2023年

8月27日

世界の味を目指す 冷凍たこ焼きベンチャー

先週に引き続き、ゲストは株式会社元祖たこ昌の代表取締役 山路秀樹さんです。
今週は改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「1979年の創業です。
実はその頃はまだたこ焼きを作っていませんで、海苔を販売していました。
海苔屋をしながら一方でテイクアウトの寿司屋をしていました。
その寿司屋の前でたこ焼きを売り始めたのが最初。
今から40年ほど前ですね」。

なぜ海苔からたこ焼きへ?
「海苔は大阪らしくないんですよね。
祖父母は東京へ行くとお土産で海苔を買って帰ったと言っていました。
昔は浅草海苔が名物でした。
大阪で海苔というとイメージとして近くない。
大阪らしい食べ物の商売をしたいと言っていましたね。
先代が個人的にたこ焼きが好きだということもあって、寿司屋の前でたこ焼きを焼いていて、いつの間にか寿司の売り上げよりもたこ焼きが優って...という流れですね」。

たこ焼きから冷凍たこ焼きへ。
「お店を増やす、フランチャイズって難しいんですよ。
管理も大変です。
先代の父は大阪の商売人です。
お客さんに喜んでいただきたいという思いが強い。
合理的な商売で売り上げだけ上げるのはこれ如何にという思いがあったようです。
ひとりでも多くの方に大阪の食文化のたこ焼きを持って帰ってもらえるかを考えたようです。
一番振り回されたのは家族ですね。
海苔屋でよかったんちゃうのって。
たこ焼きは当時、8つで100円ぐらいの時代です。
その儲けじゃ学校に行かれへんやんって思いましたよ。
寿司屋の時は従業員もいましたが、たこ焼きになったら働かないという声もあったと聞きました」。

商売を継ぐきっかけは?
「父が"やるのかやらへんのかどっちや?"
"やる!" と答えました。
それまでは会社のあれこれを教えてもらっていましたが、2008年の6月に社長になりました。
その後にリーマンショック。
大変でしたね。
経済が止まって人が動かなくなりました。
こんな時に社長はイヤと一瞬思いましたよ(笑)。
父が生きている中であの経験ができたのはよかったですね」。

創業者の色から現社長の色に変わりましたか?
「なかなか変わりませんでしたね。
亡くなるまで変わりませんでした。
父についてきた従業員が何人辞めるか気になりました。
一番の恐怖でした。
でも結果的には誰も辞めませんでした。
だからこそ自分ができること、動かなければいけないと思います。
デスクの椅子にいてはいけないと思っているんです。
思っている以上に世の中の動きが早いです。
大阪にいたら大阪しか見えない。
外から大阪を見る、海外から大阪を見る」。

社内の部署の名前がユニークです。
「お得意様に何をやっているかということを見てもらいたいですね。
製造と、ものづくりは違うと思うんです。
『ものづくり部』は製造なんだけど、ひとつひとつ手作りしていますので。
『商い部』は営業、お得意先に足を運んで。
『たこ焼き課』を"直営課"というのはカタいよなぁ、と。
『たこ焼き課』にすると分かりやすい。店舗の統括ですね。
遊んでいます。
これにみんながついて来てくれますし、おかしなところは止めてくれます。
ありがたいですね。
でもワンマンなところも必要だと思っています。
先に立って旗を振らなければならないので。
従業員の声、お客様の声を広く聞きながらジャッジをしていかなければならないと思っています」。

今後のビジョンは?
「海外へ行くと当たり前のように日本の商品、調味料があります。
醤油なんかそうですよね。
そんな中、たこ焼きを普通に食べられるものにしたいです。
欧米も昔と違って"タコは食べない"ということはない。
だからたこ焼きを世界中に発信していきたい。
これが私の夢ですね」。

大阪のたこ焼きは世界を目指す。

<プレゼント>
山路さんからリスナーのみなさまへプレゼントを頂いております。
「 たこ昌の6種詰合せ『御堂筋』(計41個) 」をセットにして5人の方にプレゼント!
≪ 宛先 ≫
メール:akarui@mbs1179.com
FAX: 06−6809−9090
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「  元祖たこ昌 プレゼント 」係
*当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

歴史を伺っていると、これは紛れもない『たこ焼きベンチャー』。
商品の美味しさ、企業としてのユニークさ。関西のパワーを感じましたね。