2022年

12月18日

ものづくりでワクワクするような未来を

ゲストは株式会社山本金属製作所 代表取締役社長 山本憲吾さん。
これからのものづくり企業の指針になるかのようなお仕事ぶりです。
「僕は社員にDXをやると言ったことは一度もなくて、高精度のものづくりはどうやったら追求できるか。
機械加工の仕事でどうやったらワクワクできるか、自分たちの工場で試してみようぜ、そんな思いです」

お父様が創業者。
会社にどんな経緯で入社されたのでしょう。
「25歳の時に戻ってきました。
現場ではタバコは吸っているし、夕方5時になれば缶ビール飲もうぜというような。
製造業によくある話ですが、営業より現場が強い。
新しい案件を持っていくと"こんなものでけへん"と先へ踏み出さない。
うちの会社にも当時ありました。
そういうことが続いていくと特定の人にしか向き合えない会社になってしまいます。
昔と今と圧倒的に何が違うかというとお客様の数です。
当時の取引先は50社ほど、今は600社を超えています。
当時の社員数は5、60人、現在は290人です」。

もともと会社を継ぐおつもりだったのでしょうか?
「大学出てから大手のメーカーに就職しました。
ある時に父が体調を崩した時期があって、少しでも会社を手伝いたいと思っていたこと、あと心のどこかでサラリーマンに向いていないと思っていたこともあって戻ってきました」。

入社後、社内で改革を。何から着手されたのでしょう?
「改革とかじゃないんですよ。
やっている仕事が面白くないからです。
当時、"この部品って何の部品ですか?"と聞くと誰も答えられないんですよ。
どこに使われる部品かみんな知らないんです。
図面通りに作っていればいい、と。
先輩に対してでしたが"それの何が面白いんですか?"と言いましたね。
生意気なのは昔からなんで(笑)。
そういう働き方をしている限りモチベーションが上がってこない。
ものづくりをしている人間にとって、産業分野や、この部分に使われているから大切に作ろう。
ここが分かっているか、分かっていないかは大きな違いだと思います」。

経営に関して先代であるお父様と意識の違いはありましたか?
「世代も違いますし、多少の経営に対する進め方は違います。
私がラッキーだったのは、好きなようにさせてくれたということ。
あいつに何を言っても、わしの言うこと聞かんわと(笑)。
進んでいく背中を見ておいてやろうということがあったのかもしれません。
執念、信念で赤字は出さずに黒字を積み重ねてこそ信頼を得ることができると思います。
黒字にするのは至ってシンプルで、100円で作ったものを120円で売る。
当たり前を徹底してやっていく。
安いけどやってくれと言われたときは断ります。
事業を継続していく源泉は黒字化。
それができたらビジョンを追いかけることができると思います」。

2009年に社長就任。
岡山に研究開発センターをはじめ、八尾、島根にグループ会社。
ベトナム・ハノイにも進出。
毎年のようにさまざまな受賞もされています。
医療ジャンルにも進出されています。
「自社ブランド『医療機器ジェンティル』。
ポルトガル語で優しさ、寄り添うという意味です。
コロナ禍でロックダウンに近い状態になった時がありましたよね。
京都大学医学部の耳鼻咽喉科から今のままではオペもできなくなると聞きました。
患者さんからも緊急に手術がしたいのにできないという話も。
従来のオペ環境では飛沫対策に限界がある。
さらに患者さんのケアで術後、楽にならないかというニーズがありました。
そういったものをコロナ中だからこそ声をかけていただいて、開発したブランドが『ジェンティル』なんです。
医療従事者、患者さんに寄り添いたいという想いから生まれた事業です。

未来へのビジョンを聞かせてください。
「機械加工にイノベーションを起こす。
このテーマは日本のみならず世界でも求められる社会的なテーマだと思っています。
現場で働く生産人口が減ってきています。
今まで人が動けていた場所に人が動けなくなってきています。
そういったところに私たち山本金属製作所の高度な加工技術とエンジニアリング力。
この2つを武器にしてものづくりで"いいものを作る"というこの基盤を未来に残していくためにも世界の製造業の皆さんのお力になりたいです。
サービス、技術、製品作りを始め、ロボットやAIなど新たなことにチャレンジしていく。
若い社員たちにもっとワクワクした未来を発信していきたいですし、それが同業者の皆さんにも参考になればと思います。

ものづくりは未来づくり。

竹原編集長のひとこと

自分がやっていることが世の中のどこに役に立っているか。
それを知ることでモチベーションが上がる。
そうすればワクワクする未来がもっと見えてきますよね。