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第787回『大津波がもたらす新たな油断』2011.08.22
「大津波」という単語に接するだけで緊張感を持つものだと思うのですが、「油断」それも「新たな」とはどういうことなのでしょうか。今回は、東日本大震災の後、被災地以外に住む人の意識がどう変ったのか、リスクに対する人間の心理を研究されている中谷内さんにお話を伺いました。
 中谷内先生たちの調査によると、「津波は1メートルでも危険」と考える人の割合が、東日本大震災以前の70.8%から震災後は45.7%へ大幅に減っていることがわかりました。
 意外とも思える調査結果ですが、なぜこうしたことがおきるのか、中谷内さんは「記録的大津波の報道がアンカーとなってしまったからではないか」と分析します。アンカーとは、不確かな事態で予測や判断を行わなければならないときに、最初の印象(アンカー)に引きずられ、判断に影響してしまうという心理的効果のこと。東日本大震災で、「30メートルの津波」といった報道が繰り返されるうちに、
人々は「30メートル」という大きな数字を基準にしてしまうようになったということが考えられるそうです。
 「2メートルそこそこの津波で木造住宅は破壊されるということを理解すべき」と中谷内さん。また、津波から生き延びるには「地震の揺れをケガなくやり過ごす」、その後は「津波てんでんこ(ひとりひとりがそれぞれに逃げる)」。普段よしと
される「じっくり情報を集めて冷静に対処する」「みんなで力を合わせて」の習慣は断ち切らないといけないというアドバイスもありました。    
 わたしたちマスコミも、大津波のことは伝えながらも、低い津波も危険だということを繰り返しお話しなければいけないと思いました。
 また今回は津波による被害が大きかったため、津波から身を守ることに意識が移行してしまっているかもしれないけれど、地震の揺れからいのちを守る事も忘れないでと中谷内先生は強調します。私たちも改めて繰り返しておきますね。
「家具の固定や家の耐震補強など、この機会にチェックしてください」
 ( 魚住 由紀 )
ゲスト:同志社大学心理学部教授 中谷内一也さん

第786回『津波の恐怖とその備え』2011.08.15
 東日本大震災では、津波によって大きな被害が出ました。宮城県の南三陸町でも、死者・行方不明者が900人に上りましたが、ゲストの後藤昭一さんが暮らす戸倉藤浜地区では、犠牲者が一人もいなかったといいます。
 
 番組前半に、後藤さんの津波の体験を語っていただきました。
 地震発生時は、地元を離れ石巻に買い物に行っていた後藤さんは、すぐに自宅に戻ろうとしました。北上川を下り、沿岸部の国道を走っているときに水平線より上にどす黒い雲のような固まりを見ました。それが津波だったのです。来た道を引き返し、車の鏡に津波が映っているのを見ながら、急いで高台へ避難し無事でした。
 
 津波が来たとき、地元の戸倉藤浜地区では、自分がいるところから一番近い高台に上ったそうです。1960年のチリ地震の際、41人が亡くなった三陸地方では、津波が襲ってきた5月24日の早朝に、病気などで家を出られない人以外、大人も子どもも全員が参加する避難訓練が毎年行われています。この地域では、津波が来たら、まずは自分の身を優先してバラバラに逃げるという「津波てんでんこ」(津波がきたらそれぞれがばらばらに逃げる)の言い伝えがあって、東日本大震災の時も、この地域の住民は、すぐ裏にある高台に避難して全員が無事だったのです。
 
 この戸倉藤浜地区の経験には、近い将来、発生するといわれている南海・東南海地震の際に、いかに被害を小さくすることができるかの教訓があります。それを、私たちの住む関西でどうやって役に立てることができるかが、今後の課題です。
(河本 光正)

【写真】津波で大きな被害を受けた戸倉藤浜地区。
    海の中のがれきを撤去する重機が、今も不足している。
電話出演:宮城県南三陸町戸倉藤浜地区の消防団 後藤昭一さん

第785回『タワーマンションと防災』2011.08.08
 近年関西でもタワーマンションが随分増えている中、今回のゲストの大島彰子さんが住む大阪市福島区の「ザ・タワー大阪」では、市内のマンションで初めて、住民たちの手で「震災時マニュアル」を作りました。
 きっかけは、マンション住民同士のコミュニティを作りたいという思いからでした。新しいマンションだと、一から近所づきあいを作る必要があります。このマンションでも懇親会などのイベントを小規模ながら開きましたが、次第に参加者が固定化したり、おつきあいに対する意欲が人により温度差があったりすることから、「すべての住人が必要とするもの」を探した結果、防災に行き着いたそうです。
 住人みんなの意見を取り入れたいため、表紙に「案」と書かれているマニュアルは、A4サイズで31ページ。まだ完成はしていません。ここには「地震が起きればまず身の安全を図り、火の始末をする」など、具体的な行動がまとめられています。他にも、マンションを5階ごとに区切ってグループを作り、安否確認や手当てなど、5フロアの住民で完結できるように決めました。
 ただ、マニュアルができても課題が残されています。本当にマンションの住人たちだけで、全て完結できるのか。地域の避難所に行っても、マンションの全住人1000人近くを受け入れることができるのか。逆に、周辺地域の人や通りかかった人が、災害時に「津波避難のために」とマンションに逃げてきた場合はど
うするか。マンションの住人同士だけでなく、マンションの周辺地域との連携をどうするか。防災マニュアルの真の完成へ向け、大島さんの活動は続きます。
(河本 光正)
ゲスト:「ザ・タワー大阪」住人 大島彰子さん

第784回『岩手・災害FM局に聞く被災地の現状』2011.08.01
 東日本大震災後、被災地には次々と臨時災害FM局が開局しました。「おおふなとさいがいエフエム」は3月31日にスタート、一日4回、合わせて8時間の生放送を続けています。行政からのお知らせを中心にした放送は、被災状況やどこで水を手に入れる事ができるかといったいのちを守るための情報提供から始まりました。

 局の運営と番組の進行は、大船渡駅前で治療院を営んでいた整体師の佐藤健さん(36)夫妻と地元出身の大学生があたっています。みんながボランティア。
佐藤さん自身の自宅兼治療院の建物も基礎だけ残して全て流されましたが、佐藤さんは「同じ被災者という立場だから伝えられる事もあるはず」と、熱い思いでマイクに向かっています。

 救援物資の流れが安定し、ライフラインの復旧はある程度落ち着き、仮設住宅への引っ越しが進みました。今、市民の心配事は「収入をどうするか」そして「終の住処をどこに構えたらよいのか」。「高台への移転」を決めた地区もあるものの、国や自治体の方針がはっきりと決まっていないため、動きはとれないそうです。被災した人たちは、自分たちのまちの行方を、固唾をのみながら見守っています。

 人々の暮らしへの不安が続く中、放送時間は今日から3回に減りました。災害FMは臨時の放送局。「役目は果たした」と役所が判断すれば閉局です。佐藤さんは「資金の心配があるが、コミュニティFMに移行して放送を続ける方法も考えられる。できれば続けたい」といいます。ほかの災害FMと同様に「おおふなとさいがいエフエム」もまた岐路にたっています。
( 魚住 由紀 )
電話出演:「おおふなとさいがいエフエム」運営責任者 佐藤健さん

第783回『夏休みのボランティアについて考える〜被災地のニーズは今』2011.07.25
 7月も下旬。学生たちは夏休みという時期になりました。時間がたっぷりある彼らを中心に、被災地でのボランティアをしたいと思う人が増えると考えられます。5月の上旬に被災地ボランティアについて一度リポートしましたが、それから2カ月半がたち、現状はどうなっているのかについてリポートしました。

 全国社会福祉協議会のホームページを見ると、ボランティアの募集状況・内容は以前と大きく変化しています。以前のリポートでは作業の殆どが「津波被災家屋の泥だし・掃除」でした。今も「拾得物整理」、「避難所支援」、「炊き出し」等はありますが、中には「災害ボランティアセンターを閉所しました」「泥だしや瓦礫撤去のニーズは一段落しました」と書いているところもあります。
そんな状況で、今回取材した関西学院大学4年生の村井聡さんは、現地のボランティアを継続して行うことへの難しさを感じ、悩んでいました。

 一方で、東北では、学生を中心としたボランティア活動が進んでいます。「いわてGINGA-NETプロジェクト」は、参加者は大学生限定で、6泊7日かけ沿岸部の仮設住宅で活動するというもの。避難所から仮設住宅への引越しの手伝いや、仮設住宅の入居者同士、地域の人間関係を作るためのお茶会を運営します。

 学生が仮設住宅のコミュニティ作りを手伝うことは利点が多いと話すのは、プロジェクトのアドバイザー役を務める岩手県立大学准教授山本克彦さん。大学生が相手なら、役場の職員や専門家よりも話しやすくて悩みや問題を打ち明けやすかったりしますし、学生側も、人と話すことが、コミュニケーション能力を磨くのに役立つといいます。

 直接現地で話をするだけで、ひょっとすると被災した方自身も気づいていな「やってもらいたい事」が見つかるかもしれません。是非被災地へ赴いてみてはいかがでしょうか。また、現地に行けないという方も、関西で出来る事は何があるだろうと考えてみる事も大事です。
それもボランティアの一歩につながると思います。
(河本 光正)

【写真】大学生らによる被災地でのボランティア活動(村井聡さん提供)
取材報告:河本光正アナウンサー

第782回 『復興構想会議の提言〜特区問題って?』2011.07.11
 東松島市の矢本・大曲浜のノリは、宮城県の品評会で「献上海苔」に選ばれ続けるほどの品質。相澤太さん(31)は、このノリを養殖する漁師さん。祖父の代からの家業を受け継ぐ3代目です。したためた文章を手に放送に臨んだ相澤さんは、ノリ養殖の苦労や家業に懸ける意気込みを、実直に聞かせてくれました。

 ゴム手袋は高価で買えず、寒風吹き荒れる東北の海に素手を浸け、ノリを摘むことから始めた祖父。こどもと遊ぶ時間もなく働いてノリ養殖という仕事を確立した父。そして相澤さん自身も、全国各地を飛び歩き研究を重ね、ノリの質の向上に力を注いできました。

 そんな相澤さんたちの浜にも津波は容赦なく襲い、家も舟もいかだも、加工場も流し去ってしまいました。仲間のいのちや、その家族をも。研究会の会長も亡くなりました。相澤さんは仲間に声をかけ、投資が少ないワカメの養殖から再スタートすることにしました。資金を貯めて、ノリ養殖の復活を考えています。

「漁業特区構想」については否定的。「良質なノリは、誇りを持った者が責任と人生をかけて初めてつくれる」と言います。言葉をひっくり返せば、「よそ者がちょっと来て手掛けられるものではない」ということ。ただ、億単位という初期投資は容易ではなく、人や浜ごとの事情によって復興方法は違うかもしれないとも。
( 魚住 由紀 )
電話出演:宮城県東松島市「矢本浅海漁業研究会」副会長 相澤太さん

第781回『復興構想会議の提言〜高台移転』2011.07.04
 6月25日にまとまった政府の復興構想会議の提言。その焦点の一つが地域づくりの考え方で、「高台への移転」が掲げられました。これについて、宮城県に住むお二人に電話をつなぎ、話を聞きました。

 一人目は、宮城県の北部・南三陸町の伊里前(いさとまえ)地区で、契約会(自治会のような物)会長をされている、千葉正海さん。伊里前地区は小さな湾に沿った街で、海のすぐ近くまで山が迫っているという地形です。地区のほぼ全てにあたる280軒の家々は、地震による津波で流されました。いまだ地域の施設などで避難生活をしている人がおよそ60世帯いるということです。
 地域では「もう元の場所に戻りたくない」という人が大勢を占めていて、海沿いの平地ではなく、高台に移りたいと考えている人が多いようです。避難所になっている中学校の裏にある、標高30メートルほどの高台に林があって、そこを切り開き、かつての街並みを「再現」したい、と具体的なプランも上がっているほどです。ただ、問題は、その移転に必要な「費用」と「迅速性」。千葉さんは、「とにかく早く、国が全て引き受けてお金を出してもらって、家を建てるところまでは面倒を見て欲しい」と訴えていました。

 二人目は、宮城県の南部・山元町の牛橋(うしばし)地区の自治会長、岩佐徳吉さん。南三陸町と違い、まっすぐな海岸線に沿って平野や田畑が広がる地域です。ここでは、家が流されず、補修をすれば住める家もあるとのこと。ただ、鉄道や駅は破壊され、交通機関は寸断されています。
 高台に移転するかどうか、ということについては、「集団移転したいと思っている地域もあるが、移転先でどれだけの土地を与えられるのか、また、数多くいる高齢者が、環境が全く変わる市街地に移ることが出来るのか」などといった声もあり、意見をまとめるのは難しいと話します。交通手段がない中、地域を守っていくであろう若い人が、都会に流出してしまう問題も表面化しつつあるそうです。

 地域によって環境・状況は変わりますし、それによって街の将来の方向性は当然違ってきます。これからの街づくりを考えるにあたり、そのニーズをいかに満たすか、そしてどれだけ早く実践出来るかがポイントになると思います。新しくなった街並みに満足する人が最大になるような復興の方策とはどういうものなのでしょうか。課題は非常に多そうです。
(河本 光正)

【写真上】南三陸町伊里前地区の様子(「1・17リポーター」菊田清一さん提供)
【写真下】山元町のJR常磐線坂元駅
      画面中央の茶色い線は、線路があった場所
電話出演:宮城県南三陸町 伊里前契約会会長 千葉正海さん、宮城県山元町牛橋地区自治会長 岩佐徳吉さん

第780回『東日本大震災〜福島から大阪に避難してきた被災者の思い』2011.06.27
 吉川さんは3月11日、福島第一原発から7キロの浪江町の自宅で被災。大阪に住む娘からの情報で原発事故を知り、夫とともに避難を始めました。福島県内陸部の親族宅などを経て、震災発生から2週間後、大阪府堺市の府営住宅に入居。

 ようやくたどりついた部屋はガランとしていて、ガスも出ませんでした。淋しさで故郷へ帰りたいと思いましたが、近所の人に親切にしてもらったことがきっかけで、大阪で暮らすことを決意。その後、「まずは1カ月、その次の1カ月…」と目標を決め、がんばってきたそうです。

 3カ月たった今は、堺市で開かれる避難者の集まりなどに積極的に参加しています。そして「自分と同じように故郷から遠く離れた場所で避難生活を送る被災者同士をつなげていきたい…」そう考え、広報誌に連絡先を掲載するなどして仲間に呼びかけをしています。

 楽屋の吉川さん…以前から福島県のNPOに所属して「語り部」として民話の伝承活動をされている吉川さんはサービス精神いっぱい、ユーモアある会話で周囲には笑顔が絶えません。次回は福島の文化についても教えていただくことを約束しておわかれしました。
( 魚住 由紀 )
ゲスト:福島県浪江町 吉川裕子さん

第779回『東日本大震災〜関西に避難してきた被災者は今?』2011.06.20
 東日本大震災によって住み慣れた地元を離れ関西地方に移り住む、いわゆる「県外避難者」を支える取り組みがあります。今回のゲストである、「私はここにいます」という電話相談窓口を開設しているNPO法人「街づくり支援協会」の中西光子さんに、関西に避難している方々の現状について伺いました。
 中西さんによると、関西には、766世帯・2200人の方が被災地から避難されているそうですが、これは関西の各自治体が把握している人数です。家族・親戚を頼って来た人、自力で部屋を借りて生活する人もいますので実際には数はさらに多いと考えられます。
 4月29日から始まったこの取り組みですが、関西では特に福島県から避難している人が多いそうで、よく相談されるのは、「いつになればもとの場所に帰れるのか?」「こっちでの生活費、仕事はどうすれば良いのか?」といった問題だそうです。原発事故による放射線を避けるため、夫を残して母子だけで避難する人もいるそうで、帰れるようになるめどは、確かに知りたいところだと思います。
 阪神淡路大震災の時も県外避難者を支えていた中西さんが特に感じているのは、「あの時とは被害の規模・種類が全く違う」ということ。文化も産業もさまざまな東北地方をひと括りにすることは出来ないので、それらを分かった上で個々のケースに合った多様な支援策を用意する必要があると強調していました。
 中西さんらが開設されている相談ホットライン、「私はここにいます」の電話番号は、06−4964−1122、年中無休で毎日午前10時から午後5時まで受け付けています。
 また、見知らぬ土地で慣れない生活をする避難者を孤独にさせないため、相談相手になったり、友人に替わる存在となったりして、個人で被災者をサポートする「個人サポーター」もこの番号で受け付けています。
 不安を感じている被災地の皆さん、あるいは避難している人に何かしたいと思っている方、問い合わせてみてはいかがでしょうか。
(河本光正)
ゲスト:NPO「街づくり支援協会」事務局長 中西光子さん

第778回『東日本大震災から3ヵ月〜政治は何をしているのか?』2011.06.13
「被災地を支援するための政治でなければ」震災一カ月のときに語っていた黄川田さんは、その後、衆議院復興特別委員長に就任、「復旧を越えた復興」の考え方の下で議論を重ねてきました。「復興基本法」は、委員会の特別法案として衆院を通過、法案には復興計画を実施する「復興庁」の新設、被災地には「復興特区」の創設が盛り込まれています。
 それにしても政治の動きは遅く、被災者の手元には、第一歩を踏み出すためのお金も届いていません。暮らしを取り戻すためには仕事も必要です。黄川田さんに問うと「議員たちは被災地を視察し耳を傾けても、永田町に帰ると別の日常に埋没してしまう」と言葉に歯痒さを滲ませます。
 宮城県知事と漁協で意見が対立している「水産業復興特区構想」については、ボタンの掛け違いを指摘。過去に「趣旨が合わなくなった」と撤退していった外から参入の企業を例に「古くから連綿と続く地域そのものを大切にする気持ちが共有できる者とでないと浜は守れない」という地元の漁師さんたちの想いを語ってくれました。枠組みありきで構想を打ち出す前に、こうした被災者の気持ちを聞き、いっしょにやっていこうという姿勢でないと、とも。
 大震災から3カ月、再生への政治のとりくみはようやく緒に就いたところです。

 肉親4人と秘書さんが津波の犠牲になった黄川田さん、一週間前にはお父さまを歯形で確認されたとのこと、奥様はまだ行方不明のままです。
( 魚住 由紀 )

【写真上】宮城県山元町のがれき置き場。
【写真下】山元町のJR坂元駅の駅舎。震災から3か月経っても、復旧は手付かず。
電話出演:衆議院復興特別委員長 黄川田(きかわだ)徹さん

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