2022年

12月 4日

歴史が物語る肉文化への想い

先週に引き続きゲストは株式会社コバヤシ
取締役兼CDOの小林裕一郎さん。

改めて創業から伺っていきましょう。
「明治5年(1872年)です。
当時は青果と乾物を主に取り扱っていました。
天満の大川沿いに天満青物市場がありまして、そこが創業の地です。それから大久保利通公の御子息と繋がりがありまして、満州から入ってくる肉の荷受け会社を作って欲しいという依頼からお肉の卸が始まりました。昭和31年には皇室へお肉を献上させていただきました。会社には献上させていただくお肉を従業員が抱えている写真がされています」。

高度経済成長と共に会社も成長。
「バブルの時代が一番すごかったと聞いています。日本人がお肉を食べる文化が根強くついたのかと思います。私は当時、小学生だったのですが忙しさから父親を家で見ることがなかったですね。当時の年商を聞いても今からでは想像もつかないほどでした。その当時、儲かっているイメーはありましたが、後にBSE、狂牛病がありました。その時には会社が潰れると思ったみたいです。以降も畜産業界は口蹄疫などの疫病などにも悩されました。なかなかうまくいく商売ではないんですが、それでも力を合わせて頑張って...そこへきてコロナ。狂牛病の時、私は学生時代でのらりらり過ごしていましたね...」。

そんな中、あるきっかけが。
「ある時に会社に書類を持ってきてくれと連絡がありました。持って行った時に昔から知っている人がまだ働いてくださっていて。
"学生で暇があるならバイトでもすれば"と言われました。きっかけというとそれになります。
その時に大学1回生だったんですが、学校に行かず...バイトをしていました。バイトをしていると"お前の学校はいつ始まるんや"と。
結果的に学校を辞めてこの仕事に就くことになりました」。

お仕事はいかがでしたか?
「アルバイトは働く時間が長かったので、結構バイト代はいただいていました。
でも社員になってからの方が給料が少なかったんです...。働く環境が改善されている今からすると考えられなかったですね。しかも私の給料だけ少かったんです。理由は"お前に金を渡すと何をするかわからん"というものでした(笑)。
交渉はしましたけど何も変わらず2、3年は同じでした。給料が上がったタイミングは営業をしたり、新しいお客さんを獲得して信用を得た時からように思います。19歳の冬休みからなんで20年を超えて仕事をさせてもらっています」。

仕事のやりがいはどこに感じておられましたか?
「美味しいものが好きだったことが大きいですね。自分でも料理もほどほどにします。
自分で料理をするようになってからお客さんとの会話の内容も変わってきたと思いますね。
仕入れ先の方に料理の仕方を教えてもらうこともあります。
肉の焼き方ひとつとっても皆さん違う。
いいところをちょっとずつ自分に取り入れています。
今になって上手にお肉が焼けるようになってきました」。

ここでお肉のプロから焼き方のレクチャー。
「まず、常温に戻します。
常温から塩をして10分ほど置くと水分が出てきますので、キッチンペーパーで拭き取ってください。フライパンを熱したところに入れるわけです、お肉にストレスを与えない方がいいんです。
強火でジュージュー焼くとストレスがかかります。弱火でゆっくり温めてあげて、最後に強火で焼き目を。ぬるま湯のお風呂に浸かるとゆっくりかれますよね。真夏の太陽のジリジリってしんどいですよね。
2cmぐらい厚みのお肉ならばこれです。
しゃぶしゃぶもそうですね。
ぐらぐらの鍋ではなくて、ふつふつ湧くぐらいのところに入れる方がいいです」。

未来のビジョンを教えてください。
「お肉を販売するのはもちろん、コロナで目減りしてしまう売り上げを補填すべく調味料のラインナップを増やして、これから最低でも5種類作っていきたいです。
私の中で仕上がっているのは『ポン酢』です。
充実させて一つの事業として確立させてお肉とセットでご購入いただいたりする流れを作ることができれば。
お肉を消費するために美味しい調味料を作っていきたいですね」。

肉の文化を継承し、新たなスタイルの確立へ。

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≪ 宛先 ≫
※メール: akarui@mbs1179.com
※FAX :06−6809−9090
※ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「  コバヤシ プレゼント 」係
*当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

コロナの影響で生まれた商品が次の柱を生み出す。
お肉屋さんの新しい形のひとつですね。