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10月 6日
2024年9月11日(水)、MBS 1Fちゃぷらステージにて『日本一明るい経済電波新聞presents関西元気な会社EXPO』が開催されました。
来年に迫った大阪・関西万博に深く関わっておられる方々をお招きして、万博について深堀りします。
テーマは『万博×◯◯』。
まずはそれぞれどんな取り組みをされているのでしょう。
近畿経済産業局 地域経済部 地域連携推進課 総括係長 津田哲史さんから。
「私の方の仕事はオープンファクトリー。
工場を広く開いて万博会場をつなげていくことによって、世界中から来られたビジネスパーソンが、ビジネスバイウェイ"ビジネスの寄り道"をしていただくことによって経済効果を高めていこうという取り組みをしております。
工場見学と間違われることが多いんですけども、工場見学っていうのは見る方が主語。
オープンファクトリーは開く企業の皆様方が主語。
会社を見せる場合には、やっぱり会社を綺麗にしないといけないという心構えが生まれます。
さらに1社だけじゃなくて地域のみんなでやっている取り組みが最近増えてきまして、全国で地域一体型オープンファクトリーを取り上げることによって、群に対してビジネスパーソンが訪れる取り組みっていうのをやっております。
このオープンアクトの取り組みを始めたのが2019年ぐらい。
事業の最初のフォーラムにご登壇いただいたのが竹原さんでした。
5年前は関西7箇所ぐらいの取り組みだったのが現在は17箇所になってまだ増えています。全国規模で見ても50箇所弱。
私たちは世の中の大企業さんやスタートアップの方、海外の方々や各地を繋ぐような仕事をしています」。
続いては一般社団法人demoexpoの代表理事 花岡さん。
「夢洲の万博ももちろん楽しいし、万博開催時には見たことがないような色んな取り組みをされると思うんです。
この間、パリでオリンピックを観てきましたが祝祭感があってすごく楽しかったんです。
町も連動していていました。
やっぱり、町ぐるみでやっていくことが大事なんではないかということで、町も会場だと言えるような新しい万博を作っていきたいという思いがありまして、この一般社団法人demoexpoを作りました。
2018年の誘致の前から動いています。
せっかく大阪でやるんでオモロイことをしていきたいなって思っています。
僕は『株式会社人間』っていうちょっとアホなことをやる会社で、僕自身の髪型も変な髪型にしています。
やっぱり大阪ってオモロイなぁって思えるような万博にしたいですしとりあえず自腹を切ってやっていこうって思って色々活動しています。
大阪の方は僕だけじゃなくて、面白い人がいっぱいいます。
僕はやっぱり、人が観光資源だと思っているんです。
笑いでコミュニケーション取る民族って大阪しかいないんで」。
そして、マッスル株式会社 代表取締役 玉井博文さん。
「マッスル株式会社って、日本語で言うとですね、花岡さんの会社の『人間』じゃないですけど、『筋肉株式会社』ということで。
よくジムと間違えられたりしますが、ロボットの部品を作っているんです。
2010年に上海万博が開催されまして、それがきっかけで、ひょんなことからロボットを作ることになりました。
それで今はマッスルはロボット屋と正々堂々と言えるようになったんですね。
日本産業館というところで3体のロボットが高さ15mの壁を朝から晩まで登っていくんです。
ここまでになる経緯がありまして。
ある時、大阪・京町堀のお店でご飯を食べていたんです。
そうすると店の玄関にメディアでよく見かける人が入って来られた。
ご飯の途中だったんですが名刺を持って行ってご挨拶。
そうすると"マッスル株式会社って何の会社ですか"と訊ねてこられました。
その頃は色々な部品だとか、ややこしいものを作っていましたもので、素人の方に詳しく言ってもわからんだろうということで"ロボット屋の玉井"で覚えておいてください、と言うてしもたんです。
この一言が私の人生を変えることになるんですね。
その時に会ったのが有名な工業デザイナー・喜多俊之さんでした。
その喜多先生が上海万博のディレクターをやられていまして。
うちの親分を紹介するわ、と言って紹介されたのが堺屋太一さんでした。
堺屋先生は自称・万博男。
70年万博をはじめ歴代の万博を引っ張ってこられました。
喜多先生から、堺屋先生に会ってくれという話になったのですが、最初から堺屋先生とケンカですわ(笑)。
お金のことなど色々ありまして...。
そこで助けていただいたのが、池田泉州銀行、当時の藤田頭取でした。
お金の問題も解決しまして上海万博にロボットを展示することになったんです」。
そして『万博×◯◯』を津田さんから伺っていきます。
「私は『万博×ものづくり』。
花岡さんのお話と重なる部分もありますが、万博は夢洲の会場の中だけじゃなく、外に波及する必要があるかなって元々考えていました。
過去の万博、この後のパリ万博もどこへ行っても素晴らしいと思うんですね。
じゃあ 日本博らしさってなんなんだろうって考えた時に、"らしさ"を出そうと思うと、ひとつは立地だと思っています。
じゃあ、日本にしかないもの。パリやドバイになくて日本にしかないものは何か。
それは100年以上続いている企業が世界で1番多いということ。
そういった企業に直に触れる万博は日本でしかできないんじゃないかなと思いました。
触れていただくには各地がウェルカムな状態を作っておく、それが『地域一体型オープンファクトリー』ということなんです。
この『地域一体型オープンファクトリー』という言葉自体は2015年ぐらいに定義付けされた言葉なんですが、2011年に東京の台東区で『台東モノマチ』という取り組みが始まったのが起源になっています。
おそらく日本で1番有名なのは、燕三条の『工場の祭典』っていう取り組みだと思うんですが、西日本だと福井県鯖江市の『RENEW』がすごく有名ですね。
こういった取り組みは2011〜15年ぐらいにどどどっと増えています。
万博が決まったのが2018年。
その時にすでに広がっているこのムーブメントを活用しない手はないんじゃないかなと思っていて。
そこで冊子を作るなどして『地域一体型オープンファクトリー』を可視化。
結果的にそれがパビリオンになるんじゃないかと思うんです。
活動をしていくと冊子に載りたいという企業が増えていって、事例が50弱になっていきました。
花岡さんともその話で、よく盛り上がるんですけども、万博の時に無理やりパビリオンなどを開くんじゃなくて、各地もパビリオンだっていう認識を持つ。
何なら万博から人をひっぺがすぐらいの気持ちで取り組みを盛り上げていけば、結果的に万博を盛り上げることができるんじゃないかなと思っています。
実は万博との連動を、すでに始めています。
実際に万博にオープンファクトリーの製品が納品されていまして、その製品にまつわる体験ができるツアーが今後公式化されていくんですよ」。
続いて花岡さんは『万博×まちづくり』。
「僕、全然まちづくりをやったことがなくて。
『株式会社人間』は広告とかデザインをする会社で面白くて、変なことを考えているっていうスローガン。
だからまちづくりを全然やったことがないんですけど、実際にやってるっていう...(笑)。
まちづくりのプロからしたら何やってんねんって思われると思うんですけども、2018年の万博誘致の前から、もうすでに勝手にやろうとスタートしました。
僕らの強みっていうのは多分"ずっとやっている"ことなんです。
日本において万博を盛り上げようと1番長く続けている団体です。
『一般社団法人demoexpo』っていうのは途中からできた名前なんですが、活動を続けていると町の人がどんどん繋がってくるんですよね。
最初にやったのが『エキスポ酒場』。
酒が入ると本音が出るんですよね。
その本音が出るとそこで対話が始まって、色んなプロジェクトが生まれていく。
そういうのが目的でやり始めたのが3、4年前。
そうすると各地で、やりたいという声が上がり始めました。
万博に関してネガティブなニュースがよく流れていますけれど、実は全国各地で万博をめちゃめちゃやりたい人がいまして。
そのやりたいって手挙げてくれた人を僕らはエキスポ酒場の"店長"と呼んで、北は青森から南は鹿児島まで、今まで60回ぐらい開催しました。
結構引き合いがあって思ったよりも開催の頻度が高いですね。
僕らは別にお金を誰かから、もらっているわけではないので大変なんですが...。
でも万博っていうのを言い訳に地域を盛り上げたい。
こういった感覚で勝手に万博を地域で使っていったらいいんじゃないかなって思っています」。
そして玉井さんは『万博×企業』。
「元々関西、大阪は商人の町ですよね。
この商人ってそんなに大規模なものではなかったけれども、それぞれの得意分野でみんなが切磋琢磨して、日本経済を支えていた時期があったわけです。
先ほどお話しした上海万博の時にですね、この大阪の中小企業の技術を持ったオヤジさんたちの気持ち、底力というのを思い知らされたんです。
堺屋太一先生からロボットを作って欲しいというオーダーをいただきました。
ちょうどクリスマスの時です。
2月の終わりぐらいに上海に向けて出すには時間がない。
僕は知り合いのお客さんに、ロボット屋さんがいっぱいいらっしゃるから、どなたかが手を挙げてくれると思っていたんですよ。
案の定、行って話すと盛り上がる。
ところが上へ行けば行くほど却下されるんです。
"失敗したらどないすんねん""会社の名前に傷つくやないか"と。
流石にちょっと思い悩みましたね。
ひとりでは、この短時間でできない。
じゃあ、みんなで力を合わせてやったらいいんだと思いついたんですね。
知り合いの中小企業のオヤジさんたちに声をかけたら、また別の方を紹介してくれたりして、結局15社の力を集めることができました。
プロジェクトがスタートして、ロボットの顔を削ってくれる人、骨を作ってくれる人、服を作ってくれる人、作業を全部分割して、よーいドンでやりました。
そうしたら奇跡的にできたんですよ。
大阪の技術、オヤジさんたちの底力を思い知りましたね。
結果的に世界中のたくさんのメディアに載せていただいたりして、評価もたくさんいただきました。
万博が終わった後は国内外、引っ張りだこです。
自分の困り事を相談したら解決してくれるんじゃないかっていう人たちが集まってきたんですよ。
その中で僕は、みんなが一番苦労してそうなものをやりたい。
後にハンモックロボットを作ることになるんです。
試作が出来た時に、なんと安倍首相が見に来てくれたんです」。
後半は次週に続く...。