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9月26日
先週に引き続きゲストは岸和田観光バス株式会社の代表取締役社長 中井秀樹さん。
地元に密着したバス事業、レストラン事業についても伺いました
改めて創業から伺っていきましょう。
「まず私の父と市会議員の方がいまして、小学校の社会見学や修学旅行を見てこの事業が良いじゃないかと。
父は戦前に教師をしていまして 戦後には高専の教育員に。
教育事業の一環としてできたらと考えていました」。
地元密着の事業なんですね。
「昭和28年に申請しました。
お金が掛かる事業であり許認可がいる事業。
当時、市会議員をはじめ出資者を募ったそうです。
本社が南海本線岸和田駅の下にありましたもので、そこの商店街の皆さんにお声がけさせていただいて、最初から株式会社としてスタートしました。
地元の名前がついているのはそういった理由です」。
岸和田観光バス株式会社に入社される前は?
「大学生の頃は手伝いをしていましたね。
就職先は地元の泉州銀行に就職することになります。
足掛け30年いました。
会社の株を持っていたものですから銀行に許可をいただいて、非常勤で勤めていました。
役員会にも出ていたのですが、バブル崩壊後、平成12、3年頃に経営が悪化してきました。
環境問題から車の排気量の基準が変わって、バスの買い替えをしなければならないのにできない状態でした。
親父がある程度の歳になり平成15年4月にこちらに就職しました」。
いわば会社の立て直し。安定してきたのはいつでしたか?
「平成15年の時点でバスの買い替えの限度は19年か20年ぐらい。
さらには退職金の問題など...。
ひとつひとつ解決しながら平成21、2年あたりで安定しました。
経営する立場になってからいろんな本も読みました。
松下幸之助さんの『道をひらく』など読んでいると泣けてくるんです。
本田宗一郎さん、井深大さん、皆さん苦労をされているんだなぁと思いました。
この国には優れた経営者の方がおられて、自分は足らないなぁと思うことがありますね」。
ご自身の会社経営だけでなく岸和田商工会議所の会頭も。
「コロナ禍で規模の小さいところ、飲食業、製造業などかなり苦労されています。
会議所としては相談業務をしています。
マスクの集積をしてみたり、食事券の発行をしたり、いち早くワクチンの職域摂取もできました」。
未来へのビジョンはどうお持ちですか?
「アフターコロナを見据えて事業をどう展開していくか。
観光事業は人間の本能だと思っています。
移動する楽しみ、観る楽しみ。
これは人間が持って生まれたもので、観光事業は廃れることはないと思っています。
私たちの仕事の中でも送迎だけでなく観光を残しているのはそういった意味です。
さらに社会人を教育するということでも色んなことを見るということは大切だと思います。
この事業そのものは無くなることがない。
コロナで傷がつきましたけど、その傷を癒して、知恵を絞って発展していきたいと思います」。
観る楽しみと喜び。
岸和田観光バス株式会社は地元と共に走り続けます。
地域密着のお仕事はお金儲けだけじゃないです。
地域のために何ができるか、どうやって盛り上げることができるか。
これを考えると会社は発展しますね。