2024年

7月21日

海外経験を活かした経営 環境問題に深い取り組み

先週に引き続き、ゲストは野添産業株式会社 代表取締役社長 野添智子さん。
今週は会社の歴史を伺います。
「私の父が1959年(昭和34年)に、 自転車1台から包装資材の卸しをする会社として始めました。
今年で創業65周年を迎えさせていただくことになっております。
最初は小さな会社からのスタートだったんです。
山あり谷ありの中から『ストレッチフィルム』という商品に巡り合ったことで、大きな1つの事業の柱ができました」。

野添社長は入社する流れだったのでしょうか。
「母は私を結婚させるため、お見合いの釣書を作ったり、子どもの頃からお稽古事に通わせたり。
親のイメージでは私は多分、大学卒業と同時にお見合いをして、結婚となっていたはずなんです...ですが私はすごく海外に憧れて興味があったんです。
高校を卒業するまでには、どうしても英語をペラペラになって卒業したいと中学校を卒業するぐらいから思い始めまして。
高校1年生の時に、1ヶ月間のサマースクールに行かせて欲しいと親に頼み込みました。
でもOKが出なくて。
二十歳になると振袖を買う時があるじゃないですか。
振袖はいらないから行かせてほしいと(笑)。
そうして何とか海外へ行かせていただいて、そしたらもっともっと勉強したくなって」。

そこまで強い憧れだったんですね。
「さらに高校を卒業するまでに絶対に1年は留学したいって思うようになりまして。
父には、大学に入ってからと言われていたんですけれど、次は両親が思う良い人と結婚するのでお願いしますと頼んだり。
結局、全部自分で留学の手続きや資料も取り寄せて、高校2年生が終わってから1年間、留学させていただいたんです」。

帰国されてからは?
「大学には行かずに、もう少し語学の勉強をしたくなったんです。
関西外大の方に入学させていただきました。
海外に出た経験から世の中で仕事をしたいというように思いましたね。
海外の女性もすごく輝いていましたので」。

入社はどんなタイミングだったのでしょうか。
「29年前ですね。
バブルが崩壊した後で本当に会社が大変だった時代です。
段ボールの会社も非常に業績が悪くて。
母が会社を手伝う中、私も母のお手伝いができないかなと思って会社に行っていました。
父と母が大変な時に私にできることはないか...という一心でしたね。
そうするうちに徐々に会社の中に入っていった感じでした。
父は社長として仕事のやり方がワンマン的なところがありまして。
でも私たちはそれに対して、もう、やるしかなくて。
それを繰り返しているうちに免疫がついて仕事をするペースを掴むことができました。
父が砂漠の中にポトッと何かを落とすような試練を与えてくれたんですが、おかげで強くなれましたね」。

海外経験がお仕事に活かされたことは?
「やはり海外との取引を始めたのも英語ができましたので。
直接ストレッチフィルムの貿易に進むことができました。
そこからリサイクルに繋がっていきました。
父は今、私に言うんです。
"やっと元が取れた"って」。

会社をお継ぎになる予定はあったのでしょうか?
「全くなかったですね。
仕事を手伝っている時は、ただひたすらに父と母が苦労してるのを見て放っとくことができませんでした。
昨年、社長に就任しましたが、私は社長になりたくてやっている訳ではないんです。
うちの父が死ぬまで現役だと言っていまして、それを温かくしっかり見守っていけたらと思っています。
今年89歳。
とても元気なんですけれども、社長業は大変なんじゃないかなっていうことで代替わりしました。
それまでに取締役に入らせていただいて、常務になって、その後、副社長を。
私の中では副社長から社長へスライドしたような感じ。
でもズシっと来るものがありますね」。

社長になられてやっていきたいことなどありますか?
「私の会社というよりは、父が本当に頑張って苦労して築いた会社です。
これをどう守り抜くかというプレッシャーの方が強くて。
あとは父の時代と今の時代は変化しています。
従業員の皆さんは職場で多くの時間を費やされます。
職場が働く人にとって絶対に幸せな場所じゃないといけないって思うんですね。
いかに安心で安全な環境を整えていくか、そして収益を上げて働いている皆さんが豊かになっていただけることが私の1番の望みですね。
その中で、やっぱりこれからは再生ストレッチフィルムをどんどんやっていきたいです。
量産体制にも入っていますし、これからどんどんと市場に出していこうと思っています」。

未来へのビジョンは?
「20世紀から21世紀にかけて、私たちは安価で非常に便利なプラスチックという素材に巡り合って生活を豊かにしてきました。
ですが、その一方で環境汚染が生まれました。
日本の中でしっかりとリサイクルをしていく仕組みを作っていくのが次の私たちの目標のひとつです。
例えばペットボトルのキャップを30%配合したごみ袋を作ることで石油の掘削が減らされて、環境がしっかりと整えられていくんじゃないかなと。
会社では元々ダンボールを取り扱っていました。
紙や段ボールはリサイクルが構築されています。
これからはペットボトルからペットボトル、ストレッチフィルムからストレッチフィルム。
資源を持たない国ですから行き場を失ったプラスチックがしっかりと循環される仕組みが作れたらなって思っています」。

竹原編集長のひとこと

自然環境への配慮、リサイクルの重要性、そして未来への展望。
お作りになっているものには、女性の優しい目線や細やかさがあるように思います。