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第757回『長田の住職が語る震災16年』2011.01.10
 まもなく震災から16年を迎える被災地・神戸。17日には、犠牲者を追悼する式典が当時の各地の関係先でも行われますが、須磨区にある復興住宅「フレール須磨たかとり」でも、当時、苦労を共にした被災者やボランティアらが集います。
 ここには、震災直後、近くの公園でテント生活を余儀なくされた人たちが中心に住んでいて、四季を通じて、花見や、夏祭りといったイベントを行い、ボランティアや被災者らが交流を深めてきました。
そこで被災者への支援活動を16年間続けてきたのが、玉龍寺(長田区)の住職、五百井正浩さんです。番組では、五百井さんをゲストに迎え、この16年間で、被災者の何が変わり、変わらなかったのかを伺いました。
 五百井さんは、復興住宅に移り住む前から、そして移り住んだ後も、支援活動を続け、家族を亡くした被災者らの話を中心に、心の相談にのってきたといいます。ときには、宗教の壁を越えて、キリスト教会の人たちと一緒に活動するなど、熱意のある支援が功を奏して、他の復興住宅に比べ、ここでの高齢者の「孤独死」は少ないのだといいます。
 一方で、肉親をなくし遺族には、16年経った今も、まだ心が癒されていない人が多いことも紹介してくれました。
 「フレール須磨たかとり」での法要は住民の方が、中心に行われるということですが、17日午前10時から、JR長田駅北にある「西代寺」でも五百井さんらが参加しての法要が行われるということで、こちらはどなたでも参加自由だということです。
ボランティア「ネットワーク朋」代表で玉龍寺住職 五百井正浩さん

第756回『震災から16年〜ボランティアで生まれた地域の絆』2011.01.03
 阪神・淡路大震災を契機にスタートし、地域の人たちの心の支えになっていた「ふれあい喫茶」(神戸・兵庫区)。ボランティアグループ「プロジェクト1−2」が震災直後の1995年春に立ち上げ、兵庫区内の公園にあった仮設住宅の集会所を拠点に、地域の被災者らと交流をもった場所でした。
 その後、近くのカトリック兵庫教会に場所を移し、毎週火曜日、暖かいコーヒーと、パンなどを食べながら、近所のお年寄りらと話の花を咲かせきた「ふれあい喫茶」でしたが、15年の節目となった去年1月、ボランティアの高齢化と、後継者が見つからないことなどを理由に、閉鎖となりました。そして、毎年、年の瀬の12月に行われてきた恒例のもちつき大会も、今回はないと思われていましたが・・・。
 なんと、今回は自然発生的にいつものメンバーが集まり、無事開催にこぎつけたということでした。
 番組では、「喫茶」の支援を続けてきた「プロジェクト1−2」代表の有光るみさんに出演していただき、「喫茶」のこれまでを振り返ってもらいました。有光さんは、去年開催されたもちつき大会に約150人もの住民らが参加してくれたことにふれ、「喫茶」という場はなくなったものの、その絆が地域にしっかり根付いる印象を話してくれました。
 また、自らプロデュースし、14年ぶりに公演する「震災語り劇」について、震災を知らない世代に、記憶を伝えるためにも、「しっかりやっていきたい」と抱負を語ってくれました。
ボランティア団体「プロジェクト1−2(ワンツー)」代表 有光る みさん

第755回『足湯でほっこり。被災者の「つぶやき」に耳を傾けるボランティア』2010.12.27
 タライに張った湯に足をつけてもらい、手を揉みほぐしながら被災者の話を聞く「傾聴ボランティア」。阪神・淡路大震災の際、避難所などで始められたこの支援が、その後、2004年に起きた新潟県中越地震で復活し、能登半島地震、兵庫県佐用町の水害被災地などでも行われました。
中心となっているのは神戸、大阪、新潟の学生で作る「中越・KOBE足湯隊」メンバーで、その輪は金沢の大学生(「灯り(あかり)」)にも広がっています。
 足湯でリラックスしてもらい一対一で向き合うと、被災者からは不安や要望などが「つぶやき」となって表われます。何気ない言葉に隠された本音から、被災者が何を必要としているか窺えることもあるといいます。活動は災害が起きた当初だけではなく復興の過程でも継続します。
 番組では、「中越・KOBE足湯隊」のメンバーが能登半島地震以降、交流が続く輪島市を訪問(26〜29日)するのにあわせて、パーソナリティの魚住由紀さんが、現場を取材。現地から足湯隊メンバーで神戸大学2年生の後藤早由里さんらとともに、その様子について電話で報告します。

【写真上】足湯につかる被災者の方に、後藤早由里さんが
      指をもんでほぐしている様子。
【写真下】中継した「江尻屋」さん(穴水町)にて、足湯隊のメンバー。
      後方左から 大島さん、藤室さん、頼政さん、小島さん、
      西山さん、竹内さん、吉田さん。
      前方は後藤さん。
(電話出演)「中越・KOBE足湯隊」後藤早由里さん、神戸大学都市安全研究センター 藤室玲治さん

第754回『そのときどうする?災害時の避難所設営を考える』2010.12.20
「助け合いの大切さ」を知った16年前の阪神・淡路大震災。南海地震や上町断層による地震の発生確率が高まる中、次の災害が起きたときに、私たちはその教訓を活かすことがはたしてできるのでしょうか。
 番組では、パーソナリティの魚住由紀さんが、大阪市阿倍野区役所で行われた大規模災害を想定した防災訓練に取材に行き、その様子を報告してくれました。
 阿倍野区では、消火や救出など初動の訓練はこれまでも行ってきましたが、「避難所での暮らし方」をテーマにした演習は初めてだということです。
 訓練では、災害時に実際に避難所として使われる学校を想定し、住民同士が学校の図面を元に、部屋割りなどを考えました。「トイレはどこに?・・たばこはどこで?・・ペットはどうする?・・お酒は飲んでもよいか?」。
 避難所の開設から運営までを検討すると、さまざまな課題が見えてきました。
電話でゲスト出演していただいた(社)<減災・復興支援機構>理事長の木村拓郎さんは、「大規模災害のときには避難所生活が長期化する。避難所の環境の悪さによるトラブルを招かないためにも、事前の心構えが必要だ」と、こうした訓練の重要性を話していました。
 また、災害発生直後は行政からの支援もすぐに受けることはできず、住民同士の助け合いが不可欠になることも指摘、日ごろから、学校も含め、地域でのコミュニティ作りの大切さを訴えていました。
(電話出演)<社>「減災・復興支援機構」理事長 木村拓郎さん

第753回『震災を次世代に語り継ぐ〜神戸ルミナリエからの中継』2010.12.13
 今回は番組スタッフ全員がスタジオを飛び出し、神戸ルミナリエの会場から、生放送しました。
 震災の犠牲者を悼み、街の復興を願う光の祭典「神戸ルミナリエ」では、遺族らが体験を語る「語り部」の場所が、初めてできました。観光イベントとしての側面が強まることを地元の神戸芸術工科大学の学生らが心配し、「原点に戻って、命の大切さを伝える内容にしたい」と企画しました。
 番組は、この「語り部」の臨場感をリスナーに伝えようと、東遊園地すぐ南側にある噴水広場のテントの中に、臨時のスタジオを作り、放送に臨みました。
 当日は小雨の降るあいにくの天気となりましたが、多くの観光客らが現地を訪れ、「語り部」の会場は満席となりました。
 臨時スタジオのゲストには、遺族らでつくるNPO法人「阪神・淡路大震災1・17希望の灯り」(HANDS)理事の白木利周さんと、この取り組みを企画した神戸芸術工科大学、3年生の和田祥子さんの二人に来ていただき、その意図や、思いなどを伺いました。
「語り部」の依頼を受けた白木さんは「次世代にどうやって、震災の記憶を伝えていくか、悩んでいたときだけだったので、喜んでお受けした」と感想を話していました。また、和田さんは「ルミナリエが観光化されていく現状に疑問をもった。白木さんらの震災の話を聞き、感化され、ぜひお願いしようと考えた」と、動機について語っていました。
「阪神・淡路大震災1・17希望の灯り」理事 白木利周さん、神戸芸術工科大学3 年生 和田祥子さん

第752回『語り継ぐ震災の記憶〜長田のろうそく作り』2010.12.06
 毎年<震災の日>の1月17日に、神戸市のJR新長田駅前で行われる追悼行事「1・17KOBEに灯りをinながた」。そこでは、ペットボトルで作った灯篭のろうそくに火をともし、「1・17 ながた」という文字を暗闇に浮かび上がらせます。今そのろうそく作りを、子供たちを含む周辺の住民らが始めていますが、今回はパーソナリティの河本光正アナウンサーが現地の様子を取材してきてくれました。

 この行事は、ボランティアや住民らが中心になって1999年から続けられているもので、当日ともされるろうそくは、全て手作り。
河本アナウンサーが、今回初めて長田区以外で会場となった兵庫区の小学校を訪ね、小学4年生の児童約140人が参加するろうそく作りの現場を訪れました。
会場では、ボランティアの人たちが、子供たちにろうそく作りを教えていますが、震災を知らない世代にも、その経験を語り継いでいこうと、写真などを見せながら、当時の様子を伝える講演会も行われました。
追悼行事の実行委員長である和田幹司さんは、ろうそく作りを進める子供たちに「数多く作ることを考えずに、地震で亡くなった人のことを思いながら、丁寧に作って欲しい」と話していたということです。
(スタジオ報告)番組パーソナリティ 河本光正アナウンサー

第751回『日弁連・発!法律で災害からあなたを守る本』2010.11.29
 日本弁護士連合会(日弁連)が、災害時に起こるトラブルへの対応を法律の視点からまとめた本をこのほど出版しました。
 タイトルは「災害対策マニュアル−災害からあなたを守る本」(商事法務刊:¥1,400)。阪神・淡路大震災などこれまで起きた自然災害時に、法律相談に実際に乗ってきた日弁連の災害復興支援委員会がまとめたもので、専門書などとは異なり、一般の人向けに平易にQ&A形式で書かれています。
 例えば、「Q 倒壊家屋に下敷きになった人を助けずに避難してしまいました。何らかの法的責任を負うことになるのでしょうか?」「Q 会社に出勤できない場合、給料や地位はどうなるのでしょうか?」など、実際に起こった事象を元に書かれているだけに、災害時にすぐに役立ちそうな内容ばかりです。
 番組ではマニュアル本の執筆者の一人でもあり、同委員長を務める永井幸寿(こうじゅ)弁護士=兵庫県弁護士会=に来てもらい、マニュアル本を通して、災害時の法律問題の対応の仕方や問題点などについて伺いました。
 永井弁護士は「阪神淡路大震災の時は、1年間で10万件もの相談を受けたが、迅速に対応できたことで、その後解決につながった。被災者が法的な見通しを持つことができ、被災者同士で話し合いによって解決できたからだ」と震災直後からの法律相談の大切さを強調していました。
日弁連・災害復興支援委員長 永井幸寿(こうじゅ)さん

第750回『奄美豪雨から一ヵ月〜西靖アナの報告』2010.11.22
 死者3人を出した豪雨災害から一ヵ月を迎える鹿児島県奄美大島。今月初めその被災地を、MBSの西靖アナウンサーが取材で訪れました。
 奄美大島では、先月20日の記録的豪雨で、死者3人を出し、島の「生命線」となる国道が寸断されるなど大きな被害に見舞われました。
 番組では今月1日、MBSのテレビ番組<ちちんぷいぷい>の取材で現地入りした西アナウンサーが、当時の現地の様子について語ってくれました。   
 西アナウンサーは、被害の大きかった住用町と、災害情報を伝え続けたコミュニティFM局がある名瀬地区などを訪ねました。
 当時は被災直後から10日ほどが過ぎ、島全体が復旧を目指して動き出していたころで、島内外から多くボランティアの人たちが集まっていました。しかし、ボランティアをどう迎えるか慣れていない島の人たちと、一日も早く仕事をしたがるボランティアとの間で溝ができるなど、被災地ならではの"難しさ"を知ったということでした。
 また、災害時に24時間体制で、情報を発信し続けたコミュニティFM局が、当時、地域の人たちをつなぐ重要な「メディア」になったということでした。
 西アナウンサーは「友人もいる奄美大島の今後も、見守っていきたい」と話していました。
(スタジオ報告)MBS・アナウンサー 西靖

第749回『笑って防災!ある音楽プロデューサーの取り組み』2010.11.15
 番組では、音楽プロデューサーの山崎一稔さんが企画する東京都港区三田豊岡町会の「防災活動」をパーソナリティの魚住由紀さんが現地取材し報告しました。
 山崎さんは、1970年代、MBSラジオの深夜番組「ヤンタン」から生まれたフォークグループ「三輪車」のメンバーで、現在は阿久悠のトリビュートアルバムなども手がける音楽プロデューサーです。
 その山崎さんがいま、自分が住む地域の防災活動に取り組んでいます。寺も点在する古くからの町並みと、新しい集合住宅が混在する東京都港区三田豊岡町。
「首都圏の地震災害の可能性は切迫している」と研究者が警鐘を鳴らす中、この町の災害対策も急務だという思いから、防災活動を始めたといいます。
 「災害時に助け合える地域をつくりたい。でも、隣人に無関心な都会で、どうやって人と人をつなぎ、防災を意識してもらったらよいのか」。悩んだ山崎さんが考え出したのは、人気の「フリーマーケット」に「防災」を組み合わせたイベントでした。今回は、近くの慶応義塾大学のお笑いサークルによる「コント」や、「クイズ」なども登場し、参加者らはイベントを楽しみながら、防災を学びました。
 インタビューの中で、山崎さんは「港区はマンションが多く、お互いに顔を知っている人が少ない。そうした人をいかに引っ張り込むが大切で、お祭りで楽しんでもらい顔見知りになってもらえれば防災につながる」と話していました。

【写真上】防災クイズの様子。舞台左手が山崎一稔さん
【写真下】防災コントの様子。舞台左から柴田洋さん、
      高橋和也さん、吉川遼さん
(スタジオ報告)番組パーソナリティ 魚住由紀

第748回『竜馬が生きた幕末の地震』2010.11.08
 テレビの大河ドラマで注目を集める坂本竜馬。その竜馬が生きた幕末は、大地震が頻発したことでも知られています。スタジオには、日本の過去の地震に詳しい産業技術総合研究所・招聘研究員、寒川旭さんを迎え、竜馬ら「勤皇の志士」が活躍した幕末に地震がどのように影響したか伺いました。
 最初に紹介してくれたのがロシアから来たプチャーチン提督が率いるディアナ号の話。
アメリカのペリー同様、日本に開国を迫るため、来航していたディアナ号は、1854年に起きた東海地震による津波で、下田で大破したそうです。このため、ロシアの乗組員は日本に取り残されることになり、彼らを帰国させるために、日本で初めて、「西洋式造船」が始まったといいます。そして、この技術が、後に勝海舟率いる神戸の「海軍操練所」の礎につながっていくということでした。
 また、江戸の町を壊滅させた安政の江戸大地震では、民衆の幕府への信頼が揺らぐ結果をもたらしました。地震は幕府の財政を逼迫させたうえ、責任能力のなさを露呈させ、民衆の「新しい時代」を待ち望む期待感が高まったということです。その表れとして、当時、権力などを社会風刺する「鯰絵」が多く流布されたということです。
 寒川さんは、「地震は単に地盤が割れる物理現象としてみるだけではなく、その上に住む私たちの考え方や生活様式にいたるまでのすべてに影響するもので、そういった視点で見ることも大事だ」と話していました。
産業技術総合研究所・招聘研究員 寒川旭さん

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