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1月17日
ゲストは先週に引き続き株式会社新免鉄工所の代表取締役社長・新免謙一さん。
ブラストなど金属の表面加工などについて伺いました。
改めて会社の歴史を伺っていきましょう。
「創業は大正5年、1916年になります。
曽祖父が創業者です。
新免性は岡山でして、元々は岡山で農機具を作っていたそうです。
最初、機械加工に移り当初は大阪市電の車輪を削って加工していたそうです。
戦争の後、仕事をしようにも仕事がない。
日雇いの仕事をしていたそうですが、そこで金属の表面加工に出会ったと聞いています。
会社として昔から大きなものの処理に特化にしていたそうです。
大きなものができたら小さなものもできるだろうと」
ブラストや溶射も古くからある技術。
サンドブラストも砂は鉄粉、酸化アルミに変わったそうです。
新免社長は昔から工場には馴染みがあったのでしょうか?
「小さい頃から工場に出入りしていましたね。
簡単な作業を手伝っていたり。
就職は実は内定していたのですが勤める前に倒産しました...。
それで結局、家業を継ぐことになりました。
大学の時代も手伝いっていましたので、自然と仕事も覚えていましたし、現場の皆さんもずっと顔見知りでしたね。
慣れた環境ではありましたが、"見て覚えろ"という職人の世界はあります。
それに加え、親切に教えてくれたりもしました」。
会社は100年の歴史をもっておられます。
記念に何か催しは?
「社員の家族も招待して沖縄旅行をしました。
社史を作って取引先などに挨拶に伺いましたね。
この社史なんですが見ていると古くから社員旅行もしていました。
今回も去年の12月にいく予定でしたが時世柄延期になってしましいました」。
激動の100年。
歴代社長から引き継いだものはありますか?
「祖父から"ブラストはそのうちなくなるから新しいこと、ものづくりをしろ"と言われたことがありましたね。
"手をに抜きたくなるところに手を抜くな"とも。
手を抜きたくなるところが錆びやすいところなんです。
ブラストは昔から形が変わっていません。
最近では大阪大学と共同研究をしてレーザーを使った次世代型表縁処理を進めています。
砂つぶを使わないので環境にも優しいです。
祖父が言っていたブラストに代わるものにつながるかなと思います」。
将来のビジョンを聞かせてください。
「うちがやっているのは最終工程です。
仕事の結果が出るのはすごく先のことなんですよね。
だからこそ長い時間を経て"ああ、長く持った"と思ってもらえる。
時間が経つからこそ自分たちが携わった仕事が子供たちやその先にむけて見せることができるという良い面もあります。
社員に対しては今入ってこられた若い人たちが定年までご飯を食べれるような良い仕事をしていきたいですね」。
息の長い仕事を積み重ねた100年の歴史。
次の100年に向けて動き始めています。
人の手が生み出す仕事の大切さ。
それをしっかり積み重ねて100年なんですね。
未来を作るお仕事だと思います。