曲「千の風になって」の中国語バージョンも手がけ有名に。
 95年の阪神淡路大震災では、自身も被災し、当時3歳だった息子とともに、厳しい避難所生活を体験しました。
 その苦しかった経験から、祖国の中国・四川省で大地震が起きたことを知ると、いてもたってもおられず、被災地支援の活動を始めたということです。
 番組では、活動当初から支援を続ける義足の女子高生の話や、被災地の学校にグランドピアノに寄付する話など、内容満載の30分間になりました。
歌手 李広宏さん

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