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6月 2日
今週のゲストは株式会社マツムラの代表取締役 松村和也さん。
まずは事業内容から伺っていきましょう。
「平成元年に父が作った会社です。
内容としてはステンレス、チタン、ハステロイなど特殊溶接。
僕が入る前は父がずっと、とあるお客さん1本で仕事をしていましたね。
半導体の制御装置などバルブを作るのに出向して泊まり込みでその会社さんに入っていました。
父は仕事でほぼ家に帰ってなかったですね。
僕が小中学校の時って平日に顔を見たことがなかったような気がしますね」。
それが現社長、松村和也さんの代になって変化が。
「僕が入社したのは2001年。
当時、10人ぐらいの社員さんが2005年ぐらいには多分7、80人になりました。
僕と弟が同じ入社で弟が機械加工で僕が溶接。
2つの工程をするようになったということも大きかったと思います。
事業の幅が広がりました。
その頃でもまだずっと1社とお仕事をさせてもらっていました。
事業が広がったのは今から5年ほど前に製造業に特化した人材派遣会社・紹介会社を立ち上げてからですね」。
外国人の従業員の方も多いのだとか。
「僕が学生の時、夏休みなどに何度かアルバイトは行ったことがありました。
その時でもすでに外国人の方がおられました。
父親の横で外国人の方が一緒に仕事をしていることが当たり前というか。
当時は珍しかったと思いますね。
メーカーさんと相談して外国人の導入を決めました。
僕が入ってからもそうですが、仕事の教え方がカタコトの日本語なんですよ。
"これオッケー"とか"これダメ"とか、ジェスチャーを交えてやっていました。
今でこそ日本人従業員が何人かいますけど、
それまで全部周りが外国人だったのでカタコトでの説明に慣れてしまって。
たまに日本人に対してもカタコトになってしまうんです(笑)」。
どのぐらい外国人の方がおられるんですか?
「社員160人中、120人が外国人です。
ブラジルとベトナム出身が1番多いですね。
インドネシア、ラオス、チリ出身の方もおられます。
基本的には日本語でコミュニケーションします。
皆さんが考えるのは恐らく各部署のリーダーが日本人、
そしてワーカーさんが外国人というパターン。
実はそうではなくて、ある部署はベトナム人しかいないとか、
ある部署はインドネシア人だけとか。
別に日本人が管理をしているわけではなくて、
ベトナム人のまた古くから勤めている人たちがリーダーをしてくれて...という感じですね。
長くおられる方は日本の永住権も持っています。
永住権取得は僕らも一緒に手伝ったので。
その人たちに習って、自分も永住権を取りたいと思っているベトナム人が集まるじゃないですか。
永住権は持ってる、さらに家も買っている。
ご家族もベトナムから連れてきて、日本で学校に通っている。
そんなスタイルになっています」。
社内では溶接の技術なども。
「普通、"溶接"と聞くと暑い中で音がバリバリと鳴っていて火花が散って。
うちはそうではなくて、エアコンも効いていて夏は涼しくて冬は暖かい。
溶接自体も先代である父親が作った自動機があります。
商品をセットしてボタンを押すだけなので、誰でもできます。
自動溶接は、緻密な作業をしてくれる女性にしています。
東南アジアの方はすごく真面目に働いてくれていますね。
女性が160人中90〜100人近いですね」。
多くの外国人の方が働いておられます。
難しいことなどはありませんか?
「実際ないんですよね。
僕は社長ですけれど、社長じゃないというか。
先代もいるし、弟もいる。
松村が数人いますので下の名前で社員からも呼ばれるんです。
距離が近いです」。
各地に工場があります。
「本社工場は大阪。
茨城県のつくば市にある、お客さんのメーカーの中に入り込んでいますので、その中を借りて。
つくば市に商品を収めるのに大阪からは遠いので、
千葉県柏市に工場があります。
そこは100%、その会社さんに納品するために作ってます。
毎日2〜3便、商品を届けている毎日ですね。
元々、工場を千葉に作る気は全くなかったんです。
お客さんが半導体の装置を作るバルブメーカーさんなんですけど、大阪で作って持っていくと1日かかってしまいます。父親のやり方でいう、お客さんの中に入り込んでものを作ってきました。
僕がもしもそのメーカーの社長だったら納品までの時間がかかるという理由で他の会社を探すと思いました。
周りからは反対されましたけどこれは行かなあかんな、と。
"着いていきますわ"とつくば市に(笑)」。
会社の歴史は次週に続く...。
古くから外国人社員の方を登用して大きな力を生み出しておられます。
社長の思い切りの良さ、決断の速さも会社発展の大きな力ですね。