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第767回『東日本大震災〜大阪のNPOが被災地の障害者支援へ』2011.03.21
 まさに未曾有の大災害となった東日本大震災。被災地は広範囲におよび、政府の救援活動すらままならない状況が続いています。
こうした中、先週末、阪神大震災をきっかけに生まれた障害者を支援する大阪のNPO法人が動きだしました。
 NPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)職員の八幡隆司さんが、被災した障害者支援のために先週末、福島県郡山市の現地に入りました。
 番組では、八幡さんから、障害者の人たちが今、被災地でどんな状況におかれているのか、また何を必要にしているのか、電話をつなぎ、話を伺いました。

★番組で紹介したゆめ風基金の救援金の送り先です。
郵便振替口座 00980−7−40043「ゆめ風基金」
詳細はHP<http://homepage3.nifty.com/yumekaze/>まで
(電話出演)NPO法人「ゆめ風基金」職員 八幡隆司(やはた・たかし)さん

報道特別番組「東日本大震災」2011.03.14
3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」を受けて、
2時間の災害特別報道番組を放送いたしました。
室﨑益輝さん(関西学院大学災害復興制度研究所所長)

第765回『水害の佐用町復興を「炭焼き」で支援2011.03.07
 2009年8月の台風により、大きな水害の被害を受けた兵庫県佐用町。被害を拡大させた原因のひとつに山林の荒廃が指摘されていますが、その荒廃した山林と向き合いながら復興支援を続けるボランティアたちがいます。
 番組では、その中心人物で、「被災地NGO恊働センター」(神戸市)の代表の村井雅清さんをスタジオに招き、地元名産の「炭」に着目したユニークな山林整備の活動について伺いました。
 水害直後、ボランティアの大学生らとともに、泥出しや足湯の支援を行ってきた村井さんでしたが、次の支援として、浸水した家屋の床下に炭を敷き詰める活動を展開しました。全国からも15トンもの竹炭や木炭が届けられ、「除湿や臭い消しに役立った」と住民に喜ばれたということです。
 こうした経験をきっかけに、学生らは佐用町の伝統技術だった「炭焼き」を地元の竹炭組合の手ほどきで覚えました。さらに、地元の森林組合の人たちからは、山を守る大切さを教えられたということです。また、高齢者が多い住民にとっても、炭焼きを通し若い学生らと触れ合えたことで、活気が戻ったといいます。
 村井さんは、「学生が山を知ることで、都会と山間部との関係が深まり、息の長い支援につながる」と話していました。
被災地NGO恊働センター 村井雅清(まさきよ)さん

第764回『ニュージーランド地震〜現地からの報告』2011.02.28
 22日、ニュージーランド南島の最大都市クライストチャーチを襲ったM6.3の強い地震。発生から1週間を迎えた現地では捜索は難航し、不明者の確認作業も追いついていません。
 こうした混乱が続く中、番組では、まず、現地のラジオ局に勤務している晝間尚子さんと電話をつなぎ、今のクライストチャーチの様子を伺いました。
 晝間さんは「電気は8割、水道は6割強が復旧した。物価などはいつもの価格で安定供給されているが、街から人がいなくなって夜は怖い」と話してくれました。
 また、25日から現地入りしている国際医療NGO「AMDA」の本部職員で看護師の石岡未和さんは、被災した日本人留学生らの家族の心のケアなどを担当していて、家族の人たちが大きなストレスを抱えている現状を、番組直前の電話収録で報告してくれました。
さらに、ニュージーランドの地震に詳しい京都大学防災研究所の飯尾能久教授が、今回の地震の発生メカニズムや、被害が大きくなった理由などについて電話で説明してくれました。

 なお「AMDA」では今回の地震発生に伴い募金を募っています。詳しくは、「AMDAニュージーランド地震募金」
電話:086-252-7700(AMDAボランティアセンター)。

【写真】クライストチャーチ市街地の様子(『AMDA』提供)
現地ラジオ局勤務 晝間尚子さん、国際医療NGO「AMDA」石岡未和さん、京大防災研究所 飯尾能久教授

第763回『震災遺児が"エイズ遺児"支援でアフリカへ』2011.02.21
 阪神・淡路大震災で、父親を亡くした"震災遺児"の女子学生(19)がこの春、"エイズ遺児"支援のためにアフリカのウガンダに向かいます。
 番組では、3月にウガンダに留学する関西大学・1年生の小島汀さんを迎え、出発前の気持ちなどを伺いました。
 小島さんは16年前の地震で被災し、当時36歳だった父親を亡くしました。以後、父親のいない寂しい生活を支えてくれたのが、遺児らを支援する「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」でした。同じ境遇の遺児らと出会うことで、「つらいのは自分だけではない」と思えるようになったといいます。
 そんな小島さんが、エイズで親を亡くしたウガンダの子供たちを支援するため、大学を1年間休学しての留学を決めました
現地には2003年、同育英会が、遺児たちに読み書きを教える「寺子屋教室」を設立。800人を超える子供たちが登録し、現在56人が勉強に励んでいます。今回は小島さんを含め、全国から10人の大学生が参加。子供たちとふれあいながら、現地の教師の手伝いなどをします。
 番組に出演した小島さんは「ただのお手伝いだけではなく、エイズ遺児としっかり関わってきたい。そして、現地の人にとっての幸せとは何か自分なり学んできたい」と抱負を話してくれました。
関西大学1年生 小島汀(おじま・みぎわ)さん

第762回『地域でともに考える、障害者の避難生活』2011.02.14
 阪神・淡路大震災の避難所では高齢者や障害者が孤立したケースが相次ぎました。誰もが混乱に直面する中で、高齢者や障害者たちは自分が何に困っているかを口にすることすら遠慮したといいます。

 番組では、こうした教訓をふまえた学習会の様子を、パーソナリティの魚住由紀さんが取材し報告しました。

 学習会は去年10月から5回にわたり、「兵庫区自立支援協議会」の主催で開かれました。避難所でのスムーズな生活を、障害者と地域の住民がいっしょに考え、いざという時に備えるための取り組みです。

 住民と障害者が二人一組となって、実際に避難所となる施設をチェックしてみると、段差やトイレの広さなど設備面の不具合に気づかされます。参加者らは、障害者への声の掛け方や施設内での誘導の仕方など、やってみないわからないことを、多く学べたと話します。

 また、ディスカッションでは、「避難を促す広報アナウンスが聞こえず、家の中に取り残された」という経験が聴覚障害者から語られるなど、活発な意見が交わされました。

 参加した住民の一人は、「相手の気持ちになって接することが大切じゃないか」と感想を述べていました。
取材報告:魚住由紀

第761回『新燃岳噴火〜現地のいま&今後の見通し』2011.02.07
 爆発的噴火が続く鹿児島県境の霧島山系・新燃岳。噴煙は一時、火口から約3000メートル以上にも達し、爆発による空気の振動「空振」で近くのホテルの窓ガラスが割れるなどの被害も出ています。
 今回は、住民の一部が避難生活を続けている宮崎県高原町・総務課長の横山安博さんと、新燃岳の調査を行っている東京大学・地震研究所の中田節也教授の2人に電話をつなぎ、現地の今の状況や、火山活動の今後の見通しなどを伺いました。
 新燃岳の東側にある高原町では、避難勧告が一部解除されたものの、27世帯がまだ不便な避難所生活を強いられています(2月7日現在)。また、窓や戸を締め切った状態の家の中にまで灰が入り込んでくるといい、農作物にも火山灰が降り積もり、被害がでているということです。
 一方、新燃岳の噴火について、中田教授は、「噴火の仕方が約300年前に起きた江戸時代・享保の際の噴火に似ている」と話します。その際は噴火活動が1年半にも及びましたが、今後の活動についてはまだわからず、マグマの動きなどを注意深く、監視してきたいということでした。

【写真】2/4の新燃岳噴火の様子。
(電話出演)東京大学・地震研究所 中田節也教授、宮崎県高原町 総務課長 横山安博さん

第760回『ハイチ大地震から1年〜神戸とつながる心』2011.01.31
 31万人以上の死者を出したハイチ大地震の発生から1月で1年が経ちました。
しかし、現地では、多くの人たちがいまだにテント生活を強いられています。
 今回は、そのハイチで医療支援や義足支援などに取り組んでいる国際医療救援団体「AMDA」(岡山本部)代表の菅波茂さんと電話をつなぎ、ハイチの現状や、AMDAによる支援活動の様子を伺いました。
 ハイチ大地震では、治療の遅れなどから腕や足を失った被災者は少なくありません。菅波さんらは、彼らに支援の手を伸ばそうと、日本で義足を作る工場などから、使われずに"眠る"中古の部品を集めました。それらの部品を使い、ハイチの首都ポルトープランスの病院の中に、義足用の<製作工房>を開設したそうです。
 そして、その<工房>で作られた義足を提供されたハイチの18歳の女子学生が1月16日、神戸に招待され、阪神・淡路大震災で障害を負った人たちと交流を深めました。
 また、菅波さんは現地で蔓延しているコレラについても言及。現地で病人を隔離せずに看護にあたる家族の姿を目にし、正しい医療知識を知る「教育」の必要性を感じたということでした。

【写真】交流会の様子。左から2人目がガエルさん。
(電話出演)「AMDA」代表(医師) 菅波 茂さん

第759回『しあわせ運べるように〜作者が語る震災16年』2011.01.24
 すっかり<阪神・淡路大震災の歌>の代名詞となった「しあわせ運べるように」。追悼式や、被災者らが集まる会合などで、曲が流れると、自然と口ずさむ歌です。
 今回は、この歌の作詞・作曲をてがけた臼井真さんにスタジオにきていてだき、歌を通じての震災16年を振り返ってもらいました。
「しあわせ運べるように」は神戸市立吾妻小学校(現中央小)の音楽教諭だった臼井さんが、震災約2週間後に作った歌で、同校の児童が歌い始め、今では「復興の賛歌」として全国に、そして世界に広まっています。
番組の中で、臼井さんは、この歌が中国語に翻訳されたエピソードを紹介してくれました。
 ちょうど震災15年にあたる去年の追悼式典で、皇太子がこの歌を耳にされ、関係者に「世界に紹介できないか」と話されたといいます。これをきっかけに、今年7月、歌が英語と中国語に翻訳されが、中国で開かれた上海万博の国連ブースで流されました。
 さらに、国内でも去年、「よさこい節」風にアレンジされた曲が作られ、神戸の小学生らがパレードで踊りを披露し沿道の市民から大きな拍手を受けました。この歌を通して<震災16年>の感想を伺ったところ、臼井さんは「歌が色々な人をつなげてくれた。この歌の後を追いかけてきた16年だった。今になっても、いろんな解釈をさせてくれる不思議な歌だ」と話してくれました。

【写真下】臼井さんが「しあわせ運べるように」を作詞・作曲した
      当時のメモ書き
神戸市立西灘小学校 音楽教諭 臼井真さん

第758回『16年をつなぐ震災の記憶〜過去、現在、そして未来へ』2011.01.17
 今回は、MBSラジオの「ネットワーク1・17」と「たね蒔きジャーナル」の共同制作で2時間半にわたり、特別番組を放送しました。
震災から16年を迎えた被災地・神戸。インフラの整備は整い、表面的には市民の生活も落ち着いたかのように見えますが、残された課題は決して少なくありません。
 番組では、「記憶」というキーワードを元に、3部(過去、現在、未来)に分け、放送しました。第1部では、<過去>と向き合い、震災の「記憶」を伝える語り部たちがいかに次世代へのバトンタッチすべきかについて、若者、遺族らのそれぞれの立場の代表者に集まってもらい、スタジオで討論を行いました。
 第2部では、被災地の<現在>を見つめ、解決されないまま残る復興住宅の高齢者をめぐる問題を、河本光正アナが現地取材を交え、"震災高齢者"の現状を報告してくれました。
 第3部では、<未来>の災害にどう備えるべきか、自主防災に取り組んでいる加古川のマンションに住むグループを紹介。現地から「たね蒔きジャーナル」の水野晶子キャスターが中継で、その苦労話や工夫など聞きだし、防災の知恵を紹介してくれました。

ゲスト:
室﨑益輝さん(関西学院大学災害復興制度研究所所長)
白木利周さん(NPO法人阪神淡路大震災『1・17希望の灯り』<略称HANDS>理事)
諏訪清二さん(兵庫県立舞子高等学校環境防災科教諭)
牧秀一さん(NPO法人『よろず相談室』理事長)
鈴木孝典さん(神戸大学3年生)
和田祥子さん(神戸芸術工科大学3年生)
大西賞典さん(『加古川グリーンシティ』防災会会長)

【写真上】1月17日の朝、神戸・東遊園地。
【写真中】第一部ご出演の皆さん。手前左から 諏訪さん、
      和田さん、白木さん。奥右が室﨑さん。
【写真下】加古川グリーンシティ集会所。左が大西さん。
室﨑益輝さん(関西学院大学災害復興制度研究所所長)ほか

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