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第817回 『34メートルの津波って・・南海トラフ地震想定見直しの衝撃』2012.04.02
 3月31日、内閣府の有識者会議が発表した南海地震など「南海トラフの巨大地震」によ震度と津波の高さに関する最新の予測が波紋を呼んでいます。想定される地震の規模はマグニチュード9.0で、震度7の地域の範囲はこれまでの20倍です。そして津波の高さは関東から四国までの太平洋側の6都県23市町村で最大20メートルを超える可能性があるとしています。とりわけ高知県の黒潮町は「34.4メートル」。

 近畿地方でも和歌山県沿岸部などで想定が大幅に見直されました。最大7.6メートルから17.4メートルになった和歌山県御坊市で、住民や御坊市の防災担当者の困惑ぶりを新川和賀子ディレクターが報告しました。
また有識者会議のメンバーで、番組にたびたび出演している京都大学防災研究所の橋本学教授と電話をつなぎました。橋本さん曰く「関係者の困惑も理解できるが、研究者としては考え得る危険性は情報としてお伝えしないといけない」ということです。

 今後、高層ビルに大きな被害をもたらす長周期地震動や液状化現象、津波の浸水地域についての想定が発表されるとのことです。何とか減災に結びついて欲しいと思います。
(河本光正)

【写真】和歌山県御坊市。海や河川沿いに市街地が広がる。(御坊市提供)
中継レポート:新川和賀子ディレクター、電話出演:京都大学防災研究所教授 橋本学さん

第816回『東日本大震災から1年 県外避難者の最新事情』 2012.03.26
 原発事故や大震災によって故郷を離れざるを得ない人たちの現状について、自らも避難者でありながら、避難している人を支援するボランティアグループをたち上げた古部さんに伺いました。古部さんはホットスポット(集中的に放射線が降下したところ)のある茨城県つくば市から小学生の娘とともに大阪へ避難。夫は仕事があるためつくばに残り、家族は離ればなれです。昨年11月、避難者たちのための支援団体を立ち上げました。情報の収集と発信、相談窓口を開いています。

 避難している人の事情や時期はいろいろ。福島や宮城に限らず、茨城や東京、千葉など広範な地域からの避難。放射能による健康被害を心配して母と子が避難するケースが約7割、最近は山形から避難する人が増えているそうです。被災地から受け入れたガレキを焼却した周辺では、各家庭で手持ちの放射線計測器が反応を高めるのだといいます。一方、山形県のホームページでは放射線数値は高くないと公表しています。行政の発表と、避難することを選択した人の実際の感覚には大きなズレがあるようです。

 目には見えない臭いもしない、なくなることはない放射線。地形や生態系によって移動し、あるいは人の手で運ばれながら拡散し、思いもよらぬところで影響を及ぼしています。身の回りにせまった放射線から自分でこどもを守らなければならない親の声は切実でした。新学期を前に、移住を模索する人もおられます。近くに避難された方がおられたら声をかけて差し上げて下さいね。心細くされているかもしれません。
(魚住由紀)

【写真】「まるっと西日本」が今年2月に開いた、被災者交流会の様子(古部真由美さん提供)
ゲスト:ボランティアグループ「まるっと西日本」世話人 古部真由美さん

第815回『東日本大震災から1年〜深刻さ増す被災地の雇用問題』2012.03.19
東日本大震災から一年が経ち、被災地の雇用はどうなっているのか。亘佐和子記者が現状をリポートしました。

 今年に入って失業手当の給付期限を迎える人が多い中、被災地では雇用のミスマッチが起きています。たとえば、水産関係で働いていた人たちは、これまでの経験を生かした仕事につきたいと望んでいますが、工場再開のめどが立たないため、同じ業種で働けません。地盤沈下した土地をかさ上げして工場を再建するには何年もかかるため、地元で就職したい人が多いにもかかわらず、地元には仕事がありません。

 では、どんな産業が被災地にできればいいのか。番組中ずっと考えましたが、いい案が思い浮かびませんでした。ただ、岩手県で、被害の大きかった沿岸部へのボランティア基地として、内陸の遠野市が大きな役割を果たしたように、少し内陸に企業を誘致できれば被災者の働く場も確保できるのではないか、ミスマッチを少しでも解決できるのではないか、という気がします。

 仕事、そして安定した収入。失業手当の期間のこともあり、急いで解決しなければならない課題です。みんなで知恵を出し合う必要があります。このホームページをご覧になった方も、被災地の雇用創出にいいアイデアがないか、ちょっと考えてみては頂けないでしょうか。
(河本 光正)

【写真上】被災者のための就職面接会 2月28日
【写真下】3月に入っても雪が降る宮城県気仙沼市
取材報告:MBS・亘佐和子記者

第814回『支援の濃淡をなくせ〜宮城県南三陸町「復興支援団」結成!』2012.03.12
 南三陸町では町内外に大小61の仮設住宅群ができました。発進力やまとめ役のいる仮設住宅では、イベント・炊き出し・バザーなどを通して新たなコミュニティづくりが進められました。しかし、ボランティアの手がなく支援の足りない仮設住宅もあり、暮らしに格差が出ています。そこで、南三陸町で活動する20以上のボランティア団体と仮設住宅の住民自治会がネットワークをつくり情報を共有、過不足なく支援を行き渡らせるための活動をはじめました。

情報共有の方法はイマドキです。フェイスブックやツィッターといったインターネットの掲示板を使って、これからの支援内容を知らせ、広めます。活動の報告もファイルで共有。誰が、どこで、どんな活動をしたかを知り自分たちの動きに反映させるのです。仮設住宅集会室の間取りや設備、自治会の有無や自治会長の連絡先も情報交換。このシステムがあれば、顔を合わせなくてもかなりのことがわかり、きめ細やかな支援につながります。

こうして仮設住宅に住む人たちのくらしは、改善されてゆきました。小さな仮設住宅の集会室では女性たちが集まり、お茶をのみ、おしゃべりしながら編み物を楽しんでいました。これまでは支援が少なかった仮設住宅ですが、物資などが届くようになると寄り合う機会も増えました。たとえ少しの毛糸玉でも住民がつながるきっかけを作ってくれるんですね。

「復興支援団」をたちあげた鈴木豊和さんは津波で家を失い仮設住宅に暮らしています。当事者だからこそわかる「いま被災者に必要なこと」を、支援してくれる人たちに伝えるパイプ役として、ボランティア間の調整役として、また自らも支援者として、大好きな南三陸の復興のために労をいといません。「次は、まちづくりに向けての意見交換ができる場所づくりをしてゆきたい」と意気込みます。ところで…嬉しい事がありました。鈴木さんの家族が増えました。8年ぶり3人目のお子さんは、初めての男の子♪男前です。
(魚住由紀)

【写真上】地震から1年を控えた仮設住宅に、ボランティアグループから花が届けられた
     花は仏壇に供えたり 大切な人が見つかった場所に手向けられた
【写真下】ボランティア団体のリーダーが集まり、今後の支援について話し合った
     黒板に向かっているのが「復興支援団」の鈴木豊和さん
取材報告:魚住由紀

第813回『東日本震災から1年〜阪神淡路大震災からみた仮設住宅の問題点』2012.03.05
 東日本大震災からまもなく1年。避難所は閉鎖され、被災された方の多くは仮設住宅に入居しています。その数、およそ5万2千戸。他にも、民間の賃貸住居を国が借り上げ、そこに入ってもらう「みなし仮設」も6万戸ほどあるといいます。神戸大学大学院の塩崎賢明教授に、仮設住宅を取り巻く現状と課題について聞きました。

 プレハブでできた仮設住宅は、夏は暑いし、冬は寒い。雨の日は、屋根に雨が当たる音が大きすぎて部屋で会話できないほど。寒さが厳しい東北に仮設を建てる、そこに人が住むということがあまり考慮されていない様です。阪神淡路大震災の時にも同じような問題が発生したにもかかわらず改善されていないといいます。
 そんな中、新たな動きが。プレハブではなく、木造の仮設住宅があるというのです。岩手県の住田町と福島県で六千戸超あるそうで、冬は暖かく、夏は涼しく、木の香りが心地良いとのこと。林業の仕事を作ることができ、プレハブの半分ほどのコストで建てられる上、将来解体しても燃料にも使えます。住む人の評判もよく、少しは落ち着いて暮らせるようになって何よりです。
 こういったハード面以外に、ソフト面でも仮設住宅に問題が起きています。市街地から遠いところに移らざるをえず生活に不便であったり、かつての近所付合いがばらばらになったり。このままでは関連死や孤独死などにつながりかねません。地域の見回り活動や巡回バスなどもありますが、十分とはいえないのが現状
です。
 自分の足で立ち上がって前に進みたいのに、その日その日の生活に追われると、将来のことを考えるのもままなりません。人が生きていくのに欠かせない「住」に不安がない様、更に手を打つ必要があると感じました。

(河本 光正)
ゲスト:神戸大学 塩崎 賢明教授

第812回『津波を生き抜く 防災教育の現場から』2012.02.27
 必ず起きるとされている東南海・南海地震。備えを急ぐ和歌山県の教育委員会で「津波防災教育指導の手引き」を作成しました。東日本大震災のときに学校全体で高台へ避難、ほとんどの生徒・児童が助かった岩手県釜石市の「防災教育」を参考にした手引書です。この手引書を基にした防災の授業が始まりました。

 和歌山県印南町は、南海地震が起きる第一波が23分後、そして最高で6.4メートルの津波が来ると予想されています。海岸から5キロほど内陸に入った町立稲原中学校を伊佐治ディレクターが訪ねました。学校は直接海が見えるような立地ではありませんが、津波は川を遡上する可能性もあり油断はできません。

 学ぶは「津波避難の3原則」。「想定にとらわれない」「最善をつくす」「率先避難者たれ」。始めは首を傾げていた生徒たちも、釜石の中学生の例を聞くと真剣な眼差しに。授業では、お隣の御坊市の津波浸水マップを配り、学校以外で被災する想定もしました。津波の被害から命をまもるためには高い堤防や津波避難ビルもだが、「防災教育」も重要だと伊左治ディレクターは痛感したそうです。

「率先避難者」、難しいことばですね。中学生には小さな子やお年寄りなどに「逃げる姿」を見せるとともに「引っ張る」役目も求められる…。「津波てんでんこ」と相反するのではとも思いましたが、「逃げる方向に小学生がいれば手を引く」という生徒の声を聞いて意味がよくわかりました。
 ※伊佐治ディレクターは岩手県釜石市や宮城県石巻市の小・中学校を取材してきました。3月8日(木)の「たね蒔きジャーナル」で聞いて下さいね。(魚住由紀)
取材報告:伊佐治 整 ディレクター(MBSラジオ報道)

第811回『稲むらの火〜津波防災を語り継ぐ町』2012.02.20
〜広村の五兵衛さんは安政南海地震のとき「津波が来るはず」と感じ、自分の田んぼにある稲の束を燃やし、沿岸部の村人を山へ誘導して助けた〜
和歌山県広川町に今も伝わる「稲むらの火」の話です。広川町における住民や行政の意識を取材しました。

東日本大震災で当時大津波警報がだされた和歌山県沿岸。私が話を聞いたほとんどの方は、「避難した」と答えました。広川町では、何度も津波避難訓練を実施していたり、避難路を示す看板や、海抜が書かれた電柱など、街の中には津波に対する意識を高めるものが多くあります。

学校での津波教育も意識アップに一役買っています。地元の小学校では、3年生のときに「自分の命は自分で守る」と津波学習の授業で唱和していたり、災害時にどこに避難するかを家族と話し合って決めるよう指導しているそうです。

住民の津波に対する意識の高さに感激した一方で、行政側にちょっと気になる所も。津波が来るとなった際に、とにかく命だけは守れるように駆け込む建物や高台の「津波避難場所」の数は11箇所。高齢化率が3割の街では少ないと感じました。街には高い建物が少なく、避難先の確保が難しいといいます。役場が海に近いということを指摘しても、現在の想定では津波は来ないことになっている。安心は出来ないと思っているが、国の中央防災会議の結論が出されないと本腰を入れて動けないと町の防災担当者はもどかしい気持ちを漏らしていました。

課題はあれど、ソフト面である住民の意識の高さは、堤防や防波堤整備といった、限界のあるハード面を補うのに役立つはずだと思いました。なかでも、子ども世代に教育することの大事さを今回痛感させられました。ひとまず私もイザという時どう動くか頭の中でシミュレーションしてみます。
(河本 光正)

【写真上】広川町内のあちこちに津波に注意を促す標識が
【写真下】安政の南海地震の後につくられた「広村堤防」は、いまも町を守っている
取材報告:MBS・河本光正アナウンサー

第810回『津波避難場所の格付け〜全国初!和歌山県の取り組み』2012.02.13
 「★3つ!」。まるでミシュランのレストラン評価のようなランクが津波避難場所に付けられました。安全の度合いを3段階で表わしたものです。東日本大震災を受けて全国で津波防災対策の見直しが進められる中、和歌山県が新たな取り組みを始めました。この春にも国が発表する予定の新たな想定を待たずに、県独自の対応です。

 「1つ星と3つ星ではどう違うのだろう、上手く避難できるのだろうか」…新川ディレクターは自分の足で確かめることに。すると、いろいろな問題点も浮かび上がってきました。

 案内して下さったのは和歌山市和歌浦地区防災会事務局長の唐門武さん、歩いたのは和歌浦の住宅地です。地区で一番安全と言われている「3つ星」の避難場所が小高い山の公園にありました。小学校の裏手にあるにもかかわらず直接つながる道はなく、登るには、ぐるりと回り込まねばなりません。夜には真っ暗になりそうです。高齢者など、すぐに遠くまで避難できない人のために「1つ星」に指定されたマンションでは、外付け階段の場所がわかりにくい上、自力であがれるのか疑問もわきました。もともと避難場所として整備したわけではないところには、普段使いとは違う配慮が必要です。

 手探りをしながら、全国初の試みが始まりました。住民も行政も、課題となった不安箇所を解決するとともに、ひとりひとりがシステムを認識し、いざというときに活用出来るよう準備しようとしています。新川ディレクターは「想定外」のことが起きたときの対応にも、思いをめぐらせたそうです。
 
 自分の住む地域では…旅行先で地震に遭遇したら…、「津波から我が身を守るには」をいっしょに考えていただけましたか?
 (魚住由紀)

【写真上】海沿いに住宅地が広がる和歌山市
【写真下】津波避難場所を地元防災会の唐門さんと歩いて確認
取材報告:新川和賀子ディレクター

第809回『障害者の防災対策〜東北と阪神の経験から』2012.02.06
 阪神淡路大震災をきっかけに生まれた、障害者支援を行うNPO法人「ゆめ風基金」の八幡隆司さんに、東北被災地での障害者の現状について聞きました。
 八幡さんは、放送当日の昼は、宮城県の石巻市に。そして放送では岩手県の盛岡市から電話を使ってと、まさに東北を駆け回ってらっしゃいます。月の半分以上は被災地で活動されているそうです。
 どこに避難しているのか等、避難状況の把握が今でも困難だという話や、仮設住宅が障害者向けにできておらず、段差などちょっとした事でも苦労されている方がいたり、という現状を取り上げ、阪神淡路の経験を活かしきれていないと指摘。東日本大震災では、ヘルパーも被災して介護支援が十分できなかったことから、これからは地域の人も障害者と協力できるよう、近所のどこに住んでいてどんなハンディがあるのかを、ふだんから交流して知っておくことが必要と話します。
 ふだんからお互いを知っていれば、避難所で作業を手伝いたくても手伝えない障害者が、なまけていると誤解を受けることもなくなりそうですし、自宅に閉じこもって本来得られる情報やサービスを受けずにがまんする、といった状況も改善できます。
 ゆめ風基金は、阪神淡路やその後の災害の経験をもとに2006年「障害者市民防災提言集」を発行していますが、この一年の活動で感じてきたことや、被災地で上がっている声をまとめ、まもなく新版の提言集を出すとのこと。今度は、経験・教訓が伝わり活かされて欲しいと願うばかりです。
(河本 光正)

【写真】被災地で、障害者や高齢者に支援物資を渡す「ゆめ風基金」スタッフ(提供:ゆめ風基金)
電話出演:NPO法人「ゆめ風基金」八幡隆司さん

第808回『ふたつの被災地をつなげる神戸・長田の歌声〜帰り道の途中』2012.01.30
 神戸・新長田から東北へエールを送るオリジナルソンング「帰り道の途中」が完成しました。この曲を歌うために結成した合唱団から、長田区の本町筋商店街で金物屋さんを営む山本眞智子さんにお越しいただきました。
 
 山本さんは阪神淡路大震災で自宅が全壊、お店も被災。そのときに知人から「10年後の神戸に行きたい」という言葉をもらい元気が出たそうです。「17年前は独身だった娘が結婚し、孫3人にも恵まれた。希望を持ってがんばったらいいこともある。私たちもまだ途中、ゆっくりでいい、いっしょにがんばろう」。
山本さんは東北の人たちにそう伝えたいと話します。
 
 ふたつの被災地のつなぎ役は、再開発ビルを利用した地域づくりに携わる大阪のNPO。日頃から、人がつながる必要性を感じていました。「"音楽の街・長田"から曲を発信したいと思った」とNPO理事長の藤山さん。松本一起さんに作詞を依頼し、合唱参加メンバーを長田で募ったのです。

 「ゆっくりでいい」というメッセージには山本さんの17年間が凝縮されていました。山本さんの屈託のない明るい語り口は、他人に気遣いをさせない優しさでいっぱいでした。そんなひとりひとりの温かさが、歌の翼にのって東北のみなさんの心に響くといいですね。
(魚住由紀)
ゲスト:神戸市長田区 山本眞智子さん、NPO法人「再開発ビル活性化ネットワーク」藤山正道さん

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