2023年

7月16日

創業100年へ向けて社内もいいバランス

先週に引き続き、株式会社長浜製作所の代表取締役社長 三村昌弘さんです。
今週は会社の歴史から伺っていきます。
「1948年、長濱耕作が創業しました。
もともと機械を大学で勉強して、その後、戦争へ。
戦時中は海軍の技術士官でした。
軍用艦のメンテナンスをしていたそうです。
エンジンの構造が非常に難しくバランスを取るのが難しい。
こういった構造で簡単にできるだけ早くバランスを取ることができれば、日本経済にいい影響があると考えていたそうです。
終戦後は精密機械研究所を創業しました。
いきなりバランサーを作れるわけがないので、時計や産業機械の修理しながら日銭を稼ぎつつ、日々、大学の先生などに相談して研究をしていたそうです」。

三村社長はいつ入社されたのでしょうか。
「1977年に学校を卒業した後に入社しました。
ご縁というのはとても大事ですね。
私は当時、兵庫県丹波の旧氷上郡にいました。
大学で京都へ。
後に就職することになるこの会社の創業者がこの大学の先輩だったんです。
研究室の先生が創業者の後輩でした。
その先生に勉強させてくださいとお願いしたのですが、先生は"俺の知っている会社があるから"と首根っこを捕まえられて会社に入れと言われました(笑)」。

教授からの勧めで就職へ。
「町工場で終わるのかと思ったのですが、よく見ていると面白そうなことをしていると思いました。
私が入社する時の会社の意向は新事業のためだったんです。
50%の持ち株会社がドイツにありまして、その会社の技術を勉強するためにドイツへ1年間いきました。
79年のことでした。
その間にドイツの方と人脈ができました。
そういったドイツとの経緯や、創業者とその弟さん、先輩方が"三村ならできるやろ"と推していただきまして、39歳で社長に就任しました」。

社内での人材育成はどうされているのでしょうか。
「基本は内部で教育をしています。
外部からも週に1回あったり。
まだまだ足らない部分もありますが、順調だと思います」。

お勤めの方は近頃、実習生などで外国人の方もおられますが、株式会社長浜製作所ではいかがでしょうか。
「中国、韓国、タイ、インドネシアに拠点がありますから、専属でやってくれている社員がいます。
そこに10〜20人ほどいます。
タイには日本からの常駐も。
中国、韓国の営業マンを採用してとても力になってくれています」。

技術系の会社ですが、今でいう"リケジョ"はいらっしゃいますか?
「この間も私の母校から見にきてくれましたけどね。
工場も本社も新しくなりましたし、やっていることは面白いことをやっているので、ぜひ来ていただきたいですね」。

未来へのビジョンを聞かせください。
「創業75年。
あと25年で100年です。
その100年をちゃんとした状態で迎えるべく、会社の中も人材もちゃんとしたいですね。
私もその時は90歳を超えた頃です。
喜びを共に分かち合いたいですね。
そのために新しいことにチャレンジしていきたいです」。

技術、社内教育、海外展開。
会社のバランスも抜群です。

竹原編集長のひとこと

なくならない需要と技術。
大手企業に信頼される技術。
100年を迎えられた時の会社の姿が楽しみですね。