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第827回『和歌山の高台移転はどうなる?』2012.06.25
 本州最南端の町、和歌山県串本町。想定されている最大級の東海・東南海・南海地震が起きると、数分で16メートルの津波が到達するとされ、対策が急務となっています。串本町の防災対策アドバイザーで、和歌山県の防災対策専門家会議のメンバーでもある小池信昭さんに最新の動向を聞きました。
 従来のおよそ2倍となった津波の高さ想定は、小池さんも驚きをもって受け止めたそうです。ただ、住民の意識が高くなり「自分の命は自分で守ろう」と、山への避難路を整備する地域も出てきたということです。
 津波で行政機関が被災して機能停止しないよう、串本町は検討委員会で役場を高台に移転することを決めました。警察・消防、病院も移転への動きを見せています。民家の高台移転には費用の問題もあるので、高台に避難しやすいよう避難路を整備することも決まったそうです。加えて和歌山県では、地震で倒壊して避難路をふさぐ可能性のある建物の所有者に、あらかじめ耐震改修や撤去を知事が勧告できるという条例も、可決される方向で進んでいます。
 南海地震は、震源が東日本大震災よりも陸地に近いとされていて、揺れへの対策も重要です。被害を出来る限り小さくする為に、こんな条例まで整備されているとは驚きました。私たちも、身近なところから少しずつでも出来る事はやっていかなければ、と思います。
(河本 光正)

【写真】防災について講演する小池信昭さん
(電話出演)国立和歌山工業高等専門学校准教授 小池信昭さん

第826回『大きく変わる防災対策』2012.06.18
 今月上旬にインテックス大阪で行われた第6回「地域防災防犯展」を河本アナウンサーが取材しました。東日本大震災を経験してからの展示会には前回の倍の企業が出展。これまでになかった発想の防災機器が並びました。特に目を引いたのが「津波避難シェルター」です。

 直径1.2メートルの球状カプセル型の「シェルター」は、水に浮かびながら救助を待つための避難空間。身を縮めれば4人が乗り込めます。上下が反転しないように、浸水を防げるように、大きな衝撃に耐えられるように、もちろん空気口や小窓も設け、津波が襲ったときに起きるさまざまな事態を想定した設計になっています。従来通り、津波避難は高台へ逃げる事が原則ですが、間に合わない時に使用するために考えられたそうです。他にも、ボートの上をハッチで覆った「避難艇」など、同じような機能のものもありました。

 東日本大震災では、大きな揺れが起きたあと、近隣へ声をかけ安否を確認してまわった消防団員や自治会長さんが逃げ遅れたという話を聞きました。足の不自由な人が「逃げられないから」と諦めざるを得ない場面もあったでしょう。支援の必要な人の避難はいまも課題です。こうした新しい避難方法が問題を解決へ導いてくれるかもしれません。

 ほかにも放射性物質を通さないシェルターや、帰宅困難者を想定した会社のロッカーに収まるくらいコンパクトになる自転車なども展示されていたそうです。
(魚住由紀)

【写真上】球体の「津波避難シェルター」
【写真下】ゴンドラや避難艇が備え付けられた「津波避難タワー」の模型
取材報告:MBS・河本光正アナウンサー

第825回『毎日、津波避難訓練を行う幼稚園』2012.06.04
 本州最南端の町、和歌山県串本町にある幼稚園の取り組みを、ラジオ報道・亘佐和子記者が取材、リポートをしました。
 串本町立串本幼稚園では、東日本大震災をきっかけに、「毎日」津波避難訓練をするようになりました。幼稚園は海抜約5メートルのところにあります。最大16メートルという、今年3月に新しく発表された南海・東南海・東海地震による津波想定では、浸水が予想される場所です。
 毎日、時間を決めず突然始まる避難訓練。子供たちも慣れたもので、急な坂の先にある海抜18メートルの高台まで、たったの2分20秒で避難できました。訓練を始めた頃は7〜8分かかっていたということですので、大きな成長です。また、訓練には、思わぬ効用も。毎日坂を駆け上がるため、足腰が鍛えられ、去年秋の運動会では転倒する子どもがほとんど居なかったそうです。体力づくりにも貢献している訳です。
 幼稚園では、高台からさらに高い裏山に上がる訓練を検討しています。避難先を一度決めたからといって安心せず、更に次の策を考える。とにかく最善を尽くすということです。
 毎日訓練があると分かっていると、作業のようにそれをこなす可能性があるかもしれません。が、日頃からやっていないことを急に実践することは出来ません。子供たちが幼稚園に通っている間に、避難の必要のある地震が起こるかどうかはわかりませんが、身に付いた習慣はきっと大人になってからも役に立つはずです。先頭に立って周りの人たちと一緒に避難する。そんな率先避難者が増えることは、必ず防災に役立つと思います。

(河本 光正)

【写真】津波避難訓練をする、串本幼稚園の園児たち
取材報告:MBSディレクター 亘佐和子

第824回『“不良”ボランティアのススメ』2012.05.21
 東日本大震災では、被災地域の余りの広さに、とにかくボランティアをはじめとした人手が必要でした。その反面、「多数のボランティアが一気に集中すると現地の混乱を招きかねないので、被災地に行くのはしばらく控えるべき」という自粛論も出ました。
 そんな中、尾澤さんはあえて「素人が押しかける」ことの意義を説き、去年5月からボランティアを被災地に送り込む事を実践し続けています。型にはまらず、という意味を「不良」という言葉にこめて。
 参加条件は一切ナシ。行きたいという気持ちを最優先にした結果、高校生ぐらいの若い子、耳が聞こえない障害のある人など、さまざまな人たちが集まりました。被災地に行きたい、何かしたいけど二の足を踏んでいるという人たちの背中をそっと押しました。
 型にはまらず、参加者の気持ちを大切に、という方針は、「現地での行動は完全自由」という点に表れます。バスに乗せて参加者を岩手県遠野市まで連れて行った後は、基本的に参加者の自主性まかせ。ボランティアセンターを通じて活動を決めた人もいれば、支援を求める人を自分の足でみつけた人も。行政やボランティアセンターの視界に入らないところにも助けを必要としている人は必ずいるのです。
なかには被災地の状況に圧倒され、自分で思い描いていた活動がほとんどできずに無力感を抱えて帰ってきた参加者もいたそうです。でも、「現地で会話を交わすことも、人の助けになりうる」「次につながれば意味がある」と尾澤さん。
 これからも月に一回程度のペースでバスを出したいとのこと。尾澤さんの活動は続きます。尾澤さんは私と同じ27歳。・・・頭が上がりません。(汗)

(河本 光正)
ゲスト:不良ボランティアを集める会 代表 尾澤良平さん

第823回『いのちを守る都市づくり 東日本から見えてきたもの』2012.05.14
「防災のマニュアルを読めばそれで安全とは誰も考えていない。次はどうすればよいか、ほとんどの人がわからずに困っている。大学は、わかっていることを公開し、地域に貢献してゆく。日本は新しい節目にきた」。森さんのことばは心に力強く響きました。「いのちを守る都市づくりをするのは、自治会や区単位の地域、こども、行政、学校…。トップダウンではなく、多様な人がみんなで考えてつくりあげてゆく。大学はそういう運動の始まりでありたい」。

 大学が「ODRP大阪市立大学都市防災研究プロジェクト」を立ち上げたのは東日本大震災がおきた1ヵ月後。発災直後に被災地に向かったDMAT(災害派遣医療チーム)をはじめ、学内の10分野50人の研究者それぞれの動きを連携させました。メンバーは、防災を専門としない分野の研究者を多く含みます。被災地の大学、行政や福祉協議会、NPO、学会とともにネットワークを結びながら活動。自分の専門分野を通して被災地を支援、研究した成果を持ち帰り議論、そして地元大阪市の地域へ貢献します。

 スポーツの研究者は「避難の体力」について現場と実験を結びつけ、芸術の専門家は岩手の伝統芸能復興や仮設住宅内での芸能開催について考え、文学の研究者は地元大学生らとともに津波をかぶった文献の保護に取り組んだといいます。
そんな多彩なメンバーが一冊の本をまとめました。「いのちを守る都市づくり」大阪市立大学都市防災研究グループ編(大阪公立大学共同出版会)。東日本大震災の被害状況からいのちを守る活動まで、やさしい文体で書かれています。

 森さんの温かい語り口、ステキでした。東日本の復興も進まず、関西でも次なる地震の災害想定に不安な昨今ですが、光が見えるお話にホッとしたひとときでした。
(魚住由紀)
ゲスト:大阪市立大学大学院生活科学研究科・教授 森一彦さん

第822回 『ラジオで災害に備える』 2012.05.07
 去年9月、和歌山県や奈良県に大きな被害をもたらした台風12号では、防災無線が聞こえず素早い避難が出来ないといった問題がありました。大地震が起きた場合も、津波警報などの情報が命綱になります。防災行政無線を家庭で受信する「防災ラジオ」を全世帯に配った和歌山県みなべ町を、新川和賀子ディレクターが取材しました。

 防災行政無線は、大規模災害が発生したときの避難勧告、避難命令などを知らせるために、過去に大きな津波や水害に見舞われた地域や原発関連施設近隣のほとんどの市町村に整備されています。放送は避難する際だけではなく、消防団など住民同士で救助する火災の情報や、イベント、農作業のお知らせといった広範な内容で、助け合って暮らす地域にはかかせないものです。ところが、みなべ町の山間部の地域ではこれまで屋外スピーカーによる放送しかなく、「荒天のときや夜寝ているときに聞こえない」という声があがっていました。

 東日本大震災のときには、宮城県の東松島市で防災無線のスピーカーが津波で倒れ放送が聴けなくなったあと、「防災ラジオ」を手に避難した人もあったそうです。見せてもらった「防災ラジオ」はAMとFMを聴く機能も兼ね備えていました。避難先ではAMラジオに合わせ、さらに広い地域の状況の情報も得ていただけたらと思います。
(魚住由紀)

【写真上】みなべ町清川地区のお宅。
      玄関先に、防災ラジオとヘルメットが置いてある。
【写真下】台風12号の豪雨によって起きた清川地区の土砂崩れ。
      8ヶ月経った今も復旧工事が続いている。
取材報告:番組ディレクター 新川和賀子

第821回 『県外避難者の最新事情�A』2012.04.30
 福島の原発事故の影響を少しでも避けようと、原発が立地する福島県だけでなく、茨城や千葉といった地域などからも関西へ避難する人々がいます。そんな、「県外避難者」の“住”にスポットを当て、3月に続いて古部真由美さんに話を聞きました。

 古部さんが世話人をしているボランティアグループ「まるっと西日本」には、ゴールデンウィークや春休みとは関係なく、コンスタントに避難したいという相談が寄せられます。それは例えば「体調が崩れた」とか、「子供の体内からセシウムが検出された」などです。子を持つ親としては、不安は尽きません。

 そして、避難すると決めた人にとって最初に必要なのは「暮らす場所」です。ところが、支援を受けるための条件が、自治体によってバラバラで、受付をする窓口も市町村によって違うといいます。更に、新幹線で関西にようやくやってきたのに職員の認識違いで「入居できない」といきなり言われるケースもあったそうです。「住む場所が決まればほんの少し希望・将来が見えてくるはずだったのに、間違いではすまない。」と古部さんは言います。被災者にやさしいとは言いにくそうです。

 古部さんは、「皆さんの周りにも被災した方が居ると思う。ぜひ声をかけて話を聞いてくれると、初めて来た土地でも安心するはず。それだけで支援になります。」と呼びかけました。関西でも出来る支援、アイディアがまた一つ増えました。古部さんの活動は、続きます。
(河本 光正)
ゲスト:ボランティアグループ「まるっと西日本」世話人・古部真由美さん

第820回 『今月から運用開始〜国の基幹的広域防災拠点とは〜』2012.04.23
 大きな防災拠点が大阪府堺市に完成しました。国交省が整備した全国2番目の「基幹的広域防災拠点」です。大和川の河口を埋め立てた工業用地の一角で、甲子園球場7個分ある広大な敷地。このエリアが、いざ大規模地震など災害が起きたときには、緊急物資輸送の中継拠点となり、自衛隊やボランティアなどの支援基地としての役割を果たすことになります。

 阪神淡路大震災のとき、膨大な救援物資を集配する場所がなくて不便な思いをしました。新潟県中越沖地震では柏崎港の海沿いの公園が自衛隊のベースキャンプになり、港には船で救援物資が届けられました。過去の災害に学んでつくられた堺市の防災拠点には、海水を飲み水に変える装置や自家発電機と照明なども配備されました。新しい想定の津波に耐えうるか?液状化の対策は?近畿圏臨海防災センター長が答えます。

 「支援活動拠点であり避難場所でもある」鶴見緑地公園の使い方について、リスナーから質問もいただきました。大阪市の危機管理室に聞くと「まずは住民の一時避難に利用してもらい、自宅に戻れない人は必要に応じて学校などの避難所に誘導する。そのあとに自衛隊や赤十字などの展開を想定」とのこと。なお、大阪府は服部緑地など10カ所の公園を「後方支援活動拠点」にしていますが、同じ公園内で住民が避難する場所と自衛隊などが基地にする場所を分けているそうです。
参考になる質問をありがとうございました。また、お待ちしています!
(魚住由紀)

 広い土地が確保しにくい島国日本で、海を利用する防災拠点が沿岸部に出来ることは、ある意味自然な流れかもしれません。メリットも良く分かります。先月発表された新しい津波想定はクリアできると言われますが、去年の「想定外」の津波のことを思うと、もろ手を挙げて喜ぶ、とはなりにくいのが正直なところです。ここが防災拠点として活躍しない平常時が続くことが一番ですが、いざとなれば拠点としてきちんと機能し、スムーズに被災地を支えてくれることを願います。
(河本光正)

【写真上】堺市の臨海部に広がる基幹的広域防災拠点
【写真下】広域防災拠点の説明を受ける河本アナウンサー
取材報告:MBS・河本光正アナウンサー

第819回 『震災障害者〜阪神淡路と東日本大震災』2012.04.16
「震災障害者」。震災が原因で心身に後遺症を負った方の事を指します。阪神淡路大震災では、15年が経った2年前、ようやく行政が調査に動き出しましたが、昨年の東日本大震災での現状はどうなのか。NPO法人「よろず相談室」理事長の牧秀一さんと、阪神淡路大震災で障害を負い、今年2月に東北を訪れた岡田一男さんに話を聞きました。

 東日本大震災で障害を負ったのは、1月時点で少なくとも42人。ですが、「障害を負った人は、病院が被災したため県外に搬送され、未だ地元に帰られていないのでは。行政も、他の業務に手一杯で把握しきれていない」と牧さん。

 −長期のリハビリから地元に帰ってきたときに、すっかり変わってしまった街を見て喪失感を覚える。周りの人に悩みを打ち明けようとしても、「命が助かっただけまし」と言われ、思いをはき出せない。役所に相談をするにも、家のこと、仕事のこと、教育のこと…部署が違うためにそれぞれで一から事情を説明しないといけないのがつらい− 震災障害者を取り巻く環境は厳しいと言えますが、このままではどこに同じ境遇の人がいるかわからず、東日本でも阪神淡路同様、問題が埋もれてしまうかもしれません。

「よろず相談室」では毎月震災障害者の集いを開いていて、東日本で同じ境遇にある方々を探しています。岡田さんは、「勇気のいることだと思うが、自分たちが怪我をしてここに居るということを自分から名乗り出る人が一人でも増えれば」と訴えます。

 放送後、岡田さんは「外に出るまでに10年かかった」と仰いました。体の障害のせいではありません。障害者同士や行政の情報共有はもちろん、私たちが震災障害者の存在やその思いを知っていれば、10年という歳月がもう少し短くなったはず。阪神淡路と同じ問題を繰り返してはならないと思います。
(河本 光正)

【写真】前列左が岡田一男さん、前列右が牧秀一さん
ゲスト:岡田一男さん・よろず相談室 牧秀一さん

第818回 『被災地でみえる、過疎地の医療』2012.04.09
 東日本大震災の被災地は、もともと医療過疎に悩まされていた地域が多くあります。高齢化が進む一方、医療機関の数は足りない。そこに震災が重なって、病院や介護福祉施設の閉鎖が相次ぎました。宮城県石巻市の牡鹿半島は高齢化率40%ですが、20床の小さな病院がひとつあるだけです。この地域に、西宮市から赴き訪問看護の活動を続ける岸田広子さんがいます。岸田さんの訪問先、石巻市の市街地から車で1時間近くかかる牡鹿半島の約200世帯のようすを伺いました。

 応急仮設住宅では、談話室でお茶会を開いてコミュニティづくりをしながら血圧チェック。出てこられない人は個別に訪問し体調をみます。仮設住宅では、壁の薄さから気を遣い、声を潜めて暮らすうち肺の機能が低下するお年寄りも。体調が悪いと外出も減り、足腰も弱る悪循環。カラオケを勧めると「震災後始めて声を出せた」と喜ばれたそうです。津波の被害から免れ自宅で暮らす人も周辺地域の暮らしが崩壊していて孤立しがち。40歳代でも震災のダメージから精神の変調が見られる人もいるそうです。看護師さんでないと気がつきにくいケースばかりです。

 医療機関が少なくケア対象者の多い過疎地帯では、岸田さんのような訪問看護の必要性がさらに高く、サポート拠点の設置が急がれます。現行制度では、訪問介護拠点の開設には2.5人の看護師が原則。岸田さんは「もっときめ細やかな支援のために、ひとりでも開業出来るようにして欲しい」と言い、日常の地域福祉を見据えながら活動を続けています。
(魚住由紀)

【写真】仮設住宅の談話室で健康診断の後、みんなで肩たたき
電話出演:全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」准看護師 岸田広子さん

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