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上野先生に聞いてみたい事、番組の感想など何でもお寄せください。
〒530-8304 MBSラジオ
「上野誠の万葉歌ごよみ」 |
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【2024年10月26日 放送分】 |
2024年10月26日 |
【巻】…11・2368
【歌】…たらちねの母が手放れ かくばかりすべなき事はいまだ為なくに
【訳】…たらちねの母が手を放れて このようにどうしようもないことはまだ経験したことがない
【解】…今回は、子との距離感を母が悩んでいる歌を詠んでいきました。「たらちねの母」というのは、当時では少なかった「豊かな母」という意味で、後半部分は「子が母を裏切るようなことを今してしまった」ということになります。母に対してどんなことをしてしまったのか、秘め事など色々な想像ができる歌だと思いますが、子の成長を感じさせてくれる歌でもあります。ひとつとして、少女が大人の階段を上ったということも推測できますが、実際の所、明確なことは不明な歌だそうです。皆さんは、この歌をどのように解釈されましたでしょうか?
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【2024年10月19日 放送分】 |
2024年10月19日 |
【巻】…11・2357
【歌】…朝戸出の君が足結を 濡らす露原 早く起き 出でつつわれも 裳裾濡らさな
【訳】…朝戸出のあなたの足結を濡らす露原 早く起き外に出ながら 私も裳裾を濡らしましょう
【解】…「戸」というのは、いつも同じ所にあり、24時間使用するものですが、今回ご紹介する歌では「朝戸」という面白い言い方をします。戸の前に朝がつくということは、妻問いをした特別な朝のことを示し、女性が男性を見送るという場面を映します。しかし、この歌では、女性が見送るだけではなく、朝戸を出て、男性の後ろをとても高価であろう裳裾を草の朝露で濡らしながら歩くという…なんとも男性に対する愛情がなんとも健気でかわいらしく表現された歌です。
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【2024年10月12日 放送分】 |
2024年10月12日 |
【巻】…10・2151
【歌】…山遠き都にしあれば さ雄鹿の妻呼ぶ声は 乏くもあるか
【訳】…山が遠い都にいるので、雄鹿が妻を呼ぶ声はあまり聞こえないけれど
【解】…「風」をあまり感じなくなりましたね…というお便りを頂戴しましたが、現代では、色々と豊かになり、あって当たり前のことのように感じていることでも当時では貴重な物事が多くあったと考えられます。鹿が鳴く頃というのは、萩の花が咲く頃で、この時に稲刈りが始まるということが分かるそうで、今回も鹿の歌を詠んでいきます。山から離れた都に住んでいるので、鹿の鳴く声が遠音に聞こえるという歌です。若い盛りを楽しむこともありますが、名残を楽しむのも人それぞれの人生でして、はっきりと鳴き声が聞こえないことも情緒があるものだと感じさせてくれる歌でもあります。近い存在よりも遠い存在の方が切なさと儚さを際立たせ、聞き手の想像力がより増すような気がします。
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【2024年10月5日 放送分】 |
2024年10月5日 |
【巻】…10・2143
【歌】…君に恋ひうらぶれ居れば 敷の野の 秋萩凌ぎ さ雄鹿鳴くも
【訳】…君に恋したい しょんぼりしていると 敷の野の 秋萩を押し分けて 鹿が鳴いているよ
【解】…10月に入り、2024年もあと二か月になりました。皆さんは今年どこか旅行に行かれましたでしょうか?上野先生の周りの方の楽しみは「旅行」で、色々なものを見て触れ学ぶことだそうで、特に40歳を過ぎて感じることは、旅中で「人間と自然との関わり、その地に刻まれた歴史を知る」ことなんだそうです。今回も鹿の歌を詠んでいきます。鹿の鳴き声は常に一緒かもしれませんが、聞く人の心情で捉え方は異なるものです。今回の歌の中にある「うらぶれ居れば」は「心が荒んでしょんぼり」という意味で、妻を呼ぶ鹿の声が聞こえてきて、萩を押し分けている様が頭に浮かんでいるという歌です。こんな風に想像してしまうということは、恋人と離れ離れになって、寂しく過ごしているのでしょうね…もし恋人と仲良くしている場合だったら、どんな事が頭に浮かんでくるのでしょうか。
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【2024年9月28日 放送分】 |
2024年9月28日 |
【巻】…10・2141
【歌】…このころの秋の朝明に霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ
【訳】…最近の秋の夜明けに 霧にこもって妻を呼ぶ 鹿の声が印象的だ
【解】…お聞きの皆さんは、季節感を感じる事象はありますでしょうか?上野先生は、模造紙を持った学生を見かけると文化祭が近づいてきたなぁと感じるそうです。今回から鹿の歌を詠んでいきます。「鹿」といえば、7月から放送が始まった【しかのこのこのここしたんたん】というアニメが流行っています、もし気になる方は、ぜひ検索してみてください。「鹿」は秋、妻を求めて鳴く声が哀愁を帯びているので、秋の季語になったそうです。歌にある「さやか」とは現代でいう「あざやか」になり「明瞭・はっきりしている」という意味です。今回は「すがすがしく」というニュアンスで詠んでいきました。季節によって、物や風景の見え方は異なるものだなと思わせてくれる歌でした。
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