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第777回『東日本大震災の義援金』2011.05.30
「被災者に義援金が届いていない」という千葉アナウンサーの言葉が気になって電話取材を始めた河本アナウンサー。避難所暮らしを続ける山崎亮さんに聞くと、陸前高田市での義援金の受け取りは6月1日からとのこと。被災してから2カ月半以上たつというのに、どうしてこんなに時間がかかるのでしょう。

 日本赤十字社や中央募金会に集まった「善意」のお金、義援金は、義援金配分割合決定委員会で目安が決められ、一次配分は、死者・行方不明者ひとりあたり35万円、住宅が被害を受けた世帯には、全壊・全焼で35万円、半壊・半焼で18万円、福島第一原発から半径30キロ圏内の世帯には35万円。そして、義援金は、被災地の各自治体に贈られ、県ごとに設置された義援金配分委員会によって、いつ、誰に、いくら贈るか、が決められます。

 目安額を決める委員会は大地震が起きてから一カ月近くもたってから初会合が開かれました。被害にあった自治体が15の都道県に及び被災度合いも違う中、意見調整に時間がかかってしまいました。自治体に作業が移ってからも、職員が被災していて手が足りない、申請者の本人確認に手間取るなど混乱は続きます。
陸前高田市では、「市内に仮設住宅が完成する7月中旬までには一次配分を終えたい」としています。

 日々を営むためのお金は、いますぐにでも必要です。義援金の性格上、公平性を保つ事も大切ですが、スピードあってこそ効果だと思うのですがどうでしょう。
多くの人たちからのお見舞いの気持ちは5月16日現在で約2400億円、被災されたみなさまのもとに、とにかく早く届きますように。
( 魚住 由紀 )

【写真】岩手県陸前高田市の様子。
取材報告:MBS・河本光正アナウンサー

第776回『東日本大震災〜1・17リポーターからの報告』2011.05.23
 地震から2カ月半経った今の東日本大震災の被災地の現状について、現地に住む「1・17リポーター」の2人に電話をつなぎました。
 一人目は、宮城県仙台市で暮らす「まちゃむねさん」こと、武山友幸さん。
本来、石巻市に住んでいる武山さんですが、地震によって、重要な交通手段の電車が運休中ということもあり、仙台に仮の住まいを用意して働いています。
 仙台の中心部は外見ではかなり復興が進んでいるように見えますが、映画館やボーリング場といった娯楽の部分はまだ元に戻っていないそうで、「心の復興」に重要な、普段の生活を送るというのは「まだまだできていない」という話でした。
 また、市の中心部と、被害が大きかった沿岸部とで気持ちの面で温度差が出始めていて、テレビから地元の生活情報が放送されなくなっている現状を話してくれました。
 二人目は、宮城県気仙沼市に住む「きくせいさん」こと、菊田清一さんです。
気仙沼市は、道路上の瓦礫が撤去された段階で、「復興」という言葉には程遠い状況です。
 そんな中、今日、陸にうちあげられた400トンのマグロ漁船が海に戻されたという話が入ってきました。産業の8割が水産業関係という気仙沼市。街の人は、14年連続日本一の水揚げ量を誇るカツオ漁をはじめ、魚を軸にして復興していこうと少しずつ歩き始めたようです。
 また、菊田さんは、透析治療が必要な、いとこを地震後亡くしました。その話の中で医師が診断書の死因のところに「震災」という言葉を使わなかった為、震災関連死と認められないんじゃないかと心配していました。阪神淡路大震災の時も同じ問題がありました。   
 その教訓が活かされ、今回も再び苦しむ人が出ないように見ていく必要性を感じます。(河本 光正)

【写真】大震災から2ヵ月たった、宮城県気仙沼市の様子。(菊田清一さん提供)
    写真下は、地盤沈下の影響で浸水した土地。
電話出演:1・17リポーター 武山友幸さん(宮城県石巻市)、菊田清一さん(宮城県気仙沼市)

第775回『東日本大震災〜危機に瀕する被災地の観光産業』2011.05.16
「被災地には希望が必要なんです。」
先週の放送でこう締めくくったMBS千葉猛アナウンサー。
5月7日から15日まで宮城県内を取材し、再びスタジオでリポートをしてもらいました。
今回は、被災地における観光産業にスポットライトをあてました。
良く晴れた土曜日の昼前、千葉さんが行った仙台城跡の広場には殆ど人がおらず、駐車場、レストランもガラガラ。
土産店も、客より店員の数が多い状況でした。
仙台観光には欠かせない場所ですら厳しい状況ですが、宮城県内には、地震でほとんど被害が「出ていなかった」にもかかわらず、
客足が遠のき、大打撃を受けている場所がありました。

それは、蔵王町。樹氷やスキー場などで有名な蔵王の麓にある「遠刈田温泉」は、関西で言う有馬温泉のような所で、日本国内はもちろん、中国、韓国、台湾など海外からも年間160万人が詰め掛ける宮城を代表する観光地です。
地震による人的被害は無く、ライフラインも完全復旧、道路も通常通り通行が可能ですが、観光客は激減。
ゴールデンウィークの予約率は例年の3、4割だったそうです。

宿泊による収入が減った旅館やホテルは、被災者を受け入れることを条件に、1人1泊3食付きで5000円という国の補助を受けていて、
なんとか生活をつないでいるのが現状です。
ただ、それも受け入れ可能な人数に対して、利用者はそのおよそ15%しか、活用されていません。
さらに、海外からの観光客も福島第一原発事故の影響を心配し、かなり減っています。
利用客が少ないと、宿の収入が減って経営が成り立たなくなり、失業者が出てくる恐れもあります。
観光産業は裾野の広い産業で、食事に使う食材や、みやげ物などを通して、漁業・農業など他の産業にも密接な関係にあります。
そういったところへの影響も避けられません。
蔵王町農林観光課の人は、「被災地以外の人が例年通り観光に来てお金を使ってくれることが、被災地の支援になるんです」と切なる思いを千葉さんにぶつけました。

千葉さんは、被災地の人たちの「希望」の為には、「仕事」が必要で、現地に行って食べたり飲んだり遊んだり土産を買ったりと
「消費をする」、というのがいいんだけれども、現地に行くことが出来なくても、関西で東北の物産を買うのも支援のやり方の一つだと
強調していました。
すぐに行動を起こすのは難しいかもしれませんが、例えば、今年の夏休みは東北旅行にしようかな、というのも良いかもしれません。
(河本光正)
取材報告:MBS・千葉猛アナウンサー

第774回『被災地の仕事事情』2011.05.09
「波に持っていかれた方が、よほどよかった」。仙台市宮城野区にある避難所で千葉猛アナウンサーが出会った69歳の男性は、自身のことをこう語りました。生きる気力を失っていました。

 地震のあと、男性を襲った大津波は、仕事場も住み込み先の部屋も、唯一の財産といってもいい車も、免許証も、携帯電話も、何もかものみ込んでしまったのです。
 甚大な被害のあった若林区で、倉庫の管理人という新たな仕事をみつけ、三日前に引っ越して来たばかりだったそうです。被災したときは、住民票を移す前だったのでしょう。自分は誰で、どこに住んでいたのか…市役所で説明するものもなく困っていました。罹災証明もとれておらず、仮設住宅への入居も遅れています。
 名取市の閖上(ゆりあげ)地区では、79歳の足が不自由な妻と83歳になる夫が静かに避難所に身を寄せていました。
夫婦は生活が苦しく、国民年金に加入していませんでした。立ち食いそばの店を営みながら、細々と暮らしていたと話します。
津波で店も家も奪われました。受け取れる年金もありません。

 独り暮らしの男性も高齢の夫婦も、「この先は生活保護を受けないと暮らせない」と沈んだ声でした。
閖上では6月中旬までに仮設住宅への入居ができる見通しです。
でも、食費や光熱費が必要となる暮らしに不安を抱く職を失った高齢者は少なくないそうです。

 千葉アナウンサーは「希望が必要だ」と繰り返します。
生活の立て直しをどう計っていけばよいのか…。「仕事」にこだわって、来週もリポートしてくれます。(魚住由紀)

【写真】宮城県名取市閖上地区の様子
取材報告:MBS・千葉猛アナウンサー

第773回『私たちができるボランティア』2011.05.02
 東日本発生から1ヵ月半、最初の大型連休がスタートしました。
ゴールデンウィークの前半から被災地には多くの人が支援に行っています。
そんな中、「私たちが出来るボランティア」をテーマに、
現地に行く際の準備や、関西からも出来ることについて取材しました。

 被災地でボランティアをするには、
1.現地のボランティアセンターに連絡し、ボランティア登録をする
2.被災地までの移動手段・宿を確保したり、持ち物をそろえたりする等の準備
3.現地に行く
と、おおまかにはこの3つの手順になります。
 
 はじめは、「県の外からのボランティアは受け付けていない」という町も多かったのですが、少しずつ県外からのボランティアも受け付け可能なところも増えつつあります。
インターネット上でボランティアの募集状況は公開されています。

 被災地での作業は、津波で被害を受けた家屋の泥出しや片付け、子どもの遊び相手、安否確認、物資の配布、
仮設住宅への引越し手伝いと多岐にわたります。

 番組では、主に家屋の泥出し作業をする際の持ち物について紹介しました。
ヘルメット、ゴーグル、防塵マスク、長袖長ズボン、
つま先が補強されて中敷が鉄板の安全靴、丈夫なゴム手袋が必要です。
ガラスが散らばっていたり、地面から釘が飛び出ていたりすることがあるため、こういった装備が必要です。いずれもホームセンターで買えます。

 それを3種類のカバンに分けて荷造りするといいようです。
大型の登山用リュック、あるいはスーツケースなどには、
全日程分の着替えなどを詰めて、宿泊地の部屋などに置いておく。
小型のリュックには、当日の作業に必要なタオルや水などを入れ作業場所へ持っていく。
 そして、貴重品や携帯電話、救急セットをウエストポーチなどに入れて身につける。
 この3つです。

 また関西では、物資を送ることも大事なボランティアです。
これも当初、「個々に被災地に送ると仕分ける手間があるため、
住んでいる地域の自治体の窓口に渡して欲しい」というのがありました。
その自治体も、現在では物資の受付をストップしているところも多いようです。
 
 ところが、被災地の自治体のホームページを見ると、
「不足している物資」として、魚の缶詰や調理器具など具体的な品目と、送り先の住所まで記載しているところもあります。
少しずつ被災地側も受け入れ態勢が整いつつあるようです。
 
 ニーズが多様化・細分化してきている中、関西からはこれから何が出来るのか、
考える時期にきています。(河本光正)

ボランティアの募集状況は、
「全社協被災地支援・災害ボランティア情報」http://www.saigaivc.com/
でご確認ください。

【写真】被災地でのボランティア活動を終えて帰ってきたボランティアバス
取材報告:MBS・河本光正アナウンサー

第772回『東日本大震災 遠隔地にある避難所の問題』2011.04.25
 4月の中旬を過ぎた石巻市に、今年は雪が降りました。地元でも「こんな時期に珍しい」と驚いていた、と上田アナウンサー。生活環境が整わない中で、寒さは一層堪えるに違いありません。
 舗装もはがれた道を2時間ほど走りたどり着いたのは、雄勝町水浜地区。入り組んだ地形の海岸沿いの集落は、そのほとんどが津波にさらわれていました。
高台にある保育園に、100人近くの人々が肩を寄せ合いながら避難しています。
 地震発生当初は、道が閉ざされ外部とのつながりを断たれてしまいました。今も、週に1〜2回医療関係者が様子を見に訪れるだけで、ボランティアの姿もありません。
 狭いスペースで遠慮しながらのくらしには、限界がきています。電気、水道などもありません。地震から1カ月半がたちました。くらしはいつになれば改善されるのでしょうか。
 石巻の市役所は一階が水に浸かり、ホストコンピューターが使用不能となる被害を受けました。窓口業務は4月11日にようやく復活し、罹災証明の発行が始まっています。(魚住由紀)

【写真】石巻市雄勝町水浜地区。避難所のある高台より撮影。
取材報告:上田崇順アナウンサー

第771回『東日本大震災〜避難所の小学校はいま』2011.04.18
東日本大震災による津波などで宮城県内の死亡者の3割を占めるなど、大きな被害を受けた石巻市に、MBS上田崇順アナウンサーが現地から中継でリポートしました。

市役所の窓口業務が回復したのが4月11日。
街のあちこちに瓦礫や車が放置されている中、避難所になっている、渡波(わたのは)地区というところにある小学校で問題が起きています。
それは、「避難所を取るのか、授業再開を取るのか」ということ。

教室はもちろん、体育館やプールの更衣室まで避難者が使っている状況で、来週21日から学校を再開したいという流れの中、市が今月15日、避難者に別の避難所への移動を要請しました。

その行先は、峠一つ越えた先の小・中学校、公民館。
車では10分の距離でも、アップダウンがある故に、高齢者らには徒歩での行き来はし難い場所です。

昼間に津波の被害を受けた自宅の片付けをする人は、「地元からは離れたくない。でも、生きていく為には移動も仕方ない」と葛藤を感じる中、市の十分な説明が足りないと不満をもらします。

学校再開は復興への一歩で、そのためにスペースが必要だということは市も、避難者も認識、理解していますが、家財も無い、身内が未だ行方不明だという人にとっては冷たく感じたようです。

放送当日の夕方に、市と避難者との話し合いが行われ、移動の時期を5月の連休明けにする、という事は決まりました。

市側の考えと、避難者の思い、双方が納得する答えを出すのは非常に難しいですが、これ以上、被災した皆さんに辛い気持ちにさせない、不便を強いないようにして欲しいものです。
(河本光正)

【写真上】避難所となっている渡波小学校の校庭の様子。
     津波で流された遊具やがれきがまだ残されています。

【写真下】渡波地区にかかる万石橋より撮影。
     地盤沈下と大潮の影響で、満潮時に写真奥に見える住宅地が冠水。
現地報告(電話)MBS・上田崇順アナウンサー

第770回『東日本大震災から1カ月〜被災地のいま』2011.04.11
 今回は陸前高田市に焦点をあてました。お母さんが津波で行方不明になりながら避難所の運営に明け暮れる26歳の男性。ボランティアセンターのスタッフは「いまは被災地にはボランティアを受けいれる余裕がない」と強く語りました。
 これには出演者からは「そうは言っても人手が必要なはずだ」と疑問の声も上がりましたが、どちらも事実で、難しい問題であることが分かりました。陸前高田を通して被災地すべてに共通する課題を浮き彫りにしようという狙いでしたがどうでしたでしょうか。
 両親や妻、長男が津波で流された衆議院議員の黄川田徹さんが放送終了後「こんなに色んな人々が陸前高田のために関わっていただいていることが分かり勇気づけられました」と話してくれました。
 これからも「被災地の今」を見つめ続けます。(担当D)

【写真】
津波被害をうけた陸前高田市の様子。
写真下は、被災した岩手県立高田病院。
「減災・復興支援機構」理事長 木村拓郎さん、民主党・衆議院議員 黄川田徹さんほか

第769回『東日本大震災 被災地の現状』2011.04.04
 大震災発生から3週間がたちました。被災地では多くの皆さんが避難生活を余儀なくされています。番組では先週水曜日から現地取材にあたっている河本光正アナウンサーが、岩手県陸前高田市の、いまのようすをリポートしました。

 ガレキ、泥だらけ…河口から5キロという地点から、家、商店、線路、駅、松林、砂浜、全て津波にさらわれて、形を残している物はほとんどありません。大小の避難所で、自宅で、知人宅に身を寄せ合いながらの日々が続きます。

 避難所で暮らす人の数は日を追うごとに減っていましたが、この日初めて下げ止まりました。ある避難所では二週間前に131人だった人数が、3日の時点で165人と、3割近くも増えたと言います。いったん避難所を出て親戚の家に身を寄せた人が、再び避難所に戻るというケースが出ているのです。

 街の高台に仮店舗のスーパーマーケットが再開したとの朗報も。野菜や果物、基礎調味料などが店先のテーブルにまで並びます。買い物をすることで「日常」を少しでも取り戻す人、集まる近隣の輪の中でのおしゃべりに心和ます人。暮らしを取り戻す第一歩となりました。

 仮設住宅が、36戸完成しました。応募倍率は53倍です。地域のつながりを断つことなく、近隣同士で入居したい。だけど、入居には優先順位を考える事も必要です。住まいは、仕事は…先行きは、なかなか見えません。(魚住由紀)
現地報告(電話)MBS・河本光正アナウンサー

第768回『東日本大震災の被災地からの報告〜宮城県気仙沼市』2011.03.28
 東日本大震災による大津波で被災した宮城県気仙沼市。今回は、地元の元消防士でもあり、番組の「1・17リポーター」を勤めている菊田清一さんが、現在の被災地の状況を電話で報告してくれました。

 番組の中で紹介した西宮市内の旧小学校で、物資支援を行っているボランティアグループは<NVNAD「日本災害救援ボランティアネットワーク」で、問い合わせ先は(TEL:0798−22−1770)。

【写真】
津波被害をうけた宮城県気仙沼市の様子(菊田清一さん提供)
(電話出演)1・17リポーター 菊田清一さん

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