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10月10日
先週に引き続き、ゲストは株式会社名畑の代表取締役 名畑豊さん。
お酒から食品、資材までおよそ8000の飲食店に必要なものを提供。
そして開店支援もされています。
「実は退店の支援もさせていただいているんです。
内装や施設や設えを生かしながら、次のお客さんにマッチングするお仕事もしています」。
株式会社名畑ですが、もともとどこからのスタートですか?
「創業当時から店頭売りはなしで業務用だったそうです。
私は3代目なんですが、祖父が富山から出てきて酒屋さんに勤めてから開業したそうです。
祖父の会社を父が引き継ぎ、そして私へ。
私が入った頃はバブルが弾け出した頃、お酒の免許の自由化の時代でした。
ちょうど価格も乱れ始める時期でバブルも弾ける...そんな時期でした。
このままでは立ち行かないということで、そのあたりからいろいろと変えていきました」。
お父様が家業を継がれています。
幼い頃から継承するイメージをお持ちだったのでしょうか?
「私はプロ野球選手かお笑い芸人になりたかったんです(笑)。
大学4回生の時は普通の就職活動をしていましたし、マスコミも受けたことがありました。
売り手市場の頃でたくさんご連絡をいただきましたね。
会社の継承については父から直接言われていなかったんですが、周りから聞いていました。
もしかすると入って欲しいのかなぁ...と。
そんな中、サントリーさんからご連絡をいただいて、サントリーさんに入ってからうちの会社へという流れでした」。
サントリー時代はいかがでしたか?
「3年半で戻る約束だったのですが、4年いました。
最初は本社の経理、その後に営業でした。
その中で飲食店の相談窓口がありました。
どうやって飲食店を流行らせるかを考える部署でした。
この部署の仕事を見ているとどうしてもこの仕事をしたくて...。
飲食店の方はこういう1日を過ごしている、こういったことを考えておられる...
そこからお客様が何を求めておられるかに繋がります。
サントリーさんにいた最後の2年間が今でも活きています」。
会社を継がれた後に改革は?
「営業マンは歩合制だったんです。
普通にやっていると給料が上がっていくという仕組みだったんです。
時代を見てそのままの形で進むと今度は給料が下がっていくと思ったんです。
歩合制なので個人主義。
となりで何が起こっていても気にしない、会議もない。
個人プレイヤーの集まりでした。
やり方として個人もあると思うのですが、個人ではなく会社として進まなかればならない時代。
理念が合わない人は辞めた方もおられました。
その点はだいぶ議論しましたね」。
当時、お父様は社長のこのやり方に対して何か意見などはありましたか?
「ノータッチでしたね(笑)。
私は子どもの頃から"違う"と思ったら違うと言ってしまうタイプでした。
会社に入っても自分の意見はハッキリといっていましたので、私が自分でするのを見ていてくれて、ノータッチだったのではないでしょうか」。
このコロナ禍、そして世の中の変化。
お仕事の変化はどう感じておられますか?
「"この業界を変えよう"を合言葉にしています。
うちの会社だけでなく、業界全体に魅力がないと新しい人材が入ってきてくれません。
我々の業界は厳しい仕事だったりします。
飲食店の形態によっては夜中に集金に行ったり、夜に留守番電話に入れてもらった注文を朝までの間に聞いて伝票を起こしたり。
重いものも運んだりします。
大変な仕事なんですが、お客様の話を身近に聞いて支援できるという仕事でもあります。
これをもっと訴えていきながら、しんどいことを改善したり。
ちなみにこの10月から休日も増やすんですよ。
まずは形で示そうと思うんです。
うちが突っ走って新しいことをやっていこうと思っています」。
未来のビジョンはどう描いておられますか?
「業界全体の水準を上げたいことはもちろんですが、10年ぐらい前から温めていたプロジェクトがあります。
『飲食アカデミー』をしたいと思うんです。
飲食業は少し腕に覚えがあると簡単に始められる反面、やり方を間違えると簡単に潰れてしまうこともあるんです。
でも外食産業って理論に基づいてちゃんとやると潰れない、失敗しにくい産業だと思うんです。
トータル的に飲食店を学ぶ現場ってなかなかないんです。
じゃあ、ないんだったら作ろうかと。
サービス部門、ドリンク部門、経営者部門。
将来"名畑外食アカデミーの出身やねん"という会話やネットワークが広がって行けばいいなと思います」。
お店づくりから人づくりまで。
株式会社名畑のチャレンジは続きます。