2021年

12月 5日

極めることと楽しむこと 製品の未来を濾紙が支える

ゲストは先週に引き続き、安積濾紙株式会社の代表取締役社長 安積覚さん。
様々な製品の製造過程で使われている濾紙。
私たちの暮らしを支えています。
改めて創業から伺っていきましょう。

「創業は大正8年、1919年です。
安積洋紙店という卸業でした。
当時はいろんな洋紙の中のアイテムの一つとして濾紙がありました。
これから濾紙が伸びるんじゃないかという考えから、昭和初期に現在の東淀川区に高知から手抄きの和紙の職人を呼んで作り始めました。
当時は電信柱に大きなタンクのようなものがついていました。
そこに絶縁油が入っていまして濾過する必要がある。
電信柱に使う濾紙を供給し始めたのが始まりでした」。

次のステップは?
「自動車の発展が大きかったですね。
高度経済成長期に自動車が普及したとき、自動車用に使うオイルフィルターの用途が出てきまして、濾紙の製造も手抄きから機械化にかわりました。
もともとは手抄きでやって干して...という手作業。
伝え聞く話では室戸台風で干した濾紙が全部飛んだなんてこともあったそうです。
機械化してから商売の形が変わったようですね」。

創業者が現社長の曽祖父、
濾紙を始めたのが祖父、
機械化をして売り上げを伸ばしたのは父。
そして現在へ。
「世代としては四代目、社長としては五代目。
36歳で社長に就任しました。
今から考えると若くして就任したと思います。
管理職も年上です。
私が子どもの頃から知ってくださっていた社員さんでした」。

社員さんとのコミュニケーションはどのようにとっていらっしゃいますか?
「時代と共に工夫をしなければいけないと思っています。
画面越しのコミュニケーションが増えてしまいますが、会うことが大切だと思います。
コロナウイルスの影響で難しいところですが、各地の工場にはできるだけ足を運んでいます」

上海にも工場をお持ちです。
「27、8歳の頃、上海工場を立ち上げに現地へ行きました。
従業員8人のところからスタートしましたが3年ほど前に資本を分離しました。
私は上海に8年いましたが経済成長の真っ只中にある国での8年は大きかったですね。
目の前が音を立てて変わっていく。
経営の勉強も含めて私の基盤を作ってもらいました。
人生の大きな転機だったと思います」。

実は安積社長はミュージシャンとしての顔も。
「上海にいる時にとあるきっかけがあって人前で歌うことがありました。
2003年に中国から帰ってからも引き続き音楽活動しました。
私の安積という名字は中国読みで"アンジー"といいます。
基本的にはギターやピアノの弾き語りをしてオリジナルで楽曲を制作しました。
中国で色々と刺激を受けましたね。
現在もコロナで停滞はしていますが、定期的にライブをしています。
子供の頃から音楽に触れていましたが、まさか人前でやると思っていませんでしたけどね。
30歳ぐらいから始めました。これも縁だと思います」。

未来のビジョンはどう描いていらっしゃいますか?
「さらにグッドカンパニーを目指していく。
品質、規模、技術。
日本で一番の濾紙メーカーを目指していきたいと思います。
濾紙、機能紙を開発型のメーカーとしてさらに十分な機能をどれだけ極められるか。
極めることと楽しむことができればいいですね」。

今までもこれからも濾紙は私たちの身近なパートナーに。

竹原編集長のひとこと

古くからある濾紙がさらに機能をもって未来を創る製品に。
脱炭素や医療など明るい未来が広がりますね。